高学歴高収入完璧イケメン超人で恋人と愛人に困らない俺に堕とせないメスが居るなんて信じられないんだが

九十九 千尋

モテる男ほど、自分になびかない女性に弱いのは世の常


 百万ドルの夜景とはよく言ったもので、高級プライベートスイートから臨む夜景は、相応の価値がある街並みの様に見える。その光景を、先ほどまで俺の腕の中に居た女が微笑みながら指さして、その窓の前で何かを言っている。

 だが、興味が無い。

 得てしまった女ほど興味を失うものだと聞いていたが、そういうことじゃない。確かに彼女はバーで出会った行きずりの相手だが、だから彼女に興味が無いのではなく、彼女よりもっと気がかりな“奴”が、俺には居る。

 彼女は俺の気が漫ろであることを察し、悲し気な表情で俺に言う。


「もう、行ってしまうの?」


 俺はそれに静かに相槌を打った。


「ああ。悪いな。恨んでくれて構わないぜ」

「どうせ、解ってたわ。あなたには“本命”がほかにも居そうだもの」


 俺は彼女の頭をそっと撫でて口づけし、名残惜しそうに引き留める彼女を優しく引き離してその部屋を後にした。

 ホテルから出る際に明日の昼まで彼女が何不自由なく泊まれるようにチップを積み、一夜の潤いをくれた女性に心ばかりの感謝を示しておいた。


 ホテルから出て、俺はスマホを取り出した。気になって止まない“奴”の状況を確認しなくては、居ても立っても居られない。なぜ俺がこんなにも執着しなくてはいけないんだ。昼も夜も“奴”のことしか浮かばず、仕事の最中や退勤後などは、まるで煙草のように“奴”を求める。それほどまでに、俺は“奴”に心を奪われていた。


 早速、監視用のアプリを起動して……と思っていたところに会社から連絡が来る。緊急の仕事、とのことだ。タイミングがとても悪い。既に勤務時間外だと伝えたが、どうしても俺の知恵と手腕が必要だと……仕方がない。

 俺は信頼を置いている部下に指示を飛ばし、いくつかのコネを通じて部下の仕事がうまく運ぶように根回しをし、そのことを会社に伝えた。会社は俺に直接出てくるように求めていたが会社も俺に強くは言えない。俺がどうしても急用があるのだと伝えると、素直に引き下がってくれた。

 そうだ。すべては“奴”の動向を確認してからだ!


 今一度、監視アプリを起動して……俺は“奴”を探した。

 監視アプリは家の複数の部屋を映し出したが、そこに“奴”の姿は映り込まない。なぜどこにも映らないんだ……まさか、逃げ出したのか!? どうやって!?

 最悪の想定が脳裏を過り、思わずいくつかの連絡事項に簡素で投げやりな返事を返してしまった。

 くそっ、“奴”の姿を確認できないだけで、なぜこんなにも俺は心を乱されているのだ!


 だが、冷静になれ。設置したカメラは全てが見えるわけではない。カメラの死角に居ることもありえる。冷静になれ。しっかりと、今朝は戸締りを完璧にしてきたじゃないか。あの監禁から逃れる術などないはずだ。

 俺は流行る気持ちを落ち着け、平静を装いながら薬局へ立ち寄る。


「すみません。ある商品を探しているのですが……お手を煩わせても?」


 俺が声をかけた女性店員は目を白黒させながら、早口で俺に色々な品を勧めてくるが、俺が欲しいのは、ある噂の品だ。


 曰く「これに飛びつかずに居られず、向うから求めて止まなくなる品だ」と……そうだ。こいつが欲しかったんだ。これがあれば、“奴”も俺を無視できまい!

 足早に買い物を済ませ、声をかけようとする多くの美女を軽くあしらい、モデルのスカウトマンだと名乗る人物を無視するように流して、俺は家路についた。


 そう、“奴”を監禁している、俺の家に。


 高級住宅地に構える地下二階地上三階建て庭付きの家だが、購入時に乗せられてかなり大きく作り過ぎた、と当時は思ったものだ。だが、この大きさがあるが故に、この家に“奴”を監禁して居られる。今では、この大きさにしてよかったと思っている。

 庭を駆けるように進み、俺は震える手で玄関の施錠を外した。

 だめだ、もはや、正気では居られない。“奴”だ! “奴”を、この目で確認し、その肢体を撫でまわして、額を口吸いしたい衝動が、強い衝動が俺を突き動かすのだ!



