第五話: すべては順調のはず……なのだが




 ……そうして、七日後。外は、雨が降っていた。



 台風が、近づいているらしい。点けっぱなしのテレビのフェザーニュースでは、日本列島より南に200kmほどの位置にあるとキャスターが伝えている。


 理由は興味が無かったので調べていないが、どうも今回の台風は広く浅くというやつらしい。


 風力こそ弱くて上陸する前には温帯低気圧に成るらしいが、とにかく影響が出る範囲が広いらしい。おかげで、雨は昨日から降り続いている。


 正直、こんな雨の中でも見回りを続けている警察も大変だなあ……というのが、綾の気持ちであった。



 ――何せ、犯人は己である。



 第二、第三の犯行を未然に防ぎ、場合によっては現場に戻ってくるかもしれない犯人を捕まえる為に見回りを続けているのだろうが、そんな事は絶対に起こらない。


 彼ら彼女らは、霧のような犯人を追いかけている。その様を間近で、それでいて雨風が凌げる自宅で悠々自適に観察しているなど……考えてすらいないだろう。



 ……さて、だ。



 相変わらずな外のざわめきに耳を傾けながらも、二日で空にした鍋を洗いながら……今後について、綾は改めて考えていた。


 テレビで確認した限りでは『失踪』という扱いになっている。全国的なニュースになっているようで、まだまだ世間の注目が集まっている。


 1人2人が失踪したならともかく、一気に二桁の人数が(しかも、同じ地域の)居なくなれば、そりゃあセンセーショナルな事件だろう。


 おまけに、家主の者と思われる血痕が幾つか見つかっただけでなく、居なくなった者の中には明らかに失踪するには身体が不自由な者も居た。


 常識的に考えて、何者かの思惑というか、事件性が有ると見るのは普通だろう。



(幸いにも、私が犯人だとは疑われてはいない)



