第21話 螺旋回転のサザエオニ

 湖畔と霧子、そして和泉ちゃんの周囲を囲んでいたサザエオニ達は、一斉に3人に向かって飛び込んできた。


「下へ!」


 湖畔が声を掛け、和泉ちゃんは背中で強くしがみつく。そして、湖畔と霧子は真下へと泳ぎ避ける。

 今さっき居た場所に、十数匹のサザエオニが互いの体に衝突した。

 ごちんと、重々しく海中にくぐもって木霊する衝突音を皮切りに、サザエオニと湖畔たちの逃走劇が始まった。


「おい、湖畔! 逃げてたってどうしようもないぜ! 陸側に泳ぐにつれて、数で押されておしまいだ!」

「それでしたら、やっておきたい事がありますわ!」


 そう言い、湖畔は振り返る。

 背後からは、きりもみ回転をしながら追いかけてくるサザエオニ4匹が来ていた。その更に奥には、今もこちらを追ってきているサザエオニ十数匹の影がある。

 湖畔は、一度背中の泡ドームの中に居る和泉を一瞥した。間違っても、背中からの一撃なんて受けてはいけない。


「大丈夫……。このぐらいの奴らに、不意は取られないわ」


 自分に言い聞かせるように呟き、両手を合わせて直径80cmほどの泡を作り出した。

 迎撃の構えを取った湖畔に追いついたサザエオニ達は、湖畔を中心として、円状に回り始めた。サザエオニ達の包囲網の外では、霧子が不安そうに柄杓を構え待機している。


「…大丈夫。これでも、れっきとした神様だよ…」


 回転していたサザエオニ達のうち一体が、回転軌道から曲がり、大きなサザエの殻をきりもみ回転させながら霧子目掛けて突撃してきた。


「!」


 湖畔は突撃してくるサザエオニを見据える。カパッと死角の蓋が開き、中から大きな舌が伸びるのが見えた。

 湖畔はサザエオニの軌道を脳裏に想像する。その突撃位置は、湖畔そのものを狙っているようではなかった。少しだけ、湖畔の背中側をかすめる形に向いている。そして、出したばかりの舌は、


