友人
「すげェ広いな。ホテルみたいだ」
「ホテルよりすごいでしょ。こんなところには、泊まった事もない」
寮、と言うからにはこじんまりとした住処を考えていたが、その読みは良い意味で外れた。日本という国は土地代が高いらしいが、そんな事はお構いなしに二人の住処は広い。
玄関を開けると、すぐ側に個室がある。そして目の前には広々しいリビングがある。階下にはベッドルームとシャワー室があり、窓際から横浜という街を一望する事ができる。
「こりゃすげェな。よし、どっちが下の階を自室にするかジャンケンだ」
断然階下の方が部屋として優れている。二人はジャンケンをした。
*
「コレはコレで悪くないな。少しせまいが、寛容範囲だ」
結局タイペイに負けたルーシは、新たに自室となる場所のベッドに寝っ転がりながら、煙草に火をつけた。
「なにせ九〇〇〇万ドルだ。しかも家賃もかからない。まァ、そのうち家を買って護衛及び執事兼任通訳を雇おう」
もはや仕事をする必要性かもしれない。そこいらにいる社会人四五人の人生が、ルーシとタイペイには支払われるのだから。
「とりま、飯が必要だな」
日本に来てから一食もしていない。おそらくタイペイも腹を空かせているだろう。ルーシは立ち上がり、財布の残りを確認する。どうせ日本にまで来たのなら、日本食を食べてみたいモノである。
「一〇万円か。微妙だな」
ルーシは部屋から出る。そしてリビングにて景色を眺めているタイペイの肩を叩く。
「飯食いに行くぞ。腹減ったろ?」
「食いに行く? 日本語わかんないのに?」
「言えてるが、オレもオマエも自炊は得意分野じゃねェだろ? 母国語が通じる事を願おう」
二人は滞在時間一〇分程で、外に出る事となった。
「……偽札。偽札。偽札ッ!」
黒髪をホストのように伸ばしていて、目の下にクマがある少年は、対価の大半がただの紙である事を知る。予定されていた儲けは一〇〇万円程。実際は五〇〇〇〇円。薬物を生成するのにかけた金額は数十万。破産寸前であった。
「……終わった。なにもかも。コレからどうやって生きてきゃいいんだよ!」
危機的状況である。借りた金を返す方法は、仕事の失敗によって消滅したし、貸した金は帰ってこない。少年は俯きながら、創麗学園横浜校、通称『学園横浜』の近隣町を歩く。
そうしていると、少年は肩を叩かれた。苛立ちを覚えつつ、振り向くと、絵に書いたような金髪碧眼の外人がいた。
「あー、あー、あのー」
「……なんすか」アメリカ人なら英語で伝わるだろう。
「……」
しかし返答はない。
「なんの用ですか? フランス語もダメか。なんだい? スペイン語も? なんですか? ドイツ語でもねェのか。なら……」
少年の頭脳は明晰である。一七年の人生によって、英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、中国語を、気にならないくらいの訛りとともに話す事ができるのだ。
「なんですかね?」
「おォ! 会話が成立するってのは、最高にいいね! オマエの名前と連絡先は覚える必要がありそうだ。名前は?」
いきなりのマシンガントークである。よほど言葉が通じなかったのだろう。
「……#高杉大智__たかすぎだいち__#だ。学園横浜の二年生だな。てか、人に名前を聞く時ってのは、自分から名乗るのが筋ってモンだろ? オマエの名前はよ?」
苛立っているのが自分でもわかる。この男に怒りをぶつけたとて、意味はないというのに。
「んなに聞きてェか? 意味がないぞ?」
「そりゃどういう意味だよ。偽名か?」
「まァ、偽名みてェなモンだな。苗字はないし、父称もない。それでも聞きてェか?」
確かに意味はなさそうである。高杉が「やっぱいい」と言う前に、彼は言った。
「ルーシだ。そんで、そこにいる日本人みたいなヤツはタイペイ」