 ただし、私が何かを知っているのではと疑っていると思われる二人の刑事の存在がちらつくが……まあ、今はいい。


 何にせよ、常識的な捜査ではまず犯人を導き出せない事件であるのは間違いない。どれだけ警察が動こうが……己に、高田綾に辿り着く可能性は0に等しい。



 つまり、綾が取るべき手段はただ一つ。とにかく、『待つ』のだ。



 今はまだ失踪した者たちの家族や何やらが騒いでいるが、それも時間の問題なのだ。


 と、いうのも、だ。


 よほどの金持ちを除いて、何時までも家主不在の家を維持するわけにもいかない。人の少ないド田舎ならともかく、ここは一般的な住宅街。


 そりゃあ都市部の一等地に比べたら安いが、それだけ。


 税金でも家賃でも、毎月数万円も飛んで行くとなれば……大家や家族(親戚含め)も考えるだろう。


 滞納が続けば正式に失踪扱いするし、相続を名乗り出る者がいなければ没収して競売に掛ける自治体も出てくるだろう。


 それに、仮に持家だとしても、法的には家主が一時的に姿を眩ましただけで、持ち主は失踪した家族の物だ。つまり、親族は下手に手を出せない。


 面倒な相続手続きをするだけの価値が有れば親族も動くだろうが、小さな……それこそ、値が付かない安い物件なら、関わりが無いという理由で放置するだろう。


 警察とて、家宅捜索などで、もぬけの殻となった家の中を捜査し終われば、後は用済みだ。


 手掛かりになりそうなモノが有ったり、保存する必要が有ったりすれば話は別だが……数十件もの家屋をいちいち警察が管理するかといえば、そんなわけがない。



 それに、警察とて暇ではない。取り組まなければならない事は、次々やってくる。



 今はまだ事件が発覚して日が浅いし、世間の注目が集まっているから、警察も本腰を入れて捜査を続けるだろう。


 しかし、二ヶ月、三ヶ月……半年、一年と時が過ぎれば……いずれ、捜査の規模は縮小する。


 失踪したとはいえ、死体なり何なりが見つかっていない以上は、只の失踪扱い。警察としても、何時までもソレにばかりに構っていられなくなる。


 だから、待つだけで良い。


 警察と世間の注意が外れれば、後はもうこっちのモノ。名付けて、家宝は寝て待て作戦……それが、綾が考えた当面の行動計画であった。



 もちろん……完璧な作戦というわけではない。



 まず、いずれは……綾は、この家を出る必要がある。というか、出なければならなくなるだろう。


 理由は、単純に金が無くなるから。つまりは、ローンの問題が有るからだ。


 親の年収なんぞ知らないが、一軒家を一括支払い出来る程には裕福ではないし、見つかった通帳の額から考えても、どれだけ切りつめても2年強が限度だろう。


 いや、それどころか、今の綾の食欲を考えれば、だいたい1年で底を尽く……そう思って、間違いない。


 いちおう、持ち主が死亡した際には色々と対処されるらしいが……正直、人目に付きたくない綾は、面倒だから家を出よう……という感覚であった。



 ……それに、だ。



 綾が記憶している限りでは、親戚との付き合いはほとんどない。つまり、よほどのお人好しか、下心が無い限りは……綾を引き取ろうとする者は現れない。


 ……後はまあ、学校ぐらいだろうか。


 今はまだ事件の被害者として様子見されているが、このまま時間が過ぎれば……おそらく、学校から連絡が来るだろう。


 理由は、考えるまでもない。出席日数の関係で留年の可能性が出てきたら、とりあえずは連絡してくるだろう。


 当然、綾は学校に出る気はない。言っておくが、自暴自棄ではない。


 今の綾にとって健康的で若くてエネルギッシュな同級生は、美味しそうな肉の集まりにしか見えないのだ。ぶっちゃけ、耐えられる自信が無い。


 加えて、以前と顔が異なっている。化粧とかではなく、骨格の形が違う。気付く者が出ても不思議ではない場所になんぞ、行く理由は万に一つも無かった。


 それに……何も、綾は暇を持て余しているわけではない。


 生まれ落ちた人が身体の使い方を学び、歩くことを学習し、言葉を覚えていくように、綾もまた覚えなくてはならない事が多々ある。


 そう、以前の綾はともかく、化け物と成った今の綾はまだ……生まれたてなのだ。


 獲物を狩る際に使用した『黒い影』を本能的に理解していたとはいえ、完全に全てを理解したかと言えば……とてもではないが、頷けない。


 例えるなら今の綾は、道具が揃った台所を手に入れたが、使えるのは包丁だけで、大根の皮むきが出来るだけの素人も同じ。


 何となく……感覚がする。己はまだ、自分の身体を理解していない、と。


 切り方も刻み方もそうだし、まだまだ触れてすらいない道具が台所に眠っている。


 何をするにしても、まずは道具を最低限使えるようにならなくては……話にならないだろう。


 家の中でやれる事に限りがあるとはいえ、壁に穴を開けようが床を踏み砕こうが、今は許される。


