3.陰と陽

 『小町と彩乃が何者かに襲撃された』――その一報を霊皇と安琉斗が受け取ったのは、東京からやや離れた伊勢の地にいる時のことだった。

 神事の為に伊勢に赴いた二人であったが、不測の事態を前に予定を急遽繰り上げ、急ぎ東京への帰路に就いた。

 とは言え、一九五六年当時はまだ、高速道路網もなく新幹線すら開通していない。

 列車と車を乗り継ぎ東京を目指す間、安琉斗の心が千々に乱れていたことは言うまでもないだろう。


 結局、二人が東京へ舞い戻り、小町達が運ばれた病院へと駆け付けたのは、襲撃からほぼ一日が経ってからだった。


「――失礼するぞ」

「へ、陛下!? 安琉斗さま!」


 看護婦に案内されて、個室の病室へ赴くと、まず彩乃が二人の姿に気付いた。

 彩乃は誰かが寝ているベッドの傍らで、椅子に腰かけていた。頭には痛々しい包帯が巻かれており、顔は擦り傷だらけだ。

 立ち上がって平伏しようとする彼女を、霊皇はそっと手で制し病室の中を見回した。


 ベッドで横たわっているのは、とても小柄な人物だ――が、包帯が体中に巻かれ、最新の医療機器らしいものから沢山の管が体へと伸びており、一見すると誰なのかさえ分からない。

 そしてベッドの手前、彩乃の傍らにはもう一人、椅子に腰かける赤袴姿の何者かがいた――小町だ。

 小町は霊皇と安琉斗が来たというのに何の反応も示さず、死人のような表情を浮かべながら、ベッドの人物を見つめ続けていた。


「……それは、肇、か?」

「はい、安琉斗さま。……お医者様は最善を尽くしてくださいましたが、肋骨が粉砕され、肺に大きな穴が開いているそうです。生きているのが、不思議なくらい……と」


 声を震わせながら、なんとか答える彩乃。

 泣きはらしたのか、その目は真っ赤に充血していた。


「……簡単な報告を受けておる。彩乃と小町に大きな怪我が無かったのは不幸中の幸いじゃが、ふむ。ハジメというのは、月舘の息子じゃな?」

「はい、陛下。あたくしの……家族も同然でございます」

「――月舘の一族も、多くが先の大戦で戦死しておる。むざむざと死なせるわけにはいかんな。どれ、彩乃……小町も、少しその子から離れておれ」

「陛下……?」


 訝しがりつつも、霊皇の言葉に従いベッドの傍を離れる彩乃。

 小町が動こうとしなかったので、彩乃がその二の腕を引っ張り、強引にどかせる。


 霊皇は、二人の様子を感慨深そうに眺めてからベッドへと歩みより、その小さな手を肇の心臓の辺りにかざした。


「……どれ。父祖の霊達は、この子に祝福を与えてくれるものか。――ぬんっ!」


 その瞬間、霊皇の全身が凄まじい霊的な光を放った。

 病室が青く染まり、全ての輪郭が失われていく。

 傍らの小町達に、突風でも吹いたのではないかという程の圧力が襲い掛かる。


「へ、陛下!? 一体何を……?」

「二階堂の姫君、少し静かに。陛下は今、霊脈とそこに眠る先人達の霊魂に呼びかけているんだ」

「先人達の霊魂に……?」


 やがて、霊皇の全身を包んでいた霊力の光が、ゆっくり、ゆっくりと肇の中へと流れ込んでいった。

 ビクン! と肇の体が痙攣を起こす。

 彩乃は駆け寄りたい衝動を必死に抑えながら、その光景を見守った。


 ――そして。


「ふぅ……。この子の普段の行いの良さに感謝するのじゃな。父祖の霊達が力を貸してくれたぞ。――安琉斗、医者を呼べ。この病院には確か、霊力の心得がある者がおったはずじゃ」

