雪に華咲く

リペア(純文学)

雪に華咲く

まさか目の前で妻が死ぬなんて、誰が想像したことか。貴女をどれだけ愛したと思う、貴女にどれだけ愛されたと思う。


歌手としてひたむきに声を振るう最中、かつ肉され、かつ貶され、かつ蔑まれ。虚構な文書らにどれだけ病んだろうと今更察するしか僕には無い。

旅館の外に出ていき、しばらく経ってさぞ寒い事だろうと僕のコートを持っていった最中に銃声は響いた。君は木にもたれ、己に向いた拳銃に手をかけながら気が抜けて胸から血を流している。


僕が占有したはずの君の表情は、「無表情」で形を残していた。悲しいのか、嬉しいのか。どちらとも酌むことができない。そんな君を僕は目をめいして抱擁するのみ。だって、君はもう動かない。


雪は降り続く。ホロホロと降る猛吹雪が顔をはたく。僕についた雪はやがて皮膚を刺し、君ほどじゃないけど血が出ていそう。気温も雰囲気も、君も寒いまま。どんな意味であれ、僕は震えている。そうして一秒が一日のように過ぎた。それは、君との日々を思い出すという意味だ。



僕は小説家だった。しがない、ただのペン持ちだった。紙に自分の思うがままを書いていた。

人の世の中は寒かった。いくら物語を書いても、いくら目立っても、僕の原稿はあしらわれた。

こんなことを覚えている。編集社に連日押しかけ、やっとの事で一つ見てやるよと言われて、応接室で僕の紙束を見せたことがある。確かに一通り見てくれた。終わりは一瞬だった。


「それ、面白くない」


編集社は高層ビルだったから、応接間の階から地上までは長いエレベーターを要した。それで、下るエレベーターの中の出来事である。僕は折れひとつ無い綺麗な自分の原稿を手に持っていた。君はそのエレベーターの中に居た。


「あなた、それ見せてくれない?」


その時は君に目をやらなかったが


「ええ、牙城に砕かれた紙くずで良ければ」


そう言って君に手渡したんだ。まぁまぁじっくりと読まれるうちにエレベーターは地に至った。

紙くずは多少の折れを伴って君の手から返ってきた。そしてエレベーターの扉が空く、その丁度にこう言われたこと。


「月に照らされた時計塔が九つを差す頃に公園で待ってます」



言われた通りその夜、編集社に近い公園のベンチに座って待った。後ろから君は来た。


「少し遅れてしまって、ごめんなさい」


「いえ、僕の時計では時間丁度ですよ」


その時初めて君の顔を見たんだ。そしたらいつもテレビに出てる顔が目の前で息切れしてるものだから、手に乾いた汗が滲んだよ。


君は僕の隣に座った。


「私、さっきあなたのファンになりました」


君は僕の生まれて初めてのファン、だった。動揺しないはずは無い。


「どうして僕なんかを好みに?」


戦く息で震える喉から出た言葉に、君はこう答えた。


「さっきの作品、どうする御つもりですか」


「間違いなく土に還ることでしょう。ですが、どうしてそう御思いに?」


「…そうですか、私はこの作品好きですよ」


僕と次元を違えていた君から言われて、本当に嬉しかった。でも当時の僕は君すら信用出来なかったほど、人間不信と神経衰弱におそわれていて。


「僕の作品をよくも好きとおっしゃれますね」


「私の心に応えたんです。主人公と私の過去を重ね合わせてしまいました。あなたが書いたそのミホという人物はまさに過去の私でした。確か…猛吹雪の雪原を歩くミホは、生死をさまよい視界を眩ませながらも、遠い村に待つ御方おんかたへの思いを強く持ち、村にたどり着きます。そこに私を重ねてしまったのです」


君は尻を座から離し、私の前に立った。


「どうか、私の篝火となって頂けませんか」


一応物を書いている身であったので、意図は察した。でも世には禁忌というものがある。


「残念ですがその篝火は、そろそろ消えてなくなってしまいます」


君は私の手を取った。そして初めて君と目を合わせた。


「たとえあなたの火が消えても、私にとってあなたは私を温めてくれる、唯一の灯です。」



その日から一年も経つと僕と君は愛し合うことができた。最も婚姻届なるもので関係を結んでも、君はたいていテレビの中に居たけどね。



つい昨日までテレビに居た姿は、目の前で血赤に染まっている。

君と人生をかけてみて、わかったことがある。世はやはり寒いということだ。

中傷を受け、僕との結婚疑惑を週刊誌で囃され、僕達の家も盗撮されてしまった。それでも君は彼らを許した。僕に謝った。本当は君を守ってやらないといけないのに、君はなんてことはないと言って僕に頼らなかった。


君の芯は既に凍ってしまっていたのだろう。寒さに耐え、ここまで来た。それで氷で固まった精神をこうして解き放った。


雪の天候が強くなり、吹雪いてきた。君と僕を凍らせようとする。

でも君の血は温かかった。熱いくらい、温かかった。君の体は動かなくなっても、まだ生きているということと思った。


それにしても寒い。ああ、寒い。本当に寒い。


僕の芯も凍えてきた。それで、君が手に持つ拳銃を僕は手にした。


自分を極寒から解放するために、胸に銃口をあてた。




カッ…




彼に残された唯一の術であるその一発は、拳銃に入ってはいなかった。

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