4.それは呪いか祝福か
静香の母親は、名を巴といった。係累のない天涯孤独な女性であり、元は出雲地方で九重家に仕えていたそうだ。
そこで宗家の次男坊と恋仲となったのだが、そのことを当主に知られ追放された。
何よりも「血の貴さ」を重んじる九重家に「下賤の血」はいらない、というのがその理由であった。
だが、巴は既に子を身ごもっていた。
もしそのことを九重宗家に知られれば、自分も子供も命がない。そう考えた巴は帝都へと逃げ延び、密かに静香を出産した。
しかし、親類もない一人親が子を育てながら生きていけるほど、帝都は優しい土地ではなかった。
他人に言えぬ仕事をしながら、数年。なんとか糊口を凌いでいた巴に手を差し伸べたのが、一色公爵夫人だった。
公爵夫人がどのような経緯で巴と静香のことを知ったのかは、誰も知らない。
ただ、彼女は極めて優れた「千里眼」と「先詠み」の持ち主だったので、推して知るべしといったところだろう。
こうして、一色家は求めていた「九重宗家の血筋」を受け継ぐ子を手に入れた。
その後、巴は無理が祟ったのか、一色家による庇護の甲斐もなく早逝。静香は公爵家の住み込み女中見習いとして引き取られることになった。
「公爵は静香を本当の娘のように可愛がっておった。常々ワシに、『次男の嫁にしたい』等と嬉しそうに語っておったわ。……静香よりも五つも年下じゃったがな」
「ふふ、懐かしいです。
霊皇の言葉に、昔を懐かしむように静香が呟いた。
もちろん、小町も初めて聞く話だ。使用人でありながら、静香は次男の婚約者として扱われていたとは驚きだった。
何故ならば、実際にはそうはならず――。
「じゃが、運命は公爵家の人々の思惑とは逆の方へと進んでいったのじゃ。ある日のことじゃ、ワシと公爵夫人は全く同じ夢を見た。二人の『先詠み』が一致したのだということはすぐに分かったが、問題は内容じゃった。……大きな戦争が起こり、一色の家の者は悉く命を落とすだろうという、恐ろしい『先詠み』じゃった」
二人が見た「夢」は、一色家は公爵の弟を残して、全員が戦争で死ぬことを告げていた。そしてその弟も病弱の為、子も為せずに死ぬだろうとも。
極めて高い能力を持つ姫巫女二人が同じ「先詠み」を見る。それは単なる予知・予測を超えた「必ず起こりうる未来」だ。
「公爵と嫡男は戦場で、夫人や次男、娘達は民草を救う為に命を落とす。『先詠み』はそう告げていた。逆に言えば、戦場に行かなければ、民草の命よりも自分達の命を優先すれば死なぬかもしれん――だが、彼らはそれを良しとはしなかった。運命を受け入れたのじゃ」
「じ、自分達が死ぬって分かっててかよ?」
「そうじゃ。一度戦争が起これば、公爵も嫡男も戦場へ向かわねばならぬ。死にゆく民があれば、一命を賭してこれを救わねばならぬ。彼らは『貴き血』の宿命に従ったのじゃよ。誰にでも真似できるものでなかろうが」
華族――貴族には、与えられた身分に応じて果たさねばならぬ義務がある。所謂「ノブレスオブリージュ」であるが、その精神を遵守する華族は少なくなかった。
特にサムライや姫巫女を輩出する古い血筋はそれに殉じ、結果として多くの「貴き血」が失われてしまった。
小町には全く理解出来ぬことだった。
「さて、とは言えじゃ。一色公爵達は、血を絶やすのも良しとはしなかった。そこで家の『外』に血を遺そうと考えた。言葉を選ばず言えば、妾腹じゃな。そこで白羽の矢が立てられたのが、静香じゃった。元々、一色と九重の血を受け継ぐ子を産ませる為に引き取ったのじゃ、好都合じゃったのじゃな。……続きを、良いかの?」
「はい、陛下。どうぞお心のままに」
霊皇は珍しくばつの悪そうな顔をしながら静香に最後の念押しをした。
彼女にとっても、あまり口にしたくない話題だったのだろう。
