特別区

 時刻は朝の六時。暖かな太陽が挨拶をする時間である。

 結局、ルーシとタイペイと高杉は夜通し延々と酒を飲んでいた。高杉に関しては、強制的に付き合わされただけだが。

 ルーシは太陽を浴びつつ、煙草を吸っていた。

「大智ィ、この程度で潰れんのはカッコわりィぜ?」

「オマエがおかしいんだよ!」

 高杉は吐き気を覚えつつ、なんとかルーシと並び煙草を吸う。

「そうかい? オレは規定量をしっかり守って飲んでいた。それはタイペイも同じさ。アイツは一〇代前半だから、酔いつぶれるのは仕方ねェ」

 ルーシの身体からはすっかりアルコールが抜けていた。彼は「だが」と言い、続ける。

「オマエはオレとさして年齢は変わらねェ。だから酔い潰れる訳がねェ」

「なるほど、なかなかの暴論だ」

 高杉は諦めた。この男にはなにを言っても意味がなさそうである。

「さて、気になった事が一つ。横浜校って授業あるのかい?」

「どっから説明すりゃいいんだろうな……いてッ」

 高杉に頭痛が走る。酒という酒をボトルごとラッパ飲みするような人間とともに飲んだのだから、頭痛と吐き気くらいは仕方のない事なのだ。

「横浜校──学園横浜の生徒の大半は、研究者と一緒に能力を開発するカリキュラムを受ける。それで単位が取れる訳だな。そして創麗学園ってのは、あのバカデケェ校舎だけじゃない。日本全国にもあるし、創麗に友好的な国にも置かれている。あれは学園横浜の本拠地みたいなもんだ」

