第四話: お腹が空きました(おあずけ)




 雑談を交えた事情聴取は、それからおおよそ3回行われた。




 質問の内容も、綾の答えも前とそう変わらない。


 果たして意味があるのかと思ったが、『何度か話すことで忘れていた事を思い出すことがある』と言われて、納得し……そして、今日で4回目。


 すっかり慣れた……という言い方は何だが、さすがに4回目ともなれば慣れる。しかも、来る人が毎回同じだし、だいたい同じ時間だ。


 どうして毎回同じ時間なのか……気になって看護師に尋ねてみれば、理由はあっさり判明した。



 ――曰く、綾の精神的負担を考慮して、極力同じ時間帯で聴取を行うべきだと医師より指示を受けたから……という事らしい。



 何じゃそりゃあと話を聞いた時に綾は思ったが、考えてみれば、そこまで変な話ではない。


 何と言っても、今も綾は被害者だ。それも、家族全員が行方不明(実際は綾が食い殺したのだが)になった中での、唯一の生存者。


 外傷等が無いにしても、だ。常識的に考えて、精神的なダメージを相当に受けていると思うのは当然だろう。


 しかも、綾はまだ16歳。そもそも、多感な時期だ。


 只でさえ、事件のショックから非常に口数が少なく誰とも話をしようとしない。食事こそ取れてはいるが、表情が変わるのを一度も目撃されていない。


 そんな状態の少女に対し、昼夜を問わず一方的に押し掛けるのは負担が大き過ぎる……というのが医師の見解であった。


 実際、刑事たちも訪問を行う際、かなり気を使っているのは『今の綾の目からでも』透けて見えた。


 何せ、言葉一つ、声色一つ、目線一つ。


 年頃のナイーブな心を傷付けないようにしているのが手に取るように分かる。何故かと言えば……『臭い』だ。



 と、いうのも、だ。



 正真正銘の怪物として変質した今の綾は、人間とは異なる五感を有している。その中でも最も敏感なのが、嗅覚だ。


 犬や猫より正確に、かつ、高度に情報を収集する。その精度は精密機器どころか、もはや魔法の領域であり、今の綾の前では、胸の内など丸裸も同然。


 臭いを嗅いだだけで相手の身体状況や精神状況だけでなく、どのような思考を巡らせているか、それすらも時には看破してしまう……それほどの嗅覚なのだ。



(……わざわざ、消臭スプレーを身体に振っている。私に気を使った……のか?)



 故に、4回目の今日。


 これまでと同じく、定位置に居る山田と須藤のロートル&ルーキーの姿に、綾は……内心にて、二人の事を善人だと評価する。


 だが、同時に……この二人には極力気を許すべきではないと……恐ろしい奴らだと、綾は判断していた。


 いったいどうして……それは、両名より嗅ぎ取れる、彼らの内心にてゆらゆらと燻っている……己の、綾への疑念が有るからだ。



 ――疑っている。そう、彼らは、綾を疑っている。



 さすがに理由までは分からないが、彼らは此度の事件に関して、高田綾を疑っている。


 犯人……とまではいかなくとも、重要な手掛かりに通じていると考えている。綾が、警察にも話さないナニカを黙っていると思っている。



 ――だからこそ、恐ろしいのだ。



 見た目の上では、二人は完全に善人だ。善を成し、悪を挫き、市民を守る警察としての振る舞いを身に纏い、穏やかな気配すら放っている。


 しかし、綾には分かる。ソレは全て、擬態だ。


 彼らは、牙を研ぎ澄ましているだけだ。犯人という名の狼藉者を捉え、仕留める為に、只々笑顔の下で準備を進めている……そんな存在だ。



(……この二人と似たような『臭い』を発しているやつは要注意だな)



 最終的に、そう結論を出した綾は……思考を切り替え、改めて眼前の刑事たちに視線を向けた。


 ……今回の聴取も、前回とほとんど同じだ。


 基本的に、当時の状況を語るだけ。多少なり言葉は違うだろうが、言っている事はだいたい同じ。おかげで、それも慣れてしまった。


 二人も、何度か話す内にこれまでとは異なる何か思い出すのを期待していたのだろう……そんな、期待混じりの臭いを放っていた。


 けれども、わざわざボロを出してヒントを与える必要は無い。これは、御菓子やジュースが出てくるクイズではないのだ。自らの命を差し出すようなマヌケになったつもりもない。


