現代版・怪異蒐集譚 第13章

crow88

あの夏の。

私がまだ小さかった頃、祖母の家で体験した話をここで語らせてもらいたい。


どうして突然、あの事を思い出したのか。

私の中の奥深くに眠っていたはずの記憶。


数日前—


いつも通りの朝、歯を磨き顔を洗う、鏡に映る自分のむくんだ顔を眺め、特になんの感情もなく、ただルーティンのように家を出て会社に通勤していた。


変わった事があるとすれば、通勤の列車に名も知らない他人が自殺を試みて、運良く近くの駅員によって助けられた。


今の社会においてほとんど日常化したソレを珍しく思う人もいない。

決して私が薄情なわけではなくて、いざ起こった出来事に対して湧き上がる感情は会社に遅刻したらどうしようとか、面倒に巻き込まれたくないとか、普通に生きていれば誰もが思うことの一つに違いない。


もちろん人には個性が存在している、正義感の強い人間は、助けようと必死になるし、気の小さいやつアタフタしてしまう。


私も驚きはしたが駅員に助けられた姿を見て一安心するくらいしか出来ない。

その程度には普通だと強調して言いたい。


この日常の変わった一面の出来事に少しの違和感を覚えた。

自殺を試みた他人と言ったが本当に名前も顔も知らない少女だった。少女というとそこに引っ張られるが重要なのは彼女が手に持っていた人形、いやぬいぐるみにどこか見覚えがあったからだ。