「なるほどねェ。学校を名乗ってはいるが、実際は安上がりな兵器を作る為の研究所って訳か」

 世界一の大企業である。それは、資本主義社会において絶対的な正しさを表している。創麗の行う事は全て正しいのだ。日本政府もそう受け取るしかないのだろう。

 ルーシは煙草を携帯灰皿に押し付ける。高杉に灰皿を渡すと、酔い潰れて路上に腹を出しながら眠るタイペイを蹴る。

「起きろ。レイプされるぞ?」

「……大丈夫。護身術は身についてるから。後五時間眠らせてえ────」

「複数人には勝てねェだろうが。ハンドガンもないのに、どうやって大の大人に対抗するってんだ」

 ルーシはタイペイを半ば無理やり立ち上がらせる。フラフラと立ち、フラフラと座り込んだ少女を起こす為、ルーシは空に向けて発泡した。

「うおっ!」

「うォッ!」高杉は思いもよらずに声を漏らす。

「なァにオマエまでビビってんだ。見た事ぐらいあるだろ? ただのハンドガンだ」

 職業上、こういう音には敏感にもなる。タイペイはすっかり目が覚めたようだ。

「いや、ルーシ……ココで発泡したら」

「警察が走ってくるのかい?」ルーシは心底面倒くさそうに返答する。

 瞬間、ルーシと高杉の間に少女が出現した。ルーシが酒を飲みつつ違法薬物を使用したが故の幻覚でもなければ、高杉の誇大妄想でもない。

 アジア系ではあるが白い肌。ピンク色のアイメイク。なかなかの巨乳。タレ目。

 そんな少女が、ルーシと高杉の間に立っていた。

「はい、逮捕ね。第一特別区での発砲で」

「あ?」ルーシは怪訝そうな顔になりながら、学生服を着た少女を見つめる。

「あ、じゃないよ。ピースキーパーを知らないの?」今度は少女が怪訝な顔になる。

「ルーシ、タイペイ、走るぞッ!」

 高杉はこの状況の意味を知っている。少年は一目散に走り始めた。

「ワケわかんね。まあ、多分逃げた方がいいね。ルーシ」タイペイは高杉へ着いていく。

「なんだよおめェら! オレを置いていくのかい!?」

 一人なのは寂しいモノである。ルーシは二人に続き、走り始める。

「逃がすと思って────ん?」

 少女が耳につけたインカムは、この三人を追いかける事を辞めるようにという命令だった。少女はしぶしぶと、再び姿を消した。



「はァ……はァ……。やっぱ……煙草なんて吸うモンじゃねェな……」

 高杉は逃げた。感覚的には、地の果てまで。よって、少年の肺は悲鳴を上げるのだ。

「で? ココはどこなのさ?」

 タイペイは少しも息切れを起こしていない。喫煙者ではない事も少しは関係しているだろうが、元々強靭な肉体を持っているのだろう。

「横浜市第一特別区の果てだな……ほら……海が見えるだろ……?」

「ホントだ。結構キレイかも」

「実際は汚ねェさ……大腸菌だらけで……人が入ったらヤベェ事になるんだ……」

 高杉は自ずとベンチに座る。顔に走る汗を拭うと、今日ちょうど二〇本目となる煙草に火を入れた。

「いいかァ……アイツらは……学園横浜生徒会傘下の……ピースキーパーってヤツらだ……第一特別区で危ねェ事をするんなら……アイツらに用心した方がいい……ぜェ……ぜェ……」

 こんなにも息切れをしながら警告をする当たり、どうやら高杉は優しい人間のようだ。

「ねえ、二つ質問があるんだけど」

「ああ……聞いてくれ……」

「うん。少し待つ」

 タイペイとルーシの付き合いは長い。かれこれ七~八年くらいの付き合いになる。だからタイペイはルーシの性格を良く知っている。彼はこの街の構造に興味を示すような人間ではない事をわかっているのだ。よって、タイペイが知っておかないと、後々になって困る可能性があるのだ。

「まず、普通の警察機関はいないの?」

「いるさ。いるが、役には立たねェ。オモチャみたいな拳銃と警棒じゃ、この街にいる超能力者には通じないのさ。だから創麗学園の生徒会が、生徒を金と正義感で動員する事で、特別区の治安は保持されているんだ」

 確かに高杉の言う通りである。アメリカのように警察機関が容赦なく発砲できればまだ違うのだろうが、ここは平和な島国。発泡一つが大騒ぎになるという事くらい、母国候補として東アジアの国々を調べたタイペイも理解しているのだ。

「なるほど。じゃあさ、特別区ってなに?」

「創麗学園が置かれた場所の付近の街だ。超能力者という危険な存在がいるって事を知らせる為に、つい最近作られた概念だな。そして特別区には最小限の警察機関しか置かれていない」

「へえ、じゃあココら辺は全て特別区だと」

 高杉は「そういうこった」と頷きながら言う。

「まとめよう。オマエらは能力開発を、こっからも良く見える学園横浜本拠地で行う事になる。ココいらは『横浜市第一特別区』で、ほとんどいねェ警察の代わりに、学生達が治安を守っている。あ、そうだ。もう一つデケェ戦力があるのを言わなきゃな」

 高杉はこの時になって思い出す。創麗は飽くまでも、『傭兵派遣企業』である事を。

「なにさ?」

「創麗は傭兵企業だって事は知ってるよな? そんでその大半は紛争地帯、果てには戦争地帯にいる事も。だけど、中には国内勤務になっている連中もいるんだ。ソイツらは────」

 タイペイは高杉が言おうとしている事を理解し、先回りして言う。

「特別区にいるって事?」

「そういうこった。学生で作られているピースキーパーより、プロの軍人達の方がヤベェのはわかるよな? だからコイツらだけには喧嘩を売るな。普段は働かねェ事に定評があるけどよ。とにかく、喧嘩ァ売った日には、オマエもルーシも歴史の一ページから抹消されると思え」

 脅しているかのように、しかし現実として高杉は警告をする。それ程までに、『ピースメーカー』は危険な組織なのだ。

「うん。そんなバカじゃないね。ワタシ達は」

「そうである事を願いてェな。さて、寮まで帰るか。タイペイ、ルーシ────?」

 この時になって、ようやく二人は気づく。九〇億円の男が、近くにいない事に。更にいえば、この場所に着いてから見た覚えもない事に。

「……あのバカ、また女に釣られたのかな?」

 タイペイの眉間にシワがよった。

 

