泡沫に消えた物語
かの人
本編では敢えて省いた男の過去です。
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父は無能だった。
放蕩の日々を過ごした末、心臓をやられて死んだ。
小さいながらも国の頂点に立ち、誰もが求める権力を持ちながら死に行く彼の横には誰もいなかった。
瞳程もある宝石を幾つも与えられた女中も、腐りきった札束の山を積まれた金庫番も、この国が死に行くと理解した途端に離れていった。
そして直ぐにその時は来た、怒り狂った民衆が城を囲ったのだ。
いや、正確には怒り狂った民衆を止める存在が消えた、とでも言えばいいのか。
惨憺たる国の有様に兵士ですら見限ったのだろう、暴徒達を迎合し共に攻め込んでくる有様だったのだから。
「指先が冷たいわ……」
「私の手で温めましょう、さあもっとこっちに寄ってください」
牢獄の中で母上が微笑む。
哀れな人だった。派手で華美な容姿を好む父からすれば、箱入りで瀟洒な彼女は酷く退屈な女だったのだろう。
この私を産んでからというもの公務の時を除き常に狭い部屋へと閉じ込められ、しかし性格上文句を言えるはずもなく静かな日々を過ごしていた。
だが民衆からすれば王族に変わりない。例えそこいらの貴族など比べ物にならないほど清貧な日々を過ごしていた我々ですら、父を止めることが出来なかった以上同罪なのだ。
「さあ母上、食事です。今日は麦の粥もありますよ」
最初の頃は質素ながらも食事が出ていた。
だが次第に何も与えられることは無くなっていった、恐らく忘れ去られてしまったのだろう。
岩の隙間から流れる地下水を必死に舐めとり、見る見るうちにやせ細っていく母の身体を擦り続けた。
だがいつだっただろう、自分が必死に温めていた彼女の身体が、ひどく冷たくなっていることに気付いたのは。
「はは、うえ……?」
気が付かなかった。
五分や十分などではない、下手をすれば数日は経っていたかもしれない。
だがそれも当然、何と言っても食事がまともに与えられない体だ。私も、そして母上の身体もすっかり代謝など出来ず冷え切っていた。
ぱさぱさに乾ききった母上の黒髪をそっと撫で彼女を横たえると、私もその横でゆっくり目をつぶった。
劇的な慟哭など出来るはずもない、既に筋力すら最低限にまで落ち切っているのだから。
悲しみなど沸き上がる訳もない、既に感情など擦り切れているのだから。
きっとこのまま死に行くのだろう。
だがそれでいい、最早未練などないのだから。
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「あ、あ?」
次に目を覚ましたのは、額に水が滴っているのを感じた時だ。
あのまま息絶えていたらどれだけ幸せだっただろう。鈍い苦しみと倦怠感に包まれ首をもぞりと動かし、横の母上を眺める。
「母上……!?」
彼女の閉じた目蓋から何かが伝った。
涙? あり得ない。
母上は間違いなく亡くなったのだから、なんといっても私がこの手で確かめたのだ。
だがこれは……奇跡、か。
暗い牢獄で起こった唯一無二の奇跡なのだろうか。
感情などとうにそこ尽きたはずの心から、小さな喜びが湧いてくる。
「……えっ! ははうえ……っ! お気付きになられましたか……! 私で……す……」
震える手で抱きかかえた母上の顔から、ぐじゅぐじゅの水気があるナニカがずるりと抜け落ちた。
尖った地面の岩に切り裂かれ溢れ出す滴り、そして白い粒。
蠢き犇めき、母上の眼窩から溢れ出す。
「あ、ああ……!」
うじ。
蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆。
「やめ、ろ……」
ぶぅん、と。
初めて自分の周りに無数のハエが集っていることに気が付いた。
優しい木漏れ日の中で私に微笑んだ目を、優しい言葉を紡いだ柔らかな唇を、下らない戯れ事を心底愉快だと鈴の鳴る様な玉音を上げた喉を。
ぶちぶちぶちぶち、くちゃくちゃくちゃくちゃ、無数の蟲たちが食みつぶしていく。
「喰うな……! やめろ……!」
地を這い母上の身体に抱き着いた。
柔らかな感触はなく、彼女の肋骨が干からびたこの身に擦れ合わさる振動と共に、ざあ、と無数の蠅が飛び立ち耳元へと不快な羽音を残した。
「置いて行かないでください母上……! 私一人では耐え切れないのです……!!」
棒きれのような腕を空へ振り回す。
あまりにのろまな腕の勢いなど気にもせずぶん、ぶん、とハエたちが避けていくので、次に私は母上の身体を食う蛆を叩いた。
でも無駄だった。
一匹を叩き落としても、次から次に母上の奥底から湧き出してくるのだ。
そしてまた食む。仲間がどうなろうと関係ないというばかりに、ただひたすらに目の前へ与えられた
「やめろ……!」
弾いて、投げて。
そんな最中、ふと口の中に一匹の蛆が転がり込んだ。
