後編
いずみは絶句した。
手枷足枷に自由を奪われ、うなだれて膝をつくのはいずみ自身の姿だったのだ。
「な、なに。どういうこと?」
「わたしのせいで、ふたりは別れるの」
いずみの隣で少女が言った。いずみはすぐに自分の横を確認するが、そこに少女の姿はなく、四方八方に広がる鏡の中にしか少女は存在しないのだった。
「わたしの……?」
「そう、わたしがダメな子だから、パパとママは仲が悪くなって、どんどん悪くなって……みんな、わたしのせいでこんなことに!」
「ほんと、嫌いだったわ」
いずみはわが耳を疑った。それが母親の言葉だったからだ。
声の方へ視線を向ける。
母親の顔が歪んでいた。自分の産んだ娘に対する表情ではない。
続けて父親が言った。
「お前が生まれてからママはパパにぜんぜん関心をなくしてね。ほんとつまらなくってさ」
「あら、それを言うならあなたも同じでしょう。子供の面倒はわたしに押し付けて仕事、仕事でどんどん帰りが遅くなるし」
「それは、家族のためだ。好きで遅くなっているわけじゃない」
「よく言うわね。外に女でもいるんじゃないの?」
「バカ言うな。俺そんな男じゃない」
「どうだか」
「大体、俺は子供なんて欲しくなかったんだよ。それは最初に言ったよな? それを君は強引に産むって言い張って」
「また、それ! ちゃんと話し合って合意したでしょ。強引だなんて、どこまで無責任なの!」
「俺は子供が嫌いなんだよ!」
「わたしだって、大嫌いだわ!」
「もう、やめて!」
いずみは叫んでいた。
「もうたくさんよ! 知っていたわ、パパとママがわたしを愛していないことは。だから、これ以上争わないで!」
いずみの身体が絶望に震えた。
動けなかった体が軽くなる。いずみは手を伸ばし、足下のナタを手に取った。
「わたしさえいなければ……」
鏡の中で少女が醜く微笑んだ。
「さぁ、選択いたしましょう。やるか、やらないか。あなたの未来はどっちだ!」
アビの声がひときわ高く響いた。
振りあげたナタの重みに、悲しみが宿る。
手枷足枷の自分が恐怖で泣き叫んだ。
自分が自分を殺す。
それで、終わりだ。
『ねえ。騙されちゃダメだよ、キミ』
「えっ?」
その声は── 直接いずみの頭に響いてきた。
◇◇◇
「誰?」
いずみの動きが止まった。
『両親の不仲を自分のせいだと考えるのは、幼い子供にはありがちだけど。それを真に受けちゃいけない』
さらに誰かと問いただそうとするいずみを、声がストップをかける。
『ダメ、ダメ。まだアビに気づかれたくないから、それ以上声を出さない。大丈夫、頭で言葉を浮かべるだけで話せるから』
── 頭でって?
『そう、それでいい。ちゃんとできてるよ。とにかく、両親の不仲の理由が自分にあるってストーリーは幼い自分が勝手に作ったもの。そのストーリーを利用して楽しんでいるのがアビで、奴は人の心を弄んで腹を満たすモノノ怪だ』
モノノ怪!
いずみは声の主を探した。鏡の中で無数に重なる自分の姿も同じ仕草を繰り返した。
『さぁ、早くここから出ないと、キミの夢、全部喰われちゃう』
── 夢を食べる?
『……夢魔がね』
── むま?
『人の夢に入り込んで、悪夢に苦しむ人間の恐怖を喰らう者のこと』
── それって
『アビ。なんども言わせない!』
「躊躇することはありません。ひと思いにやっていいんです!」
アビが叫ぶ。
どうやら、アビたちに『声』は聞こえていないらしい。
アビと一緒にいずみの両親が娘を励ました。
「パパのために、殺ってしまえ!」
「そうよ。ママのためにこそ殺ってちょうだい!」
三人の姿に、いずみの心が揺れる。
『こら、そこで揺れない!』
── でも、ママとパパが……。
『本当なら、すぐにでも助けてあげたいけど、この鏡の世界には結界が張ってあって、あたしだけの力じゃ入れないんだ。とにかく、この世界の核はキミの夢だから協力が必要なんだよ』
── ど、どうすれば?
『夢の中で、目を覚ます』
── え、なにそれ?