 *


「オマエは何者で、タイペイと大智はどこにいるんだい?」

 ルーシはベルトの間から、拳銃を抜き出そうとしている。

 あの女が追ってこないと思えば、高杉とタイペイはどこか遠くに走っていき、そしてルーシにはガラの悪い男が差し向けられた。明らかに敵意を持っている。言語が通用しなくとも、そんな事くらいは裏の仕事をしていればわかるのだ。

「タイペイと大智とやらは知らんな。オレの狙いは────!」わざわざ男はルーシの母国語で話す。

 刹那、ルーシは吹き飛ばされた。鈍い音とともに。

「……いってェな、てめェ。お座りもできねェ駄犬は、通訳にも使えねェ」

「なるほど、秀でているのは超能力だけじゃないらしいな。ではッ!」

 ルーシの危険察知能力が動く。この男、ルーシを踏み潰すつもりで距離を詰めてきた。間一髪のところで交わすと、地面には亀裂が走っていた。

「泣き叫ぶまで殴りつけるだけだ。九〇億円を渡してもらおう」

 男は再び距離を取り、胸元からオモチャのような形をした拳銃を取り出す。そしてルーシへそれを撃った。

「……あァ?」

 アスファルトが溶けている。ルーシがわかる事はそれだけである。

「危ねェ野郎だな。だがその武器は気に入った。外装を変えりゃ、いい武器になりそうだ」

 余裕を崩さないルーシは、冷静に相手の優越性を探す。

 あからさまに人間の攻撃ではない攻撃をしてくるのならば、相手のアドバンテージは二つに絞られる。

 一つは超能力者である可能性。

 もう一つは近未来兵器を利用している可能性。

「随分と冷静だな? 言っておくが、生徒会の犬どもは来ないぞ?」

「そうかい。じゃあ、オマエが死んだ後に死体を捨てんのは簡単だな?」

 ルーシは拳銃を抜き出し、男の頭目掛けて発砲する。

 しかし、頭上の僅か二センチの上に弾丸は走った。

「……機械的だな。避け方がよ」

 男はルーシとの距離を狭める。

「さァ、存分にくたばれ!」

 そしてルーシは確証を抱く。この男、機械制御で自分を動かしている事に。

「おいおい、スマートウォッチが点滅してるぞ?」

 昔の仕事にて、ルーシは身体を一部機械化させた人間と闘った事がある。それから二年間。スマートウォッチによって、身体中に染み込ませたデバイスを動かすのは変わらないようだ。