 故に、4回目ともなれば僅かばかりとなっていた二人の期待も、話し終える頃には……すっかり萎んでしまっていたのを、綾は内心にてほくそ笑んでいた。



「――いちおう、聴取はこれで最後にするけど……また何か捜査に進展が有ったり、思い出した事が有ったりしたら、連絡してもらっていいかな?」

「はい、何か思い出したら、また……」

「では、私たちはこれで――」



 病室を出て行く刑事たちに頭を下げて、見送る。その臭いが、エレベーターの向こうへと消えたのを嗅ぎ取った綾は……やれやれと、内心にて溜息を零した。


 ……刑事である2人との対話で分かったことは、そう多くは無い。しかし、気になっていた事が一つ分かった。


 それは……あの日、防犯カメラ等に綾の姿が映っていなかったという事だ。


 これまた綾には理由は分からなかったが、『臭い』から判断する限りでは、動かぬ証拠はまだ見つかっていないと思えた。


 行方不明(はっきり言えば、失踪)となっている家族の話になった時、それとなく『防犯カメラとか……』と促してみた結果の反応だ。


 意図的に隠しても『臭い』で分かる。また、彼らの上が把握して、彼らには伏せられているといった場合でも分かる。


 だからこそ、『防犯カメラ』という単語を出した際の……彼らの反応に、一つの懸念材料が消えた事を綾は内心にて悟った。



 ……ひとまず、安心だ。



 幸いにも、刑事たちは綾に対して薄らと疑念を抱いてはいるが、それ以上に関しては何も分かっていないようだ。


 もしかしたら、泳がせているだけなのかもしれないが……だとしても、綾の鼻は誤魔化せない。


 疑念は抱いているが、同時に、被害者であると考えている。それが分かっているからこそ、綾は……本当の被害者のように、殊勝に頭を下げたのであった。



(……お腹が空いた。さすがに、そろそろ食べないと辛くなってきた)



 ――で、だ。



 目下の問題がひとまず解決した以上、綾が次に取り掛からねばならない問題は……何と言っても、食料問題であった。


 これは入院中(実際は当初から)にてつくづく実感し続けている事だが、兎にも角にも今の身体はとにかく腹が減る。


 病院より出されている食事は栄養管理などが成されているようだが、足りない。純粋に、今の綾の身体を維持する量に満たないのだ。


 少なくとも、現在の16倍。一食分だけでも、今の量なら全て16倍は用意してもらわないと、到底足りない。一日分なら、48食分だ。



 それだけ貰えれば、何とか我慢出来る。



 しかし、あくまでもそれは最低限。日がな一日おとなしくしている分であれば我慢出来るが、我慢しているだけだ。


 少しでも動いて、何かをしようとするだけでも……それが、今の綾の状態なのであった。



「……お腹、空いた」


 ――ぎゅるぎゅるるる。



 1人残された個室に、激しく腹の音が響く。入口の引き戸は閉められているので、聞こえはしないが……相当に酷い音であった。


 けれども、仕方がないのだ。何せ、とにかく腹が減っているのだから。ジクジクと、有るかどうかも分からない胃袋が疼いている。



 がりがり……と。



 自らの指を噛みながら、せつなさすら伴う空腹感に、ごくりと唾を呑み込む。宥めるように腹を摩れば、抗議の声が派手に上がる。


 ……人が傍に居る時は気付かれないように抑えているが、それすらも一昨日ぐらいから辛くなってきている。


 一刻も早く、一分でも一秒でも早く獲物を食らい、臓物の飢餓を癒したい気持ちでいっぱいだが……まだ、それは出来そうにない。


 何故なら……此処は、あまりに人の目が有り過ぎる。動くのなら、せめて退院後だ。


 理想を言えば、もう少し時間を置いた方が良いのだろうが……それまで己の理性が持ちそうにないと、綾はもう諦めていた。


 そんな……綾の視線が、壁にセロテープで張られたカレンダーに向けられる。


 いや、正確には、今日より2日後の祝日に張られた……小さな付せん、そこに記された、○のマーク。




 その日は――綾が、病院から退院する日であった。







 ……。


 ……。


 …………ずいぶんと、餌の数が多い。自宅へと向かいながら、綾は思う。



 淡い緊張感と共に警戒を続けている警官たちに、ちらほらと行き交う野次馬根性まるだしの通行人に、粘つく欲望を隠しきれない記者たち。


 未だ、事件の熱は全く引いていない。それが、今の綾にはよく分かる。


 その証拠に、ちらほらと向けられる視線には……これまでには無かった『臭い』が、これでもかと言わんばかりに放たれていた。



 その臭いは、主に三つに分けられる。



 一つは、病院に居る時に何度か嗅ぎ取っていた、『憐憫』の臭い。要は、被害者である私に対する憐れみであり、割合としてはこれが一番多い。



 次に多いのは、率直に言えば『欲望』の臭い。


 おそらく、集まっている記者たちからの臭いだろう。唯一生存が確認されている私を取材し、それによって得られる金銭を求める……そういった感じの臭いだ。



 そして、一番少ないのは……好奇心。私を知ろうとする、『興味』と思われる臭いだ。


 一番少ないだけあって、意識して探さないと見落としてしまうぐらいだが……かといって、一番無害かと言えば、そうでもない。



(……欲情、性の臭い……というやつか?)



