7.鎌倉にて

 彩乃が霊皇の後継者に、小町がその補佐にと正式に指名されてから、目まぐるしい日々が続いた。

 内々の指名であれば、精々一部の関係者からそれ相応の扱いを受けるようになるだけだったのだろうが、なにせ殆どの関係者の前での発表である。

 育成館の教員も生徒も、宮内庁や関係各所の者達も、全員が彼女達を「霊皇の後継者」として扱うようになっていた。


 放課後に役人や政治家が挨拶に来るようなこともあったし、宮内庁のお偉方による「薫陶」を受ける機会もあった。

 元華族の家柄の男子達が、やたらと二人に話しかけてくるようにもなった。

 霊皇から予め「忙しくなるぞ」とは言われていたが、どうにも想像していた忙しさとは違う。気苦労ばかりが増えた感じだった。


 育成館の中での扱われ方にも変化があった。

 元々、中等部の代表のような役割を担っていた二人だったが、より育成館の運営自体にも関わるようになっていた。

 職員会議への出席を求められたり、全校集会で「スピーチ」をさせられたり。はたまた初等部の子供達の面倒を見ることになったり。

 毎日のように忙しい日々が続き、気付けば一月が経過していた。


 そして五月初旬。

 小町達は育成館を離れ、ある場所へとやって来ていた。


「おお……海だ! おおっ!? なぁなぁ安琉斗、あっちに見えるあの島はなんだ?」

「あれは……確か江ノ島だな」

「おおっ! あれが江ノ島かぁ!」


 海を臨む小高い丘の上からは、古くから観光地として知られる神奈川県は藤沢市に位置する江ノ島がよく見えた。

 一方、小町達がいるのは同じく神奈川県は鎌倉市の某所である。鎌倉は藤沢の隣町にあたる。

 海沿いから延びる切通しの坂道をしばらく上った先にある、丘を切り開いた広大な空き地。そこに小町と安琉斗、そして彩乃の姿があった。

 戦前まではここに軍の教育施設があったらしいが、今は全て更地になっていた。

 緩い斜面を整地してあり、巨大な段々畑のように高さの違う幾つかの区画が並んでいる。一部には野球場やテニスコートの名残も窺えた。


「随分と広い敷地ですわね」

「初等部から高等部まで、全部同じ場所に建てられる土地を探していたらしいからなぁ」


 感心したように呟く彩乃に、小町も頷く。

 実はこの土地は、育成館の移転先候補の一つであった。

 育成館は現在、皇居内に間借りしている形だ。その広さには自ずと限界がある。そこで以前から、広大な土地への移転が計画されていたのだ。


 現在の計画では、初等部、中等部、高等部それぞれの校舎だけでなく、二つの運動場、二つの体育館、各種道場、スポーツ施設、学食等が完備される予定だという。

 もちろん、育成館はただの教育機関ではないので、施設はそれだけではない。


「で? 霊場れいじょうってのはどこなんだ?」

「確か、敷地内を上っていった先、裏山に突き当たった辺りにあるはずだが……ああ、あそこだ」


 安琉斗が敷地の背後にそびえる小高い緑地――裏山の方を指さす。

 見れば、敷地内を中央に貫く道の終点に、裏山に穿たれた直径二メートル程の洞穴があった。

 入り口は鉄格子で厳重に封印されている。一見すると戦時中に作られた防空壕にも見えるが、もちろん違う。

 この洞穴は、この地域の霊脈が集中する霊的要衝なのだ。


 鎌倉は、かつて源氏の棟梁である源頼朝が本拠を構え、武家政権を樹立した土地である。

 北と東西を山に囲まれ南に海を臨む鎌倉は、まさに天然の要害である。――が、頼朝が鎌倉に本拠を構えたのは、それだけが理由ではない。

 古来よりこの土地には様々な霊的要衝が存在し、そちらの意味でも重要な場所だったのだ。

 小町達がやってきたこの敷地も、そういった場所の一つだった。


 鎌倉中心街から、「江ノ電」の愛称で知られる江ノ島電鉄に揺られること、約ニ十分の場所である。