 玄関を開けると、そこには小さな毛玉が居た。

 柔らかそうで小さな前足、ふかふかの胸元に丸くて愛らしい頭部。ちょこんと生えた耳。ピンと伸びた髭。むにむにと突きたくなる口元。スラリとしていながらフカフカそうな背筋に、丸くて撫でまわしたくなる尻尾の付け根。ああ、SIRI! 物憂げに投げ出された尻尾は床をぺちぺちと叩いている。

 そう、“奴”は、俺に一言。小さな口から発する蠱惑の音色を発した。


「にゃーん」


 嗚呼! 正気で居られるものか! この可愛さの化身め! 俺の帰りを待っていたとでも言うのか! 出迎えとか萌えるに決まってんじゃねぇか! そんなにも抱きしめて欲しいのかコヤツは!!


 思わず両手を差し出して近寄った俺に、“奴”は、まさかの、そっぽを向いて家の中に入って行ってしまった。

 残されたのは、いまだに靴を履いて玄関で床に一人、みじめに四つん這いになる俺。


 な、なに!?

 なんだ? 何が不満なんだ? え? 出迎えに来ていてくれたわけではないのか? なぜだ! なぜそんなにも魅惑の尻尾と後ろ足の肉球と尻の穴を見せながら俺から逃げるように去っていくのだ! くそっ! 抱かせろ、抱かせろよ! 俺に黙ってその丸くて可愛い頭を吸わせろぉ!!



 ……いかん。冷静さを失っていた。

 俺は家の外では硬派だと思われているのだ。俺に気がある女はかず数多あまた。ふふ、たかが猫一匹に好かれていないだけで冷静さを失うなど……など……


 すっごいショックなんだが?


 え? すっごいショックなんだが!?


 ショックなんだが!! ショック極まりないんだが!!


 き、貴様、俺の家で仮にも飼われている猫じゃないのか!!

 待て、待つんだ。猫は一度嫌った相手には、なびかなくなると聞いたことがある。もしそんなことになったら……くそっ、この世の破滅だ……!


 元々、我が家の庭に、雨の日に捨てられていた“奴”を、拾ったことから、俺と“奴”の関係は続いている。

 元が人間に冷たくされた出自だけに、すぐに俺に心を許すことはないというのは解る。心に影を持つ女は、ゆっくりと心を蕩かしていけば良いのだ。


 そう、例えば……こういうものでな!

 俺は薬局で買った、例のブツを取り出した。

 この品は、猫を豹変させ、時に狂暴化させるほどの物だという。ふふ、依存するがいい、この、猫の栄養補填オヤツにな!


 脱いだ靴も放り出し、ジャケットを玄関に置いたまま、手を洗って猫のおやつを取り出した。

 チューブ状の容器に入ったレトルト生オヤツを、俺は“奴”の鼻先に近づけ、奴が反応するのを待った。これで、“奴”は俺を無視できまい。


 そう思っていた時期が、俺にもありました。


 まさかの、無視……え? これは、現実かい?

 だって、だって! CMとかさ、猫の飼育動画とかさ、ネット上の猫を飼われてる人の動画とかですごい食いつきだよ? なのになぜ? なぜ“奴”は、おやつを前に「で? これが何か?」みたいな目で俺を見るんだ!?

 まさか……まさかの……駄目? うそぉ……一口、一口で良いんだよ! CMみたいに俺の腕を、その魅力がカンストしてる前足で掴んでくれよ! 頼むよ!

 その後、しつこくしたせいか“奴”はそっと、俺の傍から離れて行った。んん、変わらず魅力的な後ろ姿だけど俺はお前を抱きしめたいんだよぉ!



 だ、だが、まだだ。まだ、俺には秘策がある!

 本当は仕事で使うものだが、この間聞いた話では、猫はコイツを追いかけずにはいられないと聞いた。そう……レーザーポインターだ!!

 “奴”の目に決して当てないように細心の注意を払いながら(いやこっち向いてくれないから目に入る心配皆無なんだけど)、俺はレーザーポインターの光を小刻みに動かし、“奴”の気を引こうとした。

 気になる物でまずはこちらを意識させる。意識させたならこっちのものだ。決して、今夜は寝かせないから覚悟するんだな!


 うん、そうなんだ。また、なんだ。

 まずはこのしょんぼり感はサービスだから共有してほしい。


 なんでだよぉ! なんで反応しないんだよぉお!!

