8.死闘

 口火を切ったのは安琉斗であった。

 神威の加護を得たサムライの速力は亜音速を超える。文字通り音のような速さで一瞬にして間合いを詰めると、安琉斗は袈裟懸けに黒龍へと斬りつけた。


 だが、それに対する黒龍の動きは正に驚嘆すべきものだった。避けるでも退くでもなく、黒龍はただ右の人差し指と中指とで、安琉斗の斬撃を受け止めてみせた。

 今の安琉斗の斬撃は、鉄塊を易々と斬り裂くほどの威力を秘めている。それを素手――しかも二本の指で受け止めた。安琉斗の背筋にぞわりとした感触が走った。


 安琉斗は素早く後ろへ飛び退き、油断なく正眼の構えを取った。


「ほう、流石は……と言ったところか」


 一方の黒龍は、獰猛な笑みを浮かべていた。

 その左手はいつの間にか手刀の形を成している。もし安琉斗が少しでも退くことを躊躇していれば、あの手刀で身体を貫かれていたであろう。それほどの力がみなぎっているように見えた。


(斬撃が通じぬとは……いや、通じぬのはあの指に、だけか?)


 やや饒舌な黒龍とは対照的に、安琉斗は口を閉ざし冷静に相手の力を分析していた。

 黒龍は自らを「闘仙の末裔」と言った。「闘仙」とは、中国大陸において仙道と武術を融合させ独特の拳法を磨き上げた一族の総称だ。

 仙道とは即ち、不老不死の仙人となる為の修行法である。安琉斗も詳しくは知らぬが、天地宇宙と一体となり不滅の存在となることを目的とする、とも伝え聞く。


 彼らはその前段階として「龍脈」――即ち大地のエネルギーと一体となることを目指すという。「龍脈」は霊脈と似て非なるものであり、生物の生命エネルギーよりも惑星自体のそれがより強く満ちた霊力の流れだという。

 姫巫女の祖たる「初代」は、遥かな古代に大陸より渡ってきた仙人から霊力を操る術を学んだという。つまり、闘仙は、姫巫女やサムライの遠い兄弟子と言ったところなのだ。


 ――それ故に、闘仙の力とサムライや姫巫女の力との間に大きな差異はない。

 あるとすれば、闘仙達が己一人に力を集中させることを選んだのに対し、姫巫女とサムライはその力を二つに分けたことだろう。

 何故、姫巫女とサムライは闘仙のように「一個で完結した存在」を目指さなかったのか。その理由を安琉斗は知らない。あるいは出来なかったのかもしれない。

 だが、それでもサムライと姫巫女が闘仙に劣るとは、安琉斗は考えていなかった。


 改めて黒龍の様子を見やる。

 どっしりと大地に根差すように構える黒龍の体には、霊脈――否、龍脈から膨大な量の霊力が吸い上げられ、また大地へと還っている。循環する霊力の流れに自らを組み込んでいるのだ。原理は神威と同様である。

 黒龍の霊力量は、安琉斗を凌駕している。だが、それが何だというのだ? と安琉斗は思う。彼は常に、自らよりも強大な力を持つ荒魂へと立ち向かってきたのだ。今更臆するものではなかった。


「ふぅ……」


 安琉斗は一つ大きく息をつくと、刀を顔の横辺りで水平に近い形で構え直した。

 一部の流派で「霞の構え」等と呼ばれる、独特な構えである。

 攻めにおいては突きや半身をひねりながらの斬撃に優れ、守りにおいては上段に強いと言われる。

 果たして、安琉斗の次の一手は――。


「破っ!」


 裂帛の気合と共に安琉斗が踏み込み、彼我の距離を刹那にゼロとする。

 同時に、鋭く遥か後方までも射貫くような諸手突きが放たれた!


 しかし黒龍はこれを二指でもっていとも簡単に受け流す。

 黒龍の耳スレスレのところを安琉斗の刀がすり抜けていく。

 ――全力の諸手突きはある種の捨て身技だ。躱されれば大きく体が崩れ、隙だらけになる。

 黒龍はしめしめとばかりに無防備となった安琉斗の体へ手刀を放ち――驚愕した。


(なんだと!?)


