あなたのぬくもりを感じたまま目を閉じた。
聖願心理
ぬくもりってなんだろうね。
地球があと一日で滅ぶと聞いて、何が欲しいかと考えた。
真っ先に思いついて、どうしようもなく揺らがなかったその答えは。
――――あなたのぬくもりだった。
だから、私は走り続ける。
●
私が近所の公園で、悠々と読書をしているコウキを見つけたのは、地球消滅5分前だった。
巨大な隕石が地球に直撃し、跡形もなく消え去ると告げられたのが約1日前。
その言葉だけで、世界は変わってしまった。
皆が仕事を放棄した。皆が己の欲望に忠実になった。
どうせ世界は滅ぶんだから、と皆が自暴自棄になった。
酷い、有様だった。
その姿は理性を失った、獣のようだった。
「コウキ、やっと、見つけた」
「ユマのくせに、俺のこと見つけるの遅かったな」
コウキはいつもと変わらない顔で、からかうように笑う。
「だって……。だって……!」
コウキを見て、今まで我慢してきたものがあふれ出す。
それは、涙であり、震えであり、不安であり、恐怖だった。
体に思うように力が入らず、ぺたりとしゃがみ込んでしまう。
服が汚れちゃうなぁと思いながらも、立ち上がる力もないので、声を上げてわんわんと幼い子供みたいに泣く。
どうせ、地球はもうすぐなくなるんだ。服が汚れたって、子供みたいに泣いたって、たいした問題ではない。
半ば自棄になっている私を、ふわりと優しい香りが包み込む。
これは、私がずっと探していたものであり、一番欲したものだった。
「コウキぃ……。しゃがみ込んだら、汚れちゃうよぅ……」
「気にしねえよ。てか、お前が先にしゃがみ込んだんだろ」
泣く私をコウキは抱きしめてくれていた。
人のぬくもりを感じ安心してしまったので、さらに涙腺が刺激された。
「なんで、落ち着くんじゃなくて、さらに泣くんだよ」
「だってぇ……。コウキのばかぁ」
上手く理由を説明できず、ぽろりと本音がこぼれてしまう。
抱きしめるのは逆効果なんだよ、馬鹿。
1日中探し回ってたのにいた場所が近所の公園ってなんなんだよ、馬鹿。
「馬鹿って……。わんわん泣いてるお前の方が馬鹿だろ」
背中をなでながら、コウキが言い返してくる。
確かにその通りなので、何も言うことができない。でも、それだと悔しいので、耳元で泣きながらも、「わー」と大声で叫んでやった。
「うるせえよ」
「へへへ。してやったり」
「もう元気出たか? そろそろ抱きしめるの終わっていいか?」
「それはダメ」
「なんでだよ」
そう言いながらも、コウキは体を離すことはなかった。
それが嬉しくて、コウキの服をさらに強く握りしめた。
●
私とコウキは幼馴染だ。小さい頃から、兄弟のように過ごしていた。
だけど、コウキは中学になると同時に、父の単身赴任についていくため、海外に行ってしまった。
いつも一緒にいたコウキが居なくなってしまった喪失感は、想像以上のものだった。
その時初めて、コウキのことが好きだと気がついた。
一緒にいたから気づかなかった感情。幼馴染以上の感情。初めて知った感情。
――――コウキは私の初恋の相手だ。
いつまでも地面に座り込んでいるのも味気ないので、私が泣き止むとふたりでベンチに移動した。
すぐに会話は始まらなかった。
コウキはじっと空を見つめていた。だから、私も空を見上げた。
今日の天気は、雨が降りそうで降らなそうな重い曇り。一番気分を沈ませる最悪な雲。
「……世界って本当に滅ぶのかな」
灰色の雲に不穏さを感じるが、それは日常生活の範疇であり、地球が消滅するだなんて、非日常でフィクションじみたことを予感することはできなかった。
「偉い人が言ってるんだから、本当なんじゃねえの。実感がないのもわかるけどな」
こういう時って、「季節外れの雪が降るんじゃないのか」って冗談を付け足して、コウキは笑った。
確かに、映画なんかで世界が滅んでいたり、滅ぶ寸前のものだったり、そういう世界観のものは、大抵雪が降っている気がした。あとは、緑に覆われていたり、建物が劣化していたり、そんなイメージもある。
だけど、そんなものは一切なくて、今日の天気は日常で何度も経験している、どんよりとした曇りだ。
地球が滅ぶなら、もっと世界も壮大に雰囲気を作り出してくれていいのに。申し訳程度の曇りなんて、何の効果もなく、むしろ隕石が落ちてくるだなんて、冗談にしか聞こえない。
こんな地球上で、荒れているのは人間だけだった。それがなんとも言えない皮肉な気がして、笑えてしまう。
「心理テストなんかでさ、『もしも地球が消滅するなら、最後に何がしたい?』って問いがあるじゃん? 作った人も、本当に地球が消滅するだなんて、そんなこと思ってなかっただろうね」
「だろうな。俺だって信じられてないし、ユマだって信じられてない。結局、滅ぶ直前まで、実感わかないんだろ」
「まあ、地球消滅5分前だけどね」
「残り3分くらいじゃないのか? ユマ、結構泣いてただろ」
時間なんて簡単に調べられるが、それをしてしまうと、焦ってしまうし、不安になってしまう。いいことがないので、スカートのポケットにしまってあるスマホを取り出すのはやめた。
コウキも同じように、調べる仕草はしていなかった。
「……コウキはどうして、公園にいたのさ? 私、隕石が落ちてくるってニュース見てから、いろんな場所を走り回ってたのに」
