第2話
深夜とも云える時間に帰宅したケインは、使用人たちの落ち着きのない姿に声をかけた。
「あぁっ、お帰りなさいませ、ケイン坊っちゃま!」
「何かあった?」
「こんな時間なのに、王宮からの呼び出しに、旦那様と奥様が向かわれたんです」
答えるのは住み込みで働くノウル夫妻。
呼び出しは婚約破棄のことだろうと察し、対応の早さにケインの口元が緩む。
「セラフィナ嬢ちゃんも、まだ戻らないんですよ、一緒じゃなかったんです?」
「いや、知らないよ……」
緩む口元を覆い、ケインは部屋へと戻った。
王宮からの呼び出しは間違いなく婚約破棄のことだろう。
リーチェにした陰湿な行いに両親も呆れ、家の恥と修道院へ送り込むか、中央には顔も出せない下級貴族の妻にでもしてくれれば、二度とリーチェの前にあの女が現れることはないだろうが……。
ケインは姉、セラフィナと会話はほとんどなく、家の中でも目が合う程度の間だった。偶に会話をすれば全てがケインを否定する言葉ばかりを並べる、そんな女の顔を見なくてもよくなるのだと、そう思えば、久しぶりに気持ちのいい眠りにつき、目を覚ますことができた。
翌朝、両親は戻っているのだろう、ノウル夫妻の歩き回る、いつもは気にもしない音で目を覚ました。
早く姉の処分を聞きたかった。──なのに。
なぜか、母の膝の上には、小さな、小さな、女の子がいた。
「おぉ、ケインか、座りなさい」
何故にか笑顔の父。
「ほら、立ってないでこっちへいらっしゃい、ノウルさんも、マーシさんも座って」
膝上の子供の髪を撫でながらの母。
「…………父さん、まさか、その子どもは」
ドコで作ってきたんだと、呆れと軽蔑の半眼を向ければ、「何を言うかっ! 私はサーシャだけだ!」と。やたらと慌てて言うが、ふふふ、と父に向けた母の冷たい眼差しで父のこれまでが色々察せられるので、これ以上は触れないでおこうと心で誓った。
「では、その子どもはどこの子ですか?」
「うちの子に決まっているだろう?」
「……養女、ですか?」
欠けたセラフィナの補充としての嫁出し要員なのか。と納得しかけたケインだが、
「信じられないかもしれないが、この子はセラフィナなのだよ」
「は?」
母は胸元に張り付いていた子どもをくるりと、ケインに向けた。
「ほーら、セラちゃん、おにー様ですよぉー」
「っっ!?」
そこには、ケインの理想が存在していた。
ふわりとクセのあるハチミツ色の髪と、大きくまるいスミレ色の瞳。ふっくらとした頬は熟れたもも色で、プルプルした小さな唇から、
「にーたま?」
「ぐはっ!!」
それはケインにとって破壊力抜群の言葉だった。
「どどどどど、「どういうことか、と?」」
コクコク頷くケインに父からの説明は、昨夜、魔導塔からの呼び出しに王宮へ向かったとのこと。学園内で子どもが保護され、泣きながら自分の名前を“セラフィナ・ノーズ”と名乗ったということから、その小さな子どもの事情確認にと二人は呼び出されたと。
「そ、それで!?」
「魔力照合の結果、この子は間違いなく、私たちの娘、セラフィナなのだよ!」
「なんでーーっ!?」
ケインの叫びにビクリと身体を震わせる小さい子。
「ほらぁ、ケインちゃん。セラちゃん、ビックリしちゃったでしょー」
「ふぇ……」
「ええっ!?」
母の胸に顔を埋めぷるぷる震える小動物のような小さい子。
「ご、ごめんよ?」
そっと覗きこめば、薄っすら涙をためた瞳が見上げてきて、その無垢な眼差しにケインは「ぐはっ」と、再び胸を押さえた。
「あらあら、大丈夫? ケインちゃん」
いろいろ大丈夫ではないが、大丈夫だと頷いた。
「どうも、セラフィナは、呪いを受けたらしい」
「呪い!?」
ケインがとっさに思い浮かべたのは、純情可憐なリーチェだったが、いや、違う、彼女はそんなことをする人間じゃないと、頭から振り払う。
「セラフィナの体内に、“退化の呪印”が確認できたと言われた」
「退化……?」
「身体の全ての機能が縮み、幼児化してしまったらしい」
本当に……?
「身体だけでなく、記憶まで、五歳のころに戻ってしまったのだ」
これが、あの姉……?
「今のセラフィナは心も身体も、記憶も、五歳のセラフィナなんだよ!!」
キョトンと見上げる穢れのない瞳。コテンと首を傾げ再び、
「にーたま?」
「うぐっ!」
なんということだろうか? これが呪いだと? ばかな……、そんな…………、
犯人グッジョブっっ!!!
興奮しすぎて荒い息になるケインの様子を察し、母はぬるい目で微笑んだ。
「ケインちゃんの夢が叶ったわねぇ」
「おお、そうだったな。十二歳まで毎年、誕生日の贈り物に妹をねだっていたからな」
「なっ、そんなことは!」
「私たちも頑張ったんだが、これは授かりものだからな」
そんな生々しい話はいらないと慌てるケインに、続くのは爆弾。
「でも、四年前から妹がほしいなんて、言わなくなったわねぇ? もしかしてもう、いらなかった?」
「奥様っ! そんなことはありません! 今でもケイン坊っちゃまのベッドの下には「うわぁーっ!!」」
慌てるケインにぬるい微笑みの母とマーシ。
「はは、では、ケインも兄として、妹になったセラフィナのことを頼むぞ」
「ちょっ! 待ってください! このままにするんですか!? 解呪はっ!?」
両親は顔を見合わせ、首を傾げた。
「このままでいいんじゃないか?」
「こんなに可愛いのよ?」
「なっ……」
膝上の小さい子もマネをして、コテンを首を傾げケインを見上げていた。
「っ!」
四度目、胸を押さえるケイン。
目の前にいるのは、この世に存在するはずない理想。望み、欲したのは“可愛い妹”という存在。どれほど望んでも、それは叶わないのことなのだと、望むことを諦めたのは四年前。
しかし理想は具現化し、天使は降臨した。
そう、これは呪いなどではなく、神が与えた祝福!
