第三話: 怪しいとは、思っております




 病院での検査やら警察官たちの挨拶やら何やらが次から次へと押し寄せて来た……と、思えるぐらいにその日は怒涛の一日であった。



 正直……綾としては、鬱陶しい以外の何物でもなかった。



 少なくとも、綾はそう思っていた。表面上は大人しく従ってはいたが、放っておいてくれと言いたくて堪らなかった。



 ……綾が、本当の意味で被害者であったならば、違っただろう。



 しかし、実際は違う。被害者ではなく加害者……どころか実行犯である綾からすれば、周りから向けられる憐憫の眼差し全てが茶番でしかなかった。


 そう、茶番だ。綾からすれば、今の状況はその程度でしかなかった。


 真摯に……かつ、憐れみながらも気遣ってくれる彼ら彼女ら(という感じの、餌に過ぎないのだが)には悪い……とは思っていないが、そうとしか綾は思っていなかった。


 自身の姿が周囲から見えないように気遣う警察官たちの姿も、何やら言葉を選んで色々と質問してくる医師たちの姿も……今の綾にとっては、何か右往左往しているなあ……という感じでしかなかったのだ。


 けれども、被害者のフリをした以上は、彼ら彼女らがある程度は納得が出来る範囲で被害者のフリを続ける他ない。



 それは、今の綾にも分かる考え方であり、その方が良いと納得出来る考えでもあった。



 なので、行われる処置がどういう意図なのかはさておき、綾は大人しくされるがまま、言われるがまま、警官たちや医師たちの指示に従った。


 ……それが、良かったのかもしれない。


 大人しくしていたからこそ、余計に彼ら彼女らは『綾が被害者である』と本気で信じ、欠片の疑いすらも抱かなかった……のだろう。


 おかげで、色々と鬱陶しい事には変わりないが、発見されて確保するまでの10日間の事を根掘り葉掘り聞いてくるような無神経な者は現れなかった。


 故に、綾は考える事が出来た……己が10日間、どのように過ごしていたのかという質問に対する、最も妥当だと思える答えを。


 考え過ぎというか、気にし過ぎと言われれば、それまでだろう。今の綾は紛れもなく『被害者』である。被害者という立場は時に、加害者よりもずっと強い力を有するのだから。


 だが、しかし……ただの被害者であるならばそうなのだが、綾の場合は違う。


 被害者が実の所は加害者であり、何なら此度の失踪事件の犯人であるという誰にも言えない事実もそうだが、何よりも……綾自身の見た目が、問題であった。



 ――はっきり言えば、今の綾と、以前の綾とでは、見た目が全く違うのだ。



 良い具合に成長したとか、整形手術だとか、そんなレベルではない。身長もそうだし、肉付きはおろか、骨格からして形が違う。人間が餌にしか思えなくなっている綾ですら、ソレが分かるぐらいだ。


 記憶は変わらず残っているから、『高田綾に関する事』ならば幾らでも答えられる。何せ、現在進行形で自分の事だし、何なら如何に自分が酷い扱いを受けて来たのかを語ることだって出来る。


 しかし、見た目に関して尋ねられたら、そんな事は何の役にも立たない。


 いくら綾自身が本人であると訴えたところで、何かもが以前と異なる外見なのだ。親しい友人が居ない綾とて、クラスの集合写真やら何やらに映っているだろう……以前の綾の姿との違いを、説明出来ない。


 最悪、知らないし分からないで押し切るしかないが……それは最後の手段として、故に、綾は良い言い訳を考えることにした……のだが。



 ――結局、入院して4日後のお昼過ぎ。



 どうしたものかと頭を悩ませていた綾の下に、刑事の肩書を持った男が二人、尋ねてきた時も……綾は、何も思いついていなかった。









 ……綾が入院する事になった病院は、政令都市(正確には、都心から)から少しばかり離れ、住宅街からも少しばかり離れた……いわゆる、郊外と呼ばれている場所にある。


 元は警察病院として建てられ、今は一般の病院として開放されている……どうしてそのような病院に入ったのかと問われれば、答えは一つ……綾のようなワケ有り患者の為だ。


 具体的に言えば、綾が入院する事となったそこは、普通の病院ではない。何らかの事情により肉体的にも精神的にも傷を負った者が身を寄せる、いわばシェルターの役割も担っている病院である。



