6.光と闇の狭間で

 ――薄暗闇の中で、小町は一人瞑想にふけっていた。

 彼女がいるのは、育成館の片隅にある八角形の小さな堂。法隆寺の正堂にあやかって「夢殿」等とも呼ばれている建物だ。

 姫巫女やサムライ達がただ一人で自分自身を見つめ直す際に使われる、窓も明かりもない瞑想用のものである。


 そこで小町は今、すっかり様変わりしてしまった霊的世界と対峙していた。

 以前ならば、眼を閉じ精神を集中させれば、足下に広がる光の大河の如き霊脈の姿だけが見えた。

 ところが今はどうだろう。その光の大河から逃げ惑うように闇の中を飛び交う、有象無象のバケモノ達の姿が見えた――言うまでもなく、荒魂である。


 太陽の強い光によって昼間の星が目に見えぬように、怨霊たる荒魂達は、地に潜んでいる間は霊脈の輝きにかき消され殆どの人間の眼には捉えられない。

 強い陰の気と結びつき地上に現れた時点で、ようやく認識できるものだ。

 だが、小町の霊的な視覚には、はっきりと彼らの姿が視えている。彼女の中にあった九重家の血の能力が目覚めた為だ。


 自然神たる荒魂と違い、地の底を彷徨う怨霊たる荒魂達には大きな力はない。

 だが、数が多い。それらを束ね使役すれば、実に恐るべき軍団が誕生することだろう。

 自らの中に芽生えた能力のおぞましさに、小町は思わず身震いした。

 そしてそれだけではなく――。


(おぼろげにしか覚えてねぇけど……オレ、人を殺しちまったんだよな)


 無我夢中で小町が召喚した「黒い顎」。アレらは、襲撃者達をその大きな顎でかみ砕き一呑みにしてしまった。

 襲撃現場には死体の一つすら残っていなかったが、彼らは間違いなく死に、地の底に引きずり込まれていったはずだった。


 刃傷沙汰や発砲事件が日常茶飯事のバラック街で育った小町だったが、彼女自身は過剰な暴力を振るったことなどない。殺人などもってのほかだ。

 それが、貧民窟を抜けだし、光ある世界へ入ってから人を殺めることになるなど思いもよらなかった。


 後悔はない。

 あの時の小町は無我夢中であったし、あの力に頼らなければ自分も肇も命を落としていたはずだ。

 幼少の頃に悲惨な戦争を経験し、治安など無きに等しい環境で育ってきた小町は、その辺りの感覚がシビアだった。

 殺し殺される状況においては、情けは自分と自分の大切な人々を危険に晒すものにもなりえると、よく理解しているのだ。


 今、彼女が感じているのは純粋な畏れだ。

 自分が簡単に他人を殺せる能力を持っていること。

 感情の昂りによって、その力が容易く暴走してしまう可能性があること。

 ――今も「もう一人の自分」が、闇の力に身を委ねろと甘い誘惑をしてくること。

 それらへの純粋な畏れが、彼女の心を苛んでいた。


『オレを使えよ。九重のバカをぶっ殺したいんだろ?』


 九重麗佳への怒りを燃やすたびに、「もう一人の自分」がそう囁きかけてくる。

 頭の中が真っ白になるような、全てを破壊してやりたいという欲望が心の中で燃え上がる。

 周囲を心配させたくはないので黙っているが、あの襲撃の日から小町の心の中では光と闇の自分が常に相克していた。


 小町も暴力そのものは否定しない。

 もちろん、出来れば存在してほしくないものだが、理不尽な暴力に襲われた際、自分や他人を守る為には暴力に頼るしかないのもまた事実なのだ。

 だが、「この力」は違う。何者かを一方的に殺し、壊し、侵す、そんな力だ。いわば「暴力の為の暴力」である。

 使い続ければ、小町はたちまち暴力という名の快楽けらくの虜となるだろう。


(シャンとしねぇと、な)