ぐにぐにと必死に体を動かし、浅ましくも生き延びようとするそいつを舌で転がした私は、震える奥歯でぐにゅりと咬み潰し――
「――!」
脳が焼けた。
旨かった。
贅を極めた会食で一度口にした肉よりも、父上の機嫌が良い時に与えられた砂糖菓子よりも、何よりも。
母上を腹いっぱいに食った蛆の脂の、舌にべったりと張り付くこってりとした甘み。
指先が自分の身体を這いまわる蛆を一匹摘み上げた。
食って、ああ、旨い。
うまい。
うまい。
うまい。
私が牢獄から出たのは、それから一週間後だった。
祖父の代から使えていた忠臣を主とした国外からの協力を得た国軍が、城を占拠した逆賊を全て捕縛したことで私だけは助かったのだ。
「クレスト様、逆賊はいかがなさいましょう」
老臣の一人が告げる。
記憶のそれより随分と汚れ、貧相になった玉座に座り、私は目の前へずらりと並べられた逆賊たちの顔を見る。
「赦す」
皆が一斉に唖然とした表情へと変わった。
だが私は心の底から彼らへ恨みを抱いてなどいなかった。恨みを抱く以上に大きな夢を抱いたのだ。
「私は彼らを赦そう。いや、私こそが彼らに赦されるべきであった。父の放蕩を止めることが出来なかった、無力であった私を赦してくれ。愚かで遅すぎるかもしれないが牢獄で知ったよ、空腹とはどれだけ耐え難く辛いことなのかを」
今だ信じ難いといった態度の彼らの縄を、私はそばに仕えた騎士のナイフを一本受け取り、一つ、そしてまた一つと斬り外した。
そしてその度に一人一人をそっと抱き、耳元で謝ってみせた。
「そして誓おう、私はこの先国民を決して飢えさせることはないと。どれだけの時間がかかるかは分からない、だが君たちを幸福へ導いてみせると。未熟な王だがどうかもう一度だけこの私を信じ、君たちの力を貸してはくれないだろうか」
.
.
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逆賊が国民へと変わった後、それですべてが解決するわけではない。
すっかり疲弊した国家を立て直すためには資金がいる、だが小国かつ荒れ果てたこの国で出来ることは少ない。
幸い隣国との間には大森林が横たわっており、内部では最重要資源である魔石が採取できる。
細々と、国内で僅かに残った騎士を派遣しどうにか採掘を続け、細々と国の維持が出来る程度には資金を手に入れることが出来たが、このままでは先細りであると誰の目にも明らかだった。
そんなある日、災害とも、そして今となっては天の祝福であったとも取れる出来事が起こった。
「源龍種が大森林の最奥部にて発生致しました、既に近隣の村はいくつか壊滅状態にあるようです」
「――そうか」
話には聞いていた、この世界で定期的に現れる巨龍。
それこそが源龍種。
国すら容易く横断するといわれる巨体、その図体に見合った圧倒的な膂力、そして何より異常に蓄えられた魔力から放たれる暴虐的なまでの原始的な魔法。
正しく存在そのものが災害であり、そして討伐さえ出来るのであれば莫大な魔力資源になりうる。
他国、特に大国との協力によって戦線を築き上げる以外に選択肢はない。
このままではこの王国は容易く蹂躙され死骸の山が出来上がるだろう。
「だが……」
そんな事出来る訳がなかった。
今の今までこの王国が他国に侵略されなかったのは大森林が傍にあるからだ。
魔石の算出する大森林はどの国であっても喉から手が出るほどに欲しい土地、だがそれ故に大国同士の睨み合いが起こり攻め込まれることは無かった。
だがここでどこかへ協力など申し込んでしまえば終わりだ。戦後に国や国民の保護などの名目であっという間に属国化、いや、植民地化されかねない。
思い悩み、ふと寄った宝物庫でそれは起こった。
がらんどうの宝物庫。
嘗て山ほど積まれていた宝石や金銀は既に欠片も存在しない、だが奥の奥でたった一つだけ、古ぼけた杖が転がっていた。
木製でそこいらでも売ってそうな質の悪い杖だ、勿論特殊な力などある訳もない。
「魔法、か。私は教わる前に牢獄へ送られてしまったからね……」
魔法にもいくつか種類があるが、特に個人の資質に関わる固有魔法は何が起こるか分からないために、ある程度魔法を習熟した上で初めて扱うことが多い。
私自身自分の固有魔法を知る事がないままここまで来てしまい、国の統治に関わってしまえば猶更魔法の練習など出来るはずもなかった。
それ故、何の気なしに杖を振り上げた。
固有魔法などと大層な名前がついているが構造的には己の魔力を放出するだけ、その気になれば発動するのは簡単だ。
「――!?」
私は宝物庫の前にいた。
鍵はまだ閉まり切ったままで。
その日、私は奇跡を起こした。
源龍種をたった一国で、それも十数人からなるごく小さな軍で打ち滅ぼした。
死者、ゼロ。傷者、ゼロ。
居合わせ、かの龍に致命傷を負わせた騎士の一人は周囲によくこう語っていたようだ。
「俺は何もしていない、王の命令に従っただけだ。彼はまるで未来を見てきたみたいだった、彼は全ての攻撃を『識って』いた」
.
