四幕:帳の向こうの彼は誰ぞ④

 老人狼のほうがすぐ近くのウォブノベを指さす。すると、それだけでウォブノベの上半身が爆発した。

「まずは一人」

 次いで三人固まっているウルグス、アレイス、ジェダに向けて手のひらをかざしたが、ぶん回された突撃槍の直撃を受けて、面白いくらいにあっさりとひしゃげる。

「なに!?」

「どぅはは! 指さし確認はしっかりと、ってやつだでな!」

 煙が晴れると、そこには傷一つないウォブノベの姿が。人狼たちには理由が分からないが、もちろんジェダの異能による加護のおかげである。

 ならば、と若いほうが大きく息を吸い込む。先ほどやったように大音量の雄叫びで相手の脳を揺さぶろうというのだろう。ウォブノベの無傷の理由を防御術式によるものと推測し、ならば物理的干渉は通じるだろうと判断したが故の行動。だが、その目論見は失敗に終わる。

 どこからともなく飛んできた矢が、強靱な毛皮を突き破って人狼の巨大に膨れ上がった肺へと刺さった。直後、鏃に施されていた仕掛けが起動して、人狼の体が内側から爆発する。

 上半身の大半が消失し、煙を上げる人狼の体。けれども焼け焦げた肉を押しのけるようにして現れた肉の芽が、瞬く間に失われた部分を再生していく。

「……貴様等……こちらが優しくしてやればつけあがりやがって……」

 ものの数秒で完全回復した若い人狼が、全身から怒気を漂わせて立ち上がる。明らかに先ほどまでとは雰囲気の違う相手に、むむ、と盾を構えて警戒するウォブノベ。けれども彼の持つ突撃槍を無造作に掴んだ人狼は、彼の身にまとった鈍重な装備ごと、ウォブノベを軽々と遠くに放り投げた。

 続いて跳躍。まだ落下する前のウォブノベに追いつき、振り上げたこぶしで強制的に地面へたたき落とす。

 垂直落下したウォブノベ。地面にクレーターができるほどの勢いで着弾する。普通ならば間違いなく死んでいるが、ジェダの匣に守られた彼は背中を強打した程度のダメージで、気を失うことすらなく済んでいる。

 当然、相手も今までのやりとりからこの程度ではかすり傷にもならないことを理解している。両足で匣ごと勢いよく踏みつけたら、天をあおいで大きく口を開く。ぱっくりと開かれたあぎとの先に、常人にも見えるほど濃密な魔力が収束する。

 紅く輝く瞳がぎょろりとジェダたちの姿を捉えると、臨界ぎりぎりにまで圧縮されていた魔力が解き放たれた。それらはおびただしい数の破壊の奔流となって、幾何学模様を描きながら周囲の空間ごと引き裂いていく。

 これだけの火力を以てすれば、いかに強力な防御術式でも貫けるだろうという算段。けれど、この人狼は一つ致命的な思い違いをしていた。彼が今相対している敵は、魔術とは全く次元の違う能力を駆使して身を守っていたのである。そのことを、彼は再び顔面を襲った強い衝撃をもって知ることになる。

 今度は上段回し蹴り。ハンマーでぶん殴られたような衝撃と共に、若いほうの人狼は三度みたび宙を舞う。落下するよりも前にウルグスが追撃をかけようとしたら、空中で魔力を爆発させた人狼が無理矢理軌道を変え、彼のこぶしをかわした。

 人狼は着地の勢いのまま地面の非常に低い位置をすべるように走り、ウルグスの足に食らいつく。当然、その牙はウルグスを守る匣に阻まれるが、彼の狙いはそこではなく。そのまま上半身を大きく振り回し、地面や周囲の瓦礫などへめちゃくちゃにウルグスをたたきつける。それが直接的なダメージになる訳ではないが、足を掴んでぐわんぐわんと振り回されれば頭に血が上るというもの。ウルグスの意識は今にもブラックアウトしそうになる。これが人狼の狙いだった。

 けれど、蛇のようにしゅるしゅると不可思議な軌道を縫って飛んできた矢が、人狼の首もとに刺さる。今度は爆発こそしなかったものの、わずかに人狼の牙が緩み、意識を失う寸前でどうにかウルグスの解放に成功した。

「舐めるなよ……!」

 何度も蛇行や湾曲を繰り返しながら飛んできたはずの矢の軌道を正確にたどり、人狼は物陰に潜んでいたマルロットの元へと一直線に駆け寄る。廃墟の二階に身を隠していたマルロットは素早くその場から飛び降り、間一髪で吸血鬼の凶悪な爪から逃れた。