真っすぐ見上げる小さな天使にケインは大きく頷いた。
「ええ、解呪など必要ありません。セラフィナは僕の妹です!!」
*
「はい、あーん」
「あぁーん」
パクリ。
小さなセラフィナが、頬を膨らませてモグモグ咀嚼する姿に、ケインの目じりはタレたまま。
「美味しいかい?」
「おいしー」
「そっかぁぁーっ」
「ケインちゃん……」
「ケイン……」
「あい、にーたま」と小さい子から差し出されるスプーン。
ぱくっ
「おいちーね?」
「おぉいしぃーねぇぇー」
「ケインっ」
「ケインちゃんっ」
「なんですか?」
両親へと返事はするが顔はセラフィナに向いたまま。
「そろそろ膝上のセラをよこしなさい」
「あらっ、セラはかーさまのお膝がいいんでちゅよねー?」
「あい、にーたま」
父母の懇願も無視して小さい子が差し出すスプーンをパクリ。
「おいちーね?」
「おぉいちーねぇぇ!! あぁ、もう! セラはかっわゆいなぁぁっ!」
「きゃふふっ!」
「ケイン交代!」
「もう、ケインちゃんったら!」
膝上のセラを抱きしめ頬ずりするケインと、小さい子を抱っこしたくて落ち着かない両親。
こんなに賑やかな食卓はどれくらいぶりなのだろうかと、ノウル夫妻はその姿を微笑ましく見守っていた。
食事の後も、幼児向けの絵本を物置から出し、セラフィナのお気に入りとなったケインの膝上で、強請られるままに何度も読み聞かさせ、小さい子を愛でまくった父母、息子だった。
*
にーたま、にーたま? にーたま、にーたま、にぃたま、にーたま? にーたま、にーたま、にーたまぁ……。
「ぅくっ!」
ケインの脳内で繰り返されるのは、就寝ギリギリまで愛でた小さなセラフィナの舌足らずな声。
退化の呪いによって記憶すら五歳まで戻ったというなら、リーチェに行った悪行も、今のセラフィナにはなんの罪もないこと。
だが、あの三人は納得しないだろう。罪を償わせろと、小さなセラフィナに刑罰を望んでも、必ず僕が守ろう、僕は、“兄” なのだから! と、鼻息荒く拳を握ったところに「にーたまぁ」と舌足らずな声に素直にだらしなく緩むケインの顔。
「ケイン坊っちゃま、緩みすぎです」
「ちょっ!」
廊下から覗くのはマーシと、小さなセラフィナ。
「ノックっ「しましたよ」うっ、な、何?」
「セラフィナ嬢ちゃんが、おやすみのキスをしに来たんですよ」
「キっ!? …………ぐはっ」
慌てて鼻を抑えるケイン。
「まーしぃ、けいんはぁ?」
キョロキョロと、別のケインを探す様子の小さなセラフィナ。
「ケイン坊ちゃまはこちらにいらっしゃいますよー? あー、そうですよね、セラフィナ嬢ちゃまが五歳のころ、坊ちゃまはまだ四歳だったんですもの」
小さなケイン坊っちゃまを探しているようですねーと、「あの頃は毎日、ケイン坊っちゃまにお休みのキスをしていたんですよ」そう、マーシは懐かしそうに笑った。
そんなこと、覚えていない。あの冷たい姉が? そんな時期があったのか?
「けいん、なの?」
真下からの上目遣いに、熱いものが溢れそうになり、また鼻を押さえるケイン。
「そ、そうだ……よ」
「けいんは、おにーたまになったの?」
と、小さな眉を八の字にして、首を傾げる小さい子の背にキラキラとしたエフェクトがかかる。
神よ!!! 感謝しますっ!!!
握る拳が震えた。
「ふふ、そうですよ、男の子だから、苦手なピーマンをたぁくさん食べて「ちょっ!」ケイン坊っちゃまはこぉーんなに、大きくなったんですよぉ。今はセラフィナ嬢ちゃまのお兄様ですよ」
マーシの余計な言葉に、明日からピーマンを残せなくなったケインだが、小さなセラフィナのキラキラ尊敬の眼差しで見上げる顔に、にへらぁと顔の締まりがなくなる。
「すごーい! けいんはえらいですねー」
そっと小さな手がケインの頬を挟んだ。
頬にぷちゅっと柔らかな感触。そして、小さな、温かい手がぎゅうっケインの頭を包んだ。
「おやすみなさい、たのしいゆめをみてね、またあしたも、いっぱいあそぼうね」
「──っ」
ケインは息を忘れた。
「ふふ、おやすみなさいませ、ケイン坊っちゃま、良うございましたねぇ、夢が叶ったんですから」
マーシの意味ありの視線がケインのベッドの下へ移るが、ケインは目を見開いたまま固まり、思考すら止めていた。
ケインの夢、それは諦めたはずの夢の残り。願望の写し。妹モノの如何わしい書物がベッドの下で今でも平積みされていた。
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