五幕:闇より来たりて夜を裂く③

 だが、その望みは無粋な闖入者によって阻まれる。二人の間に割り込むように突如として飛んできた斬撃。夜闇の中であってさえもはっきりと分かるほどの極黒。偶然触れた切っ先が溶けるように消滅した。明らかに普通ではないその攻撃に、けれど覚えがあるかのように名前を呟く。

「なるほど、君も来ていたのか、アル=ヴァンくん」

「えぇ、えぇ、来てましたよ、フラムの旦那」

 夜空よりも暗い黒を湛えた剣を片手にがれきの陰から姿を現した青年。剣だけでなく服装も髪色も全てが黒く、ともすれば闇夜に溶け込んで見逃してしまいそうなほど。

「……ふぅ、帝都は少し防衛網の見直しをした方がいいのでは?」

 剣を肩に置いておどけてみせる相手を見て、レオンはため息をつく。さすがに祖の名を拝する大吸血鬼が一晩に三人も同じ場所に現れるというのは、出来過ぎている。だが、この男はまたの名を同族狩り。吸血鬼の現れるところに現れては、周囲の被害を省みず吸血鬼を殲滅し、その血を啜る棺の蓋を蹴破るものデイライトウォーカー

 そんな彼が根っからの吸血鬼であるフラムと手を組むとは考えにくい。それに、そもそも彼は、かの緋色の純血種ブルーブラッドと行動を共にしていると聞く。であれば、対立勢力であるフラムの目論見を阻みに来たと考えるのが妥当ではないだろうか。

「それは困るな」

 ひとりごち、構えを取る。

「俺は別に彼を打倒したい訳ではないし、必要以上に激戦を繰り広げたい訳でもない。想定外の要素が介入してくることはできれば避けたいところ…………だが」

 こぶしを向ける先は、突然の闖入者ではなく、怜悧なる吸血鬼。

「正直、この加勢があれば俺ごときでもあなたの本気を垣間見ることができる気がしている。少し想定外の被害が出てしまうかもしれないが、お付き合いいただけるだろうか?」

「君はもう少し冷静なタイプかと思っていたが、どうやらここでも私と同意見のようでうれしいよ」

「何の話をしているのかは分かんないが、とりあえずやる気だってことだけは伝わってくるんだなぁ、これが」

 剣を構え、こぶしを構え、剣を構え、三者三様に向かい合う。

 わずかな間。

 裂帛の気合が弾け、巨大な力の奔流がぶつかる。

 全身から黄金の光を放つレオンは一人から二人、二人から四人、四人から八人と倍々に分身し、その全てから雷光のごとき攻撃を放つ。

 対するフラムも同じく八人に分身体を増やし、全員の魔術回路をシンクロさせた多重詠唱により神代の奇跡を再現する。

 ただ一人光をまとわぬアル=ヴァンは、手に持った長剣から無明の闇を放出し、全てを黒で塗り潰さんと薙ぎ払う。

 三人の全力がぶつかり合い、大爆発が起きる……かと思いきや、特にそんなことはなく、不自然なほどの静寂があたりを包む。

「これは……」

「これが彼の力さ」

「なるほど、これがうわさに聞く魔剣アヴェンジャーとやらの力。相手の魔力を喰らい、無に帰すという」

「そう。この力で俺は彼我の戦力差を無視した戦いができるというわけ。こういう風に、ね……!」

 再び昏い闇の奔流が刀身から溢れ、薙ぎ払った斬撃の形そのままにフラムを襲う。この攻撃の前には、防御術式など正真正銘無意味。どれだけ曼荼羅のように複雑怪奇な術式を用いていようとも、描いた紙を引き裂くように斬撃は術式を食い破り、本体へと到達する。

 魔力で構成されている分身体がそんな攻撃に耐えられる訳がなく、雨ざらしにされたろうそくのごとくあっさりと、チリも残さず消え失せる。

 けれど、消滅した分はすぐに補充され、再び人数は八人に。

 間欠泉のように止めどなくあふれる闇の奔流が飛沫となり、斬撃に乗って闇夜を切り裂く。消されても消されてもすぐに復活する分身体は、さながら寄せては返す波のよう。ぶつかり合う二つの強大な力に潰されぬよう、そして、決して主導権を二人に奪われてしまうことのないよう、荒れ狂う大波を身一つで乗りこなすがごとく、相手のイヤなタイミングで攻撃を仕掛けるレオン。

 大雑把な連撃と緻密な一撃。まったく意志疎通が取れていないにもかかわらず何故か息のあった連携がフラムを襲い、この二人は本当に初対面なのか、ここで邂逅したのは実は意図的なものではなかったのかと思わず勘ぐってしまう。

 そもそもとして、どうして二人ともが二人とも防御無視の攻撃をしてくるのか。いや、正確には気功使いのレオンは防御無視だが、アル=ヴァンの攻撃は防御無効。レオンの攻撃は防御術式をすり抜けてくるので術式自体は無事だが、アルヴァンの攻撃はわずかに掠るだけでも維持に必要な魔力が奪われ術式が崩壊する。端的に言って凶悪。レオンの物理攻撃を受けようと身構えた瞬間、後ろから飛んできたアル=ヴァンの黒矢に胸を貫かれるという事態に何度見舞われたことか。

