ネクタイ

筋肉痛

第1話

 ネクタイは拘束具だった。

 

 高校時代は右に倣えを強制させるための道具。自分が秩序を乱す者ではないと示すための記号だ。

 とても窮屈だったし、みんなおんなじ格好であることに疑問はあったけど、僕は臆病だから結局従順だった。

 指示通りに動いていれば、怒られることはなかったので楽は楽だった。

 将来の夢は未だ見つからなかったけど、それなりに勉強してなんとなく選んだ大学に合格した。


 大学に入り拘束から解放された。だけど、僕は囲いがないと生きられない人間だった。サークルやバイトで、自らその他大勢として過ごすことを選んだ。

 大学に行きさえすれば、やりたい事は自然と見つかるものだと思っていたけど、相変わらず僕は何もないままだった。


 空っぽのまま始めた就職活動では再びネクタイに縛られた。格好だけでなく言動まで制限され、挙げ句の果てに、お前はいらないと慇懃無礼なメールで幾度となく宣告された。


 そんな時でも、僕と同年代の人達が夢を叶えていく姿をマスコミが報じていく。自分との差に乾いた笑いがこみ上げてきた。


 ああ、僕はいらない人間なんだ。夢や目標もなくただ言われた通りに生きてきたのは罪なんだ。ネクタイはそんな僕への罰なんだろう。


 度重なる無価値認定に、僕の心は機能停止していたが、頭は辛うじて働いた。数多の失敗を踏み台にして、どうにかしがない文房具メーカーに就職できた。

 興味も無い、経験も活かせぬ業種だったがただただ生きるためだけに働いた。


 営業という仕事は、精神を輪切りにして売る作業だ。顧客の要望に応えるために、自分を犠牲にする。心が再起動することはなかった。

 ネクタイは僕を縛り続けていた。




 入社して数ヶ月、実績が上がらず残業続きで疲れていた僕は、酒の勢いもあり、自分の親と同年代の上司に毒を吐いてしまった。


「夢がなくて、生きてる意味あるんですかね!?」


 叱責されるか、鼻で笑われるかと思った。子供みたいなことを言っていると自覚があるからだ。

 だが、上司はお猪口に少しだけ残った日本酒をくいっと飲み干すと、真顔で言った。


「ある。お前がいないと叶わない夢があるからだ。」


 正直、この時は何を言っているのか分からなかった。僕には夢がないと言っているのに、叶うも叶わないもないだろう、何十年も働いてまだ課長に留まっているのも頷けると失礼なことを思っていた。


 だが、不器用で実直なこの上司は言葉が足りないことが多い。この時もそうだったのだ。





 その意味が分かるのは数年後だった。数年も経てば流石に仕事にも慣れ、疲れ果てるということはなくなった。だけど、自分が生きる意味はまだ見出せず、心は機能停止したまま漫然と日々を過ごしていた。


 そんな時、休日の暇つぶしで眺めていたSNSで自社の製品に関して言及しているものを見つけた。

 どうせクレーム的な内容だろうと思い、面白半分で読んでみた。


『このクレヨンがあったから、幼い頃、家中に落書きしても怒られず自由に描かせてもらえた。その経験があるから、今の自分があるんだと思う。』


 それは世界的な絵画コンクールで優勝した人の投稿で、自社で開発した水で消えるクレヨンの話だった。

 

 僕はその投稿を読みながら泣いていた。


 書いた本人は何気なく書いたものだろう。そんな大層な想いがあるわけではないと思う。


 僕が直接売ったわけじゃない。だけど、僕の仕事が誰かの夢を叶える可能性を知った。

 それで僕には十分だった。

『お前がいないと叶わない夢がある』という上司の言葉が頭の中で反芻される。




 心がやっと動き出した。

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