狭いチャットルームの中で
四葉くらめ
狭いチャットルームの中で
誰にでもひとつやふたつ、人には言えない隠しごとがあるものだという。
たとえば、それはベッドの下に隠している性癖だったり、パソコンのDドライブに隠している性癖だったり、画像投稿サービスの非公開いいねに隠している性癖だったり……。
いや、隠しごとって性癖ばかりか。確かに性癖は隠しておきたいものとして定番かもしれないがもっと他にあるだろ。
たとえば、好きになってはいけない人を好きになってしまったこの気持ちだったり――。
そういう隠しごとというのは話してはいけないくせに、誰かに聞いてほしい、吐露してしまいたい、という気持ちに陥ってしまうことがある。
いや、性癖の方じゃなくて。
では、俺が今隠しているものと言えば――。
「ログインっと」
俺はPCの画面に表示されている簡素なログイン画面で、使い慣れたIDとパスワードを打ち込む。すると、これまた手抜きと言わざるを得ないチャットルームのサイトが現れる。
恐らく管理人が自分で作っているのだろう。機能は必要最低限で、テキストの投稿と表示、あとは今チャットルームにいる人間が一覧になっているぐらいだ。
そして、一番上にはこの掲示板のタイトルがでかでかとこう書かれていた。
『きょうだいに恋している人のための部屋』
そう、これが俺の隠しごとである。俺――佐々木祐介は実の妹である『佐々木春香』のことを恋愛対象として好いていた。
ここはきょうだい、すなわち、兄や弟、姉――そして妹を恋愛対象として見てしまった哀れな人間たちが自分のきょうだいについてを語る小規模なチャットルームだ。
このサイトの雑さからか、ここに来るアカウントは4人と少ない。
俺はここで『妹に恋した兄貴』という身も蓋もない名前で登録している。
……違うんだよ。どうせあとから登録名ぐらい変えられるだろうって思っててきとうな名前にしちゃったんだよ……。っていうか管理人によれば『変えられるけど、困ってないし、面白いからパスじゃ』って言われたんだよ。『パスじゃ』じゃねーんじゃ。
ログインしてみると今日は俺が一番乗りだったらしい。それじゃあ今のうちに俺の話したい話題を投下しておくとしよう。一番最初の人の特権である。
『っていうか、今日も妹が可愛すぎて辛かったんだが』
しばらくして、参加者アカウントがひとつ増える。
『芋兄は初手のバリエーション増やしなよ。そんなんじゃ女の子にモテないよ?』
こいつは『兄に恋する妹乙女』という痛々しいアカウントの女である。
なにその身も蓋もないアカウント名。考えずに付けすぎだろ恥ずかしい奴だな。
こんな恥ずかしいのが妹だとは、コイツの兄貴も大変である。やはり妹はうちの妹に限る。
ちなみに『芋兄』というのは俺のあだ名だ。この妹乙女に勝手に付けられ、今はまだ来ていない他の二人もそう呼んでくる。
っていうかひどすぎでしょ。『妹』の部分を『芋』に変えるとか、うちの妹バカにしてんのか。
妹乙女の野郎、いつか会ったらぶん殴る!
『ふむ、まあ定番というのも安定していてよかろうて。で? 今日はお主の
気付けばまた参加者アカウントがひとつ増えていた。
この爺さん風な喋り方をするのがここの掲示板の管理人、『世界を統べる我が輩の言うことを
そして、皆からは『吸血鬼』と呼ばれている。こういう喋り方をする吸血鬼ってライトノベルとかゲームとかに多いからな。アカウント名と全然関係無いけど。
『やっぱ、吸血鬼さんは話しやすくていいわ。どこかの使えない妹とは違うぜ』
もちろん、使えない妹というのは妹乙女などというイタい女のことである。
『なにそれアンタの妹の話?』
『んなわけねえだろ! 俺の妹は超絶親切で、健気で、人を思いやれる最高に可愛い妹だっつーの! 舐めとんのか』
なんなら学校一の美人とかガチで言われてる逸材だぞ! そんな存在、現実にいるなんておかしいだろ!
