035 トラウィスカルパンテクウトリ

 珍右衛門さんの立てた作戦はこうだ。


1、先ずは珍右衛門さんが突っ込む。

2、次に僕が突っ込む。

3、どちらかがトラ子を押さえ込む。

4、矢を頭にブッ刺す。


 以上、おわり。


 うーん、この。

 これを作戦と呼ぶなら、まずは作戦という言葉の概念から覆す必要があるな。インパール作戦の方が100万倍マシだぞ。


 しかし残念なことに、ここには作戦立案能力を有する人間がいないのだ。知っての通り、珍右衛門さんは脳ミソ筋肉マンだからね。


 僕? 僕にそんな能力を期待してはいけない。なぜなら陰キャは常に他人の尻馬に乗ることしか考えられないからである(偏見)。

 

 そうやって僕が他人の尻について悩んでいると、不意にビュンビュンと唸る風切り音が耳についた。

 嫌な予感がビビッと来て、咄嗟に秘本ちゃんを盾にして身を隠す。

 すると手にした秘本ちゃんにガツンとした重い手応え。遅れて、パラパラと落ちる石の破片。

 なんじゃコリャ!? 危なっ!


 恐る恐る秘本ちゃんから顔を出すと、なぜかトラ子が駅のホームで傘を素振りするオッサンみたいに枯れ枝でゴルフスイングをしていた。


 そしてまたビュンっとスイングする。すると枯れ枝がトラ子の足元にあった小石にジャストミートし、それが一直線に僕めがけて飛んできた。ふぁー!?

 慌てて顔を引っ込めると同時に、再び秘本ちゃんにガツンとした手応え。


「危ないなアホ! 周りに気をつけて練習せんかい!」

「はぁ? 何を言っているんですか。貴方達の話し合いが長すぎるんですよ」

「あー、いやまぁ仰るとおり。だからもう300時間くらい待ってもらえないかな?」


 それかもう僕のこと放っておいてくれないかな。もしくは素直に死んでくれないかな。

 トラ子は駄々をこねる幼児にウンザリするように眉を顰めた。


「まったく。逃げ出している時ならいざ知らず、神格という立場上、私が畜生相手にムキになって殺しにかかるのは体面が悪いんです。ほら、畜生が何をやっても無駄なんですから、いい加減覚悟を決めてかかってきなさい」