.
.
鱗は堅牢な鎧に、無数の武具は鋭く決して刃こぼれのしない槍に、肉は美食家を名乗る愚者によって大金に、血は神秘の秘薬になった。
滅びかけた国は数年もすればすっかり立ち直り、いや、先代の王政など比べ物にならぬほど豊かになった。
閉鎖していた学園を再開し、国内外問わず研究者を積極的に受け入れ、一度は途絶えていたエルフとも交流を再開した。
寝室にて熱い茶を啜り、ひたすら思いに耽る。
国を
各々の中に眠る嫉妬を軽く刺激し、耳元で自分だけは味方だと囁いてやるだけで誰もが自分の思うがままに動いた。
「クレスト様、お伝えしたいことが」
「ああ、好きに入りたまえ」
そっと踏み込んできたのはダークエルフの研究者だ、名は確かクラリス。
彼女も単純な人間だ。
カナリアという国内、いや世界をもってしても飛びぬけた才を持つ魔法研究者を幼馴染として、嫉妬など負の感情に抑圧されていたのは一目見れば分かった。
ならば引き入れることは容易い。
「これを」
「ほう、これは?」
「カナリアが裏で処分していた研究ですわ。次元の狭間という存在についてのようで……」
きゅう、と彼女の嫉妬に歪んだ目が愉悦で歪む。
「素晴らしい……!」
それを一体誰が予想しただろうか。
世界の構造、そして無限に存在しうる莫大な魔力資源。
カナリアはこれほどまでに素晴らしい情報を、知り得ていながらも内密に処分しようとしていたらしい。
「流石だクラリス君、君には前々から目を付けていたが……これほどの情報を持ってくるとは」
「――! クレスト様、私の名前をお覚えになって……!」
「当然じゃないか。優秀な配下の名を覚えぬ王などいないさ」
もしこんなものを手に入れることが出来たのなら。
源龍種や大森林など屑以下の価値になる。魔力の供給源を魔石などという旧世代の遺物に縋っている諸外国全てが、この王国に跪くこととなるだろう。
「よくやってくれた、君には後々素晴らしい褒賞が与えられるだろう。私が保証する」
「――! はい! ありがたき幸せ!」
もっと、もっと国民を幸福に出来る。
そうすればあの牢獄の冷たい水の匂いを嗅ぐことはない、孤独を味わうことはない。
「さあ、明日も頑張ろうか。一人は寂しいからねぇ」
ああ、ウジが肉を噛み切る音がうるさい。
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お久しぶりです。
気が向いたら他のキャラの過去話とか、新世界での話もちまちま出すかもしれません。
それと新作の投稿を始めました
ただのシスターには荷が重い!~ちょっと聖堂を飛び出ただけなのに、ダンジョンに潜ることになったりデスゲームで命を賭ける羽目になってしまいました(泣)~
https://kakuyomu.jp/works/16817330654875141957
訳アリお嬢様と家出したシスターがあれこれする話です
世界観は『希望の実』の最終話、二つの世界が融合した新世界から引き継いでいますが、こちらのキャラクターは基本的にちょろっと出る程度です。
ちょっとだけ暗い所もあるかもですがハッピーエンドを予定していますので、ほんの退屈しのぎにでも読んでいただければ幸いです。
『希望の実』拾い食いから始まる逆転ダンジョン生活! BUILD @IXAbetasmash
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