「んんっ、では……。公爵は当初、嫡男に静香の相手をさせようと考えていたのじゃが、これが堅物でな。既に妻帯者だった嫡男は『妻以外の女性は抱けませぬ』と固辞しおってな。婚約者として考えておった次男はまだ十歳やそこら。使い物になる訳もない」
「使い物」という言い回しに、小町と彩乃が思わず赤面する。
二人とも、霊皇の言わんとすることが理解出来ている証拠であった。
「公爵は困り果てたのじゃが……夫人はいたって冷静だったそうじゃ。そして夫に平然とこう言い放った。『貴方のお種を下賜すれば良いではないですか』と」
『――っ』
小町が、彩乃が、安琉斗が、ついでに原田館長が絶句した。
夫に向かって平然と「娘同然の少女を抱け」と言い放つ公爵夫人の姿を想像して、背筋に冷たいものが走ったのだ。
「あはは……まあ、そういう訳なのよね~。アタシも旦那様……公爵様も奥方様には逆らえなくてね。公爵様、泣いてらしたわ。泣いてアタシに謝りながら何度も何度も――」
「こら静香、子供らの前で生々しい話はよさんか! 気を遣ったワシがアホみたいじゃろが」
質の悪い寸劇を繰り広げる静香と霊皇をよそに、小町達は与えられた情報の生々しさに呆然としていた。
特に、小町が一色公爵家の血を継いでいる事さえ知らなかった彩乃は、消化不良を起こし頭からプスプスと煙を上げそうな味わい深い表情を浮かべている。
「――コホン。そういう訳で、無事に……と言って良いのか、静香は公爵の子を身ごもり、『先詠み』が告げた滅びの枠から外れた子供が生まれた訳じゃ。その子は一色家と九重家の血を引いていることを巧妙に隠され、公爵家の外で育てられた……。どうじゃ、小町。己が出生の秘密を知った気分は?」
「できれば一生知りたくなかったよ!」
御前であることも忘れて霊皇に噛みつく小町。
だが、彼女のその反応もやむを得ないことだった。まさか自分がそんな複雑かつ生々しい経緯で生まれたとは、知りたくもなかったことだろう。
「……ん? 待てよ。じゃあ、一色公爵が年少の女子ばっかり食い散らかしてる助平だって話はどうなるんだ? オレはてっきり、カーチャンも変態公爵の餌食になったんだとばかり思ってたんだが」
「ああ、それ、奥方様が流した欺瞞情報よ。年若い女中の人達にお金を渡してね、公爵様の悪い噂を吹聴しろって」
「はぁ!? な、なんでそんなことするんだよ。公爵家の評判ガタ落ちじゃねぇか!?」
「そりゃあ、万が一アタシと小町のことが他所の人間に知られても、『あの公爵なら』って思わせる為よ。奥方様はね、アタシ達を守ってくださったのよ」
「……理解できねぇ」
小町にはどうにも、一色公爵夫人という人物のことが理解出来なかった。
「先詠み」で一族の滅亡を知りながらもそれを避けず受け入れ。
養女同然の静香を抱くように夫に強要し。
公爵家の評判が落ちることを分かった上で、夫の悪評を流す。
とても余人の考えが及ぶ人間ではないように思えた。
「夫人は、公爵家へ嫁がなければワシの前に霊皇になっていたかもしれぬお人じゃ。個人の感情や損得ではなく、何年も先の結果を考えて動く方じゃった。――あるいは『貴き血』という祝福でもあり呪いでもあるモノを、最も体現した方だったかもしれんな。ま、理解出来ずとも良いが――決して冷たい人間ではなかったことだけは、知っておいてくれ」
そう宣う霊皇の表情は、どこか昔を懐かしむかのようであり、小町はそれ以上何も言えなくなった。
「さて、以上が小町の出生にまつわるあらましじゃが……この事実は、ワシと静香しか知らぬ。殆どの関係者には、小町が一色家の血筋であることまでしか話しておらんからのう。じゃから、九重がそのことを知っているはずもないのじゃが……果たして、いかなる理由で小町の命を狙ったのやら」
「分からぬのう」等と呟きながら、霊皇が愛用の扇を閉じたり開いたりする。
