四幕:帳の向こうの彼は誰ぞ③
そして、今のマルロットの質問でなんとなく状況を察したらしいアレイスが、魔力を貯めてある貝殻の耳飾りを軽くなでた。
「なるほど、だからこの区画一帯に人払いがされているんですね」
「ここしか避難が間に合わなかったと言ってほしいかナ」
「ふーん、つまり相手はヒト型? んで、それなりに知性がある?」
「ン? 何故そう思うんだい?」
依然俵抱きにされたままのジェダが会話に割り込む。
「いや、だって、ここに誘い込むつもりなんだろ? 相手の裏をかいたと思わせて、罠にはめる。そのためにあえてこっち方面の自動迎撃を解除してるし、隣の区画では普通に防衛網から逃げてきた魔物を狩らせてるんだろ? 攻め込みやすい場所を限定しつつ、自分たちは伏兵の存在に気付いてないですよ、この程度の戦力を配置しておけばここは大丈夫だと油断してますよってアピールしてるんだろ? じゃあ逆説的に、相手はそういう戦略的判断が下せるくらいの知能があるってことなんだなって分かるじゃん」
リーダーの意図に気付いていたアレイスやマルロットがうんうんとうなずく横で、全く気付いていなかったウルグスなどはえっ、えっ、えっ?と視線を右往左往させている。
「はーん、なるほどねぇ。ま、ええじゃろ。相手がなんであれ、ワシらのやることはいつもと変わらん。殺すだけじゃ」
あごヒゲを撫でつつなんかカッコいいことを言ったのは、クラン最年長の好々爺(実際にはそれほど高齢という訳ではないが、最年長のため実態以上にジジイ扱いされている)ガデット・ボードウィン。愛用の長槍に軽く体を預けながらの発言は、冒険者歴云十年という貫禄が裏打ちされていた。
「うーむ、まあジイさんがそう言うなら心配ないか」
まだどうにも事態に追いつけていない顔をしているが、それでもとりあえずは自分の中で折り合いをつけられたらしいウルグス。あまり時間を無駄にもしていられないので、それ以上の雑談はせず、皆素早く物陰に身を隠し、待ち伏せの態勢に移る。
しばらくすると、とても静かな、よく神経を集中させていなければ聞き逃してしまいそうなほど静かな足音で、何かが近づいてくるのが分かった。息を殺し、ひたひた、ひたひた、と近づいてくる何かを待つ。
ひたひた。ひたひた。
そうして相手が全員スラム街の中に足を踏み入れたのを確認したところで、ジェダが外から内へと腕を振る。
――
奇襲に気付いた相手が素早く周囲を警戒する。けれどももう遅い。相手と一緒に匣の中へ取り込まれた建物が、イアンの蛇腹剣による斬撃を受けて倒壊する。間髪入れずにアレイスがありったけの魔力を込めて放った火炎魔法が瓦礫を燃やし、匣の中は一瞬で灼熱地獄と化した。
閉鎖空間の中で燃えさかる炎。匣の内側からの干渉は全て遮断されているため、炎にまみれながら反撃を試みる敵の努力は全て徒労に終わる。
そのまましばし放置していれば、匣の中の酸素がなくなったため、見た目上は火が消える。まだそういった概念がないので燃焼の理屈を科学的に理解している訳ではないが、経験的にこの状態から匣を解除するとどうなのるのかはよく知っているジェダたち、十分に距離を取り、しっかりと安全を確保した状態で箱を解除する。
するとどうなるのか。燃えるものがなくなったのでストップしていただけの燃焼反応が、再び、それも勢いよく再開される。
つまりはバックドラフトである。
両手で耳を押さえていてもくらくらするほどの轟音を伴って、匣の中に閉じこめられていた空間が爆発した。物陰に隠れ、ついでに周囲を外から内への干渉を遮断するほうの匣で防御していたので飛んできた衝撃波や破片などで怪我をすることはなかったが、巻き上げられた土煙でしばし視界は遮られてしまう。
これでやられてくれればいいがーーというか今城壁の反対側で迎撃されているほうの眷属であれば間違いなく消し炭になっているほどの攻撃であったが、百年級の吸血鬼が相手ではこれでもまだ足りない可能性の方が高い。そのためすぐには防御用の匣を解除せずにいたのだが、幸か不幸かこの対応が結果的には「正解」だった。
ウルグスとジェダ、アレイスが隠れていた匣を、爆発の衝撃がかわいく思えてしまうほどの威力を秘めた攻撃が襲う。ひと一人余裕で埋まってしまいそうなほどの勢いで地面が陥没するが、匣には傷一つなく、引いては中にいるジェダたちもノーダメージである。
「なんだと……!?」
必殺のつもりでいた攻撃がぬかに釘のような手応えに終わり、驚愕に目を見開く相手。いまだ少し離れたところで燃えさかっている炎に照らされて、ジェダたちはようやくまともに自分たちが戦っている相手の姿を確認した。
一言で言ってしまえば人狼。あるいは熊。長く伸びたマズルに沿って裂けた口やピンと立った細い耳は狼のソレを彷彿とさせるが、幅も厚みも成人男性の倍以上はあるだろうずっしりとした筋骨隆々の胴体は熊によく似ている。