まさしくソレを見て以来どうも記憶に眠る何かが呼び起こされている気がした。


あの出来事を語る上でアノぬいぐるみは、やはり重要な物になっている気がする。


20年前—


当時の私は純粋無垢な少年だった。

少年ならば誰しも純粋無垢な気はするが、そういうのとは違う、優しい心を持っていた。


お盆を迎える夏休みの数日、私は母方の祖父母の家に連れられていた。


祖父母の家は海と山に挟まれ、電車が1日に数本程度という、これこそ田舎って感じの田舎であった。


無人駅に到着した私たち家族を祖父が軽トラで迎えに来てくれた。

母が助手席に乗り、父と私は荷台に乗り荷物を抑えつつ荷台の開放感に浸っていた。


祖父母の家に着いて、すぐはやはり長い間会っていない親戚に対して起こる緊張というかよそよそしさを持ちつつ2日目には子供ながらすでに我が家のように振る舞っていた。


今暮らしている家の周りは山と呼べるような場所はなく少し遠出をすれば海もあるが少し汚い。

ほとんど都会といってもいい暮らしをしていた私は田舎の、自然に魅了され祖父が貸してくれた虫網を片手に家の裏にある山に入っては泥だらけになって帰ってきていた。


3日目、私は朝早く起きてそれより早く起きていた祖母におはようの挨拶を済ませて、玄関の壁に立てかけた虫網を片手にその日は海に向かった。


朝日が差し込む海は都会の汚れた海と違ってまるでガラスのように透き通った海水に目を奪われていた。


浜辺を歩いていると向こうのほうから、犬を連れたおじいさんが歩いているのがわかった。

すれい違う間際におじいさんは、私の進行方向を指差して、あの向こうの岩陰の奥は打ち付ける波が激しいから気をつけるんだよ、と忠告してくれた。


ここまで言うと気づいている人もいると思うが、子供というのは忠告してもしなくても何かしら問題を起こすものだ。


例に漏れず私も忠告を聞いていたにも関わらず近づいてしまった。


別に無視をしたわけではない、子供というのは世界の理不尽さをしらず、ただ大きな渦に巻き込まれる。


岩陰に近づくと私はさっきのおじいさんの言いつけ通りにまた引き返そうとした。


しかし、岩陰の奥に人がいるような気がした。

私はおじいさんの忠告を思い出し、純粋無垢な子供の私は、人がいるなんて危ない。その人にも忠告してあげないといけない。

そう思った。


次に気が付いた時には、私は祖父母の一室で眠くていた。


夢オチなんて面白くもない展開にはならなかった。


目覚めた私は、片手にひどく汚れたぬいぐるみを片腕に抱きしめて、みんなが居るリビングへと向かった。


母が1番に気づき、私を叱責し始めた。

状況が理解できないなりに母の言うことを整理するとどうやら、あの岩陰の奥に歩き出した私は運悪く足を滑らせて波に飲まれたらしい。


犬を連れたおじいさんが振り返ると私の姿が突然なくなり慌てて岩場まで戻り私を救助してくれたそうだ。


事の成り行きを子供ながらに理解した上で言い訳というより、あの状況を覚えている限り必死に母に訴えた記憶が印象に残っている。


ピンポーン


昼を過ぎた頃、家のチャイムが鳴り


祖母が高山さんじゃろうかっと立ち上がり玄関まで足を運んだ。


犬を連れて散歩をしていたおじいさん、苗字は高山さん、はこの家から畑や田んぼをいくつか挟んで立っているいわばお隣さんだ。


玄関で祖母の声がするがなかなか戻ってこない。

すると、少し大きい声で僕を呼び、母もそれに気づくと、お礼言いに行くよっと母に引っ張られ玄関に向かった。


ここで、驚く事に、玄関先に立っていたのは警察の格好をした男性2人だった。


母も驚いた表情をしていたがすぐに我に帰り、「こんにちは」としごく普通に挨拶をした。


祖母が口を開き、今朝ね、あんたが溺れたあたりで人が亡くなったんだじゃて。何か見ちゃらんか?


私はやはり人を間違いなく見たと確信に変わり、必死に思い出す限りの事を説明した。


これはもっと後になってわかった事だが、浮気だか不倫だかで若い女性があの岩場で泣いていた所を波に足を取られ、数メートル奥の人の降りられない崖に面した浜辺に打ち上げられてまもなく亡くなっていたらしい。


帰省旅行も終わりを迎え、母と父はお土産やらなんやらを買いに祖父の軽トラで隣街まで出向いていた。


その間私は、祖母からある話を聞いた。


昔はな、あの浜辺から小さな島が見えたんじゃが、もう何十年も前に海に浸かってしもうたんな。

あの小さい島はあの世とこの世の境目じゃいうて大人からよぅ聞かされちょった。

島の手前に深い場所があったけぇ子供が近づかんよぅ言い聞かせとったんじゃなぁ。

欠橋かけはし様に連れてかれるぞいうてな、欠橋様っちゅうんはあの世とこの世の人間を分ける役割を背負った妖怪じゃて


欠橋様は、子供が好きじゃて、死の近い子供の代わりに他の命を取りに行く事があるそうじゃ。

代わりになった者からは一つ恩を忘れんよう何かを渡されるいうて聞かされたけ、あんたのそのぬいぐるみ、もしかしたら亡くなった子が代わりに引き受けたんじゃろうな。


あんたも大人になったら、引き受けた恩を返す時がくるじゃろから—


子供の時の記憶は曖昧なもので、この先については思い出せない。


現在—


列車が一時止まって、助けられた少女の安否確認が済むと、電車の緊急停止によるメンテのアナウンスが入る。


その日はなにもなくいつも通りに1日を終えた。


今日あった事を思い出しベッドに寝転ぶ。

少女の手にあったぬいぐるみ、昔祖母が語ってくれた言い伝え。


なんだか懐かしい気持ちが湧き起こる。

あの時の記憶は曖昧だけど、しかし確実に印象に残る出来事ではあった。


最近、仕事と家の往復で、少年の時の私より心の輝きが失われているような気がして、昔を思い出す懐かしい気持ちも相まって、週末私は久しぶりに、祖母の家に訪れようと決意した。


実家から独り立ちして以来あまり両親にもあまり会いに行くことが少なかった。

祖父母の家に行ったのは数年前、祖父が食道癌を患い、その最後を迎えた後の葬式に出席したくらいで、食道癌だと知ったのも入院していたのも葬式の時に母から聞いただけだった。

私もその頃は仕事の岐路に立たされ、周りなど目に入らないくらい忙しい時期だった。


数日後—


久しぶりに会う祖母は少し痩せているようにも見えた。

祖父が先に旅立ち、さぞ憔悴しているかボケているかと思っていたが、女は精神的に強いと心で理解した。


久しぶりに来た孫をどう接して良いかわからない祖母は結局子供の時と同じように子供扱いしていた。


私は少し気恥ずかしい気持ちもあったが、この家の何もかもがあの時とあまり変わっていない安心感を味わいその日は床についた。


翌日、私は早起きをして、あの浜辺へと出かけた。


環境や時代のせいか、昔より少し浜辺は流木やゴミが流れ着いていて少し浜辺が荒れているようにも感じた。


あの日と同じように、あの岩陰に向かい歩き始めた。


海を見渡すと朝靄に少しずつ陽の光が差し込みつつあった。


少し海を見惚れていると、干潮のせいもあってか、どうも奥に小さい島が見える。


木も雑草もない、ただそこに数人の人が立てる程度の大きさ。


あぁあれがおばあちゃんが言っていた小さい島かと感心していると、あの日の岩陰の前に着いた。


子供の頃は歩いてきた場所からここまで遠く感じていたが、大人の歩数だとそれほどの距離を感じない。


岩陰に入るとさっきまで歩いてきた浜辺は少ししか見えない。


そういえば今朝、私が寝ていた床の間にいくつか段ボールがあったので、気になって中身を見ると、私や両親の写真や思い出の品が入れてあった、私が祖母に会いに来ると連絡して、きっと祖母も思い出に触れたいと引っ張り出してきたのだろうと思う。