 故に、綾は……黙々と、己の身体の使い方を調べていくことにした。





 ……。


 ……。


 …………そのまま時は流れ……気付けば、一年の月日が経っていた。


 その間、色々な事が……まあ、今の綾にとっては取るに足らない話ではあったが、色々と訪ねて来る者がいた。



 一つは、警察だ。



 見回りをしている警官だったり、何時ぞやの刑事たちだったりとバラバラだが、現時点では唯一の生存が確認されている被害者……訪ねて来るのは当然だろう。


 とはいえ、その頻度は時が経つに連れて目に見えて減っていった。


 予想していた事だが、やはり何時までも進展が見られない事件に構っている余裕はないのだろう。


 1人、また1人。見回る警官が減り、巡回するパトカーも減った。今では、事件前とほとんど変わらなくなっていた。



 二つ目は、学校関連だ。



 これもまた予想していた事だが、比較的最初の内は担任やら教頭やらが尋ねて来た。一度として応対しなかった事も有って、その頻度は減った。


 このままでは留年になると期日入りの手紙が入ってから……今ではもう月に一度チャイムを押すだけで呼びかけはせず、言い分を作る為の流れ作業となっていた。



 そして三つ目は……マスコミだ。



 これは、警官の数が減るに合わせて増えたが……それも、すぐに数を減らした。何故なら、綾は一度として取材に応じる事をしなかったからだ。


 中には待ち伏せしている者も居たが、常人より桁違いに感覚が優れている今の綾にとって、彼ら彼女らの待ち伏せなど、何の意味もない。


 目立つのは嫌だが綾は容赦なく警察を呼んだし、マスコミたちもいちいち警察を呼ばれるのを嫌ったのか……気付けば、綾の周囲から消えていた。



 ――そう、世間はもう、『神隠し』と呼んだ大量失踪事件の事など忘れてしまった。



 この一年の間に、議員の汚職だったり芸能人の泥沼不倫であったり、事故や災害のニュースが次々に流れていたからだろう。


 一年が経った今では、名前を聞けばたいていの者は思い出すが、名前を聞かなければ思い出せない程度になっていた。



 ……そう、なってしまっていた。



 一年という月日を定めたのは、単純に区切ったわけではない。そうしなければ、我慢出来なかったからだ。ゴールを定めなければ、抑えられなかった。



 ……血肉に飢えに飢えている獣が、放たれようとしている。



 血肉を食わせろ魂を食わせろと喚く腹を宥め続けた、余人深い化け物が……ようやく、涎を溢れさせながら大きく口を開ける。


 もう、紛い物で我慢するのは止めだ。


 血肉を、魂を食らいたいというのに、味気の無い粥やサラダで空腹を満たし続けるのは……いいかげん、嫌になって来ていた。



「――お腹、空いた」



 時刻は、深夜。


 カーテンは閉め切られ、照明は落とされ、家の中よりも外の方が騒がしいほどの静寂の最中……ポツリと零した綾の呟き……それが、始まりであった。



 ――ぬるり、と。



 音も無く、まるで水の中に沈むように、綾の身体が暗闇の中へと消える。それは比喩でも何でもない、その瞬間、綾はその場には居なかった。



 『影移動』



 それは、一年の間に綾が新たに習得した能力の一つ。いや、習得したというよりは、元々持っていた能力に気付いた……という方が正しいのかもしれない。



 ……まあ、どちらでもいい。重要なのは、その能力の中身だ。



 この『影移動』は文字通り、『影』を通じて別の『影』に移動する能力であり、現時点では最も効率の良い能力だと綾は思っている。


 だが、実際は最も恐ろしい能力と言えるだろう……と、いうのも、だ。


 移動距離に制限はあるが、どんな形であれ影が有ればそこへ移動出来る。物理的な障害が有っても無意味であり、例え相手が完全な密室内に居ても結果は同じである。



 ――そう、この能力の恐ろしい所は、狙われれば最後、逃れる手段が無いからだ。



 移動距離に、相手の重力や圧力や慣性は全く関係ない。あくまでも直線距離。高低差ではなく、距離なのだ。


 つまり、仮に相手が宇宙ステーションに逃げ込んだとしても、地上ではバラバラに弾け飛ぶ程の速度で飛んでいたとしても、綾にとっては何の意味もない。


 さすがに一度に数百キロ離れた獲物に接近するのは無理でも、影から影を通じて狙える。手間が掛かるか否か、その程度の違いでしかない。



 もちろん……という言い方も何だが、制約は有る。しかし、幾らでもやりようがある。



 ライト等を使って影を消せば、一時的に接近を逃れる事は出来るだろう。だが、それは現実的な対処法ではない。


 そういった設備が備わっている施設ならともかく、一般的な……せいぜいが玄関前に監視カメラを付けている程度の現代社会では……綾にとって、家の前に並べられた金銀細工に等しかった。