『現実を見るってこと! 例えば、この遊園地は何年も前に廃園になっているよね。幼い自分がここに居るのも変だよ。もっと言えば、キミの両親は事故で既に亡くなっていて、生きているなんてあり得ないじゃないか。キミはいつの間にか夢にたぶらかされているんだ』
── あ……。
『よく見て。あそこにいる両親はアビに操られた人形だよ!』
両親の頭の上から何本もの糸が伸びている。その先にはアビが巧みに腕を動かす姿があった。
── ほんとだ。みんな……偽物だ。本物じゃない。
アビの表情が固まった。その瞬間、いずみの両親の姿が消滅し、周囲の鏡に亀裂が走った。
「なにをなさいます、いずみ様!」
── ぜんぶ、嘘の世界だ!
鏡の破片が飛び散った。四方八方で鏡の世界が崩壊を始める。映りこんだ何重もの少女たちは、崩れていく世界に恐怖の表情で逃げ惑った。手枷足枷のいずみも姿を消した。
降り注ぐ鏡の破片の中でいずみは立ち往生する。彼女と対峙するアビの表情が変化していた。それまでの優しいピエロから、醜い皺を刻んだ怒りの顔へと変わったのだ。
「いまだおまえの心にある贖罪を、夢で晴らしてやろうというのに。俺の親切を仇で返すというのか?」
いずみは言葉を失った。アビの青い瞳に血の赤が混じり込み、愉快なタラコ唇の間から白い牙が生え始める。これが『声』の言った『夢魔』の正体なのか。
「ほら、手を握って!」
きらきら光る破片の中から現れた手が、いずみの腕を掴んだ。分厚い茶色の皮の手袋をはめた手だ。それが『声』のものだと分かるのに時間はかからなかった。
「おまえは誰だ!」
鬼の形相でアビが叫ぶ。
声の主が姿を現したのだ。
いずみの横で、その女は立っていた。
「待たせたね。助けに来たよ!」
◇◇◇
女は手袋とブーツを身に着け、頭には革の飛行帽にゴーグルを装着していた。
まるで大昔の飛行機乗りのような格好だったが、ジャケットの胸に張り付いた地味な絵柄のワッペンが目を引いた。動物の獏の絵柄である。
「まさか、おまえは……」
「そうだよアビ。あたしの名は卑弥呼。夢魔の夢喰いを阻止する者」
「夢夜叉か!」
鏡の世界は完全に崩壊、消滅していた。広がる闇は満天の星輝く空へと変わっている。
その空の下、轟音を響かせ猛スピードで走り抜ける車体が飛び込んで来た。
「ジェットコースター?」
いずみが声を漏らした途端、アビの体が宙を舞った。
大きく開けたアビの口から蜘蛛の糸が吐き出され、あっという間にいずみの体が持っていかれる。
いずみは悲鳴を残し、その身をジェットコースターの座席に押さえつけられたのだ。
「ちっ!」
卑弥呼が飛んだ。常人ではない脚力で地を蹴り、走り抜けるジェットコースターに取りついた。
右へ左へと風を切り、真っ逆さまに落ちていく車体。少しでもバランスを崩せば空中に放り出されるという状況で、卑弥呼はいずみのいる座席まで素早く移動した。
「邪魔をするな、夢夜叉!」
気を失ったいずみを庇うように、アビが立ちふさがる。
「この女は、自分が親の不仲の原因だとずっと思ってきた。真実を確認しようにも両親が死んじまってそれもできない。だから俺が決着をつけてやろうというんだよ。両親の不仲の原因を抹殺して、こいつに平安を与えてやる。これは女がずっと願ってきたことなんだぜ!」
「そうやって人の弱みにつけいって精気を吸いつくそうってだけじゃないか!」
「慈善事業じゃないんでね。当然だ」
「そのために彼女を廃人にはさせない!」
ぎぎぎぎぎぎ!
