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翌日の学校は、トラックの暴走事故の話題で盛り上がっていた。幸い巻き込まれた生徒はいなかったらしく、運転手だけが病院に運ばれたけれど、命に別状はないとのことだ。朝から警察も来ていて、しばらくは校門前の交通規制が厳しくなるようだった。
ただ生徒たちの関心は、それら詳細とは別のところに向いていた。
『事故の発生時刻が四時四十五分頃だったこと』。
「正確には四十四分に違いない」とか「ユーコさんの呪いは本当にあったんだ」とか、あれやこれやと無意味に騒ぎ立てられていた。『ユーコさんの呪い』なんて、そんな噂はそもそも最初からなかったはずなんだけどそれはもはやどうでもいいらしい。
そんな浮ついた慌ただしい空気をよそに、僕は朝休みに早速三年三組の教室を尋ねた。
「このクラス、ミキって名前の人いる?」
数少ない友達に問う。クラスメイト数人で例に漏れずトラック暴走の話をしていた友達は、一瞬めんどくさそうな顔をした。
「ミキ? 二組の倉橋じゃなくて?」
倉橋実希なら僕も知っているけど絶対違う。髪は短くて背が高い、バスケ部のエースだ。
「それ以外に、うちの学年にミキいないと思うけど」
「は? おかしいだろ」
思わず声が大きくなる。
「そんなこと言われても……」と、困惑する友達を前に、僕はうっすら寒気を覚えていた。
隣のクラスに、ミキさんがいない?
その可能性が浮上した途端、一連のできごとのすべてが、おかしなことだらけだったような気がしてきた。だってそもそも、ホタルイカって可愛いか?
――いや。
ちょっと変わった人だったし、自分の学年を間違えたのかもしれない。僕の学年を聞き間違えたのかもしれないし。
だけど僕の貧弱な人脈で他学年の『ミキ』まで調べあげるのは至難の業だ。もう考えないことにして、この話は忘れることにした。
ホタルイカのよしみで、ミキさんとまた話す機会があったら、今度はもっとマシな会話ができるだろうか……なんて、そんな淡い期待も振り捨てた。
そうして何日かが経った頃、校門前の事故のこともみんなが忘れかけたある日の放課後。
美術室の前を通りかかったとき、偶然、西谷先生の姿が見えたので、思わず声をかけた。
なぜだか、気になったのだ。
ミキさんが言っていた、あの部のことが。
「あら藤崎くん」
美人の西谷先生は、にっこりした。
「先生、ものづくりクラブって知ってます?」
「ものづくりクラブ……ってむかーしあったらしいわね。私も赴任する前のことよ。今は美術部と統合されて美術部なんだけど。藤崎くんこそなんで知ってるの?」
「ど、どれぐらい前」
気持ちが
「十年ぐらいかしら。先生もまだ中学生だった頃」
「それは言い過ぎでしょ」
「こら、内申点下げるわよ」
軽口を交わしたあと、
「……廃部になったんですか、その部」
僕はまた、ものづくりクラブについて切り出す。
「うん。熱心な生徒がいたらしいんだけどね。事故で亡くなって、それからはもう美術部と同じでいいや、ってなって」
息を飲んだまま、二の句が告げなくなる。
「作品まだ少し残ってるのよ。すてきなものばかりで、捨てるにしのびなくて――」
先生の話の途中だったけれど、僕はたまらず準備室に駆け込んだ。
海賊船。
その甲板部分に、見覚えのあるものが乗っている。
海賊船の上に水揚げされたかのように見える、ホタルイカのキーチェーンだ。
僕の知っているそれより、だいぶくたびれて色が剥げているものの。
僕の頭の中で、あの日、ミキさんと出会ってからのさまざまな疑問の点が、一本の線で結ばれ、やがてひとつの事実へと行き着いた。
けれど、不思議と恐怖はかんじなかった。
四時四十四分四十四秒。
あの瞬間、僕のいた通学路は十年前に戻ったのだ。
自販機は撤去されたんじゃなくて設置される前だし、接骨院はまだ開業していない。ちょうどその時刻、校門前でトラックが暴走した事故とも、無関係で僕は下校できた。
帰宅した際、やたらと時間が経ったように感じたのは、往復でタイムスリップしたことによるラグのようなものだろうか。
どちらにせよ、年季の入ったホタルイカがそれを証明している。僕が出会ったのは幽霊のユーコさんなんかじゃない。実在の、
「ミキ ユーコさん」
準備室の入口から西谷先生の声がして、僕は振り返った。
「裏返してみて。名前が彫ってあるの」
ゆっくりそっと、壊さないように、僕は海賊船を持ち上げ、ひっくり返す。
船底に彫られた細い文字。
Miki Yuko
ミキさんだ。
「ものづくりクラブ」と答えたときの、ミキさんの得意げな顔が脳裏に浮かんだ。
そっと、海賊船をロッカーに戻す。ホタルイカも、いっしょに……。
その日の下校時。
僕はこっそりスマホの電源を入れ、時刻を確認する。
四時四十四分。
期待は、ほとんどしていない。
だけど、どうしてももう一度試したくて。
三十、三十一、三十二、三十三――
あのとき、ミキさんが呼びかけてくれなかったら僕は、トラック暴走に巻き込まれていたのではないかと、なんとなく思う。
今となってはわからないけれど。
四十、四十一、四十二、四十三――
「ねぇ」
心臓が、止まるかと思った。
自分でもびっくりするぐらいに、彼女の声をよく覚えていた。
振り返ると、そこには誰もいない。
だけど僕には、あのいたずらっぽい笑みが見えた気がした。
ミキさん。つまりはユーコさん。
「海賊船、直してくれて、ありがと」
乾いた秋の風の中、どこからか、たしかな声でそう聞こえた。
僕のほうこそ。
「助けてくれて、ありがとう」
声に出して呟く。
街路樹の紅葉したイチョウの木々が、さやさやと頷くように風に揺れていた。
四時四十四分四十四秒のユーコさん 鉈手璃彩子 @natadeco2
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