 ……わざわざそのような病院が選ばれた理由は、一つ。



 単純に、今の彼女(綾)には無暗に外部からの刺激を与えるべきではない……という、専門家の意見が考慮されたからであった。



 ……というのも、だ。『高田綾』は現時点で唯一の、『神隠し事件』においての生存が確認されている被害者(仮)である。



 当然、事件の詳細(という名のスクープ)を知りたいマスコミor野次馬orネット配信者は山ほどいる。事実、綾が住んでいた場所の最寄りの警察署には、綾の所在を知りたいという電話が幾つもきている。


 それだけで、如何に残酷である事に無自覚な人々が、無遠慮に少女の尊厳を貪ろうとしているのかが……想像つくだろう。


 さすがに警察署の中に入り込む者はいない……が、安全なのはそこまで。


 可能性としては、0ではない。諸々の体勢が整っていない病院に入院されるのは危険だし、総合病院等は人の行き交いが多過ぎて不適切だ。


 これまた可能性の話ではあるが、心に傷を負った少女からスクープを得ようと侵入する人が現れても、何ら不思議ではない。


 いや、むしろ、昨今のやりたい放題な一部の者たちを思えば、無いと考えるのは平和ボケというか、馬鹿なお人好しである。


 故に、監視が利くだけでなく、セキュリティーの面でも安心できる病院を探した結果……その病院への入院という形に収まったのであった。





 ……で、だ。




 ……。


 ……。


 …………世間の関心を一身に集めている事を知る由もない、当人。



 個室を与えられている(他の患者との接触が悪影響となるのを考慮した為)綾には、現在、基本的にすることは何もなかった。


 というよりも、正確には何もさせてもらえない……あるいは、今は刺激を与えないようにしている、という方が正しいのだろう。


 何せ、保護されてからまだ一週間も経っていない。


 人々が『神隠し事件』に気付いて警察が動き出すまでの間……その数日間の出来事を実際に見聞きしたのは、綾を除いて他にはいない。


 そう、いないのだ。


『神隠し事件』が始まったとされる2週間前から今に至るまで、『高田綾』以外の失踪者(生存者)の確認が誰一人として取れていない。足取りすらも、全く掴めていない。


 言い換えれば、警察の捜査においては全く進展無し……現時点での唯一の手がかりは、『事件に遭遇したと思われる高田綾』だけである。


 故に、警察のみならず、病院側の綾への対応は……それこそ、腫れ物を触るようなものであった。とにかく、気を休ませる猶予を与える必要が有ると判断したわけだ。



 ……そうして、入院して四日後の今。



 幸いにも、肉体的な暴行を受けた様子はない。専門家とのカウセリングの結果、レイプ等をされたということもなく、当人も緊急避妊薬等は求めていない。


 目では分からない内面の傷に関しては専門家からも『表面上は落ち着いており、心理テスト等では正常』という結果が出てしまえば……行き詰った捜査に焦れた警察が動くのも、まあ仕方ない話で。



「――刑事、さん?」

「○○署勤務の、須藤明(すどう・あきら)と言います」

「同じく○○署勤務の、山田喜一(やまだ・きいち)だ」



 いったい何時まで入院するのかと内心にて遠い目になっている綾を尋ねて来たのは、二人の刑事。


 年若くてエネルギッシュなうえに容姿も整っていると思われる、体格の良い男。


 若い頃は同じくエネルギッシュだったのだろうが、何処かしらくたびれた雰囲気を漂わせている定年間近の男。


 事前に病院へは話を通しているのだろう。彼ら二人の後ろで、看護師たちが素知らぬ顔で素通りしてゆく……ちなみに、名乗りの前者は須藤、後者は山田である。


 そうして、病室に入って来て早々、手慣れた様子で警察手帳を見せて来た二人を前に、もう来たのかと内心にて少しばかり焦る綾。


 そんな綾を尻目に、二人は……いや、「すまんね、年だから立ちっぱなしはしんどくてね」山田刑事は、部屋の隅に置かれた丸椅子をベッド傍に置くと、そこにドカッと腰を下ろした。



 横柄な……というよりも、疲れのあまり……というやつなのだろう。



 近くで見れば、それがよく分かる。シャツやスーツこそ洗濯されて綺麗ではあるが、目元などから活力が感じ取れない。連日の激務に身体が追い付かない……という雰囲気がこれでもかと滲み出ている。