 チョロチョロ動く物を追いかけたくなるのは、猫の本能じゃなかったのか!? も、もしや、どこか体調が悪くて本能が機能していないとかそんなことになってるのか? え? それはそれで心配。

 などと思っている俺の目の前で、キャットタワーに付随していた毛糸玉のボンボンを追いかけまわして“奴”は遊び始めた。

 良かった。体調不良ではないらしい。

 じゃねぇよ!! なんでだよ! あれか? あれなのか? もしかしてお前は、俺が……き、嫌……い、いいや! いいやありえない! ありえて堪るものか! 認めんぞ! 断じて認めるものか!!



 “奴”を俺の家の中に招き入れてから、俺の自尊心はズタズタだ。

 ソファーも壁紙もズタズタだ。クッションは破かれ、そこら中に毛が落ち、時に粗相が見つかり、疲れて帰って来てもベッドにそのまま飛び込めなくなった。というかベッドは今や“奴”のものだ。

 気が付けば、俺は一部屋、“奴”の寝室、兼運動場として貸し与え、その部屋には猫を監視するためのカメラまで設置し、四六時中その愛くるしい寝顔と自由気ままな尻尾を眺めていたい男になってしまっていた。

 家の庭に捨てられていた猫ごときに、なぜこんなに……


 猫は追いかけると距離を離してしまう生き物だと聞いたこともある。ツンデレだと。ふん。ツンデレの女性の方がまだ御しやすくコミュニケーションが円滑だ。

 俺は俺自身の明日の用意をして就寝の支度をしはじめた。

 もう寝よう。そして、また明日。そう、明日……明日改めて、モフればいいのだ!! ……モフれる気がしない。


 俺に堕とせなかった女など居なかった。俺に御せなかった仕事など無かった。

 なればこそ、“奴”をこの腕に抱いて寝るなどそう遠い日ではないはずだ!

 そう思っていたのだが、一向に“奴”は俺になびかない。懐かない。悔しさと悲しさと寂しさが、今夜も俺を蔑んでいる気がしてしまう。

 などと思いながら寝るだ。ああ。今日も、モフモフできなかった。


 布団の中を覗き込み、“奴”が寝ていないことを確認する。今日はソファーで寝なくて良いらしい。俺は久々の布団の温かに包まれながら眠ることにした。
















 ふと、夢の中に“奴”が現れ、自分から俺の腕の中に潜り込んできた。

 ふかふかだ。もふもふだ。もこもこだ。ああ……ごろごろと言いながら、目を細めて俺の腕の中で、幸せそうに寝ている。夢だ。間違いなく、これは、夢だ。こんな幸せ、夢でなければ却って耐えられない。


 いや、そもそもどうなのだろうか?

 “奴”は、俺の出すご飯を食べてくれるじゃないか。出迎えもしてくれる。仕事に出る前は落ち着きなく俺の周りをウロウロしている。自分から俺に近寄ることはないが、俺が近寄っても即座に駆け出して逃げるようなわけではない。

 そして今、俺と共に寝息を立てている。愛くるしい寝顔を、カメラ越しではなく、しかも至近距離で見れている。

 もしかしたら、そもそも俺は“奴”に好かれているのでは……? ああ、やはり、これは夢に違いない。


 どうせ夢なら、猫吸いというのをやってみたい。そっと俺は、寝息を立てる毛玉に口づけするように顔を近づけた。










 前足で拒否された。


 なんでだよぉ! 俺の腕の中で眠り始めてるだろ!? なんでダメなの!? もしや、俺、口が臭うとかそんな感じ? え? なんで? なんで!?

 もう動揺で目が覚めたよ! 夢じゃないなんて幸せだけどなんだか納得いかない!

 あ、でも肉球の感触、素敵。もう一回、もう一回肉球を。もう一度……


 そうして、俺の顔には、俺に唯一なびかないメスによってつけられた傷がついた。痛い。




 ところで、なんで“奴”は俺になびかないのか、よくよく考えてみて思ったことがある。

 そう、名前をつけてやっていないのだ。いやまぁ、早々に保健所に突き出す予定だったし……

 もしかしたら、名前を付ければ、名前を呼んでやれば、俺になつくのでは?

 仕事の最中、そんなことを俺は思った。

 思ったからには、試さずにはいられない。俺の心は“奴”に敗北し続けているのだ。


 だが、最後にお前をモフるのは、間違いなく俺だ! そのことを、毛の一本一本に至るまで撫でつくして思い知らせてやる!



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