Day30「誰がその鐘を鳴らすのか?」/塔
由真がいなくなってから、世界は大きく混乱した。
けれどどうやったらこの混乱が収まるのだろう。世界は二分どころか、その分かれた先でも争いが続いている。その様子を見て、
それでも私は、いつか必ず人と人とが手を取る日が来ることを信じたかった。滅びかけ、今は眠る
私にとっての由真は、悪魔でもなければ神様でもなくて、世界を敵に回した叛逆者でもなくて、ただの一人の女の子だった。彼女はきっと誰かと誰かが争うことなんて望んでいなかった。ただ手に入れたいものがあったのだ。私はその姿を綺麗だと思った。傷ついて、ひとりきりになっても闘うんだと目で言いながら、誰かを傷つけることを望んではいなかった。それなら私は、彼女の想いを受け継ぎながらも、私の道を進もうと思った。
――新しい世界の空の下で、胸を張って生きるために。
「寧々」
ハル姉が私を呼ぶ。私の今の仕事は見守ることだ。由真がいなくなってからの世界には、少しだけ世界に干渉できる力を持つ人が増えた。一人の力ではなく、その力を束ねれば、世界を変えることもできるかもしれない。それがハル姉の立てた作戦で、私は力を使う彼らに危険が及ばないように見守る役。世界を変えるための鐘を鳴らすのは私ではない。けれど誰がその鐘を鳴らすかなんて関係ない。
人間だって、普段は別のことを考えていたって、一瞬心を重ねることくらいはできるはずだ。目指すところは違っていても、私たちは同じ願いを抱いている。それはあまりにも理想主義的だと言われるかもしれないけれど、願わなければ叶うこともない。私は人間を諦めたくはない。そんなの無理だと笑われても、大人になれよと馬鹿にされても、青いなと揶揄されても、ずっとその想いを抱いていたかった。
「順調?」
「うん。任せても大丈夫そうだから戻ってきた」
「そうなんだ。ねぇ、ハル姉。昔教えてくれた詩があったじゃない? 『なんびとも一島嶼にてはあらず』ってやつ」
由真には「帰ってきたら教える」と言ったのに、教えそびれたままだ。あの詩には続きがあったのに。
「ひとりひとり独立していて、別々のことを考えていても、一つの島であっても、私たちは海で繋がっているような気がするんだよね」
人は誰も一人ではないなんて綺麗事を言うつもりはない。何かに抗うことがときに人を孤独にしてしまうのは事実だ。けれど、私たちの間には海がある。たとえ傍にいなくても、お互いに背を向けていても、私たちはそうやって緩やかに繋がっていける。
「いいんじゃないか、それで」
「でも由真なんて元の詩も知らなかったし」
私たちは海で繋がった島だ。大陸の一塊よりは離れている。けれどどこかの島がなくなることを、自分のことのように思うことはできる。
「……あの鐘は、死者を悼むために鳴る鐘だ。要するに葬式の鐘だな。でも、今から鳴る鐘はそれとは少し違う」
私たちの祈りのために鐘は鳴る。一瞬でもいい。全ての争いの手が止まり、ひとりひとりの私たちが生きられる未来のために。
「誰がために鐘は鳴る?」
ハル姉が私を見ながら尋ねる。それは「問うなかれ」と言われているものだったはずなのに。けれどハル姉も求めているのだろう。
私たちが意思を失って一つになるでもなく、ひとりひとり意思を持ちながらも、繋がって生きる道を。
「――そは汝がために鳴るなれば」
誰のためでもない。私のために鐘は鳴る。そして鐘の残響が消えた後は――きっと。目を閉じて、私はそのときを待つ。
手を組んで、高い塔の上にある鐘を思い描く。この世界に干渉できるのは私たちの意志の力だ。私が鳴らすのは祈りの鐘。誰もが自由に、だけど傷つけ合わずに生きられたら。
巨大な鐘の紐に手を伸ばす。この鐘を鳴らすことがどうして怖いのだろう。どうして私の手は震えているのだろう。いや、きっと私と同じように、みんなも怖いのだろう。何故なら私たちがそれぞれに鳴らした鐘の音は、この世界中に響き渡ってしまうのだから。でも、覚悟を決めなければならない。
手に力を込めて、紐を握りしめたとき――私の手を包み込むように誰かの手が触れた。
「由真……?」
その温度を忘れたことはない。由真の手は私の手の震えを受け止めようとしているようだった。
気を緩めれば泣いてしまいそうだから、私は天を仰ぐ。そこには世界中に音を響かせる巨大な鐘がある。
――行こう。
ゆっくりと手に力を込める。私のすぐ後ろで、由真が微笑んでいるような気がした。
そは汝がために鳴るなれば #novelber 深山瀬怜 @miyamaselen
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