サーカス 五


 鹿島真輔は沈痛な様子で男から名刺を受取った。警視庁の一室である。名刺の肩書はこうであった。『警視庁刑事部・捜査課第一課長・小布施直太朗』


「しかし、あのピエロがまさか指名手配の男だなんて、まったく気が付きませんでした。私はピエロの首筋にナイフが刺さったときには生きた心地がしなかった。てっきり清水幸次だと思っていましたからねえ。それにしても……」

 

 そう言うと鹿島は眉間に深い皺をつくってうなだれてしまった。


「しかし、一番ショックなのはヒナがユリに薬をもったという事です。ああ、あの子はいつからそんな恐ろしい子になってしまったんだ」

 

 小布施直太朗と言う若い刑事は、刑事のごつさを感じさせないソフトなマスクをしていた。彼は鹿島の肩に手をかけて、いくぶん悲しそうな顔をしていたが、その瞳の奥に何かが鋭く光っていた。


「ヒナさんはきっと、妹さんがとても羨ましかったのでしょう」


「それにしても、ユリがとても可哀想だ。ユリは恋人をあの殺人犯に殺された上に、

 自ら投げたナイフであいつを殺してしまった。まあ復讐と言えばそうかもしれんが、ユリは心に深い傷を負ったに違いない」


「ええ、お気持ちはお察し申し上げます。しかし」

 

 と小布施直太朗は鹿島の目をしっかりと見て言った。


「しかし、大杉高史は本当は死なずに済んだのです」

 

 その言葉にちょっと驚いたように鹿島が小布施刑事を見上げた。


「ユリさんの投げたナイフは三投目に大杉高史の首筋に刺さりましたが、実はそれは彼がナイフを避けようとしたからなのです。ユリさんは薬で身体がいう事をきかなくなっていたにもかかわらず、目隠しまでしてナイフを正確無比に飛ばした。それは幼いころから訓練された神技ともいうべきものでした。

 ユリさんは精神力には驚くべきものがある。それに幸次さんに対する愛だってあったはずだ。好き合っていたのですからね。ところが高史はステージに立った時にユリさんの様子がおかしい事に気づいていた。きっと彼はとても感がいいんだ。だからたぶんユリさんの足元がふらつくのを見て、おかしいと思った。

 もしかしたらナイフが自分に刺さるんじゃないかと、そう思ったのでしょう。これは恐怖です。だから、ナイフ投げの三投目についに体を動かしてしまったのです。彼にしてみれば両手でもあげて大声でも出せば助かったでしょうが、それは出来なかった。それでは自分の正体がばれてしまいますからね。その様子は映像に残っています。市販される予定の映像が撮ってあったのです。私はさっきそれを詳細に見てきました。それはあなたもご存知ですよね。さすがにユリさんも手から離れたナイフのコントロールは出来ません」


「ああ、そうだったんですか」


「ヒナさんはピエロの首にナイフが刺さったのを見ていた。そして自分は大変な事をしてしまったと思って、あの薬を楽屋で全て飲み干しました。死ぬつもりだったのですよ。しかしあの薬は毒じゃないから死ねませんでした。哀れですね。ヒナさんは回復しても当分サーカスには帰れません。啓太と言う青年も捕まりました。残念ながら罪に問われるでしょう」


「ああ、ヒナ……」


 鹿島はついに嗚咽した。


「でも鹿島さん。ユリさんは明日にでも退院できるそうです。そうしたらまたサーカスでがんばれますよ。きっと。そしてヒナさんもいつか……」

 

 小布施直太朗は憂いに満ちた顔をし、噛みしめるようにそう言った。


「ええ、ユリには将来がありますから」

 


 ――泣き顔の鹿島が、警視庁の窓から外の景色を眺めるようにしてそう答えた。



                   




                    了

                                                                                                   




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サーカス 松長良樹 @yoshiki2020

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