 須藤と名乗った若い方は、そうでもないが……ああ、いや、よくみて見ると、そちらも相応に疲れているのだろう。肌の色に比べて、目の下のクマの色合いが濃いように思えた。


 ……警察官としての仕事が激務だからなのか、それとも別の理由で疲労を溜めているのかは、綾にも分からない。



「ああ、申し訳ない、不作法だった。年を取ると立ちっぱなしが辛くてね……君は高田綾ちゃんで、間違いないね?」



 尋ねられて、とりあえず綾は頷く。下手に否定してもしょうがないし、誤魔化す必要のない部分は素直に答えようと綾は思った。



「この度は大変な事件に巻き込まれてしまったね……辛い気持ちは察する。そのうえで、犯人逮捕の為に、幾つか尋ねたい事があるのだけれども……いいかな?」

「……はい、構いません」



 そう答えた途端、出入り口の辺りで控えていた若い刑事……須藤刑事が、そっと扉を閉めて……内側より、鍵を掛けた。


 ……機密保持というか、まあ、情報が漏れないようにしているのだろう。


 そう思って見つめている綾を他所に、須藤刑事は颯爽と綾の傍を通り過ぎ……換気の為に開けていた窓と、カーテンをキッチリ締めた。次いで、出入り口へと戻った。


 昼前とはいえ、幾らか室内が暗くなる。照明は点いているが、太陽の光には叶わないようで、「少し薄暗くなったけど、プライバシー保護の為だからね」それは山田刑事も感じたようであった。



「……さて、と」



 外部への出入り口が全て塞がったことで、外からの物音がほとんど聞こえなくなった室内。仕切り直すように一つ咳をした山田刑事は、ベッド脇に置かれているサイドテーブルの上に……小さな機械を置いた。


 何だと思って尋ねれば、録音機器だと言われた。


 機械……いや、録音機器か。メモを取るだけでなく、音声そのものを記録しておくのかと感心していると、「じゃあ、始めるよ」山田刑事は手慣れた様子で機械のスイッチを入れて……聴取が始まった。



「改めて自己紹介をさせていただく。私は○○署の山田喜一。既に察していると思うけど、君も巻き込まれた集団失踪事件の捜査に携わっている」

「同じく、此度の集団失踪事件の捜査を担当している、○○署の須藤明です」



 そこまで二人が話した辺りで……視線で促された綾は、とりあえず自己紹介をした。



「……高田綾、です。その、××高校1年生、です。部活は……やってません」



 と、いっても、二人のような肩書を持っていない綾が言えることなど、そう多くはない。せいぜい、自分の名前と通っている学校名を言うだけであった。


 ……強引な聴取でない事の証明なのか、それとも誰の音声なのかをはっきりする為なのか。


 おそらく、両方なのだろう。


 まあ、何にせよ、二人が『神隠し事件』に携わっている刑事であるということは察せられたので、綾は特に驚きはしなかった。



「では、最初は本人確認も兼ねて幾つか質問させてもらうが……よろしいかい?」

「はい、大丈夫です」

「辛くなったり答え辛いと思ったりしたら、誤魔化さずに素直に話してほしい……よし、まずは君の家族の――」



 その言葉と共に、山田刑事が始めたのは……『高田綾』に関する質問と、綾が所属していた組織……つまり、綾が食らった両親と姉、『高田家』に関する質問であった。


 内容自体は、綾自身からすれば取るに足らないモノというか……まあ、答えにくいような変なモノはなかった。


 例えば、綾に関する事ならば、誕生日や普段は何をして過ごしていたか、学校ではどのように過ごしていて、友達などは居るのか。好きな物や嫌いな物、等々など。


 家族(感覚としては、『元』が付く)に関してなら、家族の名前や年齢。仕事は何をしていて、休日は何をしていて、親子間のコミュニケーションは正常だったのか、等々など。


 正直、拍子抜けであった。


 とはいえ、山田刑事自身が『本人確認も兼ねて』と話した通りでしかないのだろう。なので、綾は何の気負いもすることなく、以前の綾が抱いていた事をそのまま答える事に終始した。



