2.黒い顎

 小町の周囲では、この一年余りで多くの変化が起こっていた。

 その最たるものの一つは、小町と彩乃が「実戦」への参加を許されたことだろう。


 「漆黒の骸骨」の一件以来、二人には共通の危機感が生まれていた。

 今度同じようなことがあれば、今度こそ親しい人々を失ってしまうかもしれないという、恐怖にも似た危機感が。

 そこで二人は原田館長や霊皇に直談判し、「育成館」の教育課程だけではなく、プロの姫巫女達と同じ現場を経験して強くなりたいと願い出たのだ。


 無論、当初は反対された。原田や霊皇だけでなく、安琉斗までもが二人の味方にはなってくれなかった。

 だが、反対されても反対されても、頼み込み続けた二人の姿が、思わぬ影響を周囲に与えた。


 実は、生徒達の中には例の事件以来、荒魂への恐怖を抱いてしまったものが少なくなかった。

 育成館を去ることを考えていた生徒までいた。

 しかし、あれだけの恐怖を体験してもなお、果敢に荒魂に立ち向かおうという姿勢を見せ続ける小町と彩乃の姿が、生徒達に勇気を与えた。

 「か弱い彼女達が戦うと言うのなら、自分達も震えてなどいられない」と。


 姫巫女に必要なものは、霊力の強さや術式の上手さだけではない。

 命を懸けて前線で戦うサムライ達を鼓舞し、勇気付けるカリスマ性も必要だ。

 それは、姫巫女の頂点たる存在が霊皇その人であることからも明らかな事実であった。


 小町と彩乃には、そのカリスマ性がある。

 その様を見せつけられたことで、原田館長も霊皇も、彼女達の希望を叶えざるを得なくなった。


 ――そして四月初旬。

 新学期が始まって早々、小町と彩乃は何度目かの「実戦」の場へと赴いていた。


 今回の任務は、慰霊地に集まった有象無象の荒魂を祓うものだ。

 空襲により、多くの非戦闘員が命を落とした先の大戦――それにまつわる怨嗟は、未だに衰えるところを知らなかった。

 人々の嘆き、悲しみ、怒り、憎しみ、恨み。それら激しい感情が吐き出される慰霊地には、自然、多くの荒魂が引き寄せられ、あるいは生まれてしまう。

 日本各地、特に直接の空襲があった地域では、頻繁にあることなのだという。


 街が復興し日本経済が上向きな中、「もはや戦後ではない」と浮かれる人々までいるらしいが、小町にはとてもそうは思えなかった。


「筆頭! 神威の使用許可を!」


 東京郊外の慰霊地にそびえ立つ慰霊碑。それをぐるりと囲むように、サムライと姫巫女の実戦部隊が展開していた。

 慰霊碑の周囲には、兵隊の恰好をした骸骨の群れが蠢いている。夥しい数だった。

 一体一体の霊力はそれほどではないが、あまりにも数が多い。サムライ部隊の隊長は素早く「神威」が必要だと判断し、姫巫女筆頭に要請した。


「使用を許可します。各々方、我らの力を、一つに――」


 姫巫女筆頭――いつぞやの事件と同じ三十絡みの女性が、姫巫女達に号令をかける。

 その姫巫女達の末席には、小町と彩乃の姿もあった。二人とも制服ではなく、赤袴の所謂「巫女装束」姿だ。


 ――意識を集中する。

 一年近く前の時のように、ぶっつけ本番ではない。

 教師や先輩の姫巫女達の力を借り、幾度も幾度も修練を積み、実戦も経験してきた。

 小町と彩乃の霊力は見事に先輩達のそれと混じり合い……神威を成した。


   ***


「皆様、お疲れさまでした……今回は負傷者もなく、一安心ですね」


 決着はあっと言う間に付いた。