もう一撃試してみるかと相手が手を振り上げるが、それより前にアレイスの手にしたレイピアの切っ先が相手に向いた。けれども、そんな細身の剣で何ができるのかと吸血鬼は薄く嘲笑を浮かべて鋭い爪を振り下ろす。そして次の瞬間、比較的毛皮の薄い吸血鬼の腹のあたりで爆発が起き、全身を炎が舐める。
「これは……なるほど、先ほどの攻撃は貴様の仕業か!」
全身を焼かれているというのに全く意に介する様子もなく、戦意と殺意に満ちた瞳をアレイスへと向ける吸血鬼。腹が目に見えて膨らむほどの勢いで息を吸い込むと、大気を震わせて長く長く雄叫びをあげる。これだけの至近距離でまともにその音圧を浴びれば、耳を塞いでいたところで目眩がしてくるだろうほどの声量だが、匣の中にいるアレイスたちには関係がない。今度は眼球の水分を使って爆発を起こし、マズルごと顔の上半分を吹き飛ばす。
攻撃を畳みかけているのは、相手の魔術防壁がアレイスの魔術に順応し、対策を施されてしまう前にできるだけダメージを与えて相手の魔力を削っておきたいからである。長い時を生きた吸血鬼の展開する防御術式には、大抵自動で相手の術式を解析し、対策を講じる機能がついている。
つまり、戦闘が始まってから時間が経てば経つほど力量の劣る魔術師は不利になっていくのである。故に、アレイスは少しでも対応されるまでの時間を稼ぐため、あえて初撃は直接相手を狙わず、魔法の副産物でありただの自然現象である炎と熱で相手にダメージを与える回りくどい戦法を取っていたのだ。
今戦っている相手はまだ攻撃の効いている方だが、彼らの主人にして凶星の祖の一角たる大吸血鬼アウルミルが相手であれば、おそらく二撃目以降は通じていないだろう。経験や知識はすなわち武器である。常人の何倍もの時間を生きてきた大吸血鬼というのは、ただその事実だけで厄介極まりないものなのだ。
相手が回復しきる前にもう一発、とレイピアの切っ先を向けるアレイスだったが、待てど暮らせど何も起きず。すぐさまアレイスは魔術による攻撃に見切りをつけ、レイピアをしまった。
「ふん、お前の魔術の構成は実に単純だったからな。干渉を遮断するなど容易いことよ」
「だそうなので、続きはお願いしますね、ウルグス」
返事は、吸血鬼の顔面を勢いよく殴り飛ばすこぶしの音だった。自分の体重の倍以上は優にあるだろう巨躯を平然と殴り飛ばすウルグス。こぶしも匣でガードしているからとはいえ、常人離れした威力の一撃であることは疑いようもない。
「ぬぅおおおおう!?」
吹っ飛ばされ、軽く錐揉みしながら顔面着地を決める吸血鬼。
「ふぉっふぉっふぉ、ただの人間と侮るからそんな目に遭うのじゃ」
脳震とうを起こし、すぐには立てずにいる人狼の吸血鬼の首根っこを、横合いから出てきた手が掴み、その巨躯を軽々と立たせた。
いかにも老いさばらえたといった感じのしゃべり方をするそれも、全身を強靱な毛皮に覆われている。こちらもアウルミルの眷属の一人であることは、間違えようもない。
「うるせえ、じじい。お前だって罠に気付かなかったくせに」
「ふぇふぇふぇ、まあよいじゃろうて。老骨にはちょうどいい熱さじゃったよ」
気安く言葉を交わしあう二人。その後ろから足音もうるさく銀色の塊が突っ込んでくる。
「おらを無視すんなぁ!」
暴走機関車のごとき勢いで
「ぐ、こいつら、さっきからなんなんだ……俺たちの魔術防壁を当たり前のようにぶち抜いてきやがって……」
ウォブノベの突撃槍を無理矢理腹から引き抜き、見た目が若い方の人狼が悪態をつく。
「分からん。分からんが、うまく罠にはめられてしまったのは間違いないようじゃ」
そう言ってスラム街の外へと目をやる老人狼。ただの人間であるジェダやウルグスたちには分からないが、はるかに夜目の効く彼らには、生み出されたばかりの瓦礫の山の向こうで紅く透き通った蛇腹剣が舞っているのがよく見える。その美しき刃が生み出す破壊の嵐に蹂躙されているのは、彼らが率いてきた古強者の眷属たちで間違いないだろう。
隙を突いて攻め込むつもりが、まんまと罠に誘い込まれてしまったという訳だ。長年のつきあいである眷属たちには悪いが、あの剣舞の中、彼らを助けに行くよりは、ここで待ち伏せしていた手練れたちを相手する方がまだ突破できる可能性は高いというもの。というより、あの蛇腹剣を振るう人物の強さが桁違いすぎて、彼らの主人たるアウルミルでもなければまともに相対することすらできないだろう。
なぜそんな大物が本命の迎撃ではなくこんなところで露払いに甘んじているのかという話だが、とにかく彼らが命拾いをしたことに変わりはない。ならばこのチャンスを活かして突き進むのみだ。
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