 少数だが、その中に混じる性的な欲望の臭いに綾は首を傾げ……少しばかり集中して臭いを嗅ぎ、察する。



(なるほど、私が犯人からナニカをされていると思っているわけか……)



 所詮は、下世話な妄想。しかし、その妄想が続いている間は、間違っても己を疑う事は無いので……綾としては、好都合だ。


 ……それよりも気になるのは、だ。


 三つの中でも、最も強く私を意識し、ドロドロと粘り気がある……記者たちだ。



(彼ら彼女らにとって、文字通り私という存在はお金そのもの……機会さえ有れば、それっぽい屁理屈で幾らでも私を暴きに来るだろう)



 幸いにも……強烈な視線を向けて来る記者たちは圧倒的に多いのだが、今の所動く気配はない。


 おそらく、周辺を警備している警察の目を気にしているのだろう。


 今の綾は、表向きは明確な被害者だ。


 いくら何でも、心に傷を負った被害者の……それも、未成年の女に対して、いきなり傷をほじくり返すような真似をするわけにはいかない。


 少なくとも、白昼の下……人の目がある内は。


 故に、それらを理解した綾は……通り過ぎる警官たちに軽く頭を下げながら、自宅へと向かう。




 ――そうして、ようやく戻ってきた自宅は、以前と全く変わっていなかった。




 何もかもが、あの日の夜の続きであった……まあ、当然だろう。


 入院していた期間なんて一ヵ月にも満たない。人の手が離れた家は傷むのが早いとは言っても、たった一ヵ月では何も変わらない。



(……生ごみは、さすがに腐るか)



 しかし、生ごみに関しては別だろう。


 血肉の匂いに関しては食欲しか湧かないが、さすがに腐った生ものに対して食欲は湧かない。


 とりあえず、放置しておくと腐ったり異臭を放ったりするやつをひとまとめにして、軽く掃除をする。


 綺麗好き……というほどではない。ただ、悪臭漂う中で生活するのは嫌だな……という程度の感覚であった。



(……しまった、初日に全部食べたのを忘れてた)



 その際、冷蔵庫の中のモノで飢えを凌ごうと思ったが、当てが外れてしまい……がっくりと肩を落としながらも、一通りの掃除を終えた後。



 綾は……まず、家中の金品を掻き集めた。



 理由は単純明快、この家の家計を支えていた両親……保護者を食らった事で今後、金銭を得る事が出来なくなったからだ。


 ……これも入院中に気付いた事なのだが、どうも獲物(正確には、魂)を食らった際、その者の記憶も得る事が出来るようなのだ。


 大半は役に立たないが、今みたいに役に立つ場合もある。おかげで、暗証番号を始めとして、へそくり等の隠し場所も把握する事が出来たのであった。



(収入源を見つけるまでは、節制しないと駄目かな……)



 通帳の金額と、家中から掻き集めた金銭を確認しながら……綾は、軽く息を吐いた。



 ……。


 ……。


 …………今の綾にとって、金銭は大した問題ではない。しかし、無視して良いモノとは思っていない。


 衣食住に対する感覚が、以前とは全く異なっている。正直、野生動物のように野山に潜み、時折人間を食らう生活だって悪くないと綾は本気で思っている。


 だが、それは現実的ではないと、綾は現実的に状況を理解していた。


 100万人が暮らす街で1人が居なくなったところでそこまで大騒動にはならないが、1000人しか居ない街で1人が居なくなれば……だ。


 まあ、だからといって、街中が最適かと言えば、それも断言は出来ない。


 戦前戦後の混乱最中ならまだしも、至る所に監視カメラが張り巡らされた現代社会。それでなくとも、一般市民がカメラを持っているに等しい時代。



 何をするにも……今はまだ、早過ぎる。それが、現時点での綾の結論であった。



 何せ、時間に限らずテレビを付ければ、『神隠し』と称された今回の事件をどこかしら取り扱っている。


 まだまだ、世間の注目が集まっている証拠だ。


 いくら何でも、こんな状況で不用意に動き回るわけにはいかない。下手に動いて事が露見すれば、それこそ本末転倒というやつだろう。



(……刑事さんたちの話だと、明後日ぐらいに役所の人とかが来るらしいけど……今後について話すのかな?)



 それに、済ませておかなければならない問題は山ほどある。そちらの問題は、諸々が片付いた後だろう。



 ……。


 ……。


 …………そう、問題は山ほどある。



 遺体が見つかっていない以上、綾の家族は公式には死亡が確定していない。つまり、戸籍上はまだ綾の家族は存命で、綾は庇護下に居る状態だ。


 正式に死亡が確認されているのであれば行政の方から手続きが取れるのだが、今はまだ……やれやれ、考えるだけで憂鬱になってくる。



 ……。


 ……。


 …………ご飯食べて、気持ちを切り替えるか。



「……とりあえず、量が作れるカレーにしよう」



 気分が落ち込むのは、お腹が空いているせいだろう。兎にも角にも今は何かを腹に入れたい……そう、綾は思った。



 ――一番美味いのは間違いなく『人間』。でも、今はまだ無理。リスクがあまりに高すぎる。



 幸いにも、それ以外が不味いというわけではない。ヘルシーな食事であろうと、量を取れば腹は膨れる。


 家中の食糧を根こそぎ食べてしまったので買い出しが必要だが、カレーであれば一度に大量に作れる。というか、綾の調理技術では複雑な調理は作れない



(……安売りしていたら、うどんも買って、明日はうどんにしよう)



 にゅるりと動かした『影』を使ってリュックを引っ張り出して来た綾は……よっこいしょ、とソファーから腰を上げた。


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