つまり、俺の妹はそれだけ凄いということである。
『はぁ、これだから芋は。そんなのなにかあったときに便利だから良い感じに振る舞ってるだけよ。現実を見なさい。兄のことを本気で好きになる妹なんてこの世にほとんどいないのよ』
『それを妹乙女殿が言うのじゃな……』
『あたしみたいなこじらせ妹がそんなホイホイいてたまるか』
まあ確かに。妹乙女の行動ってたまに常軌を逸してるもんね。もし俺の妹が同じことやってたら、妹好きの俺だってドン引きするようなことやってるからね。
『まあいい。それで今日の妹の可愛いポイントなんだが、今日は妹が日直があるとかで俺より早く起きていたんだ。で、俺が起きたときに洗面所から出てくる妹と廊下でばったり合ったんだよ。もう制服に着替え終わってたし、たぶん髪を整えていたんだろうな。そしたらその妹が満面の笑みを浮かべていてな。いやぁ、あの笑顔を見られただけで今日一日は幸せな気分だったわ』
『え、妹の笑顔が見られただけで幸せって、アンタ普段から妹にどんな顔向けられてんの? 嫌われてんじゃないの?』
『んなわけあるか!? 確かに妹はあまり俺に対して笑顔を向けることってないけども!』
『うーん、それは主様も難儀じゃのお』
『ねぇ! 今俺の幸せについて語ってるのになんでそんな同情の目向けられんの!?』
そんな風に見られたらなんか実は俺って可哀想な人なのかなとか思っちゃうだろ!?
『つまり今の話は「幸せとは常に享受するのではなく、たまに有るからこそ嬉しい」、と。そのような教訓というわけじゃな。勉強になるわい』
『そんな意図ねえよ!? 本当に悲しくなってくるから止めてくんない!?』
『そうそう、可哀想ついでに教えてあげるわ』
『あんだよ?』
『女の子が日直で朝早くから出なきゃいけないのに、機嫌がいいっていうのは十中八九――』
そこで、妹乙女は一度言葉を区切った。え、なに、この投稿の切り方。嫌な予感がするから止めてほしいんだけど。
PCの前でゴクリとつばを飲み込む。すると次の投稿が俺のディスプレイに現れた。
『好きな男の子と日直のペアだったときよ!』
な、な、な……。
『なんだってーっ!?』
◇◆◇◆◇◆
『さて、次は儂、と言いたいところじゃが、特出するようなこともないのお。最近は兄様も儂の魔力がじわじわと効いてきておるのか、儂のお願いも結構聞いてくれるのじゃ』
どうやら俺からの続きの投稿がなかなか来ないとなるや、別の話題が始まったらしい。
ちなみに俺はあの投稿をしたあとしばらくベッドにうずくまって泣いていた。
ガチ泣きである。みっともないと言うなかれ。好きな人に自分ではない好きな人がいるなんて考えたくもない。
まあ、直接確認したわけではないからまだなんとも言えないが。
俺の妹と恋仲になりたくば、まず俺を倒してからにしてもらおうか!
しばらくしてPCの前に戻ると、会話が進み、吸血鬼さんが喋りはじめていた。と言っても、そこまで話す内容がなさそうな口ぶりだけど。
『ちなみにどんなお願い事してるの?』
『この間は一緒にお風呂に入って髪を洗ってもらったのじゃ!』
『『はい、アウトォォォォォ!』』
見事に俺と妹乙女の投稿が重なる。
え、確か吸血鬼さんって中二とか言ってたよな? それ事案じゃない? いや、家族だから事案ではないかもしれないけど……、やっぱり事案じゃない?
『髪を洗ってもらうのがそんなに変なことかの?』
俺と妹乙女がなにに驚いているのかわからないとでも言うように、吸血鬼さんが投稿する。
『いや、髪洗ってもらうことがっていうか、その歳で一緒にお風呂っていうのが、珍しいかなって。あたしは小学校低学年ぐらいまでだったかな』
『ああ、俺もそれぐらいだったな』
世間一般の兄妹がどうなのか知らないけど、中学になっても妹とお風呂に入る兄というのはなかなかいないだろう。
『ふうむ、ではお主たちは、兄様や妹様とは一緒に入りたくないのかの?』
『『入りたいに決まってるだろ(でしょ)!?』』
そりゃ入りたいさ! 一緒に! お風呂!