高杉は気がついていなかった。ルーシの背中には、小柄な東アジア系統の皮膚の色と顔を持つ少女がいる事に。
「タイペイだよ。よろぴこ」
「ああ、よろしくな。お嬢さん」
高杉はルーシを目を見ながら、言う。
「そんで、聞きたい事はなんだよ。遠いところからのお客さん」
「ああ、言語が伝わる飯屋を教えてもらおうと思ったが、奢ってやるから着いてきてくれねェか? 一〇万円もありゃ、飯は食えんだろ?」
どうやら友達になりたいらしい。そして高杉の全財産的に、一食が浮くのは非常に大きな意味を持つ。つまり返答は決まっているのだ。
「着いていこう」
「ノリが良くて助かる。さて、案内してくれ。オマエが選ぶいい飯屋によ」
どこまでも高杉に託された。どうせなら普段は寄り付きもしないような飯屋に案内しよう。
「寿司だな。オマエら、観光客?」
「いいや、今日から創麗の生徒になった。二人とも」
「……能力は?」
「詳細不明だな。まァ、一度だけ使った事があるが、背中に鷲の翼のような現象が起こるんだ。メチャクチャ楽しい能力である事は間違いねェ」
この時、ルーシは見逃さなかった。高杉の表情から血の気が引いた事を。
「……ゲンキンな話になるが、契約金は?」
「言っていいのか?」
「言いたくなきゃ言わなきゃいいが、この学校の噂話は、いつかオマエの価値を探し当てる。あまり変わりはねェだろうな」
「そうか」とルーシは退屈そうに言う。そして彼は言った。
「九〇億円だ」
そして高杉の表情は強ばる。情報通である事もアイアンティティの一つな高杉は、今年度の学園横浜は創麗の歴史上、二番目の大金で超能力者を獲得したという事を知っているからだ。
「いいの? 言っちゃって」タイペイはルーシを怪訝そうな顔で見る。
「いいんだよ。コイツの言う通り、噂話で漏れる情報みてェだし」
この男には九〇億円の価値がある。高杉にはそんな価値はない。ただそれだけであり、そして世の中の無情さを嘆くには十分な事なのだ。
「……すげェな。すげェ。すげェよ。オマエ、最高だよ」
素直に賞賛する他ない。そこに一切の打算はない。心の奥底から、高杉はルーシという人間を褒め称えているのだ。
「ありがとよ」ルーシは満更でもない態度で答える。
「お祝いしねェとな。オマエが嘘を言ってなければ」
もちろん、嘘をつく人間には見えない。いや、余計で利益のない嘘はつかないだろう、それはなんとなくわかるのだ。
「ああ、飲もうぜ」
ルーシとタイペイ、そして高杉は歩いていく。目的地は酒も飲める寿司屋である。高杉は未成年であり、ルーシとタイペイも高校生ならば未成年だろう。しかし、学園横浜の周辺地域の年齢確認は非常に緩い。中学一年生ですら、平然と酒を飲めるし煙草を吸えるのだ。
「さて、祝勝会を上げようか!」
高杉の脳内は酒を浴びて忘れるの一つに統一されている。飲まなくてはやっていけない。それ程までに、今日の損失は大きなモノなのだ。
「いや、ちょっと待て」
ルーシは寿司屋の門の前で止まった。そして彼は言う。
「オマエ、なにか失敗したろ?」
失敗。確かに失敗である。一〇〇万円がどこか遠くに逃げ去ったのだから。ルーシの契約金に比べれば微小な額ではあるが、それでも高杉にとっては大きな失敗なのだ。
「そうだね。高杉くん、なにしでかしたの?」
タイペイもまたルーシと似たような事を言う。二人は精神を解析する超能力者なのだろうか。
「……オマエら、なにを知っている? まさかテレパス系の超能力者なのか────」
「違うな」
ルーシは冷静に、
「なにも知らない。ただ、裏社会で生きてきた人間として、オマエよりもベテランってだけだ。まるで偽札を掴まされたような表情をしていると思ったからな」
ズバリと言い当てられた。これでは高杉はただの間抜けである。
「オレもタイペイも、この国よりも遥かに治安の悪りィ国で裏の仕事をやっていた。クソみてェな光景もたくさん見たさ。だからわかるんだよ」