「────ッ!?」

 ルーシは冷静に、コンマ単位で動く男の腕に巻かれているスマートウォッチを撃ち抜いた。男はその場にうずくまる。

 勝敗は決した。後は抹消するだけである。

 ルーシは恐らく外れたと思われる左肩を治し、男の口の中に銃口を刺した。

「言いてェ事は?」

「ふもごごごごッ!」

 もっとも、口が空いた状態でなにかを言える訳がないのだが。

「ねェか。あばよ」

 破裂音。鉄の匂い。真っ赤に染まる拳銃。

「さてと……」

 ルーシは戦利品を漁る。まずはスマートウォッチを抜き取った。

「まァ、コイツの身体に埋め込まれてんだから、持ってく意味はないな」

 次にオモチャのような拳銃を、ルーシは男だったモノの手だったモノから解いていく。

「コレは使えんな。ちゃっちい見た目だが、威力はハンドガンよりも高けェ」

 次にルーシの心を奪ったのは、インカムのようなモノだった。

 ルーシは耳だったモノからそれを引き抜き、自身の耳へ付けた。

「ピースキーパーとやらの無線を傍聴できるのか。一応貰っておこう」

 さすがに財布は漁らない。九〇億円の男が、亡骸から金を抜き取ったとなれば、間抜け以外の何者でもないのだ。

『どこにいるの?』タイペイからメッセージが来た。

「どこにいる? 知るか」

 ルーシはとりあえず煙草を咥え、オイルライターで火をつけた。

 それにしても、ルーシの能力は未だに掴めない。一度だけ鷲の翼のような現象が起きただけで、それ以上の事は起きていないのだ。

 しかしルーシにはあまり気になる事ではないのかもしれない。彼には早撃ちの能力があり、観察力もある。凡庸な超能力者であれば、対処も可能だろう。

「さて、ズラがるか」

 この状態のままルーシがここにいれば、一〇〇パーセント殺人犯として捕まる事になる。せっかく犯罪履歴を抹消されたのだから、捕まるようなヘマはしたくないのだ。


 *


「ココまでくりゃ大丈夫かな?」

 見知らぬ街。東アジア人。醤油の匂い。

 その中に溶け込むように、ルーシは歩く。目的地は寮。携帯のマップを追う。

「……遠いな」

 なかなか離れている。ルーシは仕方無しに、街を走っているタクシーを拾おうとする。

 刹那、ルーシの背中になにかが押し付けられた。

「……ハンドガンか? 全く、ココの治安はわりィなんてモンじゃねェな」

 少しの焦りも見せる事なく、ルーシは背中にいる者に言った。

「よくお分かりのようで。しかし私はキミを消しに来た訳でもなく、ましてや契約金を奪おうとしている訳でもない」ルーシの母国語である。

「じゃあ、目的は?」

「キミのチカラを教える。それが私の役目だ」

「そうかい。なら、ココで話すのはよろしくねェよな?」

 ルーシはいつでも肘打ちで彼を無力化する事ができる。だから落ち着いているのだ。

「その通りだ。では……」

 しかし、その余裕は常人にしか通用しない。ルーシは忘れていた。世の中には、自分にすら匹敵する狂人が数多にいる事を。

 刹那、ルーシのグレースーツの一部分は朱色に染まった。


 *


「おいおい、ココはどこだ?」

 ルーシは真っ白な場所にて目を覚ました。背中に痛みはない。

「創麗の超能力開発用施設だ。今からキミに、アンドロイドという存在と闘ってもらう」

 最前の彼の声である。どうやら拉致されたようだ。帰るのが余計面倒になったらしい。

 そして扉が開く。

「おい、ガキじゃねェか」

 光の中から出てきたのは、少年としか形容できないモノだった。

「ほう、子供とは闘えないと?」

 闘えない訳がない。そもそもルーシが学園横浜に入ったのは、自分よりも一回り歳下の子供を殺したからなのだから。

「そうじゃねェよ。オレはてっきり、もっとロボットっぽいモンが出てくると思っていたんでね。人間と違いはあるのかよ。コイツ」

「あるさ。あるとも。まァ、闘えばわかるはずだ」

「そうかい……」

 ルーシはベルトの間から拳銃を取り出そうとする。

「……あァ?」

 しかし、何度触っても拳銃はない。

「てめェ、オレのハンドガンを……」

「ああ、回収しておいた。いいか? コレは飽くまでもだ。武器は一切使用できない状態の中で、極限まで追い詰められる事で、自分の真価を知るのが目的なのだよ」

 ルーシはため息をついた。随分と強行的にチカラを発現させるようである。

「わかったわかった。コイツを戦闘不能に陥らせれば、オレは自分のチカラがわかる。そしてその足でてめェを踏み潰す。それでいいんだな?」

 彼は鼻で笑う。まるでルーシが間抜けな事を言ったかのように。

「まァ、それは後の話だ。まずキミは、このアンドロイドを壊さないといけない。そうしないとココから出る事も叶わないからだ」

 ルーシは指をバキバキ鳴らす。そして首を回し、未だ知る事のないアンドロイドによる攻撃に備える。


「上等だ。九〇億円の男がどれぐれェ強ェか見せてやるよ」


 ルーシの価値は学園横浜が決めたモノである。しかしそれは先行投資であり、ルーシはまだ自分のチカラを自分で理解していない。

「この闘いが終わる頃には、キミは立派な学園横浜の生徒だ」

 九〇億円の男は、自分を理解する為の闘いに挑むのだった。

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無法者は煙草を吸い、ダメ人間はパフェを食べ、お人好しはエナドリを飲む 東山統星 @RHAPSODY51

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