第5話

 状況はヘビに睨まれたカエル。カイルロッドは直立したまま動けないでいた。


「ねぇ、カイル? 自分が何をしたのか理解していないようだね」


 婚約破棄を宣言して三日後、カイルロッドは五つ上の兄である、王太子の執務室にいた。


「ねぇ、カイル? 無駄な仕事を増やしてくれたね。あの後、会場にいた全ての者へ箝口令を敷き、フィリクスなんてあの日から不眠不休なんだよ。私もだけど」

「私の愚弟のしでかしたことでもありますから……」


 薄く隈をつくった、表情のない魔術士、フィリクスはクライブの兄。


「なぜですかっ! あの女は「ねぇ、カイル?」っ!」


 一睡もしてないという割に、隈一つないツヤツヤな王太子の微笑みにカイルロッドは後ずさる。


「無能な王族はいらないんだよ?」

「っ……」


「父上が決めた婚約をなぜ、お前の一存で破棄できると思ったのかな?」

「それは……」


「ねぇ、カイル? 婚約破棄してあのリーチェとかいう辺境の下級貴族に婿入りしたいの?」

「兄上っ! リーチェを下級貴族などとっ、え? は? 婿入り?」


「ふふふ、そうだよ。ねぇ、カイル? セラフィナ嬢との婚姻後はノーズ家の後継者はカイルだったのだよ? 屋敷も領地も全てお前のものだった。弟のケインは卒業後は叔父である宰相の養子入りし、跡を継ぐ予定だからね。なのに、お前はセラフィナ嬢との婚約を破棄してまで辺境にこもりたかったのかい?」


「い、いいえ! 私は、兄上を支えるためにっ「ねぇ、カイル?」」


「まさか、リーチェとかいう下級貴族と婚姻して、王都内に屋敷を貰えるなんて思ってないよね?」


 言葉をなくすカイルロッド。

 そう思っていた。セラフィナと婚約を破棄しても自分は王族。王太子を、次期王を支える者として、王都内に屋敷を構えればといいと、当然与えられるものと、深く考えもしていなかった。


「あの娘はそう思っていたようだったけどね? 王家の財力を当てにして贅沢ができるなんて、妄想していたようだけど」

「あ、兄上! リーチェを貶めるような言葉は控えてっ「ねぇ、カイル?」」

「婚約者がいると分かっていながらも、近づく女がまともなわけないだろう?」

「なっ」


「そのリーチェとかいう娘にはセラフィナ嬢へ呪術を行った疑いあるんだよ」

「じゅ、呪術……? か、彼女がそんなこと、そのようなことしません!」

「あの娘と家族は今監視対象にある。無実だと分かるまで接触を禁止するよ」

「証拠があるのですか!?」

「証拠がいるのかい? なくても、でっち上げることなどいくらでもできると、カイル、お前自身がよく分かっているのに?」

「っ……」



「あの娘へ接触はお前も共犯として見なすよ? 私としては自白術にかけてさっさと白黒はっきりしたいのだけどね」

「っ!」


 精神操作は後遺症の残る危険な術。


「婚約破棄を宣言したその日の内にノーズ家から婚約の破棄を願い出てきてるのだよ、お前がやらかした婚約破棄を知る前にね。セラフィナ嬢は呪いを受け表に出れる状態ではなくなったからね。おかげでグリードとの婚約の話も流れてしまったよ」

「え?」


 兄の傍らを見れば、肩をすくめるグリードが、


「王宮内でありながら、あの娘と人目をはばからず二人きりで過ごす姿を見ていれば、カイルロッド様が近々婚約破棄を願い出ることは予想できますからね。婚約破棄のあかつきにはセラフィナ嬢には私との婚姻をと、願い出ていたのですよ」


 騎士団の長として、代々王の片腕として傍らにいた八領主の一つ、ローズウェル家。その次期当主。婚約破棄を言い渡されながらも涼しい顔で受け入れたセラフィナ・ノーズの、その理由を知り歯軋りした。


「ねぇ、カイル? お前は仕事面では文句なく優秀なんだよね。卒業まであと一週間。卒業後はどこに住むんだい? リーチェと共に辺境にこもるか。セラフィナ嬢へ跪き許しを請うか、あぁ、独身寮もあったね」


「トイレ風呂共同ですが」

「っ!」


 無表情の魔術士、フィリクスの言葉に固まるカイルロッド。


「今は六人用の大部屋しか空いてませんが」

「っ!?」


 笑いを隠さないグリードの言葉に固まるカイルロッド。


「ねぇ、カイル?」

「…………」






「……セラフィナ嬢に会いに行ってきます」


 そう言い出て行ったのはそれから三日後のこと。カイルロッドは考えた。身の回りのことは目先のことしか見えていなかったカイルロッドが、先を、将来を、何が己の利益となるかを考え、答えを出して、恥を捨てた。