「…! やっぱり、狙いは和泉ちゃんか…!」


 湖畔は、サザエオニの軌道から背中を隠すように体を捻り、なおかつ後ろへと泳ぎ躱す。

 サザエオニは、通り際に水圧を伴い、湖畔の胸元を舌が掠り飛んでいった。


「っ! 不気味…!!」

「湖畔お姉ちゃん! 後ろ!!」

「っ!!」


 和泉ちゃんの声に反応し、背後を見る。そこには、またも和泉ちゃんを狙うようにまっすぐに飛んでくるサザエオニ2体が居た。


「うあっ!!」


 湖畔は、急ぎ上へ向かって舞い上がった。今度は足裏を掠めるようにサザエオニ達は空ぶった。


「ううぅ! 舌…舌苦手!! でも、これで…!」


 肌の悪寒を振り払い、湖畔は周囲を見渡した。

 そして、後方の下側で、避けたばっかりの湖畔を狙うように、回転しながら突撃してくる最後の一体を確認した。


「来たわね! なら、これで……!!」


 今度は、突撃してくるサザエオニに対し、湖畔は躱そうとしなかった。


「お姉ちゃん!?」

「止まれええぇぇええ!!!」


 胸元に構える泡に、サザエオニがきりもみ回転をしながら突き刺さった。

 泡は弾力を持ってひしゃげ、サザエオニは衝突したというのに、そのまま貫かんとばかりに回転し続けた。


「っぐううぅぅぅぅううう!!!」


 泡が割れないように、泡を必死にしようと力を入れる湖畔。両手が淡く光り輝き、泡もそれに呼応して光る。

 しかし、そうして攻防をしている湖畔とサザエオニを見たのか、残った3体が下側から湖畔に向かって突撃し始めた。


「っ!」


 迫るサザエオニ3体。しかし、湖畔はその前に黒い影が跳び込んだのを目にした。

 それは、サザエオニの射線上に静止し、身を構える。その存在に衣服が止まり、よく見て見れば、それは霧子だった。


「霧子!」

「結構活かした事してるのに、邪魔は許せんわねぇ」


 そう言い、ふんっと言って霧子は柄杓を横に大きく払った。海中の水がぐわんと歪み、水中で水の流れが生まれる。

 横払いで出来た水の刃は、3体のサザエオニと正面からぶつかる、そして、それでも突き進もうとするサザエオニ達を押し負かし、3体をそのまま海底へと吹き飛ばした。


「す、すごい…!」

「はっはぁ、どうよ。さあ湖畔、とっととそのやりたい事ってのやれ!」

「助かる!」


 湖畔は、泡に力を入れ続ける。すると、先に限界が来たのか、サザエオニの回転が弱まった。


「!! 今だ!!」


 湖畔は、構えていた手の内、左手を自分胸元に移し片手で泡を抑える。そして、自由になった右手で、サザエオニの緩まりつつも回転する体を掴んだ。


「っ!! 分離!!」


 湖畔は泡神様としての力を振るおうとする。そこで、ぐわんと意識がサザエオニの中に吸い込まれるような錯覚を覚えた。




 今さっき居たとこよりも真っ黒な海中に真っ白な自分が、どぼんという音と共に落ちたのを感じた。

 湖畔は真っ暗な海中で体勢を整え、周囲を見渡す。すると、下の方に無数に浮かぶグロテスクな光沢を放つ泡の障害物が見える。そして、更にその先に、淡く光る、弱弱しくも綺麗な泡が一つあるのが見えた。


「あれだ…!」


 湖畔は、その泡を目指し泳ぎ始めた。速度を徐々に増していき、周囲の微細な泡が速い勢いで後方に流れていく。

 そして、前方から無数の汚れた膜のきらめきを伴った、無数の泡が湖畔に迫った。

 湖畔は、全身を捻らせながらその泡達を避けつつ、潜っていく。通り過ぎる最中、その泡の表面には、サザエオニとしてこの魂が歩んできた人生が見えた。

 回転する海、暗い岩場で動かなく過ごす日々、じっと自分より小さい普通の貝たちを眺めた時、そして飢え。恐怖、飢餓感、思考の纏まらない時、人影。高揚。捕食。快楽。興奮。

 無数の魑魅魍魎としての人生が、泡の表面たちには映し出されていった。


「…………」


 湖畔は、胸元のぎゅっと握りしめ、更に潜っていく。

 やがて、全ての泡を突破し終えた先に、淡い小さな泡が残っていた。

 湖畔はその泡をそっと抱きしめる。その泡には、着物を着た女性が、顔も見えない、とても荒々しく掠れた映像の中で、囲炉裏を囲んで何人かの人と談笑している姿が見えた。


「……霧子は、もっとはっきりと覚えて、追い続けてるのになぁ……」


 あの霧子の姿が、死ぬよりも幸せな姿なのかどうなのか。湖畔はまだはっきりと判別できない。

 だが、その分からない状態になる事も出来ず。かつての記憶を凌辱されたあげく、怪物として過ごし続ける人も、居る事は明らかだった。


「……ごめんね。今度こそ、安らかに眠らせてあげるから……おやすみ」


 そう言って、湖畔は泡の中に手を刺し、中から微かに光る虹色の液体を取り出した。




 そこで湖畔の意識は今に戻った。湖畔の手には、いつの間にかサザエオニから滲みだすように、虹色の液体。人だった頃の記憶が握られていた。


「っ!……てやっ!!」


 湖畔は、力いっぱいにそれを海中に振りまいた。飛び散った虹色の液体は、海水に混ざるようにして掻き消え、無くなってしまった。

 そして、湖畔の胸元で今しがた攻撃してきていたサザエオニは、ガクッと全身を一瞬震わすと、そのまま、力を失ったかのように海中に漂い浮かんでいく。

 湖畔はその姿を眺める。そして、サザエオニはその全身を薄く消していき、最後に、一瞬だけ人型のシルエットにぼやけたかと思うと、そのまま、光の球を中心から空に向かって飛ばし、消えてしまった。


「……私は、やっぱり泡神様じゃないといけない。……全部が、霧子みたいな姿になれるわけじゃない……」

「…お姉ちゃん?」


 俯く湖畔を、和泉ちゃんが背中で心配そうに見つめた。


「……!」


 ふと、複数の気配を感じ湖畔は顔を上げた。

 目の前一杯に、追いかけてきていたサザエオニ十数体が、跳び込んて来ていた。


「いつの間にっ! うあっ!」

「きゃあぁあ!!」


 たじろぎ、腕で顔を覆う湖畔だが。サザエオニ達は、そんな湖畔を素通りし、後方へと通りすぎていった。


「なっ。なんで襲わないんだ…って!」


 サザエオニ達が過ぎていった後を振り返ると、湖畔はぎょっとした。

 後方の、少し暗くなりかけるぐらいの距離のところで、霧子がサザエオニ十数体に囲まれていた。次から次に円状に跳んでくるサザエオニを躱し続けているが、柄杓で衝突際に何度殴ろうと、弾かれては動き始める。倒すことも出来ず苦戦を強いられているようだった。


「霧子!!」


 湖畔は急ぎ、霧子の元へと泳ぎ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コハンの記憶とその重量 斉木 明天 @konatucity

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