四幕:帳の向こうの彼は誰ぞ⑤

「じじい!?」

 ウルグスたちと肉弾戦を展開していた若人狼が、仲間の最期を感じ取って振り返る。何が原因かは分からないが、少なくともそれが敵の攻撃によるものということだけは分かる。

 断末魔をあげるひまさえなくさらさらと崩れ去っていく仲間の姿に、若人狼の全身に怒気がほとばしる。

「お前等……絶対に一人残らずぶち殺してやる……!」

 怒りのあまりに血涙を流しながら、若人狼の体躯が倍近くに膨れ上がる。

 つまりはここからが出し惜しみ無しの全力全開ということなのだろう。ウルグスと共に前衛を務めていたラガッツ・ミンスレーは露骨に顔をしかめた。

「旦那ァ、俺吐きそうなんで帰っていいかァ?」

「ダメに決まってるだろ。このまま吐いてもいいからもう少しつき合え」

 旦那と呼びかけられたウルグスは、ラガッツの提案をにべもなく蹴る。そんな雑談をしつつも、二人は息のあった連携で攻撃力の跳ね上がった若人狼相手に上手く立ち回る。

 少し刃渡りの短い両刃の片手剣と片手用の盾を構えるラガッツが防御を担当し、素手のくせに岩をも砕くような威力の攻撃をぽんぽん繰り出すウルグスが攻撃を担当する。かと思えば片手剣の表面に刻まれた陣を使ってアレイスが牽制用の魔術を繰り出して援護したり、再びどこかに身を隠したマルロットが不可思議な軌道を描く弓術で若人狼の動き出しを阻害したりと、搦め手も多彩に織り込んでいく。

 さらには穂先を回収し、再び突撃槍装備に戻ったウォブノベも加勢すれば、まさに態勢は盤石。象並の巨体になった相手でも危なげなく追いつめていく。

 攻めたと思えば引き、受けに回ったかと思えば鋭い一撃で相手を刺す。決して無理をすることなく、じわじわと相手にダメージを蓄積させていくその様は、まさに集団で行う狩り。

 一対一で戦えば勝負にもならないほど力の差があるウルグスたちと人狼たちだったが、最終的には集団の力を上手く活用したウルグスたちに軍配が上がった。

 ウォブノベの突撃槍ががら空きになった若人狼の横腹に深々と突き刺さった時、老人狼に起きたのと同じ現象が若人狼を襲った。

 つまりは、蓄えていた魔力が急激に体から抜け落ち始めたのである。

 若人狼も老人狼同様、魔力を逃がすまいと抵抗を試みるが、自分の体から魔力が引き剥がされる原理が分からなければ有用な対策も講じられるはずがなく。

 霧散する魔力がとあるラインを超え、自らの命の終わりを悟った吸血鬼は、むしろこの状況を利用して最期に一矢報いてやろうと試みる。つまりは自爆である。

 自分の体から抜け落ちた魔力、自分の体にまだわずかに残る魔力、その全てを燃料にして、数百年を生きた吸血鬼は周囲一帯を巻き込んだ最期の花火を咲かせてやろうと画策する。

 けれども、そんな盛大な振りを歴戦の勇たちが見逃すはずもなく。カンカン、と若人狼の周囲に展開されたジェダの匣が、吸血鬼一世一代の大花火をあっさりと完封する。

 爆発のあと、かろうじて頭部だけ残っていた若人狼は、自分の企みが全くの無意味に終わったことを悔しく思いながら、冥土の土産とばかりに今までひた隠しにしていた起死回生の一手を周囲に佇む戦士たちへと明かす。

「は、はは……お前等はこれで俺たちを全員倒したつもりかもしれないが、そうじゃあないんだなぁ。今頃眷属たちの中で一番強い男が街の中で暴れ回り、お前等の守ろうとした無辜の市民たちを喰い漁ってるだろうよ」