 なんという言い草。ちょっとちょっと、畜生言われてますよ珍右衛門さん。

 しかし当の畜生である珍右衛門さんはトラ子の発言をハハンと鼻で笑いとばした。そしてズビッと槍を突き出す。


「言うておれ悪神めが。古今、怪異が滅せられることが無かった訳ではあるまい。我らを侮って大恥をかくは貴様ぞ」

「何を言うかと思えば。たかがちょっと棒振りが得意なだけの豚風情のくせに、生意気な」

「ぬかしおる。その豚すら満足に仕留められぬ貴様は、豚以下ではないか。なんならいつぞやの大仰に光る槍を使ってもいいのだぞ。無駄であろうがな」

「ゴミ虫を駆除するならこの棒切れで十分です。神器は使うと疲れちゃうし、豚にはもったいないですね」

「それは重畳。ならば後々存分に後悔せい」


 珍しく悪態をつく珍右衛門さん。トラ子を挑発して冷静さを奪おうとする算段かな。

 そんな珍右衛門さんがチラリと僕に目配せした。

 なるほど、僕も同じように何か言えってことか。とはいえ挑発ねぇ……。


 ならば仕方あるまい。君にはこの言葉を捧げよう。


「あー、……トラ子のケツの穴のすぐ横にあるデカいホクロって、拭き残しのクソみたいでみっともないよね。彼氏にウンコ付いてるよって言われたことない?」


 ビクンッと一瞬だけ身じろぎしたトラ子。

 表情がストンと抜け落ちる。

 そのまま血の気が引いて顔色が真っ青になりながら、耳だけは真っ赤にするという器用なことをしてくれた。


 トラ子のまぶたがスッと下がり、半眼になった目で僕を見つめて呟いた。


「殺す」


 あー、……ホントに言われたことあったんだろうナー。



※※※



 トラ子が一直線に駆け込んできた。ヒラヒラと舞うようにではなく、飛び跳ねるようにでもなく、最短距離を一直線に。


 あまりの速さに僕が身構えた時には、既にトラ子は僕の目の前で大上段に構え、今まさに枯れ枝を振り下ろさんとする寸前であった。


 霞むような超スピードで振り下ろされる枯れ枝。僕の脳天に触れる直前で、珍右衛門さんの槍が交差して枯れ枝を弾き返した。目の前で火花が弾けた。


 素早く体勢を立て直したトラ子は珍右衛門さんへ左右からの連撃で牽制し、流れるように僕に向かって突きを放つ。

 トラ子の連撃を槍の柄で巧みに捌いた珍右衛門さんが、僕への突きに再び槍を差し挟んだ。太刀筋を逸らされた枯れ枝が僕の耳を掠めた。


 そのまま珍右衛門さんは、トラ子の枯れ枝を凄まじい膂力で跳ね除けた。トラ子の両腕がバンザイ状態になり、がら空きになったトラ子の胴を石突きで薙ぐ。

 トラ子は迫りくる槍の柄をまるで鉄棒競技のようにクルンと回って受け流した。驚くべき体幹とバランス感覚だ。そして一回転した着地ざまに、回転の勢いを利用して枯れ枝を振るう。

 カウンター気味に珍右衛門さんの側頭部に直撃した。異様な破裂音が響き、珍右衛門さんの巨体がぐらりと傾く。


 返す刀で、僕を狙って枯れ枝が迫る。槍を地面に突いて崩れた体勢を支えた珍右衛門さんが、とっさに足を蹴り上げてトラ子の腕に絡ませた。

 三度みたび、枯れ枝がギリギリを掠め、僕の頬に傷を残した。


 バランスを崩したトラ子はバック転をしながら飛びすさり、珍右衛門さんも槍を起点にクルンと立ち上がった。


 息つくヒマもなく、再度トラ子が僕に襲いかかる。珍右衛門さんも僕の前に出て、トラ子を迎え撃った。


 そのまま二十合三十合と斬り合いを重ねる。


 珍右衛門さんの攻撃は一撃一撃がどこまでも重く、速く、正確であった。その一振りは暴風を生み、電光のような鋭い刺突は穂先の遥か先まで貫くかのようだ。


 その珍右衛門さんの激しい攻撃を、トラ子はいとも容易く躱し、いなし、遮り、さらには反撃を加えていく。

 当たるかに見えた槍は、トラ子の不可思議な歩法によって体をすり抜けた。

 そして予知したような枯れ枝の斬撃が、珍右衛門さんの機先をことごとく制する。


 人が成し得る極限の技量を駆使する珍右衛門さんと、奇跡としか思えない神技を操るトラ子。


 一進一退の斬り合いは長く続いた。

 そして、徐々に均衡が崩れ始めた。


 攻防を重ねるうちに、段々と珍右衛門さんの防御が間に合わなくなってきたのだ。


 防御が間に合わなくなった分、珍右衛門さんは致命的な攻撃のみを対処し、その他は当たるに任せることでなんとか均衡を保っている。

 そんな中でもかろうじて僕に向かう攻撃は妨害してくれている。


 しかしそれすらもいつまで保てるか。僕も既に、完全に防ぎきれなかった攻撃で全身が傷だらけだ。


 今また、槍の刺突をかい潜った3連撃が珍右衛門さんを強打した。


「ぐうぅ!」


 それを歯を食いしばって耐えている。

 珍右衛門さんは言っていた。だと。つまり痛みはあるのだ。


 珍右衛門さんの呪いのシステムは詳しくは分からない。だがもしヤセ我慢しているのであれば、そう長く耐えられるとは思えない。



 そして僕はハッキリと分かった。

 やっぱりもう僕にはこの戦いについていけないよ、珍右衛門さん。


 そもそも二人の応酬を目で追えて、動きを認識できているだけでも分不相応なのだ。おそらくムキムキ悪魔ボディのハイスペックに、またも助けられている。

 だが残念なことにせっかくのハイスペックに僕自身の能力が伴っていない。


 中身がロースペックの僕が、この二人の戦いに割って入ることなんて無理だよ珍右衛門さん。踏み入った瞬間に、何も出来ずにトラ子に首を刈られてしまう。


 だから今は我慢だ。

 チャンスを待つんだ。

 根拠は無いが、そう自分に強く言い聞かせる。


 だってそうしないと恐怖でパニックに陥りそうなんだ。

 戦いに割って入るどころじゃない。平静を保つだけで精一杯だ。


 実は僕はすでに恐怖でオシッコ漏らしている。

 しょうがないじゃないか。掠めただけで肉が抉れる斬り合いの真っ只中にいるのだから。銃弾飛び交う戦場に突っ立っている気分だ。新兵は初めての戦場で小便漏らすってよく聞くじゃあないか。ウンコ漏らしてないだけ徳川家康よりマシ。