いつも一緒に登校してるから、駅にいるかな、学校にいるかな、と思って、探した。幸い、学校は一駅分と割と近い方だったので、電車が動いてなくても、歩いて行ける範囲だった。
学校は校門の鍵は閉まっていたが、フェンスが破れているところを見つけて、そこから忍びこんだ。中をくまなく探したが、人ひとりいなかった。こんな日に学校に来る人なんていないだろうし、そもそも電車もバスも動いてないので来れる人も限られている。
他にも、コウキが好きだった場所に行ってみたり、ふたりの思い出が残っている場所にも行ったりしたが、コウキの姿は見当たらなかった。
すれ違いになっちゃってるのかななんて不安になったし、このまま会えないんじゃないかと怖くなった。
電話も通じないし、メッセージも既読がつかなかった。
がむしゃらに走ることしか、私は自分の感情を誤魔化す方法がわからなかった。
だから、コウキを探して走り回った。
「いつも、待ち合わせはここだろ。学校行くときも、出かけるときも、その他だって。小さい頃、よく遊んだ、この公園だったじゃないか」
「……え」
本当に本当に驚いて、間抜けな声を出してしまった。
「何をそんなに驚いてるんだよ」
「だって……、今日、地球最後の1日、私といてくれる、つもりだったの?」
驚いた。コウキがそんなことを考えてくれていたんて。
コウキはひとりが好きだから、きっとどこか静かなところで、ひとりで過ごすんだと思ってた。
私は私のわがままを叶えるために、コウキを探していたのに。
コウキも、同じことを考えてくれていたなんて。
「当たり前だろ。どうせ、ユマは俺といたいって言うだろうし」
「だから、ここで待っていてくれたの?」
「それに、俺だってユマと過ごしたかったんだよ」
頰をかすかに赤くして、コウキが言う。
「ここにいたら、そのうちユマが来るかなと思ったのに。来たのは最後の5分前だし。こんなことになるなら、家まで迎えに行けばよかった」
それが嬉しくて、止まったはずの涙がまた流れ出してきた。
「まだ出るのかよ、涙」
「まだ出るよ、涙」
涙を拭ってくれるコウキを見ながら、へへへと私は笑った。
●
コウキが3年で日本に戻ってくる、ということは知っていた。
けれど、3年という時間は、短いようで長いし、長いようで短い。
コウキに会えない時間としては長かったし、告白するぞという決意を固めるには短すぎた。
「……ねえ、コウキ。告白したときのこと覚えてる?」
「忘れるわけないだろ。『おかえり』も『久しぶり』も『元気にしてた?』もすっとばして、『好き』って抱きついて来たんだからさ」
コウキが帰ってきた、という連絡を受けて、私たちは今いる公園で会うことになった。
帰ってきたら告白するぞ、とは決めていたものの、すぐに言うつもりはなかった。
だけど、背が伸びたコウキを見て、でも変わらない笑顔を浮べるコウキを見て、私の気持ちは溢れてしまったのだ。
気がついたら、告白し、抱きついていた。
「俺が先に言うつもりだったのに」
「ずっと一緒にいたのに、恋愛感情に気づかない私たちって、可笑しいよね」
「可笑しくはないだろ。ずっと一緒にいたからこそ、気づかなかったんだろ。当たり前のように、ずっとずっと一緒にいるって、信じてたんだろ」
「……そうかもしれないね」
人は失ってから気がつく、とよく言うけれど、私たちもそのパターンだったようだ。
離ればなれになって、会えない時間が増えて、当たり前の日常が崩れて。だからこそ、お互いの大切さに気づくことができた。
そう思うと、離れていた3年間も悪くなかったのかもしれない。
「俺たちさ」
コウキが静かな声で呟いた。
その言葉に、同じくらいの声量で、「うん」と返す。
「互いのこと、わかっているようで、わかってなかったんだな。最後にこうして、すれ違った」
「そうだね。でも、仕方なくない? いきなりきた地球最後の日、お互いがどう過ごすかなんて、わかないよ」
「それでも、悔しいな」
「それは言えてる」
どうでもよさそうにコウキは言うが、私は知っている。コウキは本気で悔しがっていることを。
「でも。でも。でも、やっぱり、私たちは、互いのことをよく知ってると思うよ」
「そうだな」
一緒に過ごした時間も、過ごさなかった時間も、互いを知るための、自分を知るためのかけがえのない時間だった。無駄な時間なんてなかったんだなと、改めて思うことができる。
そんなことを考えていると、ごごごご、と異様な音がした。多分、隕石が落ちてくる音だろう。
心なしか、気温も上がった気がする。
「……もうすぐ終わりか」
「結構話してたもんね」
「本当に落ちてきたな、隕石」
「びっくりだね」
危機が迫っているというのに、私たちは私たちのままだった。
何ひとつ、変わることのない、私たちの関係性。
「ねえ、コウキ。最後のお願い」
「なんだ?」
「手、繋ごう。コウキのぬくもりを感じていたら、私は怖くないよ」
「そうだな。俺もだ」
そして、私たちはもったいぶるように、指と指を絡め、手を繋ぐ。
コウキの体温が直に伝わってきて、ああ、私は、コウキは、生きてるんだなって思える。
私はコウキの肩に寄りかかる。
「おやすみ」
「おやすみ」
そんな言葉を交わして、私たちは、目を閉じた。
あなたのぬくもりを感じたまま目を閉じた。 聖願心理 @sinri4949
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