第28話 梅雨の日

相馬くんと付き合い始めた。

文佳とノアには隠すつもりもないが、またわざわざ報告するつもりもない。いずれその時が来たら…と思ったのも束の間、すぐに知られることとなったのは断じて私のせいではない。



週明けの朝、教室に入るなり相馬くんに抱き締められた。


驚いて声が出そうになったが、それ以上に周りの人たちの驚きは計り知れない。ノアも文佳もぽかんとした表情で立ち尽くし、時間が時間だけにほぼ全員が登校していたのが運の尽き。教室中の皆の視線が一つ残らずこちらへ向いた。


慌てて相馬くんを引き剥がしたものの、クラスメイトたちは見て見ぬ振りをしてくれる気はないらしい。たっぷり二、三秒ほど静まり返った教室は一気に騒がしくなり、居た堪れないとはまさにこのことで私は意識を宇宙の彼方へ飛ばして現実逃避する。


「ごめんね、条件反射でつい」


ちっともごめんねとは思っていなさそうな、何故か満足げな表情の相馬くん。私は言い返そうと口を開くが、どう言葉にすれば良いのか分からずにそのままおずおずと口をつぐむ。


まもなく授業の開始のチャイムが鳴る時間だったのが不幸中の幸いで、やってきた教師に席に着くよう促されるまま私も他の人も自分の定位置へ戻った。


その後の休み時間は次の授業の小テストのための最後の足掻きに必死で、私も皆も朝の出来事をすっかり忘れていた。


で、昼休みになってから私にあれこれ問いただしてきたのは、文佳とノアだけだった。


「菫ぇ、どういうこと〜?」


「すーちゃん…」


文佳はにやにやと、ノアは何とも言えない表情で私の言葉を待つ。

私は簡潔に「相馬くんと付き合ってるんだ」と打ち明けた。他にも質問攻めにあったけれど、当然ダイナミクスの話はできないので少し曖昧に躱すしかなかった。




結論から言うと、それから毎日のように、相馬くんは人の目なんて気にすることなく私に構うようになった。


もっと控えめにできないのかと聞けば、それは不可能らしい。私のことが好きでたまらないので一秒でも長くそばにいたいのだと、恥ずかしげもなく真剣な表情で言ってくる。

聞いているこちらがよっぽど恥ずかしいけれど、それでも嬉しかった。逆に今までよく普通に過ごせていたなと思う。


相馬くんは人気者だ。

だから私がこうして相馬くんの特定の相手になることに対し、悪意や反感を買うのは仕方がないと思っていた。

けれどみんな大人の対応で、わざとらしく態度に出すような真似はしない。胸の内までは分からないけれど、でもとにかくみんなはいつも通りに接してくれた。相馬くんのあけすけに私に愛を注ぐような態度に教室中は少しずつ慣れてきて、それは日常の一コマとなった。


それはみやこちゃんも同じで、クラスへ遊びに来る回数はめっきり減ったのだった。





「まさか二見先輩があの相馬先輩の相手だったなんて。信じられないっすよ」


鹿野さんは段ボールにきりで慎重に穴を開けながら切り出した。


長い梅雨の真っ只中の頃のこと。付き合ってから二ヶ月弱、噂は他学年まで広がっていた。


「そうだね。私もそう思う」


「ところでもうすぐ高校最後の夏休みじゃないっすか、先輩方。デートの予定とか立ててるんです?」


「立ててないなぁ」


そもそも今でさえ学校でしか会っていない。

付き合う以前、教室ではお互いに単なるクラスメイトの一人みたいな接し方だった態度が、明らかに恋人に対するそれになった。それからプレイの回数が、週二回になった。それくらい。


「受験生だし…」


「そりゃそーだけど、一日二日くらいいいじゃないっすか。てか先輩の誕生日、八月でしょ?かこつけて誘っちゃいましょーよ!」


「うーん」


曖昧に相槌を打ちながら、段ボールにマーカーで印をつけていく。図鑑を見ながら丁寧に、北斗七星をプロットした。


夏休みを過ぎれば、一年で一番大きなイベントの一つである学園祭が開かれる。

今、天文部はその準備を着々と進めているところである。去年までは展示発表ばかりだった天文部の出し物だが、来年度の部員確保のためにも集客力のある企画を考えることにした。

――で、今作っているのはプラネタリウム。段ボールでできた大きなドームに、豆電球を並べて星座を作る。収容人数は十人弱といったところだ。


いつもは雑談ばかりで活動らしい活動をしない天文部が作業に夢中になる様子は、側から見ていて面白い。


「部長、購買の黒画用紙、結構高いです。100均の方がコスパいいと思います」


「分かった、ありがとう」


部室に帰ってきた後輩からの報告に返事をする。

なんせ春の時点ではここまで大掛かりなことをやるとは考えていなかったから、天文部の予算はそれなりに少ない。節約に節約を重ねるしかないのだ。


窓の外を見ると、今にも雨が降りそうな曇り空が広がっている。帰るまでに降らなきゃいいけれど。





下校時刻になると、私の願いを聞き入れなかった天はパラパラと雨を降らせていた。梅雨にしては降水の少ない今年、うっかり折り畳み傘を家に置いたままにしてある。


まだ降り始めだしこのまま雨の中に繰り出しても私は平気だけど、カバンの中の教科書やノートが被害を受ける懸念から体育館の玄関でぼーっと空を仰いでいた。ノアが部活を終えて出てくるのを待つ魂胆である。


「すーちゃん。どうしたの」


「あ、お疲れノア。傘入れて」


「いいぜ。俺は用意周到だからな、感謝してよね」


ノアは別に雨を見越して準備していたのではなく、年がら年中カバンの底に折り畳み傘を常備しているタイプだ。なので用意周到もなにも無いとは思ったけれど、面倒なので素直に礼を述べた。


「あれ、二見さん浮気?」


パッと振り返ると、部活終わりの相馬くんが笑顔で立っていた。笑顔とはいっても――相馬くんにたまにあることだが――目が笑ってないあのちょっと恐いやつだ。


「この後特に予定もないし、二見さんは彼氏である僕が責任を持って送っていくよ」


私が口を開くより先にノアが反論した。


「相馬くんは電車通学でしょ。俺とこいつは徒歩。家もすぐ近所だし俺が送るから大丈夫」


「僕のは折り畳みじゃなくて長傘だから、二人で入るには丁度いいんだ。そのちっちゃい傘で二見さんが風邪を引いたらどうしてくれるの?」


「ご心配なく。濡れないようにピッタリ肩を寄せ合うから」


「そうやって二見さんが他の男と相合い傘で歩く姿を、後ろから黙って見ていろと?」


「他の男だろうが何だろうが、俺は18年もの間一番近くですーちゃんの成長を見守ってきた従兄弟だよ」


「でも僕は旦那さんになる予定だ」


「きっ…気が早いよ!…まだすーちゃんは渡さない、同じ苗字を共有するのは俺だ」


「それもあと数年だよ。二見さんは僕の奥さんになっていずれ相馬を名乗るんだから」


何の対決か分からないが口論に発展させている二人の声を後ろに聞きながら、私は無心で灰色の空を仰ぐ。


「…あ、ほぼ止んだわ」


私はさっさと屋根の外へ繰り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

命令してよ、ご主人さま 久遠 よひら @kuon_yohira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