 起死回生の一手。それは伏兵の存在。最初の大爆発で発生した土煙に紛れ、若人狼の仲間が一部気配を隠してウルグスたちの警戒網をすり抜けていたのだ。

「恨むなら最初にド派手な一撃をかましてスキを作っちまった自分たちを恨むんだな、はは、ははははは!」

 囮となった自分たちはここで終わるが、本命が街に侵入し、自分たちの主人に合流できていればそれでいい。自分本位の存在に思われがちな吸血鬼の性質を逆手に取った作戦だった。が、しかし――


「――その男ってなあ、こいつのことかい?」


 さらさらと灰になって崩れ落ちていく若人狼の首の前に、暗がりから何かが投げ落とされた。

 それは、見間違えようもなく、自分たちが命を賭して送り出したはずの吸血鬼の首だった。だらりと垂れ下がった舌。ぐるりと反転した眼球。どこからどう見ても、完膚なきまでに死んでいる。

「さすがに二人だけで相手するのはきつかったがね、意外とまだまだ捨てたもんじゃないんだなって、ワシ、自分のことを褒めてあげたくなっちまったよ」

 あえて相手をあおるような言葉選びをしつつ姿を現したのは、ガデット・ボードウィン。吸血鬼の眷属たちが自分たちの中で一番強い駒を伏兵として送り出していたように、ジェダたちも自分たちの中で一番強い駒を伏兵として仕込んでいたのだった。

 ガデットの後ろからは、戦闘員としては今回で一番の功労者と言ってもいいだろうニルニエス・エルルフィオリが現れる。吸血鬼たちに致命傷を与える決め手となった貯蔵魔力の喪失、そのための術式を彼らに気取られずじわじわと浸透させていたのが、このニルニエスなのだ。

 アレイスと同じくセノレー大陸からの移民であるニルニエスは、あまりこのグランディア大陸では馴染みのない系統の魔法技術を持っている。故に、魔法に関する高度で専門的な知識や技術は持っていても、専門外の、他の大陸から輸入されてきた比較的新しい知識には疎い傾向のある吸血鬼たちに対し、有利に立ち回れることが多い。

 ガデットが前衛一人だけで派閥が違えば一つの群れの主となっていただろう実力の吸血鬼を倒すことができたのも、彼が付きっきりでサポートしていたからという要素が大きい。

 吸血鬼に対して有効な魔法を多く使える上、それらが彼らにとって馴染みのない技術のもと行使されるので、防御もしづらい。彼らの主たるアウルミルならば、少し戦っている間に対応できていたかもしれないが、いまだその眷属に収まっている彼らでは今少し実力が足りていなかった。

「あ、じゃあもう見せしめも終わりみたいなので、崩しますね」

 ガデットに隠れるようにして立つニルニエスが口元に指を当て、何事かを呟いた。すると、それまで灰になることもなく形を保っていた人狼の生首が、たちまち乾ききった砂のように崩れ落ち、瞬きをするほどの間に跡形もなくなってしまった。

「ちくしょうがぁああああああああ!!」

 グランディア大陸では全く見かけることのないニルニエスの珍しい琥珀色の瞳に、かつて封印された主人を助けだそうと画策していた彼らの元に忽然と現れ、「適度に間引いたことだし、もういいか」と気まぐれに彼らの命を見逃した緋と金色の悪魔の面影を見出し、若人狼は最期の気力を振り絞って襲いかかる。

 もはや頭だけになっていた吸血鬼はあごの力だけで跳躍し、まだ青年とも少年ともつかない幼さの残る顔立ちの相手に喉笛を食い千切らんと襲いかかるが、その牙はどこにも届かず終わる。

「いやはや、吸血鬼ってのはどいつもこいつも考えることは同じなのかねぇ。行動がワンパターンなんだよなぁ」

 適当なことをうそぶくガデット。無音で突き出された彼の槍が、飛びかかってきた人狼の鼻面を正確に貫き、空中に縫い止めていた。本当になけなしの魔力をかき集めての行動を防がれてしまった吸血鬼は、最期に何かを言い残す余力もなく、そのままあっけなく灰と化し、崩れて消えた。