どうやらとぼけているのではなく、本当に察しがつかないようだった。普段、超然とした態度を崩さぬ彼女には珍しいことであった。
もしくは、この姿こそが本当の彼女なのか。
「静香さんの母親から探り当てた……という線はどうでしょうか?」
「無い、とは言い切れんが、その線は薄いじゃろうな。巴殿の戸籍や静香の出生届は、公爵家が手を回して改変しておるらしい。『柏崎』の姓も古い血筋のそれを拝借しておるだけじゃ。さてはて……」
安琉斗の言葉に、霊皇が中々にとんでもない事実を交えながら答える。
まさか「柏崎」という苗字も借り物だとは、小町の複雑な心中ここに極まれりである。
――だが、そんな複雑な心中とは別に、小町の頭にはある直観めいた考えが浮かんでいた。
「……単にムカついただけなんじゃないか?」
「なんじゃと?」
「いや、だからさ。九重のヤツ、ただ単にオレのことがムカついて仕方なかったんじゃないかなって。九重宗家の血筋を継いでるとか全然関係なく、目障りだから殺そうとした」
「いやいやいや、待て! いくらなんでも九重の奴はそこまで短慮ではないぞ?」
小町の呟きを霊皇が即座に否定する。
彼女の知っている九重麗佳は策謀家ではあるが、短慮ではない。むしろ考えが過ぎて過激な行動に出がちな人物だ。
「ムカついた」という理由で、貴重な姫巫女候補を抹殺するとは思えなかった。
しかし――。
「……いえ、陛下。小町さんの仰っていることは、あながち間違いとは言えないかもしれません」
「彩乃まで、何を言い出す」
「あたくしも、九重先輩が襲撃者の黒幕だと知った時は、『まさか』と思いました。けれども、ええ、今まであの方が小町さんや肇に向けていた、どこか侮蔑するような視線……あの裏に、相手を同じ人間とも思わぬ冷たい感情があるのだとすれば、あるいは」
言いながら、身震いする彩乃。恐らくは肇の無残な姿を思い出したのだろう。
あれだけの襲撃だったにもかかわらず、彩乃はほぼ無傷だ。しかし小町は命を狙われ、肇は殺されかけた。
肇が致命傷を受けたのは必死の抵抗を試みたから……というだけではないように思えたのだ。
即ち、彩乃以外は「殺してもよい」と、あの襲撃者達は命じられていた。それゆえに、あの覆面男は迷いなく命を刈り取る業を肇に向けた。
そう考えた方が自然だった。
「月舘家も、華族でこそありませんでしたが古いサムライの血筋です。けれども、九重先輩がそれに対する敬意を見せたことは一度たりともございません。あの方の中では、同じ『貴き血』を持つ者であっても、認められる者と認められぬ者が、はっきりと分かれているのではないでしょうか?」
「……ふむ。なるほど、それは一理あるやもしれぬ」
彩乃の言葉に、霊皇がポンと膝を打つ。
確かに九重麗佳には、市井出身の姫巫女やサムライに対するあからさまな侮蔑があった。
選民思想じみた考えもよく口にしていた。
となれば――。
「ふむふむ……。市井の出でありながら、名門家の彩乃に伍する実力を持ち始めた小町を、苦々しく思っていた……か? なるほど、いかにも九重の考えそうなことじゃ。それに一年前のアレの件を加えると、ふむ」
一年前の荒魂による襲撃の目的は、市井の出身者が増えた育成館を憂い、あえて死地を体験させることで「ふるい」にかけることにあった。
覚悟や実力が足りない者には去ってもらおうという腹だ。もちろん、死人が出ようが構わない。
「確信ではないが……なるほどのう。これは、九重にはきついお仕置きが必要なようじゃの」
ニヤリと口元を歪める霊皇の姿に、一同の間に緊張が走った。
それまでの親し気な雰囲気は消え失せ、そこには日本の霊なるものを統べる「皇」としての姿があった――。
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