Epilogue
「あっち〜」
今年の夏は非常に厳しい。
今朝、ニュース番組の女性予報士いわく、太平洋高気圧とチベット高気圧が重なり、ダブル高気圧となっている影響とか。
どちらにしてもこの猛暑は、もはや災害と言っても過言ではないと思う。とまぁ、毎年益体のないことを思っているような気がするけど今は気にしないことにする。
日直の仕事を終え、校舎から我が愛車が待つ駐輪場へと向かう道中、俺、小田原駿は残照残る廊下の上をさも『ロックオン』に登場するゾンビ達のような足取りで歩いていた。
幸い、雨除けを主とする天井が日除の役割を担ってくれ、直射日光は免れているものの、太陽熱でこれでもかと照らされた校庭から吹きつける熱風がちっとも涼しさを感じさせてくれない。
ちらりと腕時計に視線を落とせば、時刻は丁度午後五時五分を回ったころだった。
熱風に伴って野球部やその他運動部に属する生徒達が織り成す活気に満ちた溢れた声もやまびこのように届いて、駐輪場が近づくにつれ、やがて消えていく。
放課後になり、閑散とした駐輪場。その中で我が愛車を無事発見した俺は、すぐさまボタン式リング錠に暗証番号を打ち込む。ガチャっと開閉音を後に、車輪は無事開放された。それから、様々な自転車がひしめき合う駐輪場の中から我が愛車を引っ張り出し、素早くサドルに跨がり、風を求めペダルを踏み込んだ。
手入れの行き届いた我が愛車はぐんぐんスピードを増し、無事校門から脱出を果たす。
校門から出ると、別種の熱気に襲われた。逃げるように右手側にハンドルをきり、舗装された自転車専用通路帯に出る。
舗装された道は走りやすく、ちらほらと同じ制服に身を包んだ学生達が交差する歩道の横をぐんぐん加速していく。
そうして軽快に走り抜けること十分。
俺は最寄りのスーパーに到着した。駐車場に入るため右折する。割と大きなスーパーのため、俺は一度自転車を降り、手で押すような形でスーパーの脇にある駐輪場へと向かう。
その後、校内とは異なり、閑散とした駐輪場でボタン式リング錠にしっかりと施錠を施した後、店内に入店。
途端、ひんやりとした空気に包み込まれた。
昨日ぶりに訪れたスーパー内には、相変わらず買い物かご片手に行き交う人達で溢れかっていた。
俺も入り口付近に集積してあった黄色の買い物カゴ片手にその中の一人となる。
入り口正面に陳列された青々しい野菜コーナーの脇を抜けたところで、今朝、手渡された一葉のメモ紙をスクールバックの中から取り出す。
一枚折にされたそれには、今晩の我が食卓に並ぶ食材が記されていた。
「えーと何々、豚バラ、人参、玉ねぎ、ジャガイモ……と、あぁ、さてはカレーだな」
綺麗な字で書かれた文字を横で追いつつ、今晩のメニューを察する。
あとは、メモ紙に記された食材を順当に買い物カゴの中へと入れていくだけ。
今となってはこうして必要な食材がどこにあるのかある程度把握しているのだが、つい一週間前まではどこに何があるのか所在がわからず、ひたすら店内中を歩き回ったことを覚えている。あのときが、改めて母さんの偉大さを実感した瞬間だったに違いない。
一袋四個ずつ入ったジャガイモを野菜コーナーから抜き取ったところで、今回の買い出しミッションは無事終了を遂げた。いつも余計なものを買ってしまいそうになりがちなお菓子コナーを後目に、レジへと向かう。
計五つあるレジにはそれぞれ四人ずつ並んでおり、俺は手前側から二列目に並ぶ。
「……」
こうしてボーとしいると、つい一週間前のあの出来事を思い出す。
きっかけは俺と幼馴染みのゲーム勝負。
『アップテンポ』『ロックオン』『Little Giant』、それぞれ異なる種を持つ三本勝負を経て、俺が勝利を飾ったあのゲーム勝負。しかし、それは親父達の手によって仕組まれた戦いだったのだ。
そして、その思惑通り、俺達は踊らさたらしい。
だが、『さすがに俺達の前でキスしようとは思わんかったがな』とも言っていた。
一週間経過した今でさえ、思い返すだけど顔面から火を吹き出しそうになる。ともすれば、あの羞恥のむしろのような場に居たあの時の俺を思い返すだけで軽く死ねてしまうから不思議☆
「次の方、どうぞー」
そんなことを考えていると、いつの間にか前列に並んでいた人達が会計を済ましていたようで、呼ばれた俺はせこせことレジへと歩みを進める。
パートっぽいおばちゃんに買い物カゴを手渡し、素早く会計を済ませる。
今回、カレーに必要な食材四点、計770円を千円で支払い、お釣りである230円を受け取り、隣接された机の上に移動する。
かさばる野菜類から先にハンドバックに入れ、トレーに内蔵された豚バラは形崩れしないように上方へと置く。一度、トレーを下敷きにしてしまい、中の食材がハンドバック内に散乱しており、誰にとは言わないがこってり叱られた時の反省を俺は忘れない。同じ轍は二度踏んでならんのだ。