「……さて、リラックスも出来たところで……本題に入ろう」



 そうして、だいたい10分程が過ぎた頃だろうか。



「私たちが何用で来たか、分かるかい?」



 ――ついに、来たぞ。



 その言葉を、綾は唾と一緒に飲み込んだ。



「……テレビで言っている、『神隠し事件』の事ですか?」

「そうだ、私たちはその全容を把握し、犯人を捕まえる為に来た……それを踏まえたうえで、単刀直入に尋ねよう」



 グイッと、山田刑事が身を乗り出すように……綾を見つめた。



「君はあの時、何をしていたのかを教えてほしい」

(うわ、一直線に来たよ)



 内心にて頬を引き攣らせつつも、この質問が先に来たかと綾は身構える。


 何をしていたかって……そんなの決まっている。お腹が大変空いていたから、遅めのディナーに舌鼓を打っていたのだ。


 バリボリばきばきボキボキ、肉片一つ残さず平らげ、全部血肉に変えた……それを言うつもりはないが、さて、どうしたものか。



(病気……は、怪しい。たまたまその間は外に……それも不自然。犯人に捕まって……その犯人は私なんだよなあ……)



 下手に言い訳を作ると後々になって面倒な事になりそうだし……いっそのこと、このまま心が弱まった被害者のフリを続行するべきだろうか?



「――思い出したくもない、辛い事だということは重々承知のうえだ。それでも、頼む」



 そう思っていると、まるでソレを見越していたかのような懇願が山田刑事より成された。思わず視線を向ければ……それはもう力のこもった眼差しと、交差した。



「既に、失踪者は82名になった。今の所、それ以上の失踪者は確認されていない……だが、今後、新たな失踪者……いや、犠牲者が出ない保証はない」

(……そんなに食べてたんだ、私ってば)

「お恥ずかしい事だが、我々警察は未だに犯人へと繋がる手掛かりを一つも得ていない。このまま犯人に繋がる手かがりが見つからなければ、捜査は行き詰ったまま……いずれ、未解決事件として処理されるだろう」

(私としては、そっちの方が色々と有り難いのだけれども)

「我々警察が全面的に協力する。少しでもいい、話せる部分だけでもいい、あの時、何が有ったのか……教えてくれないだろうか」



 その言葉と共に、山田刑事は頭を下げた。いや、止めてくれと思って奥の須藤刑事へと視線を向ければ……同じように、頭を下げていた。



 ……駄目だ、下手に被害者のフリで誤魔化せる空気ではない。



 というか、この様子だと被害者のフリは悪手だ。おそらく訪問は一度では終わらないだろうし、あの手この手を使って……綾から情報を引き出そうとするだろう。


 それ自体は鬱陶しいだけで済むが、嫌なのは知らず知らずの内に監視が付けられてしまった場合だ。


 普段の生活を監視される分は全く問題ないが、食事の時は駄目だ。今の綾は、その気になれば常人の10倍も20倍も食べる事が出来る……というか、油断すると食べてしまう。


 それだけでも周囲から注目を浴びるというのに、それ以上に危険なのが、『餌』を食べる時だ。間違っても、狩りの最中を目撃されれば……言い逃れが限りなく難しくなる。


 なので、綾は……入院してからずっと考え続けている良い言い訳とやらを、改めて考えて……みたのだが。



 ……。


 ……。


 …………まあ、そんなあっさり思い浮かぶのであれば、綾も身構えたりはしない。



「……あの日というか、その……私は、熱を出して寝込んでいたので」



 結局、いくら何でもコレは駄目だろうと思っていた言い訳しか出せなかった。


 悪手だと分かっているのに、この様だ。我ながらもう少しマシな言い訳が出せるだろうと、綾は頭を抱えたくなった。



「熱を? 病院には?」

「寝てればすぐ治ると思って……病院は嫌いだし……」



 ああ、ほらやっぱり突っ込まれた……そう思いながら、さあ次はどう突っ込んで来るのかと身構え――。



「そうか、それは大変だったね」



 ――て、いたのだが。



「それじゃあ、君が寝込んでいる時……こう、不審な物音というか、知らない誰かが家に来たとか、そういう事はなかったかい?」



 まさか、一番突っ込まれるであろう部分をあっさり流されるとは思っていなかった綾は……思わず、呆けてしまった。


 いや、だって、考えてもみてほしい。


 家族全員が失踪した最中……同じ家の中に居たのに、何も気付かず寝込んでいたとか……普通に考えて、怪し過ぎる。


 仮に綾が刑事たちの立場であったならば、間違いなく疑う。犯人ではないにしろ、何かしら関与していると考えるところだ。



(それに……私の見た目が変化している点にも、触れて来ない?)