 海沿いから延びる切通しの坂道は、一説には新田義貞が鎌倉攻めの際に進軍したとも伝わる交通の要衝だ。

 ――そして、そういった交通の要の近くには、霊的に重要な土地が存在することが多い。この敷地も、そういったものの一つであった。


 鉄格子の前に立つと、洞穴の中から僅かに風を感じた。

 中は行き止まりのはずだったが、どこかに空気の通り道があるのだろう。


「開けるぞ」


 厳重にかけられた幾つもの錠前を解くと、安琉斗が鉄格子に手をかけ、ゆっくりと押し開き始めた。

 ギギギギ――という凄まじい音がする。長年開かれることが無かった証左だろう。

 やがて、人間一人が通れるほどの隙間が開くと、たちまち中からはひんやりとした冷気――否、霊気のようなものが漏れ出し始めた。

 どうやら、この鉄格子自体が霊的な封印を兼ねていたらしく、洞穴の奥から霊力が漏れ出してきたようだった。


「なんて濃厚な霊力の澱み……」

「随分と古いみてぇだな。やっぱり鎌倉時代くらいからあるのか?」

「いえ、なんでも律令制の昔から存在する、とか」

「へぇ~」


 洞穴の中へ足を踏み入り、何でもない世間話でもするかのように話しながら、彩乃と小町の二人がずんずんと進んでいく。

 明かりの一つも持っていないが、濃密な霊力が漂う洞穴の中では、霊的視界が肉体的なそれを凌駕するほど明瞭になる。そもそも必要ないものだった。

 そんな二人の、実に度胸の座った姿に口元を軽く緩ませながら、安琉斗は鉄格子を再び閉ざしてから後を追った。


 ――そんな三人の様子を遠間から窺う者があることに気付かぬまま。


   ***


 洞穴は自然のそれに人間が手を加えたものであるらしく、高さも幅もほぼ一定のまま奥へと続いていた。

 足元にはゴツゴツとした岩の感触があるが、平坦にならされており歩きにくくはない。

 そのまま十数メートル程進むと、途端に空間が開けた。


 高さは三メートル強、広さは十メートル四方はあるだろうか。剣道の試合くらいは出来そうな広さだ。

 そしてその空間の奥まった場所には古めかしい祠が鎮座し、ひと際濃厚な霊力を放っていた。

 この洞穴の中で、もっと深く霊脈と繋がり合っている場所である。


 今回、小町達三人がこの土地へ来た目的は二つ。

 一つは育成館の生徒代表として移転先候補を視察すること。

 もう一つは、この洞穴の調査だった。


 かつてここに存在した軍の教育施設は、サムライや姫巫女を戦争の道具とする為のものだった。

 この土地で多くの若者達がサムライ・姫巫女兼軍人としての薫陶を受け、戦地へと駆り出され――死んだ。

 そういった事情もあり、戦後すぐに米軍の監視の下で施設は取り壊され、この祠も厳重に封印された経緯があった。

 祠を封印したのは他ならぬ霊皇である。


 当時こそ霊脈には何の異常も無かったらしいが、人の立ち寄らなくなった霊地には澱みが溜まりやすい。

 しかもここは、かつて多くの若者達を戦場に送り出す手伝いをした、罪深き施設の跡地である。

 何がしかの「陰の気」が溜め込まれていないとも限らなかった。


「ふむ……ざっと拝見したところでは、何も異常は感じられませんわね。小町さんは如何です?」

「オレも特に。霊脈には異常が無いように視えるな。ただまあ、実際にみないことには分からねー、かな」

「ですわね。では予定通り、ここから霊脈へ接続いたしましょう」


 言いながら、小町の手を取る彩乃。

 小町は相変わらずの男子制服、彩乃はセーラー服なので、ぱっと見では仲睦まじい男女に見えなくもない姿だ。

 もしここに、育成館の女子達がいれば黄色い悲鳴を上げたことだろう。

 だが――。


「……それは少し待った方がいいぞ、二人とも。どうやら客人のお出ましのようだ」