 小町が望むのは、あくまでも光の道だ。

 バラック街での不自由な生活に戻りたくはないし、親しくなった人々と共に歩むためには、闇に落ちる訳にはいかない。

 ――と。


「邪魔するぞい」


 音もなく扉が開き、陽光と共に霊皇が姿を現した。


「……ホントに邪魔なんだけど。何の用だよ、へーか」

「そう邪険にするな。ぼちぼちだと知らせに来てやっただけじゃよ」


 古びた懐中時計を小町に見せつけながら、にっこりと笑う霊皇。

 今日は珍しく洋装――グレーのスーツ姿だ。なんだか背伸びしてお洒落した子供のようにも見えてしまい、小町は思わず苦笑した。


「そいつは悪かったな。……よっこらしょっと! じゃあ、ボチボチ行くか。体育館だったっけか?」


 慣れない正座で凝り固まった足をほぐしながら、小町が歩き出す。

 その表情は飄々としていて、とても先程まで自らの闇と向き合っていた少女には見えない。


「答えは……得られたかの?」

「まさか、今も頭の中で違うオレが何か言ってるよ――仕方ねぇから、しばらくの間付き合ってやるさ」


 日の光の下に立っていても、小町の中では「もう一人の自分」が闇への誘いを続けている。

 「怨敵を殺せ」と、「全てを壊せ」と。

 恐らくその声が消えることはない。なんとなくだが、小町はそう直観していた。


「ふむ、それでよい。それはお主の中に確かにあるものだ。否定してはいかん。常に向き合い、目を逸らしてはいかん」

「ああ、分かってるさ。……それと、へーか。黙っててくれて、ありがとな」

「さてはて、なんのことやら。ほれ、遅刻してはシャレにならん。行くぞ小町」


 とぼけた顔のまま歩き出した霊皇に付き従うように、小町も歩き出す。

 ――その背中に限りない感謝を送りながら。


 霊皇は、安琉斗や静香、彩乃達に「小町が荒魂を使役したこと」までは明かしているが、「人を殺めた」ことまでは伝えていない。

 彼らは、「襲撃者は荒魂によって追い払われた」のだと聞かされていた。

 彼女なりの配慮のつもりなのだろう。


 出会ってからむこう、小町は霊皇に対してずっと良い印象を持っていなかったが――今は全く違う感情を抱きつつあった。


   ***


 育成館の体育館には、大勢の人々が集まっていた。

 初等部、中等部、高等部の生徒。教師や講師、教官達。更には、宮内庁のお歴々の姿まである。

 急な全校集会だというのに、まるで入学式か卒業式かのような雰囲気だった。

 生徒達の多くも違和感を覚えているのか、ざわつき、動揺している者も多く見受けられた。


(まったく、育成館の生徒ともあろう者が、落ち着きのない)


 そんな生徒達の様子を、九重麗佳は見下した眼差しで眺めていた。

 確かに今回の全校集会はあまりにも急な話であり、お歴々の列席に驚くのも無理もない。

 だが、そんな感情を顕わにしオロオロするようでは、国の防人たるサムライや姫巫女の資格などないと、麗佳は考えていた。


 やはり、市井出身の者に任せてはだめなのだと、自分のように貴き血を色濃く受け継ぎ家の格も優れた人間が導いてやらねばいけないのだと。

 傲岸不遜という他ないが、麗佳にとってはそれが「当たり前」の価値観なのだ。


(二階堂の姫君や五ツ木くんが最近たるんでいるのも、下々と交わり過ぎたからに違いありませんわ! やはり、九重家の総力を挙げてでも育成館の改革を進めなくては!)


 麗佳が独り、身勝手な決意を固めていた、その時。ようやく壇上に原田館長が姿を現した。


「諸君! 大変お待たせし申し訳ない! 急な全校集会となり諸君らも戸惑っていると思いますが、決して悪い話などではないので、ご安心ください! 本日は、諸君らにとって嬉しいお知らせを、なんと! 霊皇陛下直々にお話しくださるとのことで、わざわざ集まっていただきました! では、陛下、お願いいたします!」


 会場が更にざわつく。

 原田館長がいつもの調子で、まるで宴会の余興でも頼むかのように霊皇に話を引き継いだのだ。

 あまりにも軽すぎるノリだった。


 原田に促されて登場した霊皇の姿にもまた、ざわめきが起こった。

 入学式や卒業式において、霊皇は正装である華美な巫女装束姿で姿を現すのが常だった。それが今、グレーの地味めなスーツに身を包んでいる。


「ふむ、入学式以来となる者も多いかのう? 霊皇じゃ。ああ、緊張せずともよいぞ? 原田館長の話にもあった通り、本日は諸君らに嬉しいお知らせを携えて参った次第じゃ。どうか気持ちを楽にして聞いて欲しい」


 霊皇の口調はいつになくフランクだった。

 ――そもそも、私的な面会の時以外は、流石の霊皇ももっと厳かさを演出するような話し方をしている。彼女が育成館の生徒達の前で素に近い口調を披露するのは異例だ。

 その証拠に、麗佳などは「陛下、もっと威厳を!」等と言いたげに眉をひそめている。


「さて、早速本題じゃ。ワシはかれこれ二十年以上、霊皇の位を預かっておる。まだまだ現役じゃ。当分退く予定はないが……ぼちぼち後継ぎを決めねばならん時期じゃ。あらぬ噂も立っておるし、今日ここではっきりと指名しておきたいと思う――二階堂彩乃、壇上へ!」