 「神威」による加護を受けたサムライ達は、凄まじい速度で荒魂達を祓い、慰霊地を浄化した。

 時間にして十五分もかからなかっただろう。


 だが、姫巫女筆頭の表情はすぐれない。

 ――実は、ここ一年ばかりの間に任務で負傷するサムライと姫巫女の数が増えていたのだ。

 元々、戦争により大きく数が減り、十年以上経っても大規模な増員が出来ていないのに加え、出動回数もやたらと増えている。

 少数精鋭で回しているが故の疲労の蓄積などが原因と思われたが、それ以外にも懸念事項があった。

 言わずもがな、例の「火の車」と「漆黒の骸骨」の荒魂の件である。


 あれ以来、人間のような作為すら感じる荒魂の出現は確認されていない。

 しかしながら、荒魂の出現数は明らかに増えている。下手をすると戦後直後よりも、その数を増やしている可能性さえある。

 それが何か、悪いことの前触れのように感じられたのだ。

 そしてその不安は、小町と彩乃も共有するところであった。


「……なんだか、嫌な感じだな」

「小町さんの『嫌な感じ』は、洒落になりませんわ。何か、具体的な予感がありますの?」

「いや、いつも通り、バクゼン? とした感じだな。なんつーか、『先詠み』の力って便利なようでいて不便だよな」


 任務の後、二人の姿は宮内庁の手配した車の中にあった。

 「送り迎えは護衛付きの車を使うこと」――まだ学生かつ見習いである二人が実戦に参加するにあたって、原田館長が出した条件の一つだ。

 安琉斗が常に一緒ならば護衛を任せられるのだが、彼には霊皇の側近としての仕事もある。任せっきりには出来ないのだ。


「大丈夫ですよ! 何かあっても、この僕がお二人をお守りしますから!」


 そして、彩乃のお付きとして当然のように肇も車に同乗していた。この日の護衛は彼ということらしい。

 彼もこの一年で実力を伸ばしていたので、その言葉は見栄ばかりではない。とはいえ、彼の方はまだ、実戦への参加を許してもらっていないのだが。


「ふふ、頼りにしていますよ、肇」

「霊力もグングン伸びてるみたいだし、ハジメも強くなったよなぁ」


 弟のように思っている肇がナイトを気取っている様子に、小町と彩乃の頬が思わず緩む。

 肇本人には申し訳ないと思いつつも、何だか子供が背伸びして恰好つけているように見えてしまうのだ。

 もっとも、肇の実力自体は本物なので、馬鹿にするつもりなど毛頭ないのだが。


「お任せください! この月舘肇、お嬢様と小町さんの剣となり盾となってみせます!」

「うふふ、勇ましいこと。……でもね肇、いいところを見せたい相手は、少ない方が良いのですよ?」


 そう言いながら、何故か小町の方に流し目を送る彩乃。

 主人のその言動に、肇は何故か「お、お嬢様ぁ!?」と慌てた様子だ。


「……?」


 二人が一体何を言っているのか分からず、小町が首を傾げる。

 ――小町は全く気付いていないことだが、実は肇は、小町に恋慕していた。

 無論、本人に告白したりだとかそういった段階にはないのだが、態度の端々に彼女への恋心が見え隠れするようになり、彩乃などには真っ先に気付かれてしまっていた。

 そのせいで、度々こうやってからかわれていたのだ。


 当の小町に気持ちが伝わっていないのは、果たして肇にとって不幸なことなのか、それとも幸運なことなのか。

 甘ずっぱい青春の姿が、そこにはあった。

 だが――。


(……なんだ?)


