五幕:闇より来たりて夜を裂く②

 数mあった距離を一息に詰め、神速の突きを放つ。分かり切っていたその攻撃を首を少し動かすことでかわし、突っ込んできた相手の動きに合わせるようにこぶしを置く。空いている手で難なく受け止め、捻りあげるように投げ飛ばす。相手の回転の力を利用し、逆に相手の関節をキメる。筋が幾本か千切れる感触。だが、関節が潰れるのも厭わず投げの動作を完遂する。普通の人間であれば筋の千切れる激痛には耐えられない。けれど驚異的な回復力を持つ吸血鬼にはそんなもの関係ない。普通の人間であれば関節の潰れる激痛には耐えられない。けれど驚異的な回復力を持つ吸血鬼にはそんなもの関係ない。人間の常識に囚われたまま吸血鬼と戦うなど、緩やかな自殺と同義。あとは宙を舞う相手の腹に一突き入れれば終わり。だが、当然そんな呆気なく終わるはずがない。突き出された剣を柔らかく掴み、それを支点として優雅に着地する。全く力の入っているようには見えない動きで目の前にある相手のすねに手刀を放つ。ただそれだけで相手のすねから先が切断されて宙を舞う。片足を喪ってわずかにバランスの崩れたその瞬間、狙い澄まされた一撃が顎先にめりこむ。砲弾が着弾したかのような轟音を響かせ、これ以上ないほどきれいに決まったアッパーカット。けれども片足になったはずの相手は、まるで足の裏から根が生えているかのように不動。握った剣の柄尻で、お返しとばかりに自らの顎先にめりこんでいる腕の肘を穿つ。常人なら関節が潰れるどころか肘から先が飛んでいるほどの痛烈な一撃。けれども腕から先はきちんとつながっているし、関節が潰れてもいない。アッパーカットの隙に掴んでいた襟を引き、帯の代わりにベルトを掴み、残された足につま先を入れ、そのまま背中の上をすべらせるようにぶん投げる。切り飛ばされた片足が再生するまでのわずか数秒。その隙を逃さぬ見事な一撃だった。視界がぐるりと回転し、背中を石畳に強打する。肺が潰されたような衝撃。強制的に空気が押し出され、視界が明滅する。軽く振り上げ、軽く振り下ろしたこぶし。相手の鼻先にクリーンヒットしたそれは、そのまま石畳を円形に陥没させる。大砲の弾が直撃したかのような惨状で、それでも鼻血一つ流す程度で済んでいるのを確認すると、それではもう一度、と再びこぶしを振り上げる。けれども、マウントポジションに執着することなく、あっさりと飛び退いた。刹那の間をおいて、一閃。あと一瞬でも行動が遅ければ、今頃上半身と下半身はさよならをしていただろう。「いつの間に」「これがお家芸だからね」何の前触れもなく現れた分身体が本体に手を差し伸べ、引っ張り起こす。その間に分身体はさらに増え、本体含めて合計で四人になった。四人がそれぞれに剣を構え、魔力を巡らせ、臨戦態勢を取る。一人が滑るように駆け出し、剣戟を仕掛ける。鞭のようにしなる腕から繰り出される斬撃は不規則な軌道を描き、様々な方向から襲いかかってくる。右手。左手。左足。右腕。左耳。右膝。右脇腹。喉笛。眉間。左太腿。腹。胸。再びの眉間。次々に襲い来る強力無比な一撃を全て捌き、相手の腹を蹴り飛ばす。と同時に、その勢いを利用して後ろに飛ぶ。直前まで立っていた空間に巨大な石柱がそそり立つ。どころか、石柱は勢い余って垂直に上空へと飛び出していった。それを目で追うようなことはせず、空中で着地し、弾丸のように突っ込む。蹴り飛ばされ、まだ宙に浮いている最中の相手へと追撃。けれど、それは割り込んできた分身体によって防がれる。ガントレットごと腕を掴まれ、至近距離からの魔術攻撃。一つ一つが巷の木っ端魔術師の全力を軽く上回っている。それでただの牽制にすぎないというのだから、いったいどれほどの量の魔力を有しているというのか。だが、爆煙の中からおもむろに突き出された腕が、端正な顔を無遠慮に鷲掴む。そこで気付く。ガントレットの手のひらに宝石のような水晶体がはめ込まれていることに。そして、その水晶体がかすかに光を帯びる。なるほど、これは誘い込まれたな。思ってももう遅い。凝縮された波動が水晶体から放出され、一筋の流星となる。さらにもう一撃、と反対の手もかざそうとしたところで、不意に上を向く。天高くから、石の槍が降り注ぐ。先ほど夜空の星となったはずの石柱だった。最初からこれが狙いだったのだろう。回避行動に移ろうとしたところを、頭を半分以上吹き飛ばされながらも逃がすまいと腕とベルトを掴んで拘束してくる。降り注ぐ石の槍は魔力でコーティングされ、並大抵の防御術式ではあっさりと貫通されてしまうだろう。