通学路ではない道

@nekobatake

通学路ではない道

 通学路なんだから安全に配慮してほしい、と思った。でも、それと同時に、「通学路だから」っていう決めつけが正しいのか疑問に思ってしまった。だって、そうでしょ?

 通学路は、恐らくその地域の学校の教師たちで「あっ、この道路は通学路ってことにします」と地図を見ながら指定して決めているんだろう。私は教師じゃないから知らないけど。

 他にも、道路にデカデカと『通学路』なんてはっきり書かれていることもある。きっと、自動車の運転手に向けての「ここは子どもが通るから気をつけて運転しろよ」って情報なんだろうな。だって書いてある場所は子どもが歩く道路の脇じゃなくて、自動車が通るど真ん中だし。私は運転免許持ってないから知らないけど。

 まあ、ともかく、今私が歩いているこの道が、学校で指定されているのかどうかも知らないし、道の真ん中にデカデカと『通学路』と書かれているわけでもない。それでも、ここが通学路だってことだけは、はっきりと分かる。実際に子どもたちが毎日の通学に利用しているんだから。

 つまり。通学路の本質とは、子どもたちが通学に利用するか否かである、と考えられる。ということは、利用者はみんなことは自明だ。だから学校側はわざわざ指定するし、車は運転に気をつける。

 だからこそ。か弱いターゲットを狙いたいにとっては、むしろ「通学路だから」物色がしやすいのだ。

 

 ――通学路だから安全に配慮するのではなく、通学路だからこそ危険なのかな?


 そんな、卵が先か鶏が先か、みたいなことを考えてみたのだけれど、現実逃避しても何も現状は変わらない。私は弱々しい決心で、重い息を吐く。そして、行動に移る。私はやるときはやる女だ。

 スマホを顔の高さにまでかざして、ふんふんふん~、なんて鼻歌でごまかしながら画面のタッチを続ける。後ろからは画面が見えないから、私がカメラアプリを起動させて、インカメラに切り替えたことなんて気づかれないだろう。スマホをそっと横にずらして、背後を確認する。

 夕日が沈んでしまった道は暗く、液晶が太陽光で見えなくなることはなかったけれど、肝心のカメラが捉えた画面が暗い。撮影設定を夜間モードに切り替えてみると、歩く度に画面がブレる症状は悪化したものの、画面内の明るさはマシになった。


 ――やっぱり、後ろをついてきている……。


 気のせいだと思いたかった。しかし、現実、後ろから成人男性が歩いて来ているのが分かってしまう。顔まではわからないが……スーツ姿ではない、グレーの地味なジャンバーにやや曲がった背、恐らくは中年だろう。ああ、気持ち悪い。

 私は身震いして、歩く速度を早める。

 相手は中年とはいえ男だ。腕力では勝てないだろう。鞄の中に武器になるものはあるけれど……それを取り出す余裕はあるだろうか? それなら距離が離れているうちに出しておいたほうが良くない? いや、でも、私をつけてきているってのが、私の自意識過剰な思い込みだったら?

 ……この段階で武器を取り出すわけにもいかないか。そういえば、鞄そのものを振り回すのが最も単純な護身術だと、むかし学校の防犯講習で習ったことを思い出した。もちろん、それで倒せるわけではないが、一瞬の時間は稼げる。それで相手をひるませて、大声で助けを求めながら全力疾走で逃げるのだ。

 ……そんなことを思い出しても仕方がない。とりあえず、距離をもっと離そう。私は早歩きを始める。いきなり走り出したら逆に刺激してしまいそうだから、早歩き、それも全力ではない早歩きだ。速度は少しづつ増せばいい。

 早歩きを始めてすぐ、分かれ道に来てしまい私は迷う。私が本来、向かうべき道は右だ。しかし、右に曲がるとそこは林に囲まれた道がずっと続く。要するに、もっと暗くなる。街灯はあるものの、まばらだし、確かランプが割れていたところもあった気がする。まったく、これだから田舎都市は。

 左は通学路だ。しかし、その先の道筋は知らない。一応、通ったことはあるが詳しくない。道に迷う可能性もある。

 ほんの少し考えて、私は右に曲がる。まだこっちのほうがマシに思えたし、何より、ただの勘違いの可能性もある。

 私は、右に曲がってすぐ、早歩きの速度を早めた。木々が邪魔になって、後ろの男には私の姿が見えない。速度を上げても刺激はしない。少しでも距離を稼ぐ。

 私の早歩きはもう全力にほぼ近く、揺れるスカートの裾がぺしぺしと脚に当たるのを、はっきりと感じるほどだった。本当はもう走り出してしまいたい気分だったけれど。

 早歩きに集中して、少しの間だけ視線を切っていたスマホの画面に目を戻す。すると、背後に見える曲がり角から、男がにゅっと出てきた。男もこちらの道を選んだらしい。


 ――しまった、失敗した。


 そう思ったのも一瞬、私は違和感を覚える。しかし、それが何なのかはすぐには分からない。頭の中で少しの空白を置いて、それに気づいた途端、私の背中を冷たいものが駆け抜けていった。

