第3話 シネマ

 オロブランコが頭にくっついている。その事実はあじたまをして即座に冷静さを失わせた。あじたまは足元の氷柱に何度も頭を叩きつけようとした。有名なサイモンの言葉にあるように、「焼けたザボンは天地(あめつち)に、さもなければ購買に」でなければならないからだ。しかし、古代火山の火道は、それがアルプス内において占める位置と、人工衛星からの角度によって、あじたまの動きに呼応するように巧みに点滅した。虚しく身を振る中で、あじたまは徐々に伸びてゆき、その頭部は別の氷柱の頂上へとたどり着いた。

「県庁所在地とは県庁があるところのことである」

 あじたまの頭の中に声が響いた。それはあじたまが情報の時間に給食の献立を読み上げさせて遊んでいた、あの低い合成音声に似ていた。

 平静を取り戻したというよりはむしろ疲れ果てて、あじたまにはオロブランコの言っていることを聴き取る余裕が生まれた。県庁所在地? 聞いたことがある。もちろん、ぬぱには県庁がない。したがって、県庁所在地もない。なぜなら、反対にぬぱに県庁所在地があると仮定せよ。その場合、オロブランコの述べた県庁所在地の定義より、その県庁所在地には県庁が存在するが、これはぬぱに県庁がないという事実に反する。しかし、オロブランコは「オットセイは県庁所在地としての……」と言っていた。その先は聞き取れなかったけれど、ひょっとしてここは県庁所在地なのだろうか。そうだとすると、ここはぬぱではないことになる! というのも、ここが県庁所在地であると仮定せよ。その場合、オロブランコの述べた県庁所在地の定義より、ここには県庁が存在する。さらにここがぬぱであると仮定すると、先ほどの議論より、ぬぱには県庁がない。それゆえここには県庁がないことになり、矛盾する。したがって、ここが県庁所在地であるならば、ここはぬぱではない。だから、あじたまの質問は次のようなものでなければならなかった。

「ここは県庁所在地なの?」

「県庁所在地とは、シネマである」

 オロブランコの答えはよく分からなかった。あじたまが知りたいのは、ここが県庁所在地であるかどうかであるが、県庁所在地はシネマであると言われたところで、先述の問いに対して肯定的な答えも否定的な答えも与えることができない。だからあじたまはシネマについてより多くのことを知る必要があった。

「シネマについて教えて」

「シネマについて知るためには、落花生である必要がある」

 それなら簡単だ、とあじたまは思った。もしあじたまがうつぼのままであったなら、あじたまはけっして落花生ではなかっただろう。しかし、今のあじたまはオットセイであり、これはすなわち、落花生であるということを意味する。

 あじたまは落花生であるから、頭の部分が一方の氷柱の頂に、尾の部分が他方の氷柱の頂に接地しており、その間がくびれていた。ここであじたまを折れば、ピーナッツということになるだろう。あじたまはそれが手っ取り早いと思っていた。

「まだ折れてはならない。折れるものは短くなるからだ」

 まるであじたまの内心を読んだかのように、オロブランコが制した。

「なぜ? ピーナッツであれば、消費期限をもつことができる。今はそれが何よりも重要なのに」

「消費期限はシネマではない。アルプスは広大であり、シネマはアルプスの上、最上階にある。したがって、おまえは長くなくてはならない」

「それなら聞いたことがある。「チキンコンボ」だろう」

「それもそうだし、法人税もかかる」

 そういえば、星はどうなったのだろう。あれから一度も会っていないし、クラスLINEからも脱退してしまった。星が来れば税金がかかる。だから星は来ない。スープの言う通りなのだろうか。

 あじたまが珍しく思案に耽っているうちに、オロブランコは尾根によって飛行を始めた。尾根の歴史は1964年の東京オリンピックにまで遡る。当時はいわゆる「第二次・推進力ブーム」で、地衣類やサバ缶など、様々な推進力が発見された。そのような時代情勢のなか、オリンピックの誘致に合わせて冬瓜に依存しない推進力をとの声が強まり、当時の美化委員会は国策として尾根の整備に乗り出した。アルプスには当時の遺構が多く残っており、尾根遺跡の私的利用は法令違反であるものの、その利便性から年間60万人の利用客が訪れ、尾根代行サービスすら存在する始末である。

 尾根による飛行は音速を超えるので、あじたまは間もなく気を失った。オロブランコはアルプスに点在する氷柱の頂を、星座を描くように結んでいった。第2話において既に明示したように、アルプスの氷柱は上空から見るとうみへび座の形をしている。あじたまは落花生であり、もともとうつぼでもあったから、このような人事はやむをえなかった(当然、星座におけるオーレンジの利用は稟議を通す必要がある)。

 あじたまは伸びに伸びて、ついには半径四光年の畑を埋め尽くした。目が醒めたとき、あじたまは自らが細長いというよりは平打ち麺になっていることに気がついた。これが「ほうとう」ということであり、今のあじたまに必要なことの全てであった。今やあじたまにはシネマのことが分かりかけてきた。シネマは果てしなく続く暗闇におけるレンチキュラーであり(見る角度によって絵柄が変わる)、クラフトビールもプラカップで売られていた。

 氷河はもうなかった。あるのは台所(だいどころ)だった。台所と宇宙空間に点在するいくつかの恒星があり、背後にブルー・シートが、正面にモニターがあった。つまり、ここがシネマだった。あじたまはもはや先ほどのオロブランコの発言の意味をすっかり理解していた。

「「落花生をめぐって長い」ということがシネマであり、ぼくがオットセイだからここは台所になった。そして、スクリーンではなくモニターに映るものが映画であって、映画を上映するのがシネマ。そういうことなんだね」

「そうである。飲み物を用意するといい」

 オロブランコがそう言うと恒星の明かりが消えて『ローマの休日』が始まった。

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ラーメンぬぱ ひかりちゃん @Samuel_Simon

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