 かに思えたが、散乱する瓦礫にマルロットが着地した瞬間、見上げるほどの火柱が彼の姿を包んだ。

「わしもおるでの」

 ひゃっひゃっひゃ、と楽しげに笑った老人狼は、一直線に突っ込んできたウォブノベの突撃槍をこともなげに受け止める。

「なに!」

「なんじゃ。わしがわざと食らっていたことにも気付いとらんかったか。哀れよの」

 自らの刃は届くと思い上がっていた人間に憐憫のまなざしを向ける老人狼。けれど、すぐにウォブノベの顔に思ったほど焦りの色がないことに気付く。

 槍の切っ先から爆炎がほとばしる。ウォブノベ自身によるものではなく、突撃槍の表面に刻まれた陣術を使って、アレイスが遠隔で攻撃したのだ。

「ふぇふぇふぇ、残念ながらもう効かんよ」

 不意打ち。けれども何度も使われた術式では老吸血鬼に先ほどまでのようなダメージを与えることはできない。精々が毛皮の表面を焦がす程度。大したダメージではないので、自動回復すら発動しない。

 だがしかし、アレイスの狙いはまさにそこにあった。火傷にすら至っていない程度のダメージ。けれども肌の表面はたしかに炎であぶられて傷ついている。そこへ、どこからともなく放り投げられた瓶から、きらきらと輝く無色透明の液体が降りかかる。

 途端、先ほどの爆発とは比にならないダメージが吸血鬼の全身を襲った。

「ぬう、これは……!」

「どぅはは、聖別された水って話だで! 不浄の生き物とかいうんにはよーく効くらしいぞぉ!」

「先ほどの攻撃はこのための布石か……!」

 まるで強酸性の液体を浴びたかのように焼けただれる老人狼の皮膚。今しがた炎に巻かれたふりをしながらマルロットが投げ、空中で撃ち抜いた瓶の中に入っていたのは、聖教会の神父が祝詞と共に祝福を施した水。いわゆる聖水というやつである。

 聖水には退魔の力があり、吸血鬼にも有効な攻撃となる。しかし、強力な吸血鬼には強力な回復能力があるため、無策でかけた程度では大したダメージにはなりえない。そこで皮膚に多少のダメージを与え、そこに聖水を浴びせることにしたのである。

 要は、傷口に思いっきり消毒液をぶっかけたようなもの。当然、何も傷ついていない皮膚にかけるより、少し傷ついて血のにじんだ皮膚などにかける方が、断然刺激が強い。

 さらに、ウォブノベの槍から再度の爆発。再生中で防御力の落ちている状態ならば、通常よりもダメージが通りやすくなっているだろうと推測しての追撃。

「舐めおってぇえええええ!」

 半ば炭化した腕で、それでもはるかに常人離れした膂力を発揮して槍ごとウォブノベの体を持ち上げる老人狼。投げる先は若人狼と肉弾戦を繰り広げているウルグスに向けて。

 だが、実際に飛んでいったのは突撃槍の巨大な穂先だけだった。ウォブノベが手元のスイッチをひねると、あっさりと穂先と柄が分離。石突の部分が上に来るように持ち変えれば、柄はあっという間にメイスに早変わりした。

「ぬん!」

 投擲直後の硬直を狙った攻撃。顔面を狙ったそれは、けれども空いている方の手で防がれた。

「カァッ!」

 一喝。老人狼の口からビームが放たれる。原理も威力も、先ほど若人狼が乱射したものと同じである。溜めなしで撃っている分、やはりこちらの吸血鬼のほうが魔力の扱いに関しては若人狼よりも上なのかもしれない。

 そして、威力が同じなら結果も同じ。ジェダが事前に張っておいた匣に弾かれ、空振りに終わる。苦々しげな顔をする老吸血鬼の鼻先に、ウォブノベは盾の後ろから取り出した単装砲を突きつける。

「でやっ!」

 どこか気の抜けるかけ声と共に引き金を引く。これだけ至近距離で撃てば、外しようもない。放たれた砲弾は素直に相手の顔面に直撃し、中に仕込まれていた火薬が炸裂した。

 首から上がまるっと吹き飛ぶ老人狼。すぐに再生が始まるも、また聖水をぶっかけられ、苦悶の叫びをあげることになる。

「貴様ら……わしを愚弄するのもいい加減にせい……!」

 息も絶え絶えといった感じでウォブノベをにらみつける老人狼。再生が終わるまでの間もウォブノベにメイスで殴打されまくっていたため、顔の形が先ほどまでとは若干違うような印象を受ける。

「どぅはは、顔が怖ぇと言うことも怖ぇでな!」

 絶対に怖いと思っていない口調で笑うウォブノベ。明らかに挑発なのだが、今までのダメージが蓄積している老人狼にはそれを受け流すだけの余裕がなかった。

 瞬間的に頭に血が昇った老人狼は、全身の魔力を解き放って目の前の男に爪を振り下ろす。地面にクレーターができるほどの一撃。その一撃はついにジェダの異能へと届き、ウォブノベを今まで守っていた見えざる加護に亀裂が入った。


 けれども、そこで『終わり』だった。


「あ、え……?」

 老吸血鬼の全身にみなぎっていたはずの魔力が急速に霧散していく。魔力を消費して命をつないでいる吸血鬼にとって、それが何を意味するかは言うまでもない。魔力を補充するすべのない老人狼はあっという間に自らの体を保つこともできなくなり、抜け落ちていく魔力を必死に拾い集めるように虚空をかき抱きながら、灰となって崩れ去る。

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