そうして、メモ紙片手に無事買い物を終えた俺は、パートのおばちゃんの活気に満ちた声に背中を押されながら、駐輪場に足を向けた。
駐輪場で主人の帰りを待っていた我が愛車に、例の如く暗証番号を打ち込み、駐輪場を出たのが午後五時四十分。
それからせこせこ愛車を走らせること二十分あまり、ようやく自宅に帰り着いたのは午後五時十分ごろだった。
ガレージに自転車を止め、玄関前に着き、食品が詰め込まれたハンドバックを我が愛車のハンドルに置き忘れたのに気がつき、やっとの思いで縦長のプッシュプル錠に鍵を差し入れ、空回りしたことを疑問に思ったのが丁度午後六時を回ったときだっただろうか。
「遅いわ」
我が自宅の扉を開いたその瞬間、不服めいた言葉が飛んできた。
上がり框の上に視線を向ける。
そこにはこちらを見下ろす一人の少女の姿。
見慣れた紺色のスリッパに同色の靴下、と思ったら新雪のように白く透き通った細いおみ足が続き、むむ、とさらに視線を上げると、今度はどこかで見たことのある紺色のエプロンを捉えて小首を傾げる。
きわめつきは、さも怒ってますよと言わんばかりに、引き締まったウエストには両腕を当てがい、亜麻色の髪をポニーテールで纏め、ゆらゆら左右に揺らしている。
毎回、忘れそうになるのだ。
小田原夫妻ひいては音無夫妻の両親四人が他県へと出張と向かう形で、我が家から旅だったのが丁度一週間前のこと——。
検事さんから放たれた衝撃発言は今でも鮮明に覚えている。
「悪い、日直の仕事のことすっかり忘れてた」
「いいわよ、別に。今晩のカレーは駿にも手伝ってもらうことにしたから」
「えー……。俺、自慢じゃないが料理とか不得意だぞ」
そう言いながら、取り合いず靴を脱ぐべく、上がり框に腰を据える。これまでは適当に脱いでいた靴を、ここ最近ではきちんと揃えるようになった。
それもこれも満足そうに微笑む幼馴染み所為か、はたまたお陰というべきか。
そんなことを考えながら、とりあえず我が厨房ならぬダイニングキッチンに足を向ける。追って、パタパタとリズミカルな足音を鳴らしたやよいが、俺の持つハンドバックをひったくり、泥棒よろしくと購入品を物色し始めた。
やがて注文通りの品が揃っていたこと確認したのかうんうん頷き、
「買い出しありがとう」
と、微笑を浮かべた。
「……まぁ、そういう役割分担だからな。適材適所ってやつだ」
俺はぶっきら棒に返すが、客観的に見て、やはりこの私生活には未だ慣れていないことを再確認した。
今思えば、あの日、俺が音無やよいに抱く気持ちを再確認した初夏から、九月に足を踏み入れた今日この日まで、平常心だったときの方が少ない気がする。
ここのところ、常に変な緊張感が体を覆い、これは心身良くないなぁ……と思うこともしばしば。
しかしこんな日常を、今の俺は好いている。誰だってそうだろ?好きな人と一つ屋根の下で生活できるのは紛れもなく嬉しいのだ。そう思えばこの緊張感も案外心地いいとさえ思える。
「駿、あなた、どこへいくのかしら?」
どさくさに紛れて立ち去ろうとした俺の首根っこを、有無を言わせぬ声と共に伸びてきた華奢な腕によって静止を余儀なくされた。
「……ですよねー」
ゴクリと息を呑む。少々緊張感が強すぎるのははやり体に良くないと思います。嫌だな〜料理、面倒臭いな〜料理。
そう思いながらも怒られるのも結局癪なので、覚悟を決め、俺は恐る恐る振り返る。
すると、ふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐった。次いで、しっとりと柔らかな感触、同じ高さの視線——。
そういえば最近、もう一つ不慣れなことがあったことを今思い出しのだった。
あの日、両家両親の元で想いを打ち明けあった日を境に、俺の幼馴染みは毎日俺の家に泊まり込んでは、積極的すぎるアプローチが増えてきた。
例えば、ほら、今ナチュラルにされた粘膜接触もとい、ネズミの泣き声的なやつね!そして、これが全て親父たちの狙い通りだったらしいのだから皮肉なものだ。
いつまで経っても結ばれない、両想いであるにもどかしい、自分達の愛すべき息子と娘を交際させるためわざわざ一芝居打ち、その結果がこれだ。
「……はぁ」
「な、何よ、ため息なんてついちゃって。私にき、キスされて嬉しくないのかしら?」
自分からしてきたくせに、顔を真っ赤に染めた幼馴染みと一つ屋根の下。
波乱万丈すべてを巻き込んだ俺の青春は、これから始まったばかりだなのだった。
ゲーム×恋廻る~非凡な幼馴染みと平凡な俺 Next @Takahiro19
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