 不意に、小町の背筋に悪寒が走る。

 何かに導かれるようにフロントガラスの向こうを見やると、「工事中」の看板が目に入った。


「この先が工事中みたいなので、少し迂回しますね」


 運転手である宮内庁の職員が、小町達に告げながらハンドルを切る。

 車は本来の道から抜け道のような、一方通行の細い道へと分け入った。

 その時だった。


「――全員、伏せろ!」


 正体不明の予感に襲われ、小町が叫んだ、その瞬間。彼女達をすさまじい衝撃が遅い、天地がひっくり返った。

 「車が横転したのだ」と気付く頃には既に手遅れで、小町達は座席から放り出され、車内のあちこちで体を強打した。

 ――息が一瞬だけ止まる。


「イテテ……彩乃、ハジメ! 無事か?」

「ぼ、僕はなんとか。あれ? お嬢様は……?」


 逆さまになった車内で首を巡らす肇。しかし彩乃の姿はどこにもなかった。

 見れば、窓ガラスも砕けて無くなっている。車外へ放り出されたのかもしれなかった。

 運転席では、運転手が「ううっ」と苦し気なうめき声をあげていた。意識を失っているのか、呼びかけには反応しない。


「ちっ! おいハジメ、お前は車外に出て彩乃を探せ。オレは運転手さんを引っ張り出す!」

「わ、分かりました!」


 肇が小柄な体躯を活かして、割れた窓から車外へ出る。

 その間に小町は這いずるように前座席側へ移動し、運転手の様子を窺う。

 額などが切れて出血しているが息はある。何となくだが、小町の直感が「命に別状はなさそうだ」と告げていた。


 運転席側の窓ガラスも砕けて無くなっている。そこからひっぱり出すべきだろう。

 そう判断すると、小町は肇の後を追って車外へ出て――愕然とした。


「……なんだ、テメェらは?」


 逆さまになった車。いつの間にか、その周囲を作業服姿の覆面男達が取り囲んでいた。その数、五人。

 見るからにカタギの人間ではなさそうだった。

 既に肇は護身用の小刀を抜き放ち、男達と対峙していた。その足元には彩乃の姿もあるが、ピクリとも動かない。

 小町の姿を認めると、リーダー格らしい長身の男が一歩踏み出し、言った。


「――故あって名乗ることは出来ん。柏崎小町……我らは、貴様を抹殺しに来た」

「……抹殺ってのは穏やかじゃねぇな」


 小町の背筋に冷や汗が流れる。

 目の前の男達が放つ殺気は本物だ。まるで荒魂のような、無感情な殺意が言葉の端々にみなぎっている。

 恐らく、何者かの指令を受けた「プロ」だろう。全く隙が無い。


 肇もそれを感じ取っているのか、下手に仕掛けたり挑発したりはしない。

 彩乃の身が心配だろうに、それを押し殺して覆面男達に斬りこむ隙を必死に探しているようだった。


「……オレをヤりたいってことなら、そっちの二人と運転手さんは逃がしてやっちゃくれねぇか?」

「無論、二階堂彩乃とその他の連中は我らの抹殺対象ではない。なんなら、すぐに手当てをしてやっても良い――ただし、貴様を殺してからな」


 包囲の輪が少しだけ狭まる。

 覆面男達は無手だ。武器の類は見当たらない。だがそのことが却って不気味だった。


「なぁに、すぐに済む。貴様が無駄な抵抗をしなければ、他の三人は死なな――」

「小町さん、お嬢様を連れて逃げて!」


 ――刹那、肇が疾風となった。

 神速の踏み込みでリーダー格の男に体当たりしつつ、急所めがけて小刀を突き立てる!

