桃色の本棚
HiraRen
桃色の本棚
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今年も谷間がなかったな、と期末試験が終わったちぐはぐな『谷間』の時間にふと思った。はす向かいの席でアリサは「でねー、マジありえなくてさ」と最近付き合い始めた彼氏とのいざこざを嬉しそうに話していた。
アリサと目が合わないようにちらと彼女を見てから、わたしはまた『谷間』の季節について考えた。
小学生の頃は桜の季節が終わって梅雨が始まり、それから夕立の季節がやってきて『夏』がやってくる。つまり、春と夏の間に谷間の季節があった。今年は『梅雨』という季節がずっとずっと春と夏の間を占有していて、梅雨なんだけど雨の降らない暑い日や梅雨なんだけど心地いい夏日がまったくなかった。
夏の羽虫が出ない公園で五分でも十分でものんびりとするのが、好きだったりしたのに。
今年は電車の窓から入ってくる心地よく抜ける涼しい風をほとんど感じられなかった。それがなんだか心残りで、ちょっと残念だった。
「ねえ、リン? あんたはどうなの?」
「えっ……?」
アリサに名前を呼ばれてわたしはハッとした。
机に座り、椅子に足をおろす彼女の視線をまっすぐに受け止めるのが、ここのところ苦手になってきた。援護射撃とばかりに周囲の取り巻きの子たちがわたしを見つめる。これも苦手になってきた。
「どうって……?」
「夏休みのことだってば!」
ああ、とわたしは軽く顎を引き、それからせわしなく顔を振った。手もつけて。
「アリサみたいに順調じゃないよ。彼氏とか、全然だし。出会いとかないじゃん?」
みんなの視線から逃れるように教室をぐるりと見まわす。
男子生徒の諸君もわたしたちと同じように期末試験から解放された余韻に浸っているようだった。わざと彼らを選別するような視線を送ってから。
「学校じゃあ、イマイチだしさ」
とってつけたような定型文をアリサに返す。
彼女は「だから、言ったじゃん」とわざと声をひそめた。
「ちゃんと春先からバイトしてれば、すっごく格好いい大学生の先輩とか捕まえられたんだよ?」
うんうん、とわたしは頷きながら「失敗したなあ」と話を合わせる。
それから話題はアリサのバイト先の話へと転じていき、わたしは乗り遅れたバスを見送るみたいにアリサたちをしばらく見つめた。
うちの学校は『県内でも有数の進学校』のひとつだ。
まわりからそう言われるというだけで、進学校のレベルについていけない人間だってたくさんいる。わたしがそのひとりで、アリサもそのひとり。
高校一年の基礎科目の能力判定で平均以下の烙印を押され、複数ある進学コースから多くの選択肢を奪われ、なんとか大学へ行きましょう、というコースに振られたのがわたしたちだ。
高校二年になって、選択の余地もなく文系のクラスにまとめられた。
そうした成績的な妥協と敗北を重ねた高校生活なのに、わたしはクラスで中の下あたりをさまよっている。下の上や下の中を往復しているアリサよりは優秀かもしれないけれども、学年全体で見たらわたしもアリサも同じ穴の狢なのだ。
わたしは必死に食らいついている。
それなのに、中学生の頃みたいに成績が上がらない。
一方のアリサは、諦めているらしい。
校則で禁止されているアルバイトを春先から始めて、無事に素敵な大学生と出会うことができたというのだ。
うらやましい、とは思う。
でも。
それでいいのかな、とも思う。
先週の全校集会で校長先生が「素晴らしいお話があります」と先輩の話を紹介してくれた。成績優秀者の先輩が、環境省から表彰を受けたというのだ。なんでも、ある羽虫が生殖器を媒介にして植物の花粉を県内の山林に広めている、という事実を発見し、環境省からも表彰されたというのだ。
わたしが理解できたのは『環境省から表彰された』『すごいんだ』の二点だけ。
その羽虫の種類も、その生殖器がどういう類のものかも、運ばれた植物の花粉についても、それが県内の山林に広がることでどういった影響が出るかも……校長先生は話をしてくれたけれども、理解できなかった。
その話を聞いたあとで、アリサは「気が狂ってるとしか思えない」と先輩のことを評した。噂によれば、先輩は自宅で蛾を何匹も飼っているとか。
虫嫌いのわたしやアリサからすれば、ちょっと常軌を逸している人物に見える。
アリサはストレートに物事を言う。
「虫の生殖器なんて観察してどーすんのよ。わたしたちが観察すべきは、男の生殖器でしょ?」
なんて冗談を言って爆笑をさらっていた。わたしも笑った。
アリサの話のほうが、わたしにとっては『理解しやすい』ものだったから。
でも、本当にそれでいいのかな。
そういった疑問ばかりが残る話題だった。
あのときも、そしていまも。
* *
テストの返却期間が始まり、駆け抜けるように終わってゆく。
試験後の三日、四日はそうした『谷間』の季節だ。
学校の季節行事は地球の季節と違って、ちゃんと今年もわたしのもとにやってきた。
けれども、一学期が終わって胸躍るような夏休みは……もう三年ぐらい来ていない気がする。
夏休みは楽しみ――?