 ……で、だ。


 そんな綾がこの日、この夜、一年という禁欲期間の解禁に選んだのは……自宅より240kmほど離れた家に住まう、都心のワンルームマンションであった。


 どうしてそこを選んだのか、特に大した理由があるわけではない。


 人が1人2人失踪したところで大事件として取り扱われる事もなく、プライベートという名目で周辺住民との関係も希薄で、異変が起きても騒がれにくい場所。


 姉の自室に残されたパソコンを使えば、幾らでも見付けられた。


 今は、世界の裏側とて写真や動画で見る事が出来るのだ。何度か下見がてらに見て回ったが、手付かずのヒツジを前に食欲を抑えるのは本当に辛かった。


 でも、そのおかげで候補地は幾つも見付けられた。いや、正確には、手頃な獲物を見つけた……というのが正しいのだろうが……まあいい。



 ――ぬるり、と。



 再び姿を見せた綾は、自宅より240km離れた場所にあるマンションの……裏手にある、小さな雑居ビル傍の路地であった。


 その路地は、言うなれば通路というよりは隙間である。


 奥に言ってもフェンスとブロック塀で囲われた行き止まりがあるだけで、強いて挙げるならばゴミ箱が置かれているだけだ。


 そんな場所に、監視カメラなど設置されていない。有った所で昼間でも薄暗いそこでは使い物にならず、暗視カメラなんぞ設置する必要性もないからだ。


 そこより……するりと顔を覗かせた綾の出で立ちは、一言でいえばカジュアルだ。


 ジーンズにシャツにスニーカーに帽子。コンビニ帰りだよと言わんばかりなラフな格好のまま、しばし辺りを見回していた綾は……ふと、ニヤリと笑みを浮かべた。


 綾の視線の先に居るのは……年若い男性だ。


 日本人(アジア人)ではない。肌は浅黒く、髭を生やし……中東系の顔立ちをしたその男は、ポチポチと歩きスマホをしながら……マンションの中へと入って行く。


 それを見て……綾は再び影の中に沈む。その行き先は……男の影の中。


 影の中から、綾は男の行動を見つめる。


 部屋に入り、日本語ではない独り言を呟きながら、日本語ではない文字が並ぶポスターを横目に、テレビを付けたり冷蔵庫を開けて……ふむ、一人暮らしか。



 ――ならば、もう良いか。



 ぬるり、と。


 音も無く男の背後に現れた綾の、その足元より這い出る綾の影。何かに気付いた男が、くるりと振り返って――瞬間、驚きに目を見開いた。


 でも……全ては遅かった。


 悲鳴を上げるよりも前に伸ばされた影が、男の全身を瞬時に包み込む。と、同時に、べきべき、と包み込まれたソレが瞬く間に噛み砕かれ……ごくん、と影の中へと消えた。


 そうして、テレビの音だけが孤独に響く室内に残ったのは……綾だけであった。



「……足りない」



 その呟きと共に、綾の足元より伸びた影が部屋中へと広がり……片っ端から食べ物を食らい尽くす。


 時間にして、5分も掛からない。元々大した量が入っていない冷蔵庫の中身を空っぽにした綾は、傍のテーブルに……この家に有った全財産をドサッと置いた。


 ……現金は、約8万円。


 他には、他国の紙幣と思われるやつが数枚。キャッシュカードと個人店のポイントカード……クレジットカードは無かった。


 とりあえず、現金は持っていても困らないので懐に入れるとして……カードの類は、カメラ等の人目がある所でしか利用出来ないから、捨て置こう。



「……足りない」



 そこまでやった辺りで、ぐぎゅるるる、と腹が鳴った。


 ……一年も、我慢し続けたのだ。


 たった一人腹に収めた所で満たされるわけがない。最低でも10人は食わねば、鳴くのを止めてはくれなさそうだ。


 しかし、何時ぞやと同じく食欲に突き動かされるがまま貪るわけにはいかない。


