Day30「誰がその鐘を鳴らすのか?」/塔

 由真がいなくなってから、世界は大きく混乱した。支配者スキュラがいたときより世界が良くなったのか悪くなったのか問われたら、いたときの方がいいと答える人が少なくないくらいの混乱だった。この混乱を収束させること、そして自由に生きられる世界を創ること。それが私たちの今目指しているものだ。

 けれどどうやったらこの混乱が収まるのだろう。世界は二分どころか、その分かれた先でも争いが続いている。その様子を見て、人工知能スキュラの言葉は正しかったのだと言う人もいる。人は醜い。それぞれの意思を表に出してしまえば争うことしかできないのだ、と。そう主張する人にとっては、由真はきっと世界を混乱に陥れた悪魔のようなものだろう。何かを求める心がなければ、世界に干渉する力は発動しない。自分自身さえ蝕むほどの思いなんて否定されるべきだと言う人もきっといる。

 それでも私は、いつか必ず人と人とが手を取る日が来ることを信じたかった。滅びかけ、今は眠る旧世界カリュブディスもきっと救うことができる。どれだけ時間がかかっても、この目でその日を見ることができなくても、いつか必ず、そう願っている。

 私にとっての由真は、悪魔でもなければ神様でもなくて、世界を敵に回した叛逆者でもなくて、ただの一人の女の子だった。彼女はきっと誰かと誰かが争うことなんて望んでいなかった。ただ手に入れたいものがあったのだ。私はその姿を綺麗だと思った。傷ついて、ひとりきりになっても闘うんだと目で言いながら、誰かを傷つけることを望んではいなかった。それなら私は、彼女の想いを受け継ぎながらも、私の道を進もうと思った。

 ――新しい世界の空の下で、胸を張って生きるために。

「寧々」

 ハル姉が私を呼ぶ。私の今の仕事は見守ることだ。由真がいなくなってからの世界には、少しだけ世界に干渉できる力を持つ人が増えた。一人の力ではなく、その力を束ねれば、世界を変えることもできるかもしれない。それがハル姉の立てた作戦で、私は力を使う彼らに危険が及ばないように見守る役。世界を変えるための鐘を鳴らすのは私ではない。けれど誰がその鐘を鳴らすかなんて関係ない。

 人間だって、普段は別のことを考えていたって、一瞬心を重ねることくらいはできるはずだ。目指すところは違っていても、私たちは同じ願いを抱いている。それはあまりにも理想主義的だと言われるかもしれないけれど、願わなければ叶うこともない。私は人間を諦めたくはない。そんなの無理だと笑われても、大人になれよと馬鹿にされても、青いなと揶揄されても、ずっとその想いを抱いていたかった。

「順調?」

「うん。任せても大丈夫そうだから戻ってきた」

「そうなんだ。ねぇ、ハル姉。昔教えてくれた詩があったじゃない? 『なんびとも一島嶼にてはあらず』ってやつ」

 由真には「帰ってきたら教える」と言ったのに、教えそびれたままだ。あの詩には続きがあったのに。

「ひとりひとり独立していて、別々のことを考えていても、一つの島であっても、私たちは海で繋がっているような気がするんだよね」

 人は誰も一人ではないなんて綺麗事を言うつもりはない。何かに抗うことがときに人を孤独にしてしまうのは事実だ。けれど、私たちの間には海がある。たとえ傍にいなくても、お互いに背を向けていても、私たちはそうやって緩やかに繋がっていける。

「いいんじゃないか、それで」

「でも由真なんて元の詩も知らなかったし」

 私たちは海で繋がった島だ。大陸の一塊よりは離れている。けれどどこかの島がなくなることを、自分のことのように思うことはできる。

「……あの鐘は、死者を悼むために鳴る鐘だ。要するに葬式の鐘だな。でも、今から鳴る鐘はそれとは少し違う」

 私たちの祈りのために鐘は鳴る。一瞬でもいい。全ての争いの手が止まり、ひとりひとりの私たちが生きられる未来のために。

「誰がために鐘は鳴る?」

 ハル姉が私を見ながら尋ねる。それは「問うなかれ」と言われているものだったはずなのに。けれどハル姉も求めているのだろう。

 私たちが意思を失って一つになるでもなく、ひとりひとり意思を持ちながらも、繋がって生きる道を。

「――そは汝がために鳴るなれば」

 誰のためでもない。私のために鐘は鳴る。そして鐘の残響が消えた後は――きっと。目を閉じて、私はそのときを待つ。


 手を組んで、高い塔の上にある鐘を思い描く。この世界に干渉できるのは私たちの意志の力だ。私が鳴らすのは祈りの鐘。誰もが自由に、だけど傷つけ合わずに生きられたら。

 巨大な鐘の紐に手を伸ばす。この鐘を鳴らすことがどうして怖いのだろう。どうして私の手は震えているのだろう。いや、きっと私と同じように、みんなも怖いのだろう。何故なら私たちがそれぞれに鳴らした鐘の音は、この世界中に響き渡ってしまうのだから。でも、覚悟を決めなければならない。

 手に力を込めて、紐を握りしめたとき――私の手を包み込むように誰かの手が触れた。

「由真……?」

 その温度を忘れたことはない。由真の手は私の手の震えを受け止めようとしているようだった。

 気を緩めれば泣いてしまいそうだから、私は天を仰ぐ。そこには世界中に音を響かせる巨大な鐘がある。


 ――行こう。

 ゆっくりと手に力を込める。私のすぐ後ろで、由真が微笑んでいるような気がした。

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そは汝がために鳴るなれば #novelber 深山瀬怜 @miyamaselen

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