その質問を受けたとき「うん!」と即答できない。
小学生の頃はできていたのに、高校生になったいまは『できなくなって』しまった。地球の谷間の季節が失われてしまったように、わたしの高揚感もどこかに消えてしまったのだ。
成績は芳しくない。
アリサは夏休みの補習組に筆頭株主のごとく名前が載っていたが、わたしは補習こそ免れた。追加課題だけで済んだのは幸いだけれども、それで胸をなでおろしていいのだろうか。
補習組になってしまったアリサは不平と不満をぶちまけながら、取り巻きの子たちとカラオケに行った。わたしも誘われたけれども、煮え切らない態度だったのがよくなかったのか「リンはいいよ、忙しそうだし」と言われてしまった。
わたしは「ごめんね」と言ったものの、内心ではホッとしていた。
本当にこれでいいのかな、の疑問の中に、アリサの影がいつもちらつく。なぜなのかはわからない。けれども、わたしのもやもやのなかにアリサの姿がいつも浮かぶのは、間違いない。
わたしは一人で学校の最寄りの駅まで歩き、駅間十五分ほどの郊外型の電車に乗り、四つ隣の駅で降りる。自転車置き場に行く前にコンビニへ寄り、ファッション雑誌か化粧品を買おうかと思った。
誰と会うわけでもないけれども、この夏休みで少しは楽しいことをしたい、と思う。そうした気持ちがわいてくると、またアリサの力強い「ダメじゃん! もっとぐいぐいやってかないと!」という言葉が耳によみがえる。
わたしはアリサみたいにはなれないな、と思う。
通学カバンの中には出来の悪い期末試験の結果とまとまりのない科目のノートが入っている。成績優秀者のノートはあれだけきれいなのに、わたしのノートはぐっしゃぐしゃ。
なんでこんなにも違うんだろう。
そう思いながら、わたしは漫然とコンビニの陳列棚を眺めていた。
化粧品の棚からふと目を離したとき、「あっ」と思い、目がとまった。
視界に入ったのは男性用の避妊具だった。
それがどういう利用用途であるのかは、わかる。
別に恥ずかしい気持ちはないけれども、胸の中をざわつかせる乱気流は多少なりとも起こった。
アリサはこの夏で「オトナになっかんねー!」と意気込んでいた。
そのために春先でアルバイトをして、素敵な大学生の彼氏をこしらえたのだ。
その話を聞かされていたせいか、わたしはしばらく男性用避妊具から目を背けることができなかった。
わたしは、どうしたいの。
成績は不出来で、とても環境省から表彰されるような実績は残せないと思う。だからと言ってアリサのように計画的に異性と接していくこともできない。
なにもかもが中途半端になっている気がした。
出来の悪い期末試験の結果が『点数』となって脳裏をよぎる。
夏休みの追加補習は逃れたけれども、自宅での追加課題はしっかりと受けてしまった。
どっちつかず。
なにもうまく出来っこない。
中学生の頃はなんとかなったけれども、わたしの生まれ持った『人間的な実力』じゃあ、高校生のレベルに太刀打ちできない。
そうした決定的な現実を突きつけられた気がして、息が詰まりそうになった。
あとちょっとだけ学校へ行けば、夏休みが始まる。
学校の雑踏で余計なことを考えなくて済んだけれども、しばらくはその雑踏はわたしから遠ざかる。まるで禅宗道場で瞑想せよ、自分を見つめなおせ、と神様から言われているみたいに、わたしは長い夏休みを自宅で過ごす。
彼氏もなく、親しい友達もなく、味気ない課題と予備校だけが待っている夏休み。
そう思ったら、なんだかすごくつらくなってきた。
わたしは奥歯をぐっとかみしめて、男性用の避妊具に手を伸ばした。
これがわたしを変えてくれる。
なんの根拠があって――?