 だが体に傷が増えるたびに、激しい恐怖と焦燥感も増していく。

 

 とにかく今は我慢だ。

 チャンスを待つんだ。

 根拠は無いが、繰り返し自分に強く言い聞かせる。


 でも、もし……。

 いま目の前を掠めた枯れ枝が頭に直撃していたらどうなっていたことか……。

 この振り下ろされた枯れ枝を槍が止めなければどうなっていただろうか……。

 

 ああ、ダメだ。怖い。

 このまま珍右衛門さん共々トラ子に殺されてしまう。逃げ出したい!


 ああ、ダメだ。落ち着いて、深呼吸だ。

 パニックを起こすな。大丈夫、チャンスはある。矢を頭にブッ刺すだけだ。やればできる!


 でも、今この一振りで、次の一撃で、死ぬのかも。ああ、無理だ。殺される。死んでしまうのか。また死んでしまうのか!?


 ああ、怖い、大丈夫、怖い、大丈夫。

 怖い、大丈夫、怖い、怖い、大丈夫、怖い、大丈夫。

 怖い、大丈夫、怖い、怖い、怖い、大丈夫、怖い、大丈夫、怖い、怖い大丈夫、怖い、怖い、大丈夫怖い、怖い、怖い、怖い、怖いぃ!


 ああ、ダメだ、もう我慢できない、パニックを抑えきれない!


「ぁぁ……ぁぅぁあおぅうおぁあおああ―――


 ああぁぅああオあうぅあおぁアアぅああぅぁウうおおあアアぅうウおああぁおウゥアアおぉぉぅうううアアあおあおオゥオアォァあおぅあ


 突如、ガヅンッという激しい衝撃――


「おぁあおあ――痛ぁいっ!! なんじゃあ!? やられたんかっ!?」


 チカチカと視界に火花か散る。その向こうで微かにトラ子の姿が見えた。数メートル先だ。ちょっと遠い?

 では何故? 何が起こった?


 考える間もなく、再びガヅンッという激しい衝撃!

 が僕の頭を打ち据える!


「なっ! 何をするだァーッ!」


 だがその衝撃が、僕をパニックから正気に呼び戻した。

 僕の叫びに珍右衛門さんが一瞬振り向いた。

 珍右衛門さんに言葉を発する余裕はない。だがその目尻が安心したように下がった気がした。


 なんてこった。自分はボコボコにされながらも陰キャの心配までしてくれるとは。

 それに比べて僕はどうだ。

 傷つく珍右衛門さんの陰に隠れて、メソメソとただ待つだけとは。

 

 なんという情けなさ。あの時の、トラ子を必ず殺すという決意はどこに行ったんだ!


 自身の不甲斐なさを打ち消すように、僕は高々と足を上げ、地面を強く踏みつけた。そのまま大地を踏みしめ、深く腰を落とす。

 そしてなぜか我知らずゆっくりと両手を広げた。


 不知火型。

 横綱にのみ許された型。

 この正念場に、冗談のように相撲ときた。


 本当に僕の相撲が通用するかは、まったくもって自信は無い。

 だが珍右衛門さんは僕の相撲は通用すると言ってくれた。

 ならば、僕は僕自身をまったく信用できないが、僕を信じた珍右衛門さんを信じる!


「ぐわあぁーーーっ!」


 その時、珍右衛門さんの絶叫が響いた。

 遂にその巨体がぐらりとかしぎ、目を押さえ、槍すら取り落としている。


 トラ子が枯れ枝を引いて溜めを作り、トドメの突きを放つ。

 閃光の様な突きが、絶叫を上げる珍右衛門さんの口内へ突き刺さった!