「あ、すみません、ガデットおじさん。またさっきみたいに助けてもらっちゃって」

「いーのいーの。ジジイ、さっき君にたーくさん助けてもらってるから」

 へらへらと笑うガデットは、ついいつもの癖で返り血を払うように槍を振るい、まるでそこが定位置であるかのように肩に柄を乗せた。

「ともかく、これでリーダーが俺たちに丸投げした分は全部倒した、のか?」

 魔力感知のような器用な芸当のできないウルグスは、周囲にそれらしい気配がないか探りつつ、物陰に身を隠していたジェダを手招きする。

「いや、知らんけどさー、マジ知らんけどさー、こっからまだおかわりありますよっつわれたら俺はマジ帰るかんね?」

 こっそり帰ろうとしていたことがばれ、心底面倒くさそうな表情で姿を現すジェダ。

「そん時ァ俺にも声かけてくれ。お前と一緒なら五体無事に帰れそうだ」

 同調するラガッツ。先ほど吐きそうだと言っていたわりにはケロッとしている。だからウルグスに冗談言うなとつっこまれていたのか。

「リーダー来たよ。話聞くならそっちじゃない?」

 いつの間にか合流していたマルロットが、夜闇の向こうを指さす。ウルグスたちにはまだ何も見えないが、人一倍夜目の利く彼には何かが見えているらしい。

「やあやあ、皆、ボクより早く仕事を終わらせているなんて流石じゃないか」

 そして、その言葉通り、彼らのクランのリーダーが、いつもと変わらぬ陽気な声で彼らを労いつつやってきた。

 単純な数でいうならウルグスたちの何十倍という大量の敵を相手にしてきたはずなのだが、特に疲れている様子も、手傷を負った様子もなく、本当にいつもと変わらない調子のまま。身にまとう衣装が黒一色のせいで断言はしづらいが、おそらく返り血も一切浴びていないことだろう。

 普通なら本当に一人で百体を超える吸血鬼の眷属たちの相手をしてきたのかと疑問に思ってしまうところだが、彼らは彼らのリーダーの実力を十分に理解しているので、そんな阿呆なことは言わない。

「これだけ討伐してあれば、聖教会からの報償もたっぷりもらえそうだね」

 けれど、彼らは彼らのリーダーがどういう人物かというところも十二分に理解しているので、釘を差すようにそんなことを聞く。

「ン……ハハ、そうだネ。働きに見合ったご褒美はもらわないとダメだネ」

 痛いところを突かれたな、という顔をしているあたり、周囲の面々の予想通り、自分が相手した分は討伐数に入れないつもりだったのだろう。しかし、彼の丸投げのせいでマルロットたちは本来稼げるはずだった討伐数を稼げなかったのだ。これだけ苦労したのにたった三体分の報酬だけで満足しろなど、とても承伏できる内容ではない。

「でも、ボクもどれだけ倒したかなんていちいち数えてないし、とりあえずこれくらい、っていうどんぶり勘定でいいよネ?」

 本当ならちょっとくらい水増ししてもバチは当たらないだろう、くらいに思っていたマルロットたちなのだが、流石にそんなことをはっきり口に出して進言するのははばかられ、リーダーのほうが一枚上手だったか……と肩をすくめるのだった。

 こうして、今回の事件の黒幕の一人であるフラム・ヴェインが他の黒幕たちに秘密裏に進めていた、アウルミルの古い眷属たちによる帝都への進撃は、それを察知した他の黒幕たちの働きかけによって未然に防がれ、帝都に必要以上の破壊と混乱がまき散らされる事態は回避できたのだった。

 無論、その立役者である彼らは、リーダーであるイアンを除き、自分たちがそんな大役を任せられていたことなど欠片も知らないままだったが。


 そして帝都襲撃事件の裏話は、ついに黒幕たちが直接動いた唯一のシーンへと幕を移す。

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