なんの根拠もない。
漠然とそう思っただけだ。神様がいる、というのに似ている感情みたいに。
* *
駅の自転車置き場に走り、力強くペダルを踏みこんで風を切った。
もう季節は夏なんだ。
そう思う暑さを含んだ風が、頬から耳から髪の毛から……全身を抜けていった。そこに清涼感はない。
汗のべたつきと喉の奥で固まった痰のような不愉快さと、奥深い悲しみのようなものが風呂場のカビみたいに根深く残っているだけだ。
その不快感から逃れたい一心で、わたしはペダルを踏み続ける。
遠くに見える山々の稜線も、青くて際限のない空も、きらびやかに輝く水田の色も……いまのわたしには邪魔で仕方なかった。
わたしはスカートのポケットにある異物の感触を覚えながら、吐き気に近いドキドキをぐっと飲み下した。
男性用避妊具の箱は思ったよりも固く、想像よりも軽く、容易に盗めてしまった。
使うことなんてありもしないのに。
大きな、ひび割れた駐車場の向こう側に自宅が見えた。
軒先にお父さんの車が止まっているのが見えて、ちょっとうんざりした。
今日も仕事に行ってないんだ、というのが最初に浮かんだ感想だった。
わたしは玄関のチャイムを鳴らして自宅に上がる。
ただいま、の声になんの反応もない。
男性用避妊具を万引きしたせいか、誰にも会いたくない。
どこか途中で捨ててくればよかったのに、結局捨てずに持ち帰ってきてしまった。
さっと二階にある自分の部屋へと逃げ帰り、ぴったりとしたセロファンで梱包された卑猥な箱を勉強机の奥のほうへ押し込んだ。できれば永遠に表に出てきませんように、と願いながら。
わたしはカバンを部屋に放り出し、制服のままベッドに寝転んだ。
庭でがさがさと音がしている。
お父さんは庭にいるんだ、と思いながら「仕事いけし」と蔑んだ。
しばらく天井を眺めてから、身を翻すようにしてうつ伏せに枕へ突っ伏した。
「仕事いけし……」
また繰り返す。
パパのことを「お父さん」と呼ぶようになったのはいつからだっただろうか。
たぶん、夏休みのわくわくがなくなってからのような気がする。
もう素直にパパと呼べる年齢ではなくなった。
それに「お父さん」と呼んで距離を保ちたい。できることなら、言葉を交わさず、無視して、いないものとして生活していきたい。
はやく東京の大学なり専門学校へ行ってひとり暮らしがしたい。
庭から聞こえるガサガサガサ……という音が耳につく。
うるさくないけど、うるさい。
庭の草木を掃除しているのか、もっとくだらないことをしているのか。
お父さんは変わり者だ。
わたしは友達を家に呼びたくない。お父さんがいるからだ。
仮に仕事でいなくても、わたしは友達を家に呼ぼうとは思わない。お父さんの名残が、たぶん来訪者たちを驚かせるから。
昔、小学生の時に家庭訪問でやってきた担任の先生が「いや、これはちょっと……」と身を引いたのを覚えている。わたしはその時初めて。
これは恥ずかしいことなんだ。
普通じゃないんだ。
どうしよう、学校の友達にバレると嫌だな。
幼心にそう覚悟し、怯え、涙をこらえた。
リビングのわきにある大きな書籍棚には、ピンク色に満ちたDVDや雑誌がぎっしりと詰まっている。いつもは薄い布で目隠ししているけれども、風鈴を鳴らす風が吹けばふわりと布はたなびいてしまう。
大人向けのDVDと大人向けの漫画がぎっしり詰まっている書籍棚に、小学校時代の担任は「あまり教育的には……」とママに話していた。
ママもバカだ。
旦那の変態趣味を「そうですかねえ?」と首をかしげて「まあいいじゃないですか」と流すのだ。ママはお父さんのそうしたDVDやエロ漫画を公認している。
近所で恥ずかしいうわさが立たないのだろうか。
わたしは学校で噂になるのが嫌だった。
みんなみんな狂ってる。
庭の音が止んだ。わずかに間をおいてから、またガサガサと鳴り出した。
うるさい、うるさい、うるさい……。
どうしてみんな平気でいられるの。
みんなのお父さんはリビングの本棚や戸棚にアダルトDVDやアダルト漫画を平然と並べているの? みんなのママたちはそれを「いいじゃない」で済ませているの?
