第4話

「うっく、えっく」


 王宮騎士、トリストはそわそわと手を上げたり下ろしたりと、落ち着かないでいた。


 リーチェが泣いてる。


 ケインが素っ気ないと。(いいことだ)

 クライブが冷たいと。(いいことだ)

 カイルロッド様 が会ってくれないと。(いいことだ)


 トリストは心ではリーチェと二人きりの状況に喜び、脳内の花畑で走り回っていた。決して顔には出さないが。めっさ喜んでいた。

 なのに、三人に会えないとリーチェは泣いていた。抱きしめ慰めたい気持ちを、この方はカイルロッド様の隣に立つ方、と抑え、想いを伝えられず触れることもできないでいた。


「ケインとクライブには会えれば確認しよう。待っててくれ」

「トリストさまぁ」


 彼女が望む言葉を伝えれば微笑み、胸に飛び込むリーチェ。その細い身体を抱きしめ、ることができずに、手が浮いたままワキワキするトリスト。ふわりと香るのはトリストが贈った香水の香り。自分の贈ったものをつけてくれている、それだけでトリストは脳内の花畑で踊りまくっていた。もちろん決して顔には出さないが。


 彼女の側にいれるだけでいい、それだけだった。


 No2なトリストの生家。ケインのように将来宰相となり王の隣に立つものでもなく、クライブのように次期王である、王太子の片腕となる兄がいる家系でもない。事務室に引きこもりがちな騎士団の副団長を務める父親を持つ六人兄弟の末っ子。カイルロッド様に認められただけの中級貴族の末息子。


 卒業後はカイルロッド様も臣下に降り、王太子の補佐となる身。


 剣に誓いを立てるほど、命をかけて守りたいと、そう思わせるのはリーチェしかいなかった。

 たとえカイルロッド様の側にいる方でも、その時まで、彼女を何ものからも守ろうと、略式ではありながらも彼女に剣の誓いを立てた。


「許します」


 そう、真っ赤になり、潤んだ瞳で受け入れてくれたリーチェは守るべき唯一人の存在。



 彼女に涙を流させる者は排除しよう。


 たとえ、ケインや、クライブでも……。




「ケイン!」

「あぁ、トリストですか、何ですか?」

「リーチェが泣いてた、お前が「僕は忙しいのです」な……」

「宰相の補佐として勉強中なのですよ?」

「あ、あぁ、すまない」


 そのまま背を向けるケインに、今までと違う顔にトリストはかける声を失った。

 リーチェの名を出した時に一瞬見せた不快な表情。


「どういうことだ?」


 訝しみながらも向かった魔導塔への渡り廊下で出会ったクライブも「どーでもいいことで私を呼び止めないでください」と、素っ気ない。


「どうしたんだっ! リーチェはお前たちを心配してっ」


 リーチェの名に明らかな嫌悪感を顔に出したクライブ。


「君が慰めて差し上げればよいでしょう?」

「っ……」


 それができればお前たちを探しに走っていない。


 彼女が喜ぶ言葉も、慰める言葉も、うまくクチから出てこないトリストに、彼女を抱きしめ、慰めることなどできるわけもなく。


「私は早く帰らなければならないのです、失礼しますよ」


 背を向けたクライブに呆然と目を向けいていた。


「何があったんだ……」


 パーティー会場での婚約破棄から一週間経ち、これほど態度を変える理由がトリストには分からなかった。


 カイルロッド様は? 婚約破棄を宣言したカイルロッド様は何故リーチェに会おうとしないんだ?




「トリスト、どこへ行こうとしてるんだ?」

「グリード様……」


 カイルロッド様の部屋へ向かうトリストに声をかけたのは王太子の側近、現王の片腕として傍らに立つ騎士団長を父に持つ最高位の貴族、八領主の一つ、ローズウェル家の次期当主。

 トリストにとって遠い存在だった者。


「カイルロッド様は今謹慎中だ」

「なっ、なにがあったのですか!?」

「ふ……カイルロッド様の側には、そんなことも分からない者ばかりか」

「っ……」


 返す言葉もなく固まるトリストに話す言葉はないと去るグリード。


「まさか、婚約破棄が原因……?」


 カイルロッド様が謹慎を受けた理由がこれしか思い浮かばなかった。


「どうすればいい……」


 考えることが苦手なトリストには何も浮かばなかった。考えるのはケインや、クライブの得意とするところ。


 リーチェへの態度を変えたケインとクライブの顔が浮かんだが、カイルロッド様を支えるのは臣下として、友として当然のこと。あの二人ならカイルロッド様の謹慎を解く良い案を考えつくはずだ。そう考えてトリストは魔導塔へ走った。


 先の廊下を走るのはクライブ。声をかけようとしたところにケインまでが走り並んだ。


「クライブ、何をそんなに慌てているんですかぁ?」

「ふふ、まぁた私を置いて帰ろうとしているようですからねぇ」

「何を、僕はウチの馬車で帰るだけですよ? 君は自分の家に帰ったらどうですかぁ?」

「ふふふ、私の帰る屋敷も君と同じじゃないですかー、愛しいセラが待つ家が私の帰る場所です」

「な、に、を、言ってるのかなぁー。僕のセラなんだけどぉ?」


 言い合いながら二人は同じ馬車に乗り込み帰っていった。


「なぜ、二人一緒なんだ? セラ……? 誰だ?」


 セラという女に会うという二人の後を追った。

 馬で駆け、ケインの屋敷で押しのけ合い扉をくぐる二人の姿を目にした。 


「何故クライブがケインの屋敷に……?」


 もう一度二人に話が聞きたくてドアベルを鳴らした。しばらくして、開けられた扉の先には、誰もいなかった。……いや、いた。


「いらっちゃいませ」


 視線を下げると、小さな、信じられないほど可愛らしい女の子がいた。



 ずっきゅーんっ



 トリストは胸を押さえ両膝をついた。


 な、なんてかわゆい生き物なんだ!!