 その点に関しても、不気味だ。正直、気味が悪い。私を疑っているからこそあえて口に出さないのか、それとも気付いていないのか……いまいち、判断が付きにくい。



 ……もしや、油断を誘う為にわざと?



 そう思って、山田刑事を見やれば……はて、違う。ばかに力強いというか、まるで暗雲立ち込める会議に光明が如き妙案が出されたかのような、そんな感じだろうか。



「――何かを、見たんだね?」

「え、いや、あの……」

「どんな些細な事でも、荒唐無稽な事でもいい。見た事を全て、教えてほしい」

「その、えっと……」

「辛い事を思い出させてしまうが、犯人を捕まえるにはコレしかない。頼む、少しでもいい……見た事を教えてほしい」

「…………」



 冗談のつもりなのかと思ったが、違う。いや、ちょっとこう……よく分からない。


 チラリと視線を動かし、離れたところからジッとこちらを見つめている須藤刑事を見やる。その目は、少なくとも綾が見た限りでは真剣で……うむ。



 ……。


 ……。


 …………と、とりあえず。



「ゆ、夢かもしれませんけれども……」



 そのように、綾は予防線を張ってから。



「その、トイレに起きた時、何やら黒いもやがですね――」



 真実の中に嘘を混ぜると人は騙されるという、何処かで見た言葉を元に……必死になって、嘘の目撃情報を捻り出す事にした。










 ……。


 ……。


 …………受付に退院の挨拶をして、駐車場へ向かう。


 昼間とはいえ、今年は例年よりも寒気が強いらしく、マフラーをするには些か早い程度には肌寒い。まあそれでも、小走りになる程でもないからか、駐車場の空気はどこか穏やかなものであった。



 ……そう、とても穏やかだ。



 青々と広がる空と、薄らと点在している雲。降り注ぐ日差しは十二分に温かく、油断すれば居眠りしてしまいそうになるぐらいに……気持ちの良い、午後。


 こんな陽気な午後だというのに……だ。


 82人の行方不明者(行方不明だと先日になって断定された)と、それを行った犯人の手掛かりを掴む為に、心に傷を負った被害者に面会する日が来るとは……一ヵ月前の俺は、夢にも思っていなかっただろう。



 ――とりあえず、外に出よう。



 色々と山田さんと話したいことはあるが、この病院の駐車場は有料だ。面会という形で割引はされたが、無駄に経費を掛けると上から小言が降ってくる。


 それは、山田さんも分かっている。署に戻るのかと尋ねてみれば、「――ちょっと、近くの公園にでも寄せてくれ」何か気になる点を見つけているのか、悩ましげな様子で外を見ていた。


 それは、山田さんの癖だ。署に報告する前に、頭の中で情報を整理したい時の、山田さんの癖。


 報告に関しては主観を入れずにキッチリやる人だが、どうも若手の頃からの癖らしい。最初の頃は面食らったが、今では俺も自分の中である程度は整理するのが癖になっている。


 俺も、あの子の……『高田綾』という名の少女について、気になった点が幾つかある。


 なので、言われるがまま病院から離れ……何時もの公園の傍にて車を停めた。


 その公園はあまり大きくはないうえに利用者が少なく、また、止めても通行の邪魔にならない程度には道路幅ある……要は、考え事をするにはうってつけのスポットだ。


 この日も、公園周辺に人の気配はない。また、他の路駐の車もない。ある意味、貸切みたいな状況を横目で確認しつつ……改めて、山田さんへと視線を向けた。



「――どう思う?」



 開口一番、山田さんから……人生においても経歴においても、俺よりもはるかにベテランである山田さんの問い掛けに、俺は素直に答えた。



「怪しいとは、思っております」

「誰がだ?」

「もちろん、高田綾が、ですよ」

「奇遇だな、俺もだ」



 俺の意見を、山田さんは笑うことなく肯定し、同意した。



「だが、現実的ではない。刑事としての直感がそう思うだけで、客観的にも、状況的にも、あの子では不可能だ。俺も、頭で思いつく限りでは、あの子はシロ(無関係)だと判断している」