 ガチィンッ! と珍右衛門さんの口内から金属が激しくぶつかる大音が轟いた。

 衝撃で珍右衛門さんの目を押さえていた手が除けられた。

 その目は「してやったり」とばかりに笑っていた。


 枯れ枝は、口蓋を貫くことなく止まっていた。


「キィイエイイィェエエェ!」


 脊髄反射のように、僕の口から勝手に猿声が迸った。ここだ! ここしかない! 僕は一心不乱にトラ子に飛び掛かる!


 トラ子が枯れ枝を引き抜こうとするも、枯れ枝を珍右衛門さんにガッチリと噛み付かれ、それは阻まれた。

 その僅かな隙に、僕はトラ子に手を伸ばす。

 

 トラ子は苦し紛れにスウェーバックしてその手を逃れた――

 ――かに見えたが、違う!?

 上体を逃がしながら重心は軸足に残し、腰を回して体重を乗せたムエタイ式左ハイキック・テッカンコーサイを放っている!


 完璧なタイミングのカウンター。僕の顔面めがけて殺人キックが襲い掛かる。


 しかし珍右衛門さんが枯れ枝を噛んだまま体を反らせ、それに引っ張られたトラ子の軸がブレた。

 軌道がズレたおかげで蹴りは僕の右肩に当たった。上半身が砕けるかと思うほどの威力が左肩まで突き抜けた。

 だがそれまでだ。ムキムキ悪魔ボディの筋肉鎧を砕くには至っていない。


 千載一遇! 僕はすかさず、トラ子の伸びきった左足首をキャッチしガッチリと脇腹にホールドした!

 そしてその体勢から素早く内側にきりもみ状態で倒れこむ!

 喰らえ! これぞ藤波辰爾直伝、飛龍竜巻投げ。またの名を――


「ドラゴン・スクリューぅうあああっ!」


 相撲? 知らんな!!


 完璧な円運動で世界が一回転した。

 脇腹にクラッチしたトラ子の足からブツリと、膝靭帯が切れた感触。

 聞いた事の無いトラ子の悲鳴が上がる。


「くああああああ!」

「珍右衛門さん、いまだ!」


 トラ子共々地面に倒れこんだ。

 すかさず、珍右衛門さんが枯れ枝を吐き捨て、矢筒から矢を取り出して襲い掛かった。

 僕は暴れるトラ子の足だか腕だか分からないが、とにかく端から引っ掴んで力づくで押さえつけた。いまこそ言える。力こそパワー!


「あああああ、畜生共めッ!」


 トラ子は叫び声とともに、唯一自由だった右腕を振りかぶった。

 なにも持っていない右手が握りこまれる。するとそこからまばゆい光が迸り、激しく燃えさかる槍の穂先が現れた!

 まずい、アレは樹人を真っ二つにしたやばいヤツ!


 瞬く間に珍右衛門さんめがけて光の刃が投擲された。


 光の刃が光の速さで珍右衛門さんの胸に真っすぐ吸い込まれていく。その一瞬がまるでスローモーションのように感じられた。 


 その時なにをどうやったか、僕自身もサッパリわからない。


 なにかに導かれるように。

 気が付いたらいつの間にか、珍右衛門さんの前に秘本ちゃんを差し出し、光の刃を受け止めていた。


 光の刃は手応えも何もなく、ただ、ジュウッという焦げた音を残して止まった。

 秘本ちゃんを貫通して、輝く刃先の半分ほどが裏から突き出た状態で。


「ド・レェ卿! トドメを!」


 混乱する僕に珍右衛門さんが呼びかけた。珍右衛門さんは知らぬ間に10メートルほど吹き飛んで倒れていた。

 我に返った僕がトラ子を見やると、トラ子はまた右手を振りかぶっていた。


 それに釣られるように、慌てて僕も秘本ちゃんを振り上げた。


 トラ子が再び右手を握り締める。

 その握り込まれた拳に、しかし今度は何も起こらない。


「な、なんで?」


 ただ呆然と僕を見つめたトラ子の、小さな呟きが漏れた。


「そんなことは知るもんかよ」


 僕は満身の力を込めて、輝く穂先ごと、秘本ちゃんをトラ子の頭に叩きつけた。







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秘本ちゃんクエスト! もんもさん @monmosan

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