 うまく息ができない。

 ダメだ、見てはっ! 目が、目が! 


「どちたんでしゅか?」


 不安そうな声にトリストはゆるっと顔を上げた。そして目が合った瞬間ソレは来た。


?」


「ぐっはぁっ!」


 それは末っ子のトリストにとっても破壊力のある言葉だった。


 おにーたん、おにーたん、おにーたん、おにぃたぁん(ハート)


 終いには妄想も入ったがクライブの脳内でこだました。

 憧れ、望み、欲した、決して己のクチから求めることのない呼び名。


 可能ならリーチェにそう呼んでほしいと、どれほど 望んだか……。


「おにーたん、いたいの?」

「うぐっ」


 それを、こんなにあっさりと。


「わぁー! セラ出ちゃダメ!」

「勝手に開けてはいけません、セラっ!」


 後ろから駆けて来たのはケインとクライブ。


「あ、にーたま、クゥにーたま」


 振り返る小さい子は当然のように二人をそう呼んだ。


「って、トリストですか、要件は明日聞きます、帰ってください」

「憩いの時間の邪魔です、帰って下さい」


 ここはケインの家だ、ケインにを“にーたま”と呼ぶのは納得できる。しかしなぜ、ナゼ、クライブを“クゥにーたま”と!?


「トリスト?」


 羨ま、けしからんっ!!


「おにーたん?」


 トリストは膝をつき、姿勢を正した。コテリと首を傾げる小さい子の、その小さな手を取った。


「どうか、私をあなたの兄にしてください」


『は?』


 クチ開けっぱで顔を見合わせるケインとクライブ。


「私はあなただけの騎士になりたいのです」

「きし?」


 ポンと頬を染めるセラ。それは奇しくも昨夜読み聞かせた、騎士と姫物語での、騎士の言葉そのもの。


『ちょっ!?』


 頬を染めたセラが「ゆるします」と、その物語のお姫様ように、トリストの言葉に頷いた。


『ちょーー!!』


 クライブが許されるなら、私も許されていいはず。


「私のことも“おにーたん”と呼んでください!」


『ちょーーっっ!!』


 ケインとクライブの悲鳴が重なった。



「あい、トリィにーたま、あーん」


 セラの小さな手に摘ままれたジャムたっぷりのスコーン。


「あぁ~ん」


「おいち?」

「おぉいちぃよ~?」


 変態、いや、兄は増殖した。


 無口、無表情が標準だったトリスト。その男が鼻下を伸ばした緩み切った顔をセラに向けていた。


「セラは可愛いなぁ~」

『それは認める』


 頷くケインとクライブ。


「しかし、トリスト、君まで兄となるのは私は認めません!」

「待って。セラの兄は僕だけだからね?」


 クライブにも半眼を向けるケイン。



 トリストの行動は早かった。クライブに同居まで許されるならと、セラの専属騎士となることを誓い、ケインとクライブが悲鳴を上げる中、セラの両親立ち合いの元、正式にセラフィナ専属騎士としての誓いを行い、セラの傍にいる権利をむしり取った。


 トリストの父は騎士団の副団長。次期副団長の地位に就くのはトリストの兄で確定であり、男ばかりの六人兄弟末っ子トリストは将来目立つ役職ポジションにつくことはないに等しく、結婚相手としてもびっみょーな存在だった。が、次期宰相であるケインもいるノーズ家の、第二王子の婚約者であるセラフィナ・ノーズの専属騎士という、優良な就職先にトリストの両親は万歳拍手で送りだしてくれた。


 第二王子の婚約者の件はトリストもあえて触れることはしなかった。もうトリストにとって婚約破棄などどうでもよいことになっていたのだから。


「いや、ほんとおかしいよね? トリスト、君、リーチェに剣の誓いを立てたって聞いたけど?」

「ありえないな」


 ケインに目を向けることもなくセラがもぐもぐするのをガン見のトリスト。


「いやいや、リーチェに聞いたし」

「略式はノーカンだ、な? セラ」


「ふふ、トリィにーたまは、セラのきししゃまなのよねーっ」


 両手は頬で、にぱっと浮かべた無邪気な笑顔に一同はにへらぁと緩み切っていた。


 呪い云々に関しても情報処理能力に欠けるトリストは、説明途中で表情を失くし、目からも生気が抜け落ち、理解できていないようだったが、「セラは何ものからも守る!」との単純脳筋発言にケイン、クライブはそれだけで良し。と頷いた。


 脳筋トリストまで増えたが、結局セラの笑顔に“セラが喜んでいるなら、いいか”という結論に至るケインとクライブだった。



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