3-2「唯野百合は理解されない・2」


『――好きです』

『…………え?』

『俺、百合先輩のことが……好きです。俺と、付き合ってくれませんか』


 全身に電流が走ったかのような衝撃だった。でもそれは決して良い意味では無かったし、早乙女くんの言葉に対してでもなかった。

 私がずっと恐れていたこと。告白してくれた早乙女くんの表情が、一瞬霞んだ。それはほんの一瞬のことだったけれど、私の心を折るには十分過ぎるものだった。

 考えが甘かった、甘過ぎたのだ。私が彼を“男性”として認識したらどうなるのか、理解していないわけじゃなかったはずだ。

 でも今の私にとって早乙女くんとの時間は、本当に大切なものだった。だからいつかこうなる事が分かっていたのに、だらだらと彼との時間を過ごしてしまった。


『………………あの、百合先輩』


 沈黙に耐え切れず、早乙女くんがおずおずと口を開く。僅かに霞むその表情には、それでもはっきりと不安な気持ちが表れていた。

 ……言うしかない。たとえ嫌われてしまったとしても、これ以上彼との距離を縮めるわけにはいかないのだから。


『早乙女くん』


 そう発した声は、自分でもはっきりと分かるくらい震えていた。

出来ることならば本当のことを言ってしまいたい、早乙女くんに打ち明けてしまいたい。

 そんな衝動を必死に抑えて、しっかりと彼の顔を見る。今にもボヤけてしまいそうな、その表情を。

 私のことを理解してくれる人なんて、この世にいるはずないのだから。もう一度そう、自分に強く言い聞かせて。


『……ごめんなさい。嬉しかった。早乙女くんに告白されて、本当に嬉しかった』

『……はい』

『でも……本当にごめんなさい。貴方とお付き合いすることは、出来ない』

『……理由を、教えてくれませんか』


 無知は罪だと、誰かは言った。

 早乙女くんに悪気はない。彼はただ純粋に知りたいだけなのだろう。どうして自分の想いが受け入れられなかったのか、せめて理由を聞きたいだけなのだろう。


『それは………………ごめん、理由は言えない。ごめんね。ほんとに、ごめん』


 でも言えるわけがないから。

 物心ついた時から、男性の顔が見分けられない。

 今は貴方のことを何故か認識することが出来るけど、それも時間の問題。

 だからこれ以上私に近付かないで欲しい。そう言えたら、どれだけ楽なのだろう。どれだけ彼を……傷付けてしまうのだろう。


『すいません。ありがとうございました』

『あ、早乙女くん!?』


 私の答えを待たないで、早乙女くんはその場から駆け出してしまった。きっと嫌われたに違いない。そう思うとなぜだか顔が熱くなるのを感じた。


『……馬鹿、みたい』


 保健室は静まりかえっていて、この世界には私しか居ないような気がした。真っ白なシーツにぽたぽたと雫が跡を付けていく。


『……ば、かだよ』


 最初から分かっていたこと。

 どんなに可愛らしく見えたとしても、彼が“男性”である限り遅かれ早かれこうなるはずだった。

 そもそも早乙女くんを傷付けたのは私なんだ。だから私にこんなことする資格なんてない。


『……っ』


 それでも涙は止まらなくて、我慢しようとしても出来なくて。誰もいない保健室で私はただ泣くことしか出来なかった。
















 保健室に先生が帰ってきて、バツが悪くなった私は行くあてもなく校内を歩く。

 本当はクラスの出し物に参加しなきゃいけなかったし、午後から友達と模擬店を回る約束もしていた。

 けれど到底そんな気分にもなれなくて、目的もなくその辺を歩き続ける。


『女装、コンテスト……』


 ふらふらと吸い寄せられるかのように辿り着いた体育館からは、一際大きな歓声が聞こえて来た。

 ウチの学校名物の女装コンテスト。私はあまり好きじゃなくて、去年も全く見ることはなかった。理由は勿論自分自身の体質が絡んでくるのだが……今は考えたくもない。


『あ……』


 多分、その時の私はどうかしていたんだと思う。ほんの気まぐれで入った体育館。その壇上の“彼女”を見た瞬間、思い切り何かで頭を殴られたような衝撃を受けた。


『素晴らしいっ!!!美少女爆誕っ!!!!女装とは思えないっ!!!!これは陵南高校始まって以来の美少女だぁー!!!!』


 沸き上がる生徒たち越しに見た“彼女”は、確かに美少女にしか見えなかった。

 けれど私には彼女が、早乙女くんだと言うことがすぐに分かる。あれだけ一緒にいたのだから、当たり前だ。

 そして何より驚いたのは、ついさっきまで霧が掛かっていた彼の表情を今ははっきりと見る事が出来るということだった。


『あ、あれ……?』


 胸の高鳴りが抑えられなくて、思わず声が漏れてしまう。

 さっきまで沈んでいた私の心が、最も容易く跳ね上がる。恥ずかしそうな表情をする早乙女くんから、目が離せない。