 せっかく、ほとぼりが冷めるのを待ち続けたのだ。ここでソレをやれば、また大騒ぎになってしまうのは目に見えていた。


 だから……綾は再び、『影移動』にて次の候補地へと向かう。


 次の候補地は、河川の傍にある大型マンションが立ち並ぶ一角。時刻が時刻なので、子供の姿が見られなくなった暗闇の中で……次の得物を定める。



 ――今度は、女だ。



 年齢的に、30代。前と同じく、日本人ではない。急いでいるのか、小走りになっている彼女の息は少しばかり上がっている。


 健康的で……薬などで汚染されているといった臭いはしない。


 少しばかり不摂生が続いているのか、先ほどの男に比べて肉の量が少ないが……それはそれで味わいが異なるので、構わず綾は女の影へと移動する。


 ……もうすぐ食われるなど夢にも思っていない女は、予想通り立ち並ぶマンションの一つへと入る。


 息を切らせながらもエレベーターに乗り込み、7階へ。大きく深呼吸をして乱れた呼吸を整えながら……部屋へと入れば……そこには、子供が居た。


 考えるまでもなく、この女の子供だろう。


 相変わらず何を話しているのか綾には分からなかったが、何となく想像が付く。


 子供を抱き上げて、女はのそのそと部屋の奥へと入る。『油断の臭い』を、これでもかと放っている。


 室内は少しばかり散らかっているが、この二人以外には誰も居ない事を確認した綾は……するりと、二人の首に影を回すと。



 ――ごきり、と。



 手加減せず、へし折った。けふっ、と息が二人の唇から零れると同時にその場に崩れ落ちたのを……影で受け止めた綾は、そのまま二人を呑み込んだ。


 次いで、部屋中を漁る。先ほどと同じく、一通りの食糧を根こそぎ貪った綾は……再び、次の候補地へと移動する。


 今度は自宅より更に70kmほど離れた場所にある、寂れた住宅街の一角。いわゆる、都心の郊外に立ち並ぶアパートの一つ。


 そして、これまでと同じく獲物を定める。今度もまた、日本人ではない……もちろん、偶然ではない。



 ――綾はこの一年間、調べ続けたのだ。



 今後、獲物を狩り続けるにしても、極力騒ぎになりにくい相手を選んだ方が良い。しかし、騒ぎになりにくい相手なんて、早々見つかるわけもない。


 しかし、死活問題なので考えに考え…………つい先日、綾は結論を出した。



 それは……外国人である。だが、只の外国人ではない。



 狙うのは、日本に出稼ぎに来て、様々な事情から違法滞在になってしまっている外国人だ。


 彼ら彼女らがどのような理由から違法滞在になったかは、綾にとってはどうでもいい。


 重要なのは、彼ら彼女らはその立場から迂闊に公的機関を頼れないという事。そして、世間もまた……そんな彼ら彼女らの存在を無視している、それが重要なのだ。


 彼ら彼女らが属するコミュニティの誰かが気付いたとしても、迂闊にそれを公にするわけにはいかない。


 下手に騒げば、自分たちもまた芋づる式に疑われ、場合によっては強制送還されかねないからだ。


 もちろん、彼ら彼女らも心配しないわけがない。独自のコミュニティを通じて、行方不明となった者たちを探そうとはするだろう。


 しかし、表には出られない隠されたコミュニティの捜索活動だ。探せる範囲には限度があるし、大々的に動けるわけもない。


 必然的に発見は遅れ……仮に公的機関が発見したとしても、『捕まるのを恐れて逃げた』と考え、わざわざ行方を追おうなんてしない。


 しかも、毎年毎年そんな外国人が入ってきては、何百人何千人と行方を眩ませている。つまり、最低でも毎年数千人は国が把握出来ない人が増えているわけで。


 ……そんな者たちが毎日1人2人居なくなったところで、果たして世間は注目するだろうか?



