閑話『迷宮殺しのすくーるらいふ』

第38話 アリスとお茶会



 巨人回しタイタン・マスターとフラマク公の引き起こした事件が収拾し、数日が経過した頃。

 迷宮殺しダンジョン・スレイヤーの二つ名を持つレクトと、その生徒であるアリスは、教習所の一角にある庭園で二人きりのお茶会を楽しんでいた。


「それで、アリスはこれからも探索者を目指すのか?」


「はい」


 紅茶入りのカップをテーブルに置いて尋ねるレクトに、対面に座るアリスは人懐っこい笑みを浮かべて頷いた。


 アリスは、ダンジョンで救助されてから今に至るまで、ほぼ一日中レクトに感謝の言葉を述べていた。しかし先日、レクトに「そろそろいつも通りにしてくれ」と言われたので、今日は渋々感謝の気持ちを抑えている。……本当はまだまだ礼を言いたいところだが。


「お父様、お母様とも改めて相談しましたが……やはり私の元素は、探索者として活動することで一番役に立つ気がします。それに……今まで積み上げてきたものを、無駄にしたくはありませんから」


「……そうか」


 親の指示で嫌々探索者を続けるわけではないと、アリスは暗に告げた。

 積み上げてきたものの中には、クラスメイトとの関係も含まれている。あの友人たちと離れるのは寂しい。アリスにとっても、この教習所は居心地がよかった。


「レクト教官。これからもご指導ご鞭撻のほど、お願いいたします」


「ああ」


 アリスが告げると、レクトは淡白な返事をする。だがその表情は少しだけ嬉しそうに見えた。

 レクトの僅かな表情の変化に気づいて、アリスは膝の上にある手をきゅっと握り締める。


 ――ずるいなぁ。


 レクトに助けられて、レクトに興味を持って、レクトのことをよく見るようになって……アリスはレクトのことを少しだけ理解することができた。


 レクトは口数が少なく、感情の機微も分かりにくい。

 しかし表情をよく見れば、レクトが何を思っているのか分かる。それは言葉ではないが故に、本心が赤裸々に表れていた。


 言葉ではないから、言及するのは野暮である。だからアリスは何も言えない。ただ黙って、レクトの温かな感情を受け入れるしかない。レクトにとってはもう、今回の件は終わったことで、謝罪も感謝も不要なのだ。


 きっとレクト教官は……最初からこんな表情で、自分たちを見守っていたんだろう。

 もっと早く気づきたかったと切に思う。


「しかし、アリスが天賦元素を持っているとは流石に思わなかったな。……今でも驚きだ」


「それはもう、私自身ですら驚いていますから……」


「元々、アリスが天賦元素を持っているという情報は、アリスの出産に立ち会った人たちだけが知っていたんだよな?」


「はい。天賦元素の存在が明るみに出ると、最悪、命を狙われるかもしれませんから……両親は、私が覚醒して自衛できるようになるまでは、徹底的に秘匿するつもりだったようです。……結局、秘匿はできませんでしたが」


 そのせいで命を狙われる羽目になってしまった。

 アリスは自分を襲ったギガンテスと……自分を助けてくれたレクトのことを思い出す。


「そう言えば、レクト教官。レクト教官の元素も普通のものではありませんよね?」


「ああ。俺の力は、混沌元素と言う」


 紅茶で喉を潤したレクトは説明する。


「各属性の元素レベルが100以上で、尚且つその誤差が10未満の時に発動する、特殊な元素のことだ。天賦元素ほどではないが、これも珍しいな」


 聞いたことがない話だった。

 恐らく一般的なテクニックとは乖離しているのだろう。


「あれは、その気になれば誰でも習得できるものなんでしょうか?」


「そうだな。元素レベルを調整すれば、誰でも習得できる。……といっても、好き好んで習得する奴なんて滅多にいないが」


「そうなんですか?」


「まず、元素レベルを100以上にすること自体が難しい。アリスたちはまだ実感したことないと思うが、レベルは高くなればなるほど、上がりにくくなるんだ。俺も混沌元素を習得するまでは一苦労した」


 レクトが、手元のカップに視線を下げながら言う。


「それに、混沌元素を持っていると、元素の出力自体は大幅に向上するが、代わりに《元素纏い》以外の術式が使えなくなるというデメリットもある。だから誰も混沌元素を覚えようとしないんだ」