 視界に飛び込んできたのは鋭い切っ先。言うまでもなく、安琉斗の刀の先端である。それが黒龍の胸元へと迫っていた。

 横へそらしたはずの剣が何故? と考える暇もなく、黒龍は咄嗟に左後方へと体を滑らすように退き、切っ先を躱す。そのまま油断なく構えをとるが、追撃はない。

 安琉斗は刀を正眼に構え直し、黒龍へ射貫くような視線を向けていた。


(なるほど、二段突きだったか)


 黒龍は、心の中で感心したように独り言ちた。

 諸手突きは体ごとぶつかるような技だ。普通ならば一突きで終わる。

 だが安琉斗は一呼吸の内に、二発の突きを放っていたのだ。一体いかなる技なのか黒龍にも皆目見当がつかなかったが、絶技に違いなかった。


(やはり。躱したということは――)


 一方、安琉斗は黒龍が斬撃を防いだそのカラクリを看破していた。

 黒龍は、そのあまりある霊力を手、とりわけ指に集中させ密度を高めていたのだ。サムライの技にも似たようなものがあるが、霊力を集める先は刀である。黒龍はそれを、刀よりも遥かに小さな指へと集めている。

 その強固さは、恐るべきものになるだろう。鉄をも斬り裂く安琉斗の斬撃を防いだのも納得だった。


 だが、体の一部へ霊力を集中させているということは、その他の部分の護りが薄くなっているということでもある。

 その証拠として、黒龍は胸元への突きを受けるのではなく避けていた。もし黒龍の全身が指先と同じ強固さを持っていたのなら、避けはしないはずだ。つまり、全身の護りは薄くなっているのだ。

 言わば背水の陣である。自らの技量に余程の自信がない限り、出来ない戦法だ。事実、黒龍は安琉斗にとって必殺必中とも呼べる諸手二段突きを見事に躱してみせた。

 ――黒龍の技量は安琉斗のそれを上回っている。


 けれども、安琉斗は臆せず果敢に攻めた。

 神速の踏み込みをもって再び黒龍に肉薄すると、今度は一撃一撃の威力よりも速さを重視した突きを乱れ打ちに放った。

 眉間、鳩尾、心臓、両肩……一呼吸の内に五発もの突きを放つ絶技であったが、黒龍はそれを二指で払い、あるいは左の手刀で受け、その他を体さばきでもって紙一重で躱す。


 黒龍は返礼とばかりに、僅かに体の崩れた安琉斗へ流れるような連撃を放つ。

 駒のように体を回転させながら、裏拳、目潰し、フック気味の掌底、更には不意の水面蹴りによる足払いが安琉斗に襲い掛かる!

 だが安琉斗も然る者。その全てをギリギリのところで躱しつつ、足払いへカウンター気味に斬撃を放つ――が、黒龍はこれを読んでおり、水面蹴りの軌道を強引に変え安琉斗の頭部へと標的を変える。

 しかしその時には、安琉斗は既に後方へと退いており、黒龍の蹴りは空を切った。


 ――この間、僅か一秒ほどの攻防である。

 只人の眼には何が起こっているのか、捉えることすら出来ないだろう。

 物理的な視覚に勝る霊的視覚を持ち、更には安琉斗と感覚を一部共有している小町と彩乃でさえ、攻防の全てを把握出来てはいなかった。

 ただ一つ分かっているのは、彼らが放っているのが全て一撃必殺の威力を込めた斬撃や打撃だ、ということだ。


 安琉斗の刀には神威によって得られた膨大な霊力が込められている。

 一方の黒龍の二指と手刀、更には恐らく足先にも、必殺の威力があるだろう。

 この戦いは、先に当てた方が勝者となる類のものだった。


 その後も安琉斗と黒龍の激しい攻防は続いた。

 彼らが剣と拳を振るう度に、洞穴内の空気は震え、離れた場所にいる小町達にもその圧が伝わってきた。

 大振りではなく、小さく細かな突きや斬撃でもって苛烈に責める安琉斗。一方の黒龍は、流れるような体術で安琉斗を翻弄しながら拳を、蹴りを繰り出す。

 一進一退の攻防はしかし、安琉斗がやや圧されているように見えた。


(オレがあの力を……荒魂を使役する力を使えば)


 安琉斗を救いたい一心で、小町は一瞬だけそんなことを考えてしまう。

 が、その想いを読み取ったのか、小町の手を握る彩乃の手が、少しだけその力を強めていた。まるで小町のその気持ちを戒めるかのように。


 実際、小町が荒魂を使役すれば戦いは一挙に有利へと傾くだろう。

 だが、荒魂を使役する力は、自らの心の暗黒面を解放し暴力の快楽に身を委ねる事と同義であった。一度その味を占めてしまえば、小町はあの九重麗佳のような外道と同じところまで堕ちてしまうだろう。

 それは、安琉斗も彩乃も、何より小町本人も望むところではなかった。


「安琉斗さまを、信じましょう」


 消え入りそうな声で彩乃が呟く。小町の手を包む彼女のそれは、軽く震えていた。

 彩乃も不安を必死に押し殺し、安琉斗の勝利を信じているのだ。小町が先に心折れる訳にはいかなかった。


「おう。安琉斗は絶対に……勝つ」


 彩乃の手を強く握り返しながら、小町は目の前で繰り広げられる激闘に向き合った。

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手折られぬ花のように 澤田慎梧 @sumigoro

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