「はい!」


 生徒達の列から彩乃が一歩踏み出し、元気よく返事をする。

 彼女はそのまま、生徒達に驚きのまなざしを向けられながら壇上へと上がった。


「知らぬ者はおらぬだろうが、一応紹介しておく。育成館のマドンナこと二階堂彩乃じゃ! ワシはここに、彼女を正式に後継者として指名する!」


 霊皇の宣言に、体育館に集まった生徒達から歓声と拍手の渦が湧いた。

 彩乃は元々、次代の霊皇の最有力候補と言われていたが、それが公式に認められたのだ。おまけに彼女は育成館でも一、二を争う人気者だ。盛り上がらない訳はなかった。


(……まあ、順当なところですわね)


 一方、麗佳は一人ほくそ笑んでいた。

 次期霊皇の候補は、自分か彩乃かと言われていたが、最近になってそこに小町の名前も挙がるようになっていた。

 五ツ木の遠縁とは聞いているが、小町は所詮下賤の出。候補として名が挙がるだけでも、麗佳にとっては不愉快極まりなかったのだ。

 それが今、完璧に否定された。麗佳としては喜ぶ以外の選択肢が無かった。

 だが――。


「さて、ワシからの知らせはもう一つある。彩乃ならば、次代の霊皇として十分に務めを果たしてくれることじゃろうが……霊皇の業は諸君らが考えているよりもはるかに重い。他に相談出来る人間もおらんしの。ワシも散々に苦労させられた。そこで、じゃ。内閣や宮内庁とも相談の上、ワシは霊皇を補佐し傍らで支える役職を創設することを、ここに決めた。まだ名称は未定じゃが、まあ霊皇に次ぐ能力を持った姫巫女、と考えて欲しい。――、前へ」

「おう! ……じゃなかった、ハイ!」


 小町が列から一歩前へ出た途端、生徒達から彩乃の時と比べても勝るとも劣らぬ歓声が上がった。

 彼女も既に育成館の人気者であり、周囲からは「彩乃の親友」として認識されている。二人が手を携えて次代を担うとなれば、盛り上がらないはずがなかった。

 ――ただ一人、九重麗佳を除いては。


(あ、あの野良猫が霊皇の補佐役……ですってぇ!?)


 こめかみに血管が浮くほどの怒りが、麗佳を包む。

 あまりにも怒り過ぎて、危うく荒魂を呼び出しそうになったほどだ。

 だが、必死に堪える。彼女もそこまで短慮ではなかった。

 ――しかし、霊皇の次の言葉で麗佳の理性は遂に消失することとなった。


「さて、小町のことは皆も存じておるな? 昨年に転入して以来、目覚ましい成長を見せた期待の新星じゃ。……じゃが、実はのう、小町の転入はワシの肝いりなのじゃ。小町は市井の出ではあるが、そのルーツにはとても古い血筋が関わっておる。知っている者もいるであろう、『最も貴き血』を受け継ぎながら先の大戦で滅んだ一族――一色公爵家じゃ。小町はその血筋を受け継いだ、唯一の子孫なのじゃ!

 ワシは今ここに、ワシが預かっていた一色の名を小町に託すことを宣言し、サムライと姫巫女復興の鏑矢とする! 市井の中に埋もれている『貴き血』は小町だけではない! これからも育成館は、まだ埋もれている『貴き血』の持ち主を求めて、広く一般に門戸を開いていくことをここに宣言する!」


 ――無論、霊皇の話には真っ赤な嘘が含まれている。小町は「ルーツに一色家の血を持つ」どころか、直系の子孫である。

 だが、霊皇はあえて市井の……つまり下々と呼ばれた人々の中にも、「貴き血」が眠っていることを強調する為に嘘を吐いた。事実、育成館には市井出身ながらも強い霊力を持った生徒が沢山いる。


 戦国時代。大名達は自らの家系に箔をつける為に、京の都から「貴き血」を受け継ぐ公家の子女を妻や養子として多く迎え入れたという。

 その結果、日本各地に「貴き血」が撒かれ、更には土着の霊能力者達とも交わり、広く流布していった背景がある。


 一説には、それは歴代の霊皇が広く才能を求めて意図的に行ったものともされる。

 純血を尊ぶ華族達とは正反対の方法で「貴き血」を守ろうとしたのだ。

 そしてその狙いは成功したと、当代の霊皇は実感していた。


 体育館の中はいよいよ熱狂の渦に巻き込まれていた。

 華族直系の姫君と、市井から見出された「貴き血」の少女が手を携え未来を描く。

 その光景を思い浮かべ、誰もが霊皇と二人の少女を讃えていた。


 ――ただ一人、九重麗佳だけが殺意を込めた眼差しを壇上へ送っていた。

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