その中に一つこの岩陰と切っては切れない縁のある物が入っていた。

あの日腕に抱えていたクマのぬいぐるみだ。


ここの浜辺に来るにあたって、ついでに持ってきたのだった。

何故かはわからないが、大人になって恩を返す、祖母のこの言葉が胸の奥に残っていたからだ。


ふと岩陰の奥に目をやると、とある物を見つけた、お札だ。まぁ人が亡くなってるから当然供養の意味も込めて貼られているようだが、すごく劣化している。

果たしてその劣化したお札にいかほどの効果があるかはわからない。


太陽がそろそろ見え始め先程より海水の量が増えた気がする。


そろそろここを離れようかと、足を動かした。


その瞬間、大きな波が岩場を見込み足を取られた。


流れのままに海に飲み込まれ、パニックに陥る、足をジタバタさせているのに波が強く思うようにバランスを保てない。


このままだとやばい。


手を伸ばした先に何かを掴んだ、そして掴んだ何かに体重を預けるように海から引き出た。


激しく咳き込み、掴んだ物を見ると、ズタズタになったあのぬいぐるみだった。

ぬいぐるみの中には黒い海藻がいっぱいに敷き詰められ—


いやこれは—


髪の毛?


よく見ると岩場の至る所に髪の毛が絡みついて、その絡みついた先のぬいぐるみに手をかけていたようだ。


今しがた、溺れかけ、もうダメだと思った瞬間、唐突にあの日の気を失う前の事を思い出した。


あの日、岩陰に近づき、人の気配を感じた私は、危ないと忠告しようと近づいた。

そこにいたのは、自分の髪の毛を毟り何かに詰め込む女の姿だった。

それを見た私は怖くなり叫ぼうとした瞬間、その女と目が合った。

途端に言葉が出なくなる。

女は私を見るなり驚いた表情を浮かべたがすぐに般若のような顔に戻り、ブツブツと何かを言い始めた。


カ—ハシさ—カワリはワタし

イヤ—オマ—エもミチづレニして—ヤる—


そう聞こえた瞬間荒波が押し寄せ、その女と私は海に投げ出された。

必死に伸ばした手は、何にも掴まれず、むしろ何かに足を引っ張られているような気がした。

一瞬、海中で目を開けると、あの女が私の左足首を掴み、女の下半身には無数の腕が絡みついていた。


そこで気を失った。


話は戻るが、ぬいぐるみの中には大量の髪の毛が入っていた。

運良く脆くなった部分から髪の毛が拡散し、あたりの岩場に引っ掛かりロープの役割をはたしていた。


私は運が良いのか、悪いのか、死にかけては助かる。

もうこの岩場には近づかないでおこうと誓った。


それから何事もなく、時は流れた。


半年後—


いつも通りの日常にあの日の事も子供の頃の記憶も薄くなりつつあった。

しかし最近、夢の中にあの女がチラつくようになった。

特にあの言葉

『カ—ハシさ—カワリはワタし

イヤ—オマ—エもミチづレニして—ヤる—』

何度も頭の中で再生される。


前よりも考え事が増えぼーっとすることが多くなった、その度にあの女の言葉が頭をよぎる。


ただの恨みのようにも聞こえるそれに私は囚われていた。


通勤中の道すがらまた考え事をしていた。

遠くで大きな音が鳴り響く、じょじょに近くなるそれに気づき、目の前の横断歩道に1人の少女が歩いているのがわかった。


赤信号のまま歩き続けている少女は歩きながら何かを見つめ全く気づいていない。


咄嗟に体が動く。無意識の行動だった。


パァーーーーー


トラックが視界に入った。

目の前の少女を押し投げる事に成功したが。


自分の身体が動かない事に気づいた。足元を見ると無数の腕が下半身を掴んでいた。


—あの子の代わりはキミ—


そう耳元で囁かれた気がした。

咄嗟に少女の方に目をやると、いつかの通勤電車で自殺を図った少女に似ている。

手にはぬいぐるみを抱えていた。


そうか岩場のあの女は私の代わりだったのか。


欠橋様、代わりは私イヤだ

お前も道連れにしてやる。


全てを理解した。


———今朝、会社員の男性がトラックの前に飛び込み、まもなく死亡しました。

自殺の可能性もあると見て警察は慎重に捜査しています。

次のニュースです。

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