(……美味しい、美味しい、美味しい)



 答えは、しない。


 仮にニュースで流れてもせいぜい十数秒ぐらいで、それを見た者がいても、その日の夜には忘れている……その程度の話なのだ。


 故に、この日、この夜……夜が更けて行き、徐々に街が静かになってゆく……その最中。


 ――ごきり、ごきり、と。


 1人、また1人。あるいは、2人も3人も。


 国から、世間から、環境から、隙間なく蓋をされた彼ら彼女らの悲鳴が外に届くことはなく。


 人知れず、誰も彼もが綾の影の中へと飲み込まれ、胃袋へと落とされていった。








 ……そうして、月日は流れ……更に、半年が過ぎた日の、夜。深夜というには早く、夜というには些か深まった時間帯。



(……一部のネットニュースで外国人の失踪について触れている。でも、コメントを見る限りは誰も気付いてはいないようだな)



 今日もまた降り続けている雨の音に耳を傾けながら……綾は、ネットニュースやニュース関連のまとめサイト等を片っ端から確認していた。


 ……順調だ。


 目論み通り、世間は違法滞在者である彼ら彼女らに注目はしなかった。まあ、失踪者が増えているといった点で触れはしたが、そこまでだ。


 時間にすれば、昼間にて2時間放送のワイドショー番組の中での2,30秒ぐらいである。


 じっくりしっかり番組を見ている者ならともかく、ラジオ代わりに付けている高齢者が、それに興味を抱くなんて事は早々ない。


 というか、多少なり興味が有ったとしても、注意力も記憶力も衰えている高齢者が詳しく詳細を調べようとはしないだろう。


 当然、平日のそんな時間にワイドショーを見ている若者の数など知れたモノ。その僅かな人たちですら、わざわざ調べようとはしない。


 それは、現在より1年半ほど前に起こった『神隠し』も同様であった。


 当時は連日連夜に渡って流し続けていた世紀の大事件も、今は昔。もはや、誰に聞いても『そんな事件が有ったね』と言われる程度になっていた。


 その証拠に、一斉に住民たちが消えたその場所では……新たに移住してきた者たちの顔が見られ始めていた。


 家賃滞納が続いて法的に解約した家もあれば、残された親族が、『もう死んでいるだろう』と判断して手放した家もある。


 事件を覚えて気味悪がる者が居ても、事件を覚えていない者たちも居る。これもまた必然だが、まったく気にせず家賃の安さを見て首を縦に振った者もいる。


 そんな中で、綾は……意外にも、自宅から離れることなくそのまま住み着いていた。


 理由は、よくよく考えたら勝手が分かっている場所を一つぐらい確保しておいた方が良いかもと、後になって考えなおしたからだ。


 というのも、今の綾には保護者が居ない。つまり、必要になって家を借りようと思ったら、保証人となる人物が居ない。


 成人しているならともかく、公的に見れば今の綾とて未成年。すなわち、保護者の許可が必要となる事が多い。


 なので、一度住居を失えば、新たに作るのが非常に難しい。


 いくら金が有ったところで、未成年(しかも、保証人が居ない)の女がいきなり家を借りたい等と……普通は怪しまれて断られる。


 せめて、大学生という身分が有れば、保証人を肩代わりする会社や、保証人無しでもいける物件なら考えてくれるだろうが……そういうのは余計なトラブルを呼び寄せる場合があるので、迂闊に手は出せない。


 なので、結果的には狩りの際に得た金銭から維持費などを支払う形で収まったのだが……まあ、結果オーライというやつだろう。


 ……兎にも角にも、だ。


 万が一誰かに見られたとしても、すぐに自宅へと戻れば完璧なアリバイを作り出せる。常識的に考えれば、その時点で綾を疑う事を止める。


 故意的に犯人に仕立て上げようとしない限りは、それでほぼ警察からの注意は外れるだろう。



「……これは、どっちだ?」



 とまあ、そんな感じで何事も順調に日々を送っていた綾だが……この日、何時もとは違う、気になるコメントを見つけた。


 それは……外国人が失踪しているというニュース記事に、ぶら下がるように続けられていたコメントの一つであった。


 内容は……『俺は知っている、誰かがソイツ等を消していっている』というものだ。


 もちろん、それだけでは綾の気を引きはしなかった。問題なのは、その後……ゲスト(名無し)のそのコメントには、無視出来ない内容がちらほらとあった。



 たとえば、ヤツは空間と空間を移動する。

 たとえば、ヤツは単独犯。仲間はいない。

 たとえば、ヤツは攫った人たちで実験している。

 たとえば、ヤツは宇宙人、人間を狙っている。



 当てずっぽう……と、考えればそれまでだろう。事実として、的外れなコメントも有った。



(……こいつ、何か気付いているのか?)



