5.妖の誤算
――時は少しだけ遡る。
小町達が襲撃を受けた日の夜。九重家の東京屋敷には、苛立ちを隠せぬ九重麗佳の姿があった。
「柏崎小町一人に不覚を取った、ですってぇ? 黒龍、わたくしは笑えない冗談は嫌いですよ」
「無論、冗談などではございません、姫様」
霊皇の「謁見の間」を模したような薄暗い板の間には、麗佳以外の姿もあった。
「黒龍」と呼ばれた、四十絡みの精悍な顔つきをした男だ。床に額をこすりつけんばかりに、麗佳に平伏している。
この男こそが小町達を襲撃した覆面男のリーダーであった。
「黒龍、わたくしは貴方がたの実力を高く買っています。生半可な相手では、貴方がたを……特に貴方を退けるなど、不可能でしょう。
黒龍達の一族は、遥か昔に大陸より渡ってきた「仙術」を操る武術家の一派である。
大陸での弾圧から逃れ、海を越えてきたところを九重家の先祖に拾われて以来、隠密仕事を請け負ってきた。
護衛、諜報、そして暗殺。一人一人の戦闘力はサムライには劣るものの、集団戦闘や闇討ちを得意とし、歴代に渡って九重家の政敵を抹殺してきた。
黒龍はその何代目かの当主であり、歴代の当主の中でも抜きんでた実力の持ち主だ。麗佳も彼の実力を深く信頼している。
彼が鍛え上げた隠密部隊は、麗佳や彼女の父である現当主の目となり耳となり、時には刃となり、様々な困難を乗り越えてきた。
それ故に信じられなかったのだ。小町一人に彼の部下達が全滅させられたという事実を。
「――おそれながら姫様、彼の少女は我々が考えていたよりも恐ろしい存在でした。姫巫女としての能力は、姫様の足元にも及びませぬ。ですが……彼の少女は、我々の目の前で荒魂を使役し、部下達を喰らったのです」
「……なんですってぇ?」
黒龍の言葉に、麗佳の纏った感情が苛立ちから怒りへ、そして更に憎悪へと変貌する。
途端、室温が急激に下がったかのような冷気が黒龍を襲う。麗佳の憎悪によって周囲の「陰の気」が引き寄せられているのだ。
「それこそ悪い冗談です! 我ら九重の『貴き血』のみによって伝わる
「――ですが、事実です」
激昂する麗佳に、しかし黒龍は冷静に告げる。
彼自身も小町の能力を前にした時には激しく狼狽し、今も疑心暗鬼に囚われているが、主の前でこれ以上の醜態をさらすことは出来ないのだ。
「……なるほど。どうやら、我ら九重の『貴き血』を掠め取った盗人がいたようですね。よりにもよってあんな下賤な小娘に我らが血を……許せません。許せませんねぇ!」
麗佳の感情の昂りに引き寄せられた為か、気付けば部屋の中には黒く蠢く無数の影――荒魂が姿を現していた。
骸骨、鎧武者、名状しがたい触手だらけの怪物。多種多様な荒魂が、麗佳にかしずくようにして、黒龍の周囲を取り囲んでいたのだ。
黒龍の背筋に冷たいものが走る。
「徹底的に痛めつけて、そのまま死ねば良し。生き延び、なおも立ち上がったなら少しは認めて差し上げるつもりでしたが……盗人であれば、それ相応の処罰が必要ですね。――黒龍!」
「はっ!」
「しばらくの間はあちらも守りが固くなることでしょう。ですから、しばし時を待ちます。貴方が『機が熟した』と判断した、その時。手段は問いません、柏崎小町を亡き者としなさい」
「承知いたしました。この黒龍、一命にかえましても」
黒龍の返答に満足したように頷くと、麗佳は「本日はもう休みます」と告げて、部屋から出ていった。
あれだけいた荒魂達も、いつの間にか姿を消している。
ようやく緊張を解くと、黒龍は大きくため息をついた。
彼の中には、部下達を皆殺しにした小町への怒りがふつふつと沸いている。だから、小町を抹殺することは彼にとっても本望だった。
しかし、麗佳が死んだ部下達に何の弔意も示さなかったことにも、怒りを覚えていた。
九重家と黒龍の一族は、主従関係ではあるが同時に同盟関係でもある。
九重家あっての一族であるが、闇を担う黒龍の一族がいなければ九重家もまた成り立たない。
故に、歴代当主と黒龍一族の長は、立場を超えた友人や相棒のような関係を築いていることが多かった。
だが、麗佳は違う。
遥か年上である黒龍への敬意など欠片もなく、「替えの利かぬ手駒」くらいにしか思っていない。
それでも、九重家の長い歴史の中でも屈指の力を持つ麗佳ならば、その傲慢も許されると黒龍は考えていた。
――今までは。
(潮時、かもしれんな)
最早時代は変わった。
九重家は先祖伝来の土地や財産を没収されず、今なお強い権勢を誇っているが、あまりにも時代錯誤な存在だ。
未だに貴族主義を掲げる九重家は、民主主義と資本主義の道を歩み始めた日本国にとって異分子となっていくことだろう。
黒龍の一族のような裏稼業でしか生きられぬ者達もだ。
彼は一人、今回の仕事を最後にしようと決意を固めた――。
***
数日後、九重麗佳は「育成館」へいつも通りに登校していた。
既に宮内庁内にいる内通者から、小町達襲撃の黒幕が自分であることは霊皇の知るところになっている、という報告は受けている。
だが、麗佳にとってはそんなことは些末事であった。
日本の霊的支配者である霊皇と言えども、「出雲」の首魁たる九重家にはおいそれと口出しは出来ない。
九重家は霊的要衝である出雲地方の霊脈を治め、古き血の家々を束ね、更には唯一無二の能力である荒魂を操る業を持っているのだ。邪険に等出来るはずがない。
――そう高を括っていたのだが。
