五幕:闇より来たりて夜を裂く①

「……………………ふむ、そろそろ頃合いかね」

 長椅子に寝そべり、のんびりと自分の出番が来るのを待っていたレオンが唐突に目を開き、上体を起こす。

「隊長、どちらへ?」

 呟く声を耳ざとく聞きつけ、そばに控えていた近衛が目を向ければ、彼が見たのは外套も上着も身につけずにどこかへ出かけようとするレオンの姿。外套も上着も身につけていないということは、つまりぱっと見で所属や身分の分かるものが何もないということ。

「いや、なに、ちょっと避難の状況でも確認してこようかとね」

「困ります、勝手に出歩かれては。それに、この状況で護衛もつけずになんて……」

「大丈夫だよ。私の行き先なら事前に副官くんに伝えてあるからね。気になるならサヴァリに確認してみるといい」

「しかし………………分かりました。怒られるなら隊長だけで怒られてくださいね」

「ははは、信用がないね、私も」

 確認してみるといいと言われても、この場にいるのは近衛とレオンの二人だけ。近衛は念話用の術具などは使えないので、確認するなら直接相手のところまで行かねばならない。そして、この状況でレオンを置いて持ち場を離れるなど、どうぞ好きに出て行ってくださいと言っているようなもの。

 どうあがいても彼の言葉を信じるしかないのだなと悟った近衛は、深いため息を吐きながら、どうぞご勝手に、とドアを指し示した。

「まぁ、予定通りであれば街中をぐるりと見て回るだけのようなものだから、一時間二時間もすれば戻ってくるはずさ」

 ひらひらと手を振り、気楽な足取りで部屋を後にするレオンの背中を見送った近衛は、そのままきびすを返すと、反対側のドアへと向かう。もちろん、レオンが控え室から脱走し、街中へと物見遊山に出かけていったことをサヴァリ副官に報告するためだ。

 間違いなく自分も鬼の副官にどやしつけられることになるが、隊長に上手く言いくるめてやったぞと思われているよりはマシだ。どうせこういった行動に出ることも向こうは予想済みだろうが、少しでも早く追っ手を出すことで、レオンの鼻をあかしてやりたい。そんなことを考えていると、近衛の足取りは自然と駆け足になっているのだった。


***


 第一城壁の中、いわゆる貴族街では、一足先に住民の避難誘導が開始されていた。

 といっても今はオフシーズンであり、成り上がりで爵位を得たような新参者(ノーマナー)でもない限りは領地に戻っているので、避難しているのは主にタウン・ハウスに常駐しているハウスキーパーたちだった。

 そんな彼ら上級市民を避難所に誘導する帝国兵や聖教会兵の目をかいくぐり、レオンは予定通りなら既に避難が完全に終了しているはずの区画を訪れる。

 念のため、目に見えない「波」のような力を全身から放出し、周囲に人がいないことを確認する。

 この力は、海を越えた向こうのセノレー大陸では気功や剄と呼ばれ広く認知されているが、グランディア大陸やアストール大陸においてこの力を扱っているものはほとんどいない。少なくとも、レオンは自分を含めても両手で収まる程度の数しか使い手を知らない。魔力とはまた違った力であるため、魔術による隠蔽などが通じず、重宝しているのだそう。

 ともあれ、その力を使っても反応がないということは、ほんとうにこの区画には“人”はいないということ。

「君のその力、やはり我々に対するカウンターパートなのではと思ってしまうのだが、どうだろうか」

「さぁて。それは開祖にでも聞くのが一番でしょう。もう何百年と前に墓の下らしいですが」

 剄の反射でそこに「何か」がいることは分かっていたので、突然背後から聞こえてきた声にも、特に動じることなく返答するレオン。

 改めて振り返れば、そこには予想した通りの人物が。絹糸のごとき豪奢な金髪を後頭部でひとまとめにし、服装も外套などは身につけず動きやすいものに。前回会ったときの華美な装いとは打って変わったスポーティな格好に、しばしレオンは面食らう。

「……あなた、そういう格好もするのか。正直驚きですよ」

「ふっ、もちろん。時代錯誤な格好ばかりでは現代社会に紛れて生きることなどできないからね」

「さいですか」

「あぁ。……では始めるとしようか」

「そうですね。すぐに戻ると伝えてあるので、話は早い方がいい」

 いつのまに装備していたのか、銀色に輝くガントレットを打ち合わせ、甲高い金属音を無人の高級住宅街に響かせるレオン。

 対する金髪の男性も、どこからともなく取り出した両刃の長剣を取り出すと、半身を開き、実に優雅な仕草で剣を構えた。

「それでは、少し街を壊すくらいに暴れて、吸血鬼の脅威を皆に知らしめてあげるとしようじゃないか」

 どの口が……と思いつつ、レオンは軽く息を吸い、そして静かに吐いた。

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