でも、じゃあ高校二年の俺が高校一年の妹に『今日、一緒にお風呂入らないか?』とか言ってみろよ?
可愛い妹から向けられていた笑顔は一瞬にして南極の氷よりも冷たくなり、その凍土が溶けることは今後一切ないだろう。
そんなことになってしまったら俺は死んでしまう!
そんな内容を俺が入力していたら、ほぼ同じ内容を妹乙女の方も投稿してきた。そういえば、コイツも高校一年で兄とは一歳違いなのだったか。
『難儀じゃのう、お主たち』
『吸血鬼さんが自由に生きすぎ』
『右に同じ』
『大ニュース大ニュース大ニュースよおおおお!』
すると突然、参加アカウントが増えると同時にこれまでのおしゃべりを思い切り無視して『大ニュース』という単語が割り込んできた。
『あ、絶ねぇお疲れー。今日は遅かったね』
そう、今ログインしてきたのがこのチャットルームの最後のメンバーにして、最強の
『それがね! 今日ようやく、弟君と二人きりの温泉旅行を取り付けたの!』
『聞いた? 「取り付けた」って言ったわよ絶ねぇ。これ絶対色々策を巡らせてそういう方向に持って行ったってことよね?』
『流石、絶ねぇというか。やることが怖いよな』
『これこれ、お主らこれチャットなんじゃから、全部丸聞こえ――というか丸見えじゃぞ……』
『えへへ、でへへへ、ヴぇっふぇっふぉ』
『大丈夫だ、吸血鬼さん。絶ねぇ、今はテンション上がりすぎて俺らの言葉なんて見えてないって』
『っていうか笑い方がいい加減気持ち悪いわね。これ本当に女子高生が書いてるの? 実はおじさんのなりすましとかじゃない?』
まあそれはそれで今度は弟との温泉旅行が叶って喜んでいるヤバイおじさんということになるのだが……。うわ、考えたくない……。
『もう! チャットの内容だって見てるよー! ああ! でも嬉しさで勝手に指がっ! うひょ』
うわぁ。
これはひどい……。こりゃ今日の絶ねぇからはまともな反応が得られないと考えた方がいいだろう。
『それで、温泉旅行では弟様とどのようなことをする予定なんじゃ?』
すると待ってましたと言わんばかりに『んーっとね!』とひとつ投稿があったあとに、しばらく無言になってしまった。これはかなりの長文が送られてきそうである。
そして一分経ち、二分経ち……、その間別の投稿をしていいものなのかどうか迷いつつ五分が経過したところで、久しぶりにPCの画面が更新される。
しかし、それは一行の簡潔なもので、とても五分掛けて書いたものとは思えない。
よく見てみるとそこにはこう書いてあった。
システム:『【弟に近づく女絶対許さない姉】さんの投稿に不適切な言葉が多数見つかったため、投稿せずに【弟に近づく女絶対許さない姉】さんを退出させました』
『いったいなにを書いたんだよ!?』
『不適切な発言ってなに!?』
『うーん、なんじゃろうな。このサイトは兄様に作ってもらったものじゃし、R18的なことは書けないようになっておるんじゃろうて』
まさかのこのサイトを作ったの吸血鬼さんのお兄さんだった。面倒見いいな、お兄さん。
◇◆◇◆◇◆
絶ねぇさんが強制退室させられてしまったため(強制退室させられるとその日はもうログインできないらしい)最後に妹乙女のターンがやってきた。
『今日は朝に凄くいいことがあったのよ』
『というと芋兄殿と同じパターンかの?』
『あんな可哀想な生き物と一緒にしないでよ、吸血鬼』
『俺を可哀想な生き物扱いしてんじゃねえよ、妹乙女。そう言うからにはさぞやいいことがあったんだろうな?』
『ええ、もちろん。今日は日直でいつもより20分ぐらい早く起きて身支度とかをしてたのね』
まさかの俺の妹と同じ行動を取っていた。日直流行ってんのか。
『それで洗面所で髪を整えていたんだけど、ふと思い出したのよ。そういえば昨日最後にお風呂入ったのってお兄ちゃんだったなって』
風呂?