 

 私は、木々で姿を消した瞬間早歩きの速度を早めた。それならもっと距離は離れているはずだ。ということは、つまり――。

 私はもう脇目も振らず走り出した。スマホの画面を見る余裕もない、というかポケットに仕舞うことすら遅れてやる始末だ。ポケットの中で、スマホが激しく揺れる感触が伝わる。

 不安から、私は息を切らしながら振り返る。

 


 男も走り出していた。


 

 悲鳴を上げなかったのが奇跡だと思う。でも口の端から、ひっ、と声を漏らしてしまった。どうしよう。結構速いぞ。このままだと追いつかれる。

 しかも、悪いことに私が選んだこの道、林に囲まれた道は山へ向かう上り坂だ。このままでは私の体力が持ちそうにない。ああ、本当にどうしよう。

 

 ――やるしかない。


 私は決意とともに、賭けに出た。私はやるときはやる女だ。

 ガードレールを飛び越えて、私は林の中に突っ込んだ。もちろん、こんなところに入るのは初めてだ。土地勘なんてないし、林の中は真っ暗で方向すらもよく分からない。でも、だからこそ男を撒くことができるかもしれない。

 背後から男が何かを叫んでいるのが聞こえた。でも私の鼓動の音のほうが大きくて、何を言っているのかは分からなかった。そんなことに構っていられるものか。逃げ切らなければ。

 林の中に入ってどれぐらいだろうか。まだ走っていられるということは、数分も経っていないんだろう。いつまで走れば林を抜けられるのかもわからない。でも、木々はどんどんと深くなって、周囲はより暗くなる。道も下り坂になっている。

 下り坂で速度が増したからか、木々がより増えたからか、辺りが真っ暗だからか、それとも私が疲れたからか。きっと、その全てが原因だ。


「――――っ!」

 

 まずは手足。その次に背中、そして全身に痛みが広がり、顔に熱が集まって、頭がぼうっとする。そして、背中の痛みが肺を抑えつける感覚がして、私は息を吸うことも出来ない。

 木の根に足を取られて派手に転んだ、と現状認識ができるまでかなり時間がかかった。いや、実際に流れた時間はそれほどの長さでもないのかもしれない。頭が回らない。苦しい。

 逃げなければ、という想いだけでなんとか体を起こす。立ち上がることは出来ず座ったままだが、背中が随分と楽になった感覚がする。ようやく満足に息を吸えて、満足に息を吐き、また吸う。

 するとすぐに、全身にのしかかる凄まじい重みを覚える。先程の痛みを伴うものとよく似たそれは、しかし全くの異質な感覚でもあるという矛盾した自覚があった。とにかく体が重い。どうしたんだろう。

 そんなことを考えていたからだろうか。

 私は、目の前の暗闇の中に、血まみれの少女が立っていることにようやく気がついた。少女の目には眼球がなく、何もかもを飲み込む暗闇が空洞を満たしていた。

 少女の暗黒の目は何も映していない。でも、私を睨みつけているのだ。私にはそれが分かった。そして、いま全身を押さえつけている重圧が、少女によって起こされている現象だということも何故だか分かった。これが本能というやつなのだろうか。

 少女は私を見下ろしながら、両腕を伸ばす。両の手のひらが私の首に向かって伸びてくる。そして、触れた瞬間、凄まじい力で締め上げる。

 私にはどうすることも出来ない。少女の手を振り払うことも出来ず、重圧で指一本動かせない体をそのまま少女の好きにさせる。息ができない。視界が暗くなってくる。何も見えない。でも、だからどうしたというのだ。もう、どうしようもない。

 薄れゆく意識の中、思考も明瞭でないまま、ふとこれだけは思った。 

 

 ――通学路を外れたからこんな目にあったのかな?


 思えば、私の人生はいつだってそうだった。ちゃんと決められた道。誰か偉い人たちが決めた道。正しい道。みんなが通る道。気をつけて歩かなければならない道。なんて書いてあるのかは知らないけれど、明確にその名前が書かれた道。

 私が選ばなかった道。

 いつだって私は、自分が通りたいかどうか、その気持ちだけで道を選んだ。

 普通の道を外れ続けた結果がこの終わり方だというのなら、まあそんなものかと諦めもつく。生きることに対して、諦めを抱ける。

 ……私は生きることを諦めた。


 その瞬間だった。私の首は圧迫感から解放され、同時に全身の重圧が消え去った。ようやく咳き込むことができて、私は地面に突っ伏す。頭上からこの世のものとは思えない絶叫がしばらく響いた。私は自分の荒い呼吸のせいでそれがよく聞き取れない。でも、それがどんどん小さくなっていくのはかろうじて分かった。

 そして、そのこだまが消え去ると、男の声がした。


「ふう……すまんな、嬢ちゃん。遅くなった。でも、嬢ちゃんが悪いんだぜ、こんなところに入り込むもんだから」


 息を切らしながら見上げると、見知らぬ男が立っていた。そう、先程まで私の後を付け回していた中年の男だ。


「……嬢ちゃん? そんな年齢でもないんだけど?」

「おっと、思ったよりも元気そうだな。あれだけの悪霊に呪われて、よく意識を保てるもんだ。すげえ精神力だよ。俺だってもう限界だってのに」


 そう言うと、男はその場にどさりと座り込んだ。両手を地面について何とか上体を起こしているといった有様だ。汗だくの顔に張り付いた、やり遂げたという達成感に満ちた表情がちょっとウザい。