もしそうだとしたら、本当に気が狂ってる。
環境省に表彰された先輩よりも、みんなのほうが狂ってる。
だいたい、お父さんは毎日働きに出るものでしょ?
どうしてうちのお父さんは家にいるのよ。
大学の講師で、授業がないときは自宅にいる、なんていう返答は聞き飽きた。だってアルバイトじゃない。フリーターじゃん。高校を中退した人たちと変わんないよ、そんなの。
ずっと昔、アリサが言った。
「リンのパパすごいじゃん! 太一・キートンみたいじゃん!」
誰だよ、それ。
それにすごくなんかない。
お父さんの実家は浄土真宗のお寺で、本来なら次代の住職になるのが普通なのだ。なのに、次の住職の座をお父さんは弟さんに譲った。
どうして、とわたしは昔聞いた。聞かなきゃよかったのに。
弟さんの家に男の子が生まれたからだ。
うちには女のわたしが生まれて、弟さんの家には男の子が生まれた。
住職を継ぐのは男の子じゃなきゃいけないから、お父さんとママは実家のお寺を離れてアパートに移った。わたしが覚えてる懐かしいアパートの部屋は、そういう経緯で住んだ仮の住まいだった。
いまでもお正月に実家のお寺に行くけど、できることなら二度と行きたくない。
長男なのに男の子でなかったもんね、と言われるのが、本当に嫌なのだ。
親戚のおばさんたちが、憐れむように、蔑むように言って「ああ、違うのよ。そういう意味じゃないの」と付け加えるのが、本当にイヤ。
お父さんは住職になれない。
だから、浄土真宗がどういうものかを大学で教えている。講師という立場はえらいのか偉くないのか、わたしにはよくわからないけど。
でも、そもそもお坊さんなのに、どうしてアダルトDVDやアダルト漫画をたくさん持ってるの? お坊さんってそういう欲はないんじゃないの?