 だが……どうしてだろうか。


 どうしても、綾は……このコメントの主が何かを知っている。あるいは、何かに気付いている……そう思えてならなかった。


 いったい何処でバレたのか。

 あるいは、何処で気付いたのか。


 ――がりがり、と。


 艶やかな髪を掻き毟った綾は、ふわりと椅子から降りて……室内をぐるぐると回る。


 ……正直、綾には見当もつかない。


 監視カメラが有りそうな場所では絶対に影から出なかったし、基本的には映りが悪く人目に付きにくい夜間での行動に徹していた。


 我慢していた時期ならともかく、食人を再開してからは狩り以外ではほとんど外に出ていない。


 出るとしたら、銀行ぐらいだ。ローンやインフラ代の引き落とし先である口座への入金、それぐらいだ。



(私に気付いている……というよりは、私のような存在が居る事に気付いている?)



 可能性としては、そちらの方が大きいだろう。


 とっくの昔に学校も退学(出席日数不足)となり、基本的に外には出ず、SNSなども一切やっていない。


 だから、このコメントの主が綾に辿り着ける可能性が限りなく0に近い。これで辿りつけたら、もはや綾が何をどうしようがいずれ見付けられるぐらいのレベルだ。



(今のところは、誰も気に留めていないようだが……)



 と、なれば……綾が今後気にしなければならないのは、このコメントの主が周囲にもたらす情報だ。


 チラシの裏に書かれた主張を壁に1枚張ったところで、誰も気には止めない。


 しかし、10枚、100枚、1000枚、毎日毎日所かまわず無差別に張られ続ければ、信じる者が出て来ても不思議ではない。


 そこまで行かなくとも、『そのような話を耳にした』と覚える者は増え続けるだろう。


 綾にとって、それは都合が悪い。


 真偽は、この際どうでもいい。問題なのは、頭の片隅にそういう話が残るということ。小さな穴が、どんな結果をもたらすかは綾にも分からない。


 なので、綾は……そのコメントのIDを基に、検索に掛けて見た。そういった事をした覚えも知識もない綾が出来る、精一杯の調査活動であった。



「……?」



 だが、思いの外あっさり気になるモノを見つけた。


 それは、とあるSNSにて投稿された一文。たった一言、別のSNSのアドレス。それだけのコメントを残してそれっきり……怪しいといえば、怪しい。


 ……。


 ……。


 …………とりあえず、コピー&ペースト。少しばかりの間を置いてから、表示された画面には。



「……住所?」



 大きく表示されたプロフィール画面に、ただそれだけが記されていた。


 何もかもがデフォルトのままに、淡々と記された住所が……何とも言い表し難い怪しさを放っていた。


 ……。


 ……。


 …………とりあえず、住所を調べる。映し出されるのは、古びた住宅街の一角にポツンと建てられている、大して物珍しさもないアパート。


 位置的には、普段綾が狩場などで使っている場所とは離れている。新しい候補地にしても良いが、まったく見覚えのない場所だ。



 ……当てずっぽうな悪戯にしては、手が込み過ぎている。



 しかし、何もかもが怪しい。綾を誘い出そうとしているのか、本当に手の込んだ悪戯なのか……いまいち、判断が出来ない。


 ……とはいえ、だ。


 このまま放置しておくわけにもいかず……綾は一つため息を零すと、ぬるりと影の中へと総身を沈ませた。


 後には、ディスプレイの光が室内を照らす……生活感のない、僅かに漂う血の臭いが残されたのであった。



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