 そのまま、相手の身体を突き飛ばすようにしながら小刀を抜き去り、次に小町に近い覆面男めがけて突撃するが――。


「――見事な一撃だ。が、それだけに残念だよ。有望株をこんな所で摘み取ることになるとはな」


 刺突されたはずのリーダー格の男が、肇の行く手を阻んでいた。

 突き飛ばされたはずなのに、一体いつの間に肇よりも速く動いていたのか? 傍で見ていた小町にも全く分からなかった。


「さらばだ」


 呆気にとられたままの肇の胸に、男が手を当てる。

 軽く、そっと撫でるような強さで、その手が肇に触れた――その瞬間。肇の姿が小町の視界から消えた。


「えっ」


 目の前で何が起こったのか分からず、小町が驚きの声を上げたのと、彼女の背後から何かが潰れる鈍い音が響いたのは、ほぼ同時だった。

 小町が壊れた機械のようにぎこちない動きで背後を振り返る。そこには――。


「は、ハジメ……?」


 肇の姿があった。が、それが本当に肇なのか、小町には最初分からなかった。

 逆さまになった車、そのドアに全身をめり込ませるようにして、肇がぐったりしていた。

 頭は力なく項垂れ、手足はピクリとも動かない。口の辺りからは夥し量の赤黒い何かが零れ落ちている。


「そら、貴様のせいで一人死んだぞ。……ん? いや、まだ息はある、か。やはり惜しい逸材だったようだな」


 ――背後から、リーダー格の覆面男がヨクワカラナイ言葉を吐きながら歩み寄ってくる。


「貴様が大人しく殺されてくれれば、すぐに救急車を手配してやる。あの小僧は無理かもしれんが、二階堂彩乃の方は助かるだろう」


 ――彩乃もピクリとも動かない。よく見ればあの美しい顔に沢山の擦り傷が出来ている。


「悪く思うな、これも主命だ。せめて苦しまぬよう一撃で――」


 小町の背後に圧倒的な死の気配が迫る。

 このまま抵抗しなければ、小町は間違いなく死ぬだろう。

 抵抗しても、一瞬後には死ぬだろう。

 「先詠み」の力に頼らなくとも、小町にもそれくらいのことは分かった。


『――なら、どうすればいいか、分かるだろう?』


 誰かの声が小町の脳裏に響いた。

 良く聞き覚えのある――だが、全く聞いたことのないその声は、小町にそっくりだった。


「さらばだ」


 覆面男が腕を振り上げる気配があった。

 「わざわざ『さらばだ』なんて言うあたり、もしかしたら律義な奴なのかもな」等と、場違いな感想を心の中で漏らしながら――小町の意識が闇に落ちた。


「……なんだ?」


 覆面男が腕を振り上げたままの姿勢で固まる。

 何か、何か良くない気配が周囲に漂っている。長年、裏の仕事をしてきた彼の嗅覚が、今すぐここを離れるようにと告げていた。

 だが――そう感じた時には、全てが遅すぎた。


『ぎゃああああああああっ!?』


 周囲に絶叫が響き渡る。一人のものではなく、複数の声が重なったものだ。

 何事かと覆面男は首を巡らし――そこで信じられないものを見た。


 彼の仲間達が、何か黒く巨大なものにいた。

 それは、地面から直に生える、何者かのあぎとに見えた。

 サメの大口のような漆黒の何かが地面から姿を現し、仲間達をかみ砕こうとしていたのだ。


「た、隊長ぉ!! 助け、助けてくださ――」


 助けを求める声が、プツリと途切れる。

 顎が完全に閉じ、覆面男の一人の姿が呑み込まれる。顎はそのまま、音も立てずに地面の中へ消えていった。

 他の三人も同様に、漆黒の顎に呑み込まれ音もなく地中へ姿を消す。

 覆面男は遂に、リーダー格一人だけになってしまった。


(な、なんだ……今のは? 何が起こった!?)


 内心で驚愕するリーダー格の男。

 だが彼はそのまま呆然と立ち尽くすことなく、素早くその場を飛び退いた。命のやり取りを生業としてきた彼の勘が、この場をすぐに去るようにと警告してきたのだ。

 ――そのことが、一瞬の差で彼の命を救った。


「はっ!?」


 先程まで彼が立っていた場所に黒い影が現れたかと思えば、それは瞬く間に高くそびえ立ち、漆黒の顎が「バクン!」と閉じた。

 もし、少しでも飛び退くが遅ければ、彼も喰われていたことだろう。


「こ、この力……まさか、まさか我らが姫様と同じ――」


 そのまま、リーダー格の覆面男は路地裏へ姿を消した。迷いのない全力の逃走であった。

 後には、小町と、地面に倒れ伏した彩乃と、横転した車。そして死にかけの肇と運転手だけが残された。


「今の、オレが……? ああいや! 今はそんな場合じゃねぇ!」


 危篤状態である肇のことを思い出し、駆け寄る小町。

 ぐったりとするその体に恐る恐る近付き、耳を澄ますと――聞こえた。僅かだが、まだ息があった。


「しっかりしろよハジメ! 今、救急車……じゃ間に合わねぇ! よし! 霊脈を通じて助けを呼ぶから、何とか踏ん張るんだぞ!」


 姫巫女達には、緊急時に霊脈を通じて助けを呼ぶ方法が伝わっている。

 近隣の姫巫女やサムライにしか届かないが、小町の力量なら都心近郊にSOSを発するくらいは出来るはずだ。

 意識を集中し、霊力を練る。――と。


『ほら、オレの言った通り上手くいっただろう?』


 刹那、そんな幻聴が聞こえた気がした。

 その声はやはり、小町自身にそっくりだった――。

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