「じゃあ、レクト教官が以前、《元素纏い》しか使えないって言っていたのは……」


「そういうことだ」


 レクトが肯定した。

 そんな事実があったとは知らなかった。レクトも今まできっと苦労してきたのだろう。

 しかし同時に――アリスはどうしてもレクトに言いたいことがあった。


「あの……レクト教官」


「なんだ?」


「その、失礼かもしれませんが……よく言葉足らずと言われませんか?」


 遠慮気味に指摘すると、レクトは気まずそうに視線を逸らし、


「…………………………言われる」


 小さな声で肯定した。

 アリスは溜息を吐いた。


「私も反省するところは沢山ありますが……察するに、レクト教官も説明が足りないと思います」


 そう告げると、レクトは深く反省した様子を見せた。

 どうやら本人も自覚しているらしい。


 これはレクトだけの問題だろうか? ……否、教官と生徒は一心同体。

 自分も歩み寄るべきだと考えたアリスは、妙案を思いついた。


「レクト教官、提案があります!」


 思い浮かんだ妙案に我ながら手応えを感じたアリスは、意気揚々と告げる。


「これから毎週、私とお茶会をしましょう!」


「お茶会って……こういう感じでいいのか?」


「はい!」


 戸惑うレクトに、アリスは説明する。


「私も反省したんです。……もし、私が最初からレクト教官のことをもっと理解しようと努めていれば、不要なすれ違いも起きなかったかもしれません。……ですから、これからはお互いのことを知るためにも、定期的にお茶会をして、お話をするのはどうでしょうか?」


 ボイコット騒動の件を思い出しながら、アリスは言った。

 するとレクトは顎に指を添え、真剣な顔で検討する。


「悪くない。……いや、魅力的な提案だ。こちらこそ、よろしく頼む」


 その返事を聞いて、アリスは微笑んだ。


「では、本日は記念すべき一回目のお茶会になりますね。……紅茶のお代わり、入れますか?」


「ああ、頼む」


 レクトの返事を聞いて、アリスはティーポットを手に取った。


「さっきから随分と慣れた様子で紅茶を入れているが、アリスは紅茶が好きなのか?」


「そうですね。教習所に来る前からよく飲んでいましたから、趣味であり習慣でもあります」


 紅茶をカップに注ぎながら、アリスは答える。


「レクト教官の趣味は何ですか?」


「趣味か……」


 アリスの問いに、レクトは考え込む。

 しかし答えはいつまでたっても訪れることはなく、


「………………趣味か」


「あ、あの、ないなら、ないでも…………その、すみません」


 余計なことを訊いてしまったかもしれない。

 居たたまれない気持ちになったアリスは、複雑な顔で謝罪した。


「元々、俺は不器用だからな。ここの生徒だった頃から今に至るまで、ずっと鍛錬ばかりしてきたし……そうしなければ、人並みの成果すら手に入らなかった」


 その気持ちはアリスにもよく分かる。

 実を言うと、アリスがお茶会を開いたのは久々だった。天賦元素に目覚め、成長を実感した今、やっと紅茶を飲む余裕ができたと言える。それまではレクトと同じく鍛錬漬けの毎日だった。


「そういえば、ミーシャの買い物にはよく付き合っていたな」


「ミーシャさんと、買い物……ですか」


「ダンジョンから帰ってきた時とかによく付き合っていたんだ。……ミーシャも立場上、息抜きが必要だからな。街に出かけたり、観光地巡りをしたりと、色んなところに遊びに行った」


 レクトはいつも通り、覇気のない顔で語っていたが……その表情はどこか楽しそうに見えた。


 今まで見たことがない顔だ。レクトもこんな表情をするのか、とアリスは意外に思う。

 しかし何故だろう。そんなレクトの顔を見ていると……モヤっとする。


「へー……………………そうですか」


 自分でも驚くほど冷淡な相槌を打ってしまった。


「でもそれは、レクト教官が探索者だった頃の話ですよね?」


「ん? まあそうだが……」


「今は教習所の教官なんですから、これからは私たちのことを優先しなくちゃいけない筈ですよね?」


「まあ、そうかもしれないが……なんか怒ってないか?」


「怒ってません」


 極めて冷静である。何故そんな勘違いをされるのか、アリスは不思議に思った。

 その後もお互いのことを知るための、質疑回答が繰り返される。好物は何か、休日は何をしているか、どんな友人がいるのか、などなど――色んなことを話した。


 のんびりとした時間が暫く続く。

 ふと、レクトが口を開いた。


「……なんだか、お茶会というより、お見合いみたいだな」


 ガチャリ、と音がする。

 アリスが持つティーポットの先端が、カップにぶつかった音だった。


「お、お、お、お見合い、ですか……っ!?」


「アリスも公爵家の人間なんだから、経験くらいはあるんじゃないか?」


「い、いえ……私は、まだそういう経験はありません。……声が掛かったことはあったみたいですが、天賦元素が目覚めるまではお父様がお断りしていたみたいです」


「そうなのか。じゃあ、これからは縁談を受けることもあるかもな」


 あっさりとそう告げるレクトに、アリスは頬を膨らませた。

 今の言葉を聞く限り、どうやらレクトはアリスのことを異性として全く意識していないらしい。教官と生徒の関係を考えるなら正しいが、もう少し、こう……乙女心も分かって欲しいと思う。