「…………」


 目の前の光景にカイルロッドは声も出なかった。


「カイルロッド様、何の御用でしょうか」

「リーチェ嬢が、カイルロッド様が最近全く会ってくれないとおっしゃってましたよ?」

「カイルロッド様がなぜこちらへ?」


 ケイン、クライブ、トリストの不敬な物言いに何も感じないまま、ケインの膝上にいる小さい子にくぎ付けだった。

 小さい子、セラもカイルロッドにくぎ付けだった。


 カイルロッドにはひと目でこの子がセラフィナだと分かった。


 人目にさらせないほどの呪いだと、過去の美しさなど一欠片もなく醜く崩れた姿を想像していた。

 人目を避けるほどの呪いなら、謝罪を受け入れ簡単に婚姻に頷くだろうと、そうカイルロッドは考えていた。


「はっ! セラ! 見てはダメだよ!」


 気づき小さい子の目を覆うが遅かった。ケインは何度も聞かされていたのだ、初めてセラフィナがカイルロッドに会わされた日のことを。


 セラフィナの初恋はカイルロッドだった。また、カイルロッドの初恋もセラフィナだった。


 お互い真っ赤になったまま見つめ合っていたと。金の巻き毛と翡翠の瞳の、絵本の王子様そのままだったカイルロッドにセラフィナが「おうじさま?」と。


「おーじしゃま?」

「ぎゃぁぁぁーーーー!!」


 悪夢の再来に悲鳴を上げるケイン。


 膝上にいたはずの小さい子がカイルロッドの目の前で見上げていた。そして聞かせれていた通りの十三年前の再現。カイルロッドは跪き小さい子の手を取り、


「私の妻になって下さい」


 指先にキスされ、真っ赤になったセラフィナが小さく頷いた。


 それは母親から何度も聞かされた小さなプロポーズ、そのまんま。


『ぎゃーーーー!!!』


 三人は悲鳴を上げた。


「ちょ、あんた、なんしょっとね!!」

「セラは私の半身だって! 王子といえども譲れないからな!」

「てっめ、婚約破棄しといてなにしてんだ、あ?」


 完全に不敬。


 しかしカイルロッドに三人の声は全く届いていなかった。


 カイルロッドの意識は完全に十三年前に飛んでいた。


 あの日、カイルロッドは恋をした。ふわりとした陽の光にかざしたハチミツ色の髪とアメジストの瞳を持つ天使に心を奪われたのだ。


「セラフィナ」


 名を呼べばあの日のままの微笑みをくれた。


 なぜ忘れていたのだろう。セラフィナに会ったその日にカイルロッドは父にセラフィナとの婚約をねだったのに。


「やらんからな! あんたにだけは、うちのセラはやらんからな!」

「ちょ、いいかげん手を放せよ! 呪うぞ、こら!」

「離れないようなら切断するか? あ?」


 不敬三人組の声は届かない。


 セラフィナに相応しい男でいようと、彼女のために努力してきたのに、どこでその思いを忘れてしまったのか。

 しかし、カイルロッドは思い出した。あの日の思いを、セラフィナへの想いを。


「ケイン、この子はセラフィナで、この姿が呪い、ということなのだな」

「はっ!? あ、はい、そうです。しかしカイルロッド様は「クライブ」」

「呪いの影響と進行は」

「え、は、はい、退化の呪いにより肉体、精神、知能、共に五歳にまで後退。以降、爪も伸びていることから、これ以上の退化の進行はないようです……、解呪は「必要ない」は?」


「解呪は必要ないっ!」

『っ!』


 言い切るカイルロッド。


「何も問題ない! 卒業後、予定通りセラフィナと婚儀を行う!」


『っ!?!?』



「ななななな、なにゆーちょっとか!」

「ちょ、あんた、婚約破棄しただろっ!」

「××××!? ××××××××××っ!!(言葉にならない)」


 三人が指差し叫ぶは不敬な言葉。


「ふ、私の言葉一つで王の決めた婚約が破棄されるわけないだろう」

『ちょーっ!?』


「これが呪いだと? ありえないな」


 セラフィナを抱き上げ、威厳に満ちた姿で言い切った。


「これは呪いなどではない! セラフィナのこの姿こそ、私の失くした想いを取り戻し、誤った道を正すために与えられた神の啓示! 神の祝福そのもの!」


 ケイン、クライブ、トリストが言葉を失いしばしの間。


 ぱちぱちぱち。


 カイルロッドに抱き上げられた小さい子が送る拍手。意味など理解できないセラフィナだったが、なんとなく、すげーこと言ったっぽい空気を読み称賛の拍手をカイルロッドに送っていた。


 パチパチ。

 パチパチパチパチ!


 続く三人。


「そのとおりです! カイルロッド様!!」

「セラフィナは天使です!」

「セラフィナは神の愛し子です!」


 満足げに頷くカイルロッドに惜しみない拍手を送る三人。


 その姿を、震え、顔を引きつらせ抱き合うノーズ夫妻が見ていることは気づかなかった。


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