 その言葉に、俺は……鞄から捜査資料を取り出す。あの子の事が記された、顔写真付きの書類一式に視線を落とす。これで、何度目になるのやら。



 ――高田綾16歳、高校1年生。成績は平均ぐらい、内向的ではあるが素行に問題はなく、中学でも問題らしい問題は起こしていない。


 いわゆる、模範的な生徒というやつなのだろう。今のところは交友関係までは調べ切れていないが……それは、時間の問題だ。



(実物は写真よりもずっと綺麗な子だった。でも、それ以上でもそれ以下でもなく、特別秀でた有名人……というわけではない)



 学校より預かっているその写真には、無表情の女の子……『高田綾』が写っている。カメラマンの腕が悪かったのかもしれないが、かなり損をしている写真だなとも思う。


 少なくとも、俺が見た限りではの話だが……まあ、そこはいい。


 この事件が男女関係のもつれから来る怨恨のような小規模の事件なら、そこで納得出来る。何せ、あの子は美少女だから……だが、今回のコレは……そんな単純な話ではない。



「なんてったって、害者(がいしゃ:被害者の事)が82人だ。他人の目が滅多に入らない限界集落で起こったならいざ知らず、こんな街中でそれだけの人数を誰にも気付かれずに誘拐するなんて不可能だ」

「では、あの子の供述が本当であると?」

「普段なら笑い飛ばすところだが、こうも八方ふさがりだと、信じたくなるのは確かだな」

「……否定出来ませんね」



 苦笑を零す山田さんのその姿に、俺も思わずため息を零した。何故なら、高田綾が語った当時の状況……それが、あまりに荒唐無稽であり、ふざけているのかと疑う程に滅茶苦茶であったからだ。


 その中身は……例えるなら、宇宙人が家に入って来て皆を連れ去ったというぐらいに、酷い感じだ。


 本人が夢かもしれないと語っていただけあって、話の視点も安定していない。眠気や熱で朦朧としていたのだから仕方がないのかもしれないが、これでは何の手掛かりにもならないだろう。



「……しかし、だ。気掛かりなのが、あの子が嘘を付いている点だ」

「嘘、ですか?」

「刑事としての勘さ。全部が全部ってわけじゃないが、あの子は決定的な部分で嘘を付いていると俺は睨んでいる」



 フッと、先ほどと同じく気難しそうな顔になった山田さんは、そう言葉を続けた。


 ……山田さんの推理に乗っかるつもりはないが、山段の言わんとしていることは、俺も考えていた事である。



 というのも……この事件、明らかに不自然なのだ。



 どのように推理の方向性を持って行っても。どのように視点を変えてみても、どうしてあの子だけが無事であったのか……その説明が付かないのだ。


 犯人の(あるいは、犯人たちの)目的は今の所不明だが、身代金にしろ、害者の身体にしろ、あの子一人だけを見逃す理由が無い。


 何せ、82人居る害者の年齢幅は広く、下は3歳で上は90歳だ。


 身体も小さく洗脳しやすい幼子ならまだしも、何時死んでもおかしくはない高齢者までも連れ去っている。事件には慣れている俺ですら恐ろしさを覚える程に、徹底的だ。



 なのに、あの子だけは無事だった。16歳の……それも、美貌の女の子が、だ。



 こう言っては何だが、普通に考えれば……真っ先に狙われても不思議ではないはず。しかし、結果として、徹底的に成された犯行の中で、あの子だけは無事……いや、見逃された。


 その理由が……全く分からない。推測する以前の問題だ。


 もはや、完全犯罪と断定されてもおかしくはないぐらいの、この事件の中で……ある意味では、最も不可解な存在……それが、害者である、『高田綾』なのだ。



「それでも、山田さんはあの子が犯人である、と?」

「まだ、そこまで断定できる段階じゃないさ。何せ、何もかもが不可解で宙ぶらりんだからな……でもまあ、俺が言える事はただ一つだ」



 その言葉と共に……山田さんの視線が、窓の向こう……方向から見て、あの子が居る病院へと向けられた。



「しばらく、あの子から目を離さない方がいいかもな……あの子には、おそらく俺たちの想像すらしていない何かが有る気がしてならない」

「……分かりました」



 今後の方針を固めた山田さんを前に……俺は、おもむろにエンジンキーを回し、署へと戻ることにした。



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