「はっ!」


 途端、安琉斗が風のような速さで病室を飛び出す。

 後に残された彩乃と小町は、狐につままれたような表情のまま、何が起こったのか分からずポカンとしている。


「へ、ヘーカ。今、何をやったんだ?」

「なんじゃ小町。お主、ちゃんと口がきけたのではないか。全く、腑抜けおって」

「なっ――!?」


 霊皇の口ぶりに、思わずかっとなる小町だったが、すぐにここが病室であり肇が重体であることを思い出し、冷静になった。

 自分の浅はかさに、頬を紅潮させ俯く。


「……ふむ。何があったのかは概ね察しておるが、なるほど。貴様も成長した、という訳か。ふむふむ。チチはまったく増えとらんようだが」

「アンタにだけは言われたくないぞ、このまな板! ――ってか、アンタ一体、ハジメに何をしたんだよ?」


 先程まで死人のような顔をしていたというのに、小町はようやくいつもの調子を取り戻しつつあった。

 ――全てはわざと茶化すような言葉を向けた霊皇の目論見通りなのだが、小町自身に気付いた様子はない。


「そ、そうです陛下! 一体、肇に何をなさったのですか? 霊力による治癒……とも違うようでしたが」


 彩乃も、霊力による治癒術があること自体は知っていた。

 だがそれは、自然治癒力を高める程度のものであり、肇のような重体の人間や致命傷を癒すものではない。


「なに、単にその子の天運が尽きていなかった、というだけのことじゃよ。ワシはただ、父祖の霊達に『こやつを活かしてもらえぬか?』とお伺いを立てたにすぎん――なに、悪い結果にはならんさ」


 不敵に笑う霊皇を前に、顔を見合わせる小町と彩乃。

 そして彼女の言葉通り、その日の夜に肇が意識を取り戻した。まさに奇跡であった――。


   ***


 翌日、霊皇の住まいである御所の「謁見の間」に、六人の人間の姿があった。

 一人は霊皇自身、残りは小町と安琉斗、彩乃、原田館長、そして小町の母である静香だ。


「月舘の小僧は、その後どうじゃ?」

「はい、お医者様のお話では、重症には変わらないものの、回復の見込みは十分にあるとのことです。本当に陛下には、なんとお礼を申し上げれば良いのか」

「よせよせ。昨日も言うた通り、ワシは父祖の霊にお伺いを立てただけじゃ。父祖の霊達が、何者かに歪められたあの子の天運を元の姿に戻したまでのこと。ワシの力ではないよ。さて、その事よりも――」


 霊皇は一同を見回すと、首をコキコキと鳴らしてから、おもむろに語り始めた。


「小町達を襲撃した者共だが、ワシには心当たりがある。小町にも察しがついているのではないか?」

「……ああ。どこの誰かまでは分からねぇが、あいつら、去年の実地講習の時に荒魂をけしかけてきた連中じゃないのか?」

「ほう。何故、そう思う?」

「何故って、それは……」


 覆面男達を呑み込んだ黒い顎。あれは、紛れもなく「荒魂」であった。

 そしてそれを呼び出したのは、他でもない小町自身だ。自分でも一体どうやったのかさえ分からないが。

 そして覆面男のリーダーは、こう言っていた「この力……まさか我らが姫様と同じ」と。

 つまり、彼らの主と思しき「姫様」とやらも、荒魂を呼び出す力を持っているはずなのだ。だから、昨年の騒動と結び付けられた。


「ふむ。お主の身に何が起こったのか、ワシも概ねは察しておる。――さて、ここから先の話をするには、お主と静香の身の上を彩乃にも話すことになるが、良いかな? お主の知らぬ事実もたくさん含まれておるが」