そんな疑問をママに投げかけたら「そうだとしたら、リンは生まれてないでしょー」とはぐらかす。そういうことを聞きたいんじゃないのに。
ママは大手の保険会社の総務課長で、いつも夜遅くまで帰ってこない。
だから、うちはお父さんが主夫みたいなことをしている。
そういう家庭環境からも思うけど……本当にチグハグなのだ。
しばらくベッドの上で突っ伏して、息苦しくなって、身を起こした。
階段を下りて、リビングに入り、あの忌々しい書籍棚を睨んだ。薄い布で目隠しされた桃色の園は、開け放たれた掃き出し窓から入ってくる淫靡な風によってちらりちらりと情欲の色を滴らせている。
「おう、なんだ、帰ってたのか」
細身で背の低いお父さんはわたしを見つけるなり、そう声をかけてきた。
目じりの下がった、いつも穏やかそうなお父さんの姿。
そんなお父さんが、この薄布の向こう側にあるアイテムを使ってなにをするのか。それを考えただけで吐き気がする。
「なにしてンの」
「庭の掃除だよ。お昼ごはん、準備してないから店屋物を頼もうと思うんだけど、なにが食べたい?」
「別に、なんでも」
反射的に、ぷいと顔をそむけてしまった。
それでもお父さんは笑顔を崩さない。
「学校、もう終わりだな。夏休みは旅行に行くだろ?」
茨城とか山梨で、いい宿があったんだよ。お母さんと話してな、そこにしようって昨日の夜に相談してたんだ、と楽しそうに喋っていた。
そんな能天気なお父さんに、コンドーム盗んできた、逮捕されるかもしれない、と言ってやろうかと思った。
でも、言えなかった。
わたしがずっと黙っているものだから、お父さんは「どうした?」と首をかしげて掃き出し窓に腰かけた。
「その本棚、処分することにしたから」
ぽつりと言ったお父さんに、わたしは「えっ」と顔を上げる。
「庭にな、物置を買おうと思って。その物置の中に、そういう本とかDVDをしまうんだ。それ以外にも使ってないミシンとかあるだろ。そういうの、整理しようって母さんとな」
お父さんの発言に引っ張られるようにして、わたしは聞き返す。
「なんでこんなの、持ってるの。お母さん、なんでなんにも言わないの?」
「ただのスケベ本だと思ってるんだろ?」
「ただのスケベ本じゃん」
わたしの反論にお父さんは顔を振った。
「最近な、亡くなったんだよ。ひとり、作者が」
「なんの?」
「その本棚にある本の作者だよ」
お父さんは悲しそうに顔を振る。
「ああいう本ってのは、あんまり表に出ないだろう? でも、作者の環境はひどく厳しいんだ。そんなにもうからない。けれども、普通の漫画家さんみたいに締め切りがある。販売部数は少ないけれども、実用性が求められるから、そのぶん完成度のハードルも高い」
そこで言葉を切ってお父さんはじっと本棚を見つめた。
「結婚もせず、ただひとり、四十六歳って若さで、仕事場で死んでたんだってさ。小さなワンルームの隅っこで」
不遇だよなあ、あんな素晴らしい作品の作者が、そんな亡くなり方って……。
お父さんはそう言ってため息をついた。
「もともとは母さんの持ち物だったんだよ、それ」
「えっ、そうなの?」
「そうだよ。母さんは美大の出身だろ? 父さんもよくわからないけど、骨格とか腱とか筋とか、人間のパーツを描いたり作ったりするのに、資料として使ってたんだ。それだけ古い時代から描いてる作者さんたちばっかりなんだよ」
ふつうの人から見ればただのスケベ本だけど、母さんから見れば美術的価値のある資料なんだ。
「じゃあ、こっちのDVDは?」
「動画資料だよ。こっちとしてはこっ恥ずかしいけどな。出演してるセクシー女優の人たちだって、いろんな事情があって出演してるんだ。でも、プライドを持って仕事をしてる。そういうのがわかるとバカにできないし、恥ずかしがることも違うように思うんだ」
わたしは薄布をめくって背表紙にある淫語のタイトル、そしてなまめかしいポーズを決めるセクシー女優の姿を見た。
芸能界や映画界で活躍している俳優や女優でも、セクシー女優のような演技はできないのかもしれない、とわたしは思った。
セクシー女優はセクシー女優としての演技をしている。その役になりきっている。
そう考えると、この淫乱なポーズを決めている女優さんが、一流の役者のように思われた。同じ列にならぶアダルト漫画も、作者が奮闘して描き続けた結果である。なかを読む気にはなれなかったが、ひとつのことに打ち込んで、それに特化して、こうして形として残すことができている。
中途半端なわたしなんかより、この人たちのほうがずっとずっと立派じゃん。
「これ、倉庫に片付けなくっていいんじゃない?」
自分の発言にわたし自身が驚いてしまった。
「でも、すっきりするぞ。リビングがちょっと広くなるし」
「昔からここにあるんだし、そのままでいいんじゃないの?」
わたしはぶっきらぼうに言いながら本棚の背表紙をじっと見つめた。
変なタイトルばかりなのに、わたしじゃ