「……?」
お付きのサムライである中村を従わせながら、いつも通りに校舎への道を歩く。
だが、何か違和感がある。具体的に何がとは言えないが、やたらと視線を感じる気がしたのだ。
しかも――。
『見て、九重さんよ』
『よく育成館へ顔を出せたものだな』
『どうせ私達、下々のことなんて何とも思ってないのよ』
『しっ! 目を合わせるな。俺達も何をされるか分かったもんじゃないぞ』
あちらこちらから、麗佳へ向けられたと思しき陰口が聞こえてくる。
以前から彼女を目の敵にする人間は――普段の麗佳の言動が最悪であるから仕方ないのだが――一定数いるが、それとは違う雰囲気がある。
あからさまな敵意と蔑視が向けられていた。
(どうやら、わたくしが柏崎さん達を襲撃した黒幕だということを、誰かが触れ回ったようですね)
麗佳は、周囲の反応から素早く事態を察していた。
そしてその洞察は正鵠を得ていた。生徒達は、何者かが流した「小町達を襲撃した犯人は九重の手のもの」という噂話を信じ、彼女に蔑みのまなざしを向けていたのだ。
(どうせ陛下辺りでしょうが、陰湿なこと……。ふふ、下賤の連中にいくら忌み嫌われようとも、わたくしには蚊に刺された程にも感じられませんのに。こんな低俗な嫌がらせしか出来ないなんて、お可哀想な方ですわ)
もとより、格下だらけの育成館の生徒達など、麗佳の眼中にはない。
彼女にとっては、育成館を卒業すれば二度と関わることのない下賤の輩でしかない。
上位の姫巫女として顎で使うべき人間としか思っていないのだ。
そういった者達にいくら蔑まれようが、それは下々の嫉妬心でしかない。麗佳は本気でそのように考えていた。
だがしかし――。
「おはよう九重さん」
「九重くん、おはよう。今日も爽やかな朝だね」
「……おはようございます、先生方」
校舎に入ると、すれ違う教師達が揃ってにこやかな笑顔を浮かべながら麗佳に挨拶をしてきた。
――挨拶されること自体は毎日のことであるが、やけに愛想がよすぎる。
更に言えば、彼らの眼は全く笑ってなどいない。慇懃無礼とも言える雰囲気が、そこにはあった。どこか麗佳を蔑んでいるような印象さえ受ける。
一般の教科を教える教師達はさておき、姫巫女やサムライの課程を教える教師達は、いずれも名だたる名家の出身である。
館長である原田からして元華族だ。流石の麗佳も一目置いている。
そんな彼らが、麗佳にそこはかとない敵意のようなものを向けていた。これは由々しき事態であった。
(先生方まで、何故……?)
動揺を面には出さず、内心で首を傾げる麗佳。
――もし、彼女以外の人間が同じ状況に遭えば、教師達も生徒達と同じ噂を耳にしたのだと気付いたことだろう。
だが、麗佳はそれに気付けない。彼女と同じく正当な「貴き血」を持つ教師達は、麗佳と同じ「古き良き価値観」を共有している――彼女はそう信じ込んでいた。
だから、「たかだか下々の生徒を闇討ちした程度で、自分に蔑みの眼を向けるはずがない」と思い込んでいるのだ。
九重麗佳は決して愚かな人間ではない。むしろ、霊皇さえも手を焼く策謀家である。
しかし彼女の価値観は決定的に当世のそれとはズレていた。
戦前までに培われてきた華族中心の社会は、敗戦により表向き失われた。
だが、それはあくまでも表向きなだけであり、裏では脈々と受け継がれている。そしていつの日か、再び「貴き血」の時代が来る。
麗佳は本気で、そう信じていたのだ。
だから、教師達から向けられる蔑みの理由が分からない。理解出来ない。
自らの歪んだ価値観に気付くことが出来ない。
九重麗佳とは、つまりはそういう人間であった。時代の変化についていけない、旧時代の遺物なのだ。
もちろん、それは彼女自身の責任とばかりは言えない。
殆どの「貴き血」の家柄が戦争により没落した中、九重家だけはその血筋も財力も衰えることなく存続した。
新しい価値観の中で必死に家を建て直す必要に迫られなかった。
故に、麗佳は幼少のみぎりより古い教えをその体に叩きこまれてきた。彼女はその教えに忠実なだけなのだ――。
***
教室で授業を受けている際も、麗佳は方々から向けられる蔑みの視線を感じていた。
特に五ツ木安琉斗等は、麗佳への敵意と殺意を隠そうともしていない。可愛い弟分である肇を殺されかけたことが、よほど腹に据えかねているらしい。
(五ツ木くんともあろう方が、あんな小物一人にご執心とは……)
しかし、麗佳はむしろその安琉斗の怒りを蔑みの眼で見ていた。
麗佳にとって、名家出身以外のサムライや姫巫女は下々の者でしかない。才能溢れる若者であろうとも、自分達の道具であるとしか思っていないのだ。
その道具が傷付いた程度で心を乱すなど言語道断――麗佳は本気でそのように考えていた。
「――さて、本日の授業はここまでとします。急な話で申し訳ありませんが、この後は緊急の全校集会を行いますので、全員体育館まで移動をお願いします」
そんな怒りを沸々と燃やしていたら、いつの間にか授業が終わっていた。
しかも緊急の全校集会があるという。
(本当に、今日はとてもおかしな日ですね)
そんなことを考えながら、中村を伴い教室を後にする麗佳。
彼女はまだ知らない。体育館で待ち受けているのは、彼女の価値観を粉砕するような何かであることを――。
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