 だがしかし、大気を震わせ、地を揺るがし、夜闇に真昼のごとき輝きを何度もたらしたところで、フラムの首に刃が届くことはない。より正確にいうなら、どれだけ猛攻を決めたところで、それがフラムに対して致命傷になることはない。

 無限に湧き出てくるのではないかと思うほど間断なく、消されても消されても補充され続ける分身体。どれだけ渾身の一撃を喰らわせようと、ある程度のダメージを受けた分身体はあっさりと解除され、秒と待たずに五体満足の新たな分身体が復活する。出ている分身体を全て同時に吹き飛ばしたことも一度や二度ではないが、瞬きをすればもう全員復活している。

 水面に浮かんだ月を延々叩き続けているかのような徒労感。始めたのは自分たちだが、決して向こうから終わりがやってくることはないので、自分たちの手で終わりを決めなければならない。だが、自分たちから意気揚々と始めたことを、やっぱり無理だったので諦めます、とするのはなかなかに難しい。だが、それをやらねばこの茶番は終わらない。

 向こうはこのまま何日、何ヶ月、何年だって続けてもいいとすら思っているだろう。しかしこちらにそれだけの時間の猶予はない。余裕もない。千日手を律儀に千日続けられるだけのリソースがあれば、こんな荒療治は取っていないのだ。

 どうやらそれはアル=ヴァンも同じだったらしく、これだけ連携を取っていながら初めて向こうからアイコンタクトを送ってきた。朝焼けを思わせる二色のオッドアイが炸裂する大魔術の煙の向こうからレオンの顔を捉え、小さくうなずく。それにうなずき返したレオンは、全身を高速で循環させていた魔力と剄の混合力を、ふっと息を吐きながら解除する。

 直後、まさかこのタイミングで防御を解くとは微塵も思っていなかったフラムの容赦ない攻撃がレオンの人の身にすぎない脆弱な肉体を襲い、彼をぼろ雑巾に変えながら瓦礫の山へとダイレクトシュートした。

「………………まさか」

 たしかに当初の想定では、ある程度戦ったところで彼がレオンを死なない程度に叩きのめす予定ではあったが、まさかこんな遠慮もへったくれもない一撃を食らって退場しにくるとは露も思っていなかったので、自殺願望でもあったのかと目を見開いてしまった。

 いや、自殺願望の一つでもなければ自分と手を組むようなことは考えないか。いくらこれからの世界のためだといえ、吸血鬼を異端として排除することを生き甲斐とする組織で生きてきた人間が、その吸血鬼の首魁として列せられるような自分を仲間にして暗躍しようなど、そんな陰謀を企てるなど、端から見たら破滅願望以外の何物でもない。

 しかし、レオンの恐ろしいところは、そういった判断を全くの正気で下していることにある。不足しているものを補うためにはどうすればよいか、どのような手段を取るのが最も効率的か、あまりにも理性的に判断し、その上で狂気の沙汰としか思えないような手段を選んでいる。だからこそ今しがたのように命を粗末にするような行動に出ることが意外だったし、そこには絶対に何らかの意図があると思えてしまう。では、はたしてその意図とはなんだったのか、というところなのだが、今のフラムにはそれを悠長に考えるよりも先にするべきことがあった。

「では、アル=ヴァンくん、卿によろしく伝えておいてくれたまえ」

 分身体を全て解除したフラムはあっさりと剣を収め、きびすを返す。

「なぁ、このままお開きで俺ぁ一向にかまわねぇけど、外にいるアレは? あんたが回収してくの?」

「アレ?」

 何の話か分からないという顔でフラムが振り向く。その本心から見当がつかないと主張している表情を見て、アル=ヴァンはマジかよ……と顔をしかめた。

「あんたが封印ぶち破って連れてきた狼男のおっさんだよ。このままほっといたら一人でも都喰らい敢行しちまうんじゃねぇの?」

「……なるほど、あれは狼男だったのか。てっきり私は熊のなり損ないかと」

「反応するところはそこなのか……じゃあ適当に力削いじゃってオッケー?」

 首をかしげたアル=ヴァンの手の中で、再び長剣が極黒の闇をまとう。けれど、それは刀身からにじみ出たものではなく、アル=ヴァン自身の体から噴き出ているように見える。

「その力……こんな序盤で使ってしまっていいのかね?」

「だってあんたはもう知ってるだろ。あの半分人間やめてるような感じの人間くんは知らんだろうけど、正直、あんたのソレとは違って俺のは漏洩して困るようなものでもないしな」

「ふっ、言ってくれる」

「だって事実だろ。ま、アウルミルの旦那ほどメタられたら終わりな代物じゃねぇけど」

 言いながら、アル=ヴァンは軽く剣を振るう。二度、三度。放たれた斬撃は放物線を描いて彼方へと飛んでいき、この激戦の余波を受けてもびくともしていない城壁の向こう側へと落ちた。それが何に当たったのかは、言うまでもない。そうしてあっさりと「処理」を終えたアル=ヴァンは、フラム同様無警戒に剣を収め、「じゃ、俺はこのまま帰ります」と右手を上げるのだった。

 かくして獣王アウルミルによる帝都侵攻の裏で繰り広げられた頂上決戦はなあなあのまま幕を閉じ、帝都襲撃の真の目的は部外者の誰にも知られることなく終わりを告げたのだった。

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Re:風が紡ぐ詩(2) 日向晴希 @harukelion

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