経験はなによりも強い。ルーシには、高杉の考えている事を見透かす事ができるのだ。そしてその力はタイペイにも付いている。
「どんな事をやられたの? ルーシの言ったように、偽札を掴まされたの?」
タイペイは子供である。どこをどう見ようと、子供としか表せない少女。しかしそんな少女は、しかし犯罪の道においては高杉よりも先輩なのだ。
「……まァな」
強がる事しかできないのならば、失敗を認めているようなモノである。高杉は少ない言葉で、答えた。
「いくらやられた?」
「……九〇万ぐらいだな」
「はした金だが、オマエにとっては大金なのかもしれないな。わかった。取り返してやるよ」
ルーシはあっさりと、しかし重要な約束をした。
高杉は怪訝な顔になりつつ、ルーシへ聞く。
「……なんで」
「あ?」
「なんでだよ。オレとオマエは赤の他人もいいところだろ? この街の犯罪者なんて、皆んな創麗の近未来兵器で武装してるか超能力が使えるんだぞ? わかってるの────」
「だから?」
ルーシは高杉の言葉を遮り、この街の恐ろしさを理解していないかのように言い放つ。そして彼は続ける。
「まァ、色々と都合がいいんだよ。自分の能力を知りてェし、近未来兵器を拿捕したいしな。そのついでにオマエの復讐も果たしてやるってんだ。伸るか反るかはオマエが決めろ」
この話、ルーシ達と高杉両方に利がある。
ルーシは喧嘩をする口実を得られる。自分のチカラを試せるかもしれないのだ。そして創麗の創った兵器をもらえる機会でもある。
高杉は失った金が帰ってくる。ルーシの契約金で麻痺しているが、高校生にとって一〇〇万円は大金なのだ。
「ま、飲みながら決めてもいいさ。今でもいい。兎にも角にも、オマエには千載一遇の大好機が来ているって事さ。オレらには準備ができている」
タイペイはルーシの横で頷く。この二人には、日本という見知らぬ国でも仕事をする覚悟が決まっているのだ。
「……そんなんで
「捨てるつもりはねェが、最悪の場合はそれでもいい。タイペイも同じだ」
「うん。この前も死にかけたしねー」
高杉の直感が彼に語りかける。この二人の死生観は支離滅裂である事を。死ぬ事をまるで恐れていない。これ程までに狂った人間を、高杉は見た事がなかった。
「……狂ってるよ。オマエら」
ルーシは「ふん」と鼻で笑う。
「狂ってんのは他のヤツらさ」
高杉はその言葉に寒気を覚える。
ルーシの言葉は意味深長な気がした。この二人は恐ろしい。平気で超えてはならない一線を超えてしまうような、そんな恐怖を覚えたのだ。
世界には数多の犯罪者がいる。人を傷つけ、自分の思いを成し遂げる無法者が。それらにも多少は罪悪感というモノがあるのだろう。高杉にはわかる話である。少年は違法薬物を生成し、売った。それはきっと、誰かを不幸にしているのだから。だから、罪悪感のような感情は拭えない。
しかしこの二人は、誰かを傷つける事に罪悪感を抱いていないように見えた。無邪気に動物を解体し、果てには人をも殺すシリアルキラーのような無機質さを感じ取る事ができるのだ。
「ま、込み入った話は後でもできる。今、オレ達はとても空腹だ。なにかを食いたい。オレから止めておいて言うのもなんだが、入ろうぜ。寿司屋によ」
「……ああ」
目の前にしたのは食人鬼か、救世主か。結局、高杉にはわからなかった。
「寿司ってうめェのかな? アッチで食った事はあるが、オリジナルは初めてだ。なァ、タイペイ」
「美味しいんじゃない? じゃないと……店員の口に銃口を入れちゃうかも。なんちゃって」
「あ……あァ、うめェと思うぜ。きっと」
後にこの街にて大暴れする事となる大問題生徒達は、こうして出会ったのだった。
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