「……受けません」


「ん?」


「私、縁談は全てお断りするつもりです」


 頑なな態度で言うアリスに、レクトは不思議そうな顔をした。

 どう説明するべきか。……考えた末、アリスはちょっとだけ勇気を振り絞ることにする。


「実は今、少しだけ気になっている方がいるんです」


「……そうなのか?」


 アリスは「はい」と頷いた。


「その人は、私の恩人なんです。私がどれだけ無様な姿を見せても、最後まで味方でいてくれて……私のことを守ってくれました」


 真剣な面持ちでレクトは話を聞く。

 その様子に、アリスの鼓動はどんどん加速した。緊張に汗が滲む。きっと頬も赤らめているだろう。しかし伊達に公爵家の次女ではない。動揺を押し殺し、できるだけ冷静な態度を保ってみせる。


「最近、ちょっと不器用なことが発覚しましたけど……それも含めて、気になる相手なんです。今は、その方のことで頭がいっぱいで……縁談を受ける気にはなれません」


 勿論――その相手とはレクトのことだった。

 口にした言葉も全部本音である。そのため、悟られるとこの上なく恥ずかしい。

 勘がいい人間ならば、アリスの説明を聞いて、すぐに自分のことだと気づく筈だが――。


「そうか……誰のことかは知らないが、応援しているぞ」


 レクトは、完全に誰のことだか分かっていない様子だった。

 アリスは項垂れる。


「……まあ、レクト教官ならそう言うと思いました。…………勇気出したのに」


 なんとなくこうなるだろうと思っていたから、アリスも敢えて本音を語ってみたのだ。我ながら卑怯かもしれない。


「その相手は、俺が知っている人なのか? 聞いた話だと、アリスのことを大切に思ってくれている、好青年のようなイメージだが」


 まさかその相手が自分であるとは露程も思わず、レクトは質問する。

 どう答えるべきか、アリスは悩んだが……そこで、悪戯心に近い感情が芽生える。


 どうせ気づかれないなら――存分に、思いの丈を口にしてもいいのではないだろうか?


「……そうですね。とても、優しい性格なんだと思います。未熟な私を見放すことなく、ちゃんと正面から向き合ってくれて……その一生懸命な気持ちが、伝わってくるような、とても誠実な方です」


「そうなのか」


「あと、包容力がある方なんです。どんなことがあっても動じずに、達観しているので、頼りになる感じがして……でも、いざ近づいてみると親しみやすくて……」


 堰き止められていた感情が溢れ出るかのように、アリスの口からは絶えず言葉が紡がれた。

 そんなアリスに対して、レクトは言う。


「アリスは本当に、その人のことが好きなんだな」


「す――――っ」


 予想外の一言に、アリスの思考は停止した。

 石化するアリスに、レクトは首を傾げる。


「違うのか? 話を聞いていると、そんなふうに聞こえたが」


「い、意識しているというだけであって、べ、別に、好きとか、好きとか、好きとか……」


 頭が混乱する。

 まだ好きとか好きじゃないとか、そこまでの考えには至っていない。しかし――それを他ならぬ本人に問われるのは、流石に駄目な気がした。


「……決心がついたら、早めに思いを打ち明けた方がいいぞ」


 小さな声で、レクトが言う。


「探索者なんて、いつ死ぬか分からないからな」


「あ……」


 レクトの言う通りだ。まさに数日前、自分は死にそうになった。

 思いは、早めに打ち明けた方がいい。――手遅れになる前に。


「……肝に銘じます」


 まだ、この気持ちの正体は分からない。

 しかし、その輪郭がはっきりしたら……その時は、勇気を振り絞って伝えようと、アリスは思った。


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【WEB版】迷宮殺しの後日譚 ~正体を明かせぬままギルドを追放された最強の探索者、引退してダンジョン教習所の教官になったら生徒たちから崇拝される~ サケ/坂石遊作 @sakashu

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