コースターの車輪が音をたてて外れる。猛スピードで脱線した車体が夜空を飛んだ。
「虹色ドリームランドの一番人気。ジャイロ・スクランダー! いくつもの事故があったとの噂は、人によりその語り口が違う。ある者は座席から落ちたといい、ある者は急速な落下に耐えられず心臓麻痺を起こすなど、人の数だけ事故の状況が違っている」アビは邪悪な笑みを浮かべた。「今回の事故は、脱線という状況で絶望感を演出いたします!」
落下する車体。座席で気を失ういずみに、たどり着いた卑弥呼が叫ぶ。
「おい、これはキミの夢だ! 責任を持て!」
その声に反応して、いずみのまぶたが開いた。
卑弥呼は彼女の体を抱き、飛ぶ。
ジェットコースタの車体が次々と地面に激突する。炎上するコースターを背にして、卑弥呼はゆっくりと地に立った。
「わたし……」いずみが泣いている。「やっぱり両親が別れたのは、わたしに責任があるんだわ」
「いい歳して、まだ言うかな」卑弥呼がいずみを立たせながら言った。「いいか。あたしがここへ来たのは、キミの両親との契約を果たすためだ」
「契約……なんの?」
「キミの両親が新婚時代に手にした絵本だよ。この絵本の所有者には、あらゆる凶兆から守られるという契約が結ばれる。それを知って、両親はこれから産まれてくるキミのためにこの絵本の購入を決めた。そんなふたりがキミを嫌うと思うかい?」
絵本……そうだ。眠る時に必ず読み聞かせてくれたあの絵本だ。幼い頃からいつも身近にあった。
「本好きの仲のいい夫婦が別れる理由なんて分からないけど、キミを愛していたことは間違いない」
突然、川面が弾け、質量を伴った巨体が川から飛び出した。
十メートルの巨大魚が大きな口を開けて襲い掛かってくる。それは水面ではなく、陸上もなんのそのと、陸をあがってくるのだ。いずみの感じた優しさなど微塵も感じられない怪物に変わっていた。
卑弥呼が剣を抜く。
「いいか、いずみ! わたしがここに居ることが両親の愛情の印だ」
巨大魚が跳ねた。狙うは夢夜叉、卑弥呼。
いずみの目に、巨大魚がアビの姿とタブって見えた。こいつがアビの正体なのだ。
「わたしは契約を実行する!」
卑弥呼の剣が一閃した。
顔面から半分に切り裂かれていく巨大魚。
いずみの耳に響いた絶叫は、アビと同じ声だった。
「いずみ、いまだ! 目を覚ませ!」
卑弥呼がいずみの背中を押した。
満天の星がひときわ強く輝いた。
◇◇◇
目を覚ましたベッドの上で、いずみは硬い表紙の本を抱きしめていた。陽光の差す窓で、レースのカーテンが揺れる。
ベッドの側で浅い寝息をたてるのは、多恵子おばさんだ。おばさんは母親のお姉さんで、事故で両親を亡くした幼いいずみを引き取り、わが子同然に育ててくれた。
そうだ。
いずみは思い出した。
自分は出勤の途中、飛び出して来た乗用車に轢かれたのだ。ここは搬送先の病院。頭と右手、両足に包帯。かなりの重傷だったことは確かだ。
静かに眠る多恵子おばさんの横顔を見つめる。さすがに姉妹だけあって、その横顔はいずみの母親に似ていた。おばさんの目尻に涙の跡を見つけて、相当に心配させたのだと知る。
嫌な夢の原因は、自分が巻き込まれた事故によって両親のことを思い出したせいなのだろう。生死の境で見た悪夢。
いずみは、胸に抱いた本をのぞいた。
表紙には闇と闇の間に立つ主人公の姿が。
厚手の手袋とブーツ。革の飛行帽にゴーグル。ジャケットの胸に獏のマーク。
「卑弥呼」
無傷の左手でページをめくると、夢世界で夢魔と戦う卑弥呼の活躍が描かれていた。そこには、夢世界を旅する夢夜叉という一族がいて、日々、夢魔の魔の手から人々を守っているという。
読み終わったいずみは、再び絵本を胸に抱いた。
守られている。いっぱいの愛情で。両親を失った事故や、今回巻き込まれた事故でも。そして、夢魔の魔手からも。
拷問部屋から救われたのは、わたしの方だったのだ。
おばさんが目を開けた。
「いずみちゃん、目が覚めたのね!」
両親が残した絵本は、いずみの成長と共にいつも側にあった。こんな日のために、夢夜叉、卑弥呼の絵本を購入してくれたのだ。
「わたし、愛されてるんだね」
「馬鹿だねあんた。当たり前なこと言うんじゃないよ!」
おばさんはおいおいと泣いた。
いずみもつられて泣いた。
病室に優しい光が溢れていた。
おわり
夢夜叉・少女夢地獄 関谷光太郎 @Yorozuya01
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