「……悪霊、悪霊ねえ。そういうの、実在したんだ」

「へえ、驚かねえんだな。俺、いま、完全に意味不明な不審者と思われてもおかしくない状況なんだが」

「そりゃそうでしょ。あんな目にあったんだから。私、そういうの詳しくないけど、あれが、その……この世のものではないことぐらい……分かる」 


 言ってから、今更になって私は震える。震える両肩を自分で抱きしめて、落ち着かせる。


「じゃあ、分かってもらえそうだな。嬢ちゃん、あんた、背後にものすごい悪霊が憑いてたんだぜ。偶然、歩いている嬢ちゃんを見かけて、うわヤバいぞこれはいつ悪霊が害をなす形になるか分かったもんじゃねえ、と慌てて追いかけたんだ」

「言ってくれればよかったのに」

「信じねえだろうが。まあ、もう退治したから安心しな」

 

 私は立ち上がると、鞄を探す。転んだ拍子でどこかに飛んでしまったようだ。


「おい、嬢ちゃん。どこ行くんだ」

「別に。鞄がどこか行っちゃったから探してるだけ」

「俺のこと置いていかないでくれよ。まだこの辺、霊がいるんだからよ」

「ええっ! そうなの?」


 私は驚いて大きな声を出した。すると男は得意げに語りだした。


「ああ、さっきの悪霊の力がデカすぎて分からなかったけどな。いま、この辺りには霊がふわふわ漂ってる。それも結構な数だ」

「それも、さっきのやつみたいに私を殺そうとするの?」

「いや、そういう脅威はねえよ。ただ、俺はいま霊力が果てて動けないからな。しばらく休憩する必要がある」


 会話を続けながら鞄を探し続けていると、少し下ったところにようやくその影を捉える。斜面を滑り落ちないよう、慎重に下っていく。


「じゃあ、おじさん置いていっても大丈夫じゃん」

「いや、ここまで来たら付き合えよ。会話を嬢ちゃんにも聞かせてやる、っていうか嬢ちゃんの方がそういうの得意そうだからな。通訳を俺がやる感じだ」

「……会話?」


 私はようやく鞄を回収して、また注意深く斜面を登る。


「ああ、普段は話が通じそうなやつなら、身の上話とかを聞いてやるんだ。こう、なんていうのかな、テレパシーみたいに直接脳に声が聞こえるっていうか。そしたら満足して浄化されるんだよ、わざわざ退治しなくてもな」

「へえ、その霊力? ってやつ、便利だね。私も使えたら、もうさっきの悪霊みたいなのに怯えなくていいんだけど」

「うーん、何十年も悪霊退治してるけどよ、あれだけの悪霊は俺も初めてだったし、心配いらねえんじゃあねえか。普通の悪霊ってのは、頭痛とか肩こりとかさせるだけだし」

「へえ、そういうものなんだ。じゃあ、さっきの悪霊も、おじさんみたいに超珍しい才能の持ち主だったのかもね」

「どうだろうなあ。まあ俺ほどの霊力を持ってるやつは世界で俺だけだろうがな」


 いや、そもそも霊力ってなんだよ漫画みたいな言葉だよな、なんて男は笑っている。斜面を登りきった私は、ちょうど男の背後に位置していたので、後ろから抱きつくような形で、鞄から取り出したナイフを使って男の首を刺し抉った。

 男が悲鳴を上げるよりも素早く、声帯の部分をえぐり取る。男はゴボゴボと血の泡から何かを言っている。警察かと思ったじゃねえかビビらせんな、とつぶやいて私はとどめを刺す。

 悪霊から助けてもらった恩義はあるが、その辺を漂っている霊に事情聴取でもされれば困る。殺すしかなかった。

 男の死体をまたいで、まじまじと顔を観察する。金にもならない悪霊退治をする善なる男の目は、子どものように澄みきっていた。でも、申し訳ないが、中年の男なんかをコレクションに加えてやる義理はない。今回は目を抉らないでおく。

 それにしても、と思う。


 ――それにしても、いいことを聞けた。


 そのへんに漂う霊とやらの数は、きっちり九人……いや、一人減って八人に違いないだろう。彼女たちは、今もなお私についてきてくれているのだ。の餌食になり、眼球のない目で私を見つめているはずの可愛い彼女たちが。


 林を抜けて、充足感に満たされながら、私は元の道を歩く。林に囲まれた暗い通学路ではない道を歩き、私は宿泊中のホテルに向かう。上り坂がきつい。次に向かう街は、標高を考えて選ぼう。

 暗い道を歩きながら、私は嬉しくなって何度も後ろを振り返る。私には霊感がないから分からない。でも、可愛い彼女たちは……

 振り返ると、そこにいる。






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