それが日直となにか関係があるのだろうか。
『お、お主、まさか……』
どうやら吸血鬼さんにはもう妹乙女が言おうとしていることがわかったらしい。
『それで、洗濯機の一番上には、まあもちろんお兄ちゃんのパンツがあるわよね』
『ああ、まあそうだろうな』
風呂に入るとき、通常下着を脱ぐのが一番最後だろうし、あまり神経質じゃない人であれば下着を別の衣服で隠したりはしないだろう。かくゆう俺も銭湯とかでは隠すものの、家でまではわざわざ別の衣類を上から被せるようなことはしていない。
『で、そのお兄ちゃんはといえばいつもより早い時間だし、寝てるわよね』
日直でいつもより早い時間というのならばそういうことになるだろう。
『まあ、嗅ぐわよね』
『いや、それはおかしい』
『儂もおかしいと思う』
『なんでよぉ!?』
『どう考えてもおかしいだろうが! 人の下着のにおい嗅ぐとかテメーには理性ってもんがねーのか!』
『理性がどうのこうのって話をしてる時点でアンタも妹の下着のにおい嗅ぎたいって言ってるようなもんじゃない! この変態!』
『実際に行動したお前の方がよっぽど変態だよ!』
『うっさいわね! まあそういうわけで今日のあたしの朝はとても幸せだったわ。しかもにおいを嗅いで廊下に出たらばったりお兄ちゃんに出くわしてさ、さっき嗅いだにおいの元って思ったらもうドキドキが止まらないわよね!』
いや、ほんと、こんな妹もいるんだなぁ。
ドン引きというか、気持ちはわからなくもないけど、それを実行に移してしまうのがこの妹乙女の凄いところである。尊敬はしないけど。
『ふむ、何やらきな臭いところがちらほらあるが、皆が楽しくやっているようで我が輩は満足じゃ』
『一番きな臭いのは吸血鬼さんだけどね』
『右に同じ』
『ええい、黙れ! ともかく、もういい時間じゃ。この辺りでお開きとしようかの』
◇◆◇◆◇◆
吸血鬼のその投稿を合図に〝あたし〟は退出ボタンを押してからブラウザを閉じる。
「あー、楽しかったー」
あたしはPCはそのままにベッドに飛び込み、さっき話題にしたお兄ちゃんのにおいを脳内で思い出す。別にいいにおいってわけじゃないんだけど、なぜかドキドキするにおい。
「あー、お兄ちゃんとお風呂入りたいなー。温泉旅行も行きたいなー」
うう……吸血鬼も絶ねぇも羨ましすぎるよぉ。
お兄ちゃんと一緒にお風呂に入って、あたしの髪を洗ってもらっているところを想像したら、とたんに顔が熱くなってくる。
「や、やっぱりむりぃ……」
想像するだけでこうなのだ。もし本当に一緒に入ろうものなら、あたしの顔はゆでだこみたいになってしまうに違いない。
あたしは火照った顔を鎮めるために、その想像を頭をぶんぶんと振って追い出したのだった。
誰にでも、ひとつやふたつは人には言えない隠しごとがあるものだという。
たとえば、好きになってはいけない人を好きになってしまったこの気持ちだったり――。
そういう隠しごとというのは話してはいけないくせに、誰かに聞いてほしい、吐露してしまいたい、という気持ちに陥ってしまうことがある。
だから、あたしは明日もあのチャットルームに行って、あたしの――佐々木春香の大好きなお兄ちゃんのことを存分に話すのだ。
狭いチャットルームの中で 四葉くらめ @kurame_yotsuba
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます