浦島太郎
杜松の実
浦島太郎
昔、昔あるところに浦島太郎という男がいました。浦島が浜辺でいじめられている海亀を助けると、亀はお礼に竜宮城へ案内しました。浦島は竜宮城の主、乙姫様とその部下の魚たちに持て成され、時の流れを忘れて楽しみました。浦島が海から帰るとき、乙姫様は、「決して開けてはいけません」と言って一つの玉手箱を渡しました。海から帰った浦島は、驚きました。そこには知っている人は誰もいなく、家に帰ろうとしても、もとあった所には何もありませんでした。道行く人に話を聞けば、なんと彼が竜宮城へ行ってから、百年も経っているではありませんか。浦島は悲しみました。そして縋るような気持ちで、乙姫様から渡された玉手箱を開けると、中から出た白い煙が浦島を包み、煙が晴れると彼はおじいさんになってしまいました。
諸君はこの話を聞いて、浦島を可哀そうだと思ったことだろう。確かに、この話を聞く限りでは、浦島は亀を助けただけなのに百年の月日を竜宮城で過ごし誰も知らない世界で独りぼっちになってしまう。だが、事実は違う。
百年前、この海は汚れていた。工場からの廃棄物や有害な汚染物質、人が川に捨てた生活ごみ、それらは海の底に溜まり、波によってかき混ぜられ、海全体を薄く灰色に侵していった。汚れた水は、海に暮らす生き物たちを徐々に蝕む。目が見えなくなる者、息が出来なくなる者、脳をやられ錯乱しだす者までいた。そうして一匹ずつ死んでいく。
死は恐ろしいことではない。海の中では、食べ、食べられ命は巡ると考えられているのだ。だが人は食べるためではなく海の住人を殺す。殺している意識さえない。
魚の中には死んだ者を食べようとする者もいた。命に対する感謝と崇拝から来た行いだった。だが、食べた者も同じように苦しんで死んだ。それからは誰も食べようとはしなかった。海面には死骸が
毒に侵され死ぬ者の命は巡ることはない、と考えられるようになっていった。家族の命をないがしろにされた悲しみは怒りに変わり、海を統べる主、乙姫の元へと集まった。
乙姫の住む竜宮城の中も荒み汚れ切っていた。かつては豪華に飾り付けられ、多くの付き人もいたが、彼らもまた死んでいった。掃除は行き届かなくなり、汚れた流れに乗って来たヘドロが床や柱にこびりつく。
この海を
乙姫たちはこの海に光を戻すべく浦島を説得しようと考えたのだ。
海亀は浜辺に顔を出し浦島の元へと行こうとした。しかし、破れて放置された網に足が絡まり身動きが取れなくなってしまう。このままでは干からびて死ぬ、私の命も妹と同じように巡ることなくここで失われるのか、と諦めかけていたところを通りかかった浦島に助けられた。
亀はお礼にと竜宮城へ浦島を連れて帰った。乙姫たちは浦島を最大限に持て成した。持て成すと言っても、食べ物も飲み物も口にできるものなどないため、せいぜい踊りや楽をすることしかできなかった。
浦島が汚れた竜宮城を居心地悪そうに感じているようだったので、海の底を案内することにした。一歩歩くごとに汚れが舞い視界が悪くなる。臭いもひどく浦島は鼻にハンカチを当てがった。乙姫たちは、いかに海が汚れ、自分たちが苦しんでいるかを見せた。しかし、浦島には届かなかった。それどころか、海がどう汚れようか知ったところではない、と開き直り、自分を早く帰せと詰め寄ってくる。
浦島は怒った魚たちに身体中を噛みつかれ、自分の漂う血を見ながら息絶えた。魚たちはその身を食べることはしなかった。
その後も実業家が変わるごとに同じことを繰り返したが、どの実業家も金の成る開発を止めようとはしなかった。
そうして五十年も経つころには、誰もこの地域で開発を行おうとする者はいなくなり、海は少しづつその美しさを取り戻し始めた。それから二十年も経ったとき、一人の
亀はその老人を竜宮城へと連れて行った。乙姫たちは酒と料理を振る舞い、踊りと楽で持て成した。竜宮城は美しく磨き上げられ、多くの付き人たちが老人に楽しんでもらおうと動き回る。
乙姫は帰り際、一つの玉手箱を渡し、浦島太郎の最後を語った。男は何も言わずに聴き終えると、涙を流すことなく笑顔で帰って行った。
玉手箱の中には、海の底で死んでいった実業家たちの骨が粉となって入っている。
浦島太郎 杜松の実 @s-m-sakana
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