 安琉斗が愛刀の鯉口を切りながら入口の方へ向き直り、二人を背中で庇う。

 小町と彩乃も身を寄せ合い、即座に警戒を強めた。

 ――やがて、入り口から差し込む淡い光に照らされた、大きなシルエットが姿を現した。


「うまく気配を殺したつもりだったが、流石は将来を嘱望されたサムライと姫巫女と言ったところ、か」

「その声……てめぇは!」


 侵入者の口から発せられた、低く落ち着いた中年男性のものと思しき声。それを聞いた瞬間、小町の中に激しい怒りが湧いた。

 忘れるはずもない。あの日、小町達を襲撃した男達、そのリーダー格の声であった。

 小町のその反応に、安琉斗と彩乃もすぐさま相手の正体を悟る。


「貴方が、肇をあんな姿にした男!」


 彩乃も、平素からは考えられない彼女らしからぬ怒声を漏らす。

 肇は未だに入院中だ。ようやく一人で歩けるようにはなったが、これから長い時間をかけて運動能力を回復していく必要があった。

 日常を取り戻すまでには、数ヶ月か、下手をすると数年かかる見込みだ。

 その元凶が目の前に現れたのだ。無理もないことだった。


「……九重先輩の指示か?」


 一方、安琉斗は努めて冷静だった。

 が、いつの間にやら抜きはらった刀には、抑えきれぬ殺意が見てとれる。


「もはや隠す必要もあるまいな。確かに、私は九重家に仕えるものだ。そして、お前達を抹殺しに来た――当初はそこな柏崎……いや、今は一色小町だったか、そやつのみを折を見て殺せ、と言われていたがな。姫様は、先日の霊皇の決定が相当に腹に据えかねたらしい。一色小町だけではなく、彼女に与するもの、庇い立てするものは全て抹殺せよ、と来たものだ」


 男――黒龍の声には、はっきりとした自嘲の色があった。

 小町の暗殺をもって九重家への奉仕を最後としようと決意した矢先、無謀かつ無益でしかない命を下されたのだ。裏仕事のプロフェッショナルである彼も、自らと自らの主の滑稽さに呆れ果てているのだ。

 だが、それでも命じられた指令は実行する。もはやそれが、彼に残された最後の矜持であるが故に。


「ほう、大した自信だな。姫巫女二人の恩恵を受けるサムライを相手に勝てると?」

「笑止。我が武の前には、サムライのわざなど児戯も同然! ――一手で終わってくれるなよ、五ツ木安琉斗ぉ!!」


 刹那、それまで「静」同然であった黒龍の体から、凄まじい霊力が吹き上がった。

 「神威」の恩恵を受けたサムライと同等――否、それ以上の攻撃的な霊力であった。


「なっ……!? 小町さん! 私達も神威を!」

「お、おう!」


 黒龍の見せたすさまじい霊力を前に、彩乃と小町が慌てて神威の準備に入る。

 二人の霊力を重ね、瞬時に霊脈へと繋がり、最後に安琉斗との「同調」を果たす。

 この一年の修業の成果が窺える、澱みのない「神威」であった。


「ほう、まだ若いのに大した腕前だ。――我らが姫様も、こんな逸材を抹殺せよというのだから、なんともはや、度し難い。だが、主命は主命だ。容赦なくその命、頂くぞ!」


 それまで棒立ちであった黒龍が構えをとる。

 武器はない。完全なる徒手空拳である。


「……その構え、中国拳法か。なるほど、遥か昔に大陸から渡ってきた、仙道と武術を極めた一族がいたと伝え聞くが、貴様はその末か」

「応! サムライと姫巫女の業など、所詮は仙道から分かたれた紛い物! 九重家のように特殊な進化を極めた訳でもない、貴様らのようなただのサムライと姫巫女など、恐るるに足らぬ!

 ――『闘仙』が末裔、黒龍。参る!」


 黒龍が吠える。

 その姿に、安琉斗はかつてない厳しい戦いを予感した――。

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