だが、「並大抵」のはずがない。数百年を生き、力を研鑽し続けた吸血鬼たちと身一つで戦うために用意された装備が、「並大抵」のはずがない。たとえ体を拘束されてまともに防御行動が取れないとしても、この程度の攻撃、造作もない。造作もない、が。体は平気でも、周囲の住宅街はそうではない。降り注ぐ石の槍が、何の魔術的防御も施されていないただの建物にすぎない住宅街を破壊していく。ほんの数分前には閑静な高級住宅街だった場所が、ものの数秒でがれきの山へと変貌していく。こぶしを振りかぶる。そして振り下ろす。馬車がすれ違えるほどに広い道路に、隕石でも直撃したようなクレーターが生まれる。発生した衝撃波ががれきを巻き上げ、まだ空中にある石の槍を破壊し、結果的に周囲への被害を軽減する。剣閃が舞い、周囲の土煙を吹き飛ばす。と同時に、何本、何十本という石柱が天に向かって飛んでいく。「次は少し派手にいこうではないか」狙いはもちろん、いまだ避難中の区画に決まっている。吸血鬼の脅威を演出しようというのだ。なんの人的被害も出ないところで激戦を繰り広げたとて、人々に恐怖を植え付けることは難しい。であれば、無差別攻撃はとても理にかなっていると言えよう。「だが、まぁ、そうは問屋が卸さんがね」空中で静止した石柱が槍状に炸裂する間際、雷光のごとき輝きが夜空を走り、全ての石柱を粉微塵に破壊した。足音も軽やかに着地する。予備動作もなく跳躍し、全ての石柱を殴り壊し、蹴り砕き、戻ってきたのだ。「そんなことをされてしまっては、わざわざこんな大がかりに人払いをした意味がないだろう。そのくらいは察してほしいところだったんだがね」「まさか、私のような悪逆非道の極悪人と手を組んで、全てが綺麗事のように済むとでも?」「思ってはいないが、それとこれとは話が違うのでね。ここで必要以上に犠牲を出すのは「得策ではない」」瞬きを一つ、二つ。相手の発言の意味を理解し、笑い出す。「なるほど。私よりも君の方がよっぽど人非人だ」「そもそもあなたは「人」ではないだろうに」「言えている」会話を交わす間も激闘は続く。三方から襲い来る剣戟を弾き、いなし、時には魔術すら跳ね飛ばす。後ろに下がった一人が次々と魔術を詠唱し、前線で戦っている方の分身体は発動だけを担う。そうすることで高速戦闘を繰り広げながらの多彩な魔術攻撃を可能にしているのだ。魂を共有しているからこその芸当。これこそが千年を生き、不死と謳われる大吸血鬼の神髄。人が到達できる領域の遙か先を進んでいるものの御業である。だが、遙か後方を追いかけるただの人間も負けてはいない。魔力と気を練り上げ、織り上げ、渾然一体とする。体を覆う防御術式が相手の魔術を防ぎ、体内を巡る剄が相手の剣戟を弾き、二つの力の合わせ技で相手の防御を突破する。どれだけ強固な防御術式を展開しようとも、魔術の影響を受けない剄の力で相手の内側に浸透し、相手の力の源である魔力で内側から相手を攻撃する。通常の生物とは違い、魔力を消費することで生命を維持している吸血鬼には、まさに天敵と言ってもいい戦術。聖教会秘中の秘たるジャッジメント・クロスでさえ神代より生きる大吸血鬼相手では決定打にはなり得ないが、この戦術は、それ単体で一騎当千、当万の古兵ふるつわものと互角に渡り合うことを可能としていた。一つ一つが破城槌の一撃にも匹敵する凄まじい連撃の応酬。その余波であっという間に高級住宅街は見るも無惨ながれきの山へと変わってしまった。ひっきりなしに響き渡る大気を震わせるほどの轟音や、石柱による無差別攻撃未遂などで、既にこの場で何者かによる激闘が繰り広げられていることは、帝国軍や聖教会にはすっかり知れ渡っていた。そして、その「何者か」の正体も、聖教会側から帝国側へと伝わっている。帝都に常駐する軍を総動員してもまともに応戦できるかどうかという存在が吸血鬼の中にいること、そしてその彼があっさりと帝都の最奥にまで侵入していたこと、さらにそれほどの相手に単騎で渡り合えるほどの勇猛果敢な戦士が聖教会にいること、それら全てが、既に十分すぎるほど十分に帝国に対してアピールされていた。故に、既に当初の目的は果たしているので、互いにこれ以上戦闘を続けることにさしたる益はないのだが、はたして人間は魔神と呼ぶに相応しい人類の敵に対してどこまで応戦することができるのか、それを知るためもう少しだけこの戦いを続けたいと思ってしまっているのだった。

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