『……そうだったんだね』


 少しして、ようやく私は全てを理解する。

 どうして彼、早乙女英太に興味が湧いたのか。そして今、どうして曇りかけていた彼のことをこうもはっきりと認識出来るのか。


『ふ、ふふ……あははっ!』


 熱狂する体育館の中で、ひとり静かに笑う私は何処か自分じゃないようで。少し怖くて、でもそれ以上に嬉しかった。


『やっと、やっと見つけた……私の、私だけの――』


 彼なんだ、彼だけなんだ。私を理解してくれる人。

 私の世界に彩りを与えてくれる人。早乙女英太くん。

 彼だけが私の理解者なんだ。可愛らしい……いや、可愛すぎる男の子。彼、早乙女くんは可愛すぎる。

 だからこそ私は彼を彼として認識することが出来る。これは運命なんて安っぽい言葉でなんか表せないくらいの、一生に一度しかない奇跡みたいなものなんだと、本気で思った。


『――愛しい人』


 それからはあっという間だった。

 分かってしまえば簡単なもので、すぐに彼と親しくなる事が出来た。

 元々早乙女くん……英太の気持ちには薄々気が付いていたのだから、それも当然なのかもしれないけれど。

 私たちは程なく恋人同士になって、絆を深めた。どれだけ英太を異性と認識しても、問題はない。不安を感じたらすぐに彼を“彼女”として認識すれば良いのだから。

 それは本当に私にとって人生で最も幸せな数ヶ月で、当然英太にとってもそうなんだと……そう思っていた。

 いや、思い込んでいた。

 けれど私は本当に自分勝手でどうしようも無かったことを、すぐに思い知ることになる――




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇












「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 突然叫んだ英太を前にして、私は固まってしまう。

 身震いするのは打たれた雨のせいなんかじゃないことは、すぐに分かった。

 つんざくような叫び声の後、英太は顔を伏せたままぴくりとも動かない。まるで直前までの叫びが嘘のような静寂が、玄関を支配する。

 何かあったに違いない、だから一刻も早く声を掛けるべきなのに言葉が出てこない。

 一体どうしてしまったというのだろうか。ずっと理解していたと思っていた英太のことが、今は全く分からない。そんな風に思ってしまう自分自身が、とてつもなく怖かった。


「……あ、あの」

「……………………」

「え、英太……?」

「……………………」


 呼び掛けても全く反応しない英太の様子に、ぶわっと全身から噴き出した冷や汗が止まらない。心臓が痛いほど跳ね上がるのを感じる。

 自分の中の何かがさっきからずっと警鐘を鳴らしている気がする。動け、早く逃げろと。どうして逃げなければならないのだろう。それでもまるで何かに磔にされたように、私は一歩も動くことすら出来ずにいた。


「あの……英太」

「ふふ……」

「え……?」


 私の呼びかけにようやく応えてくれたのか。顔を上げた英太と目が合って、やはり自分の予感が正しかったことを悟る。

 目の前の彼がどう見ても彼ではなく“彼女”にしか見えなくなっていたから。

 確かに英太が女装して出て来た時には驚いた。でもそれは私のことを受け入れようとしてくれたからだと、そう都合良く解釈してしまっていた。

 けれどいま目の前にいる“彼女”はどう見ても女性にしか、全くの別人にしか見えない。


「……誰?」

「誰って……貴女が呼んでくれたんでしょ?」


 つい出てしまった私の疑問。それに応えた声はどう聞いても女性のもので。顔は英太な筈なのにずっと妖艶で、絡み付くような声だった。


「私が……呼んだ?」

「そうよ?」


 すっと立ち上がった彼女は、もう私の知っている英太ではなかった。疑惑は確信に変わっていって恐怖が身体を支配していく。英太であって英太じゃない、何か。

 すくんでしまってそのまま全く動けない私に、彼女はゆっくりと近付いてくる。

 そして――


「わたしは英子。早乙女“英子”。呼んでくれて、本当にありがとう」

「英……子?」

「そして、さようなら」

「あ」


 ――強烈な痛みと共に私が見たのは、静かに嗤いながら鈍く光る何かを振り下ろした彼女……早乙女英子の姿だった。

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早乙女くんは可愛すぎるっ! ~やけくそで女装したら、人生変わったんだが~ シロクロイルカ @shirokuroiruka

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