「話すから彩乃も呼んだんだろう? いいよ、オレのせいで巻き込んじまったみてぇだし、知ってもらうのが道理だ」


 小町の言葉に、静香も無言で頷く。

 彼女の眼にも何やら決意のようなものが窺えた。


「……彩乃にも無関係の話ではないんじゃがな。まあ、良い。さて、単刀直入に言ってしまうとだな。今回の事件の黒幕は九重家――九重麗佳じゃ」


 霊皇の言葉に、一同がざわっとなる。

 まさか名指し出来るほどはっきりとした情報を霊皇が持っているとは、誰も思っていなかったのだ。


「こ、九重先輩が? でも、どうして? 確かに最近、やたらと小町さんを目の敵にしていましたが、命を狙う程の何があるというのですか」


 彩乃が慌てふためくのも無理はない。

 好ましくない人物ではあるが、彩乃にとって九重はライバルの一人であり、何より育成館の先輩だ。

 その彼女が友人である小町の命を狙い、肇を殺めかけた連中の首魁だとは、俄かには信じられなかった。


「彩乃は『出雲』という存在を知っておるか?」

「出雲……? ええ、はい。その名の通り出雲地方で権勢を誇る一族の総称、ですわよね? 確か、九重家が筆頭を務める」

「そうじゃ。彼らは山陰地方の実質的な霊的支配者であり、霊皇すらも簡単には従わせられぬ連中じゃ。じゃが、彼らが権勢を誇っているのは、ただ古く霊力が強い家柄だからではない。ある特殊な血筋を伝えるからなのじゃ――それが何か、分かるかの?」


 霊皇に問われ、少し考え込む彩乃であったが、答えはすぐに思い当たった。

 先程の小町と霊皇の会話の中に、既に答えがあったのだ。


「まさか……荒魂を操る能力を持つ血族、でしょうか?」

「正解じゃ。出雲……正確には九重宗家には、古くから『陰の気』を従える血が伝わっておる。歴代の霊皇が和魂にぎみたまを『式』とするように、彼らは荒魂を『式』とすることが出来る」

「……俄かには信じられないことですが、なるほど、全ての辻褄が合います」


 彩乃は昨年遭遇した「漆黒の骸骨」を思い出し、僅かに身震いした。

 あの荒魂には、明らかな殺意――あるいは意思のようなものが感じられた。背後で人間が操っていたというのなら、むしろ納得出来た。


「なぁに。陰と陽は所詮は表裏一体。陽の気たる和魂を操ることが出来るのならば、陰の気たる荒魂を操ることも出来るのは道理。まあ、ワシら歴代の霊皇はやらんがのう。日本は元々自然の荒ぶる側面が強い国じゃ。つまり、陰の気が強い。霊皇たる我らが陰の気を殊更に用いれば、大地に眠る自然神たる荒魂達を呼び覚ましかねんからの」

「……それは、例えばあたくしにも可能なのですか? 荒魂を操ることが」

「出来んことはないが、オススメはせんのぅ。九重の連中が操るのは、あくまでも人間の怨念によって生み出された、怨霊としての荒魂じゃ。彼らと心を一つにし手足として操る――考えただけでも、?」


 言いながら、チラリと小町の方へ眼を向ける霊皇。

 そこに「話しても良いか?」という無言の問いかけを感じた小町は、小さくうなずき返した。

 小町自身も知りたいのだ。何故彼女が、常人には出来ないはずの「荒魂を操る」能力を持っているのかを。


「荒魂を式として使役する術で重要なのは、技術ではない。『血』じゃ。当世風に言えば、血で引き継がれる特殊な体質の持ち主でなければならない。才能と言いかえても良いな。努力でどうにか出来るものではない。――。それも傍流ではなく、宗家に近い血筋のな」

「――っ」


 その言葉は、恐らく小町に向けられたものだったのだろう。

 霊皇は、暗に「小町が九重宗家の血を継いでいる」と言ったのだ。

 だが、何故? 自分は一色家の血を継いでいるのではなかったのだろうか? 小町には何が何だか分からなかった。

 しかし、その答えはすぐに得ることが出来た。


「――二十年以上前の話じゃ。そういった特殊な血筋を持つ九重家を危険視した華族がおった。今は亡き、一色公爵とその細君達じゃ。霊皇の忠実なるしもべを自称する彼らは、『よかれ』と思い、自分達の家に九重家の血筋を入れようと考えた。同じ能力を持てば対抗出来ると考えたのじゃな……ワシは止めたがな。聞く耳を持たんかった。

 その時に、どこからか探し当ててきたのが――そこにおる静香じゃ」

「か、かーちゃんが?」


 あまりに予想外の答えに、小町が思わず口を挟む。

 そう言えば、静香の実家筋については、ほとんど何も知らないも同然だ。

 今さらながら、小町は母のことを何も知らぬ自分を恥じた。


「さて、静香よ。ここから先はお主の身の上も、小町の父親についてもつまびらかにせねばならぬが、良いかの?」

「……はい、陛下。全てお任せいたします」


 霊皇は珍しく傷ましい物を見るような表情を浮かべてから、おもむろに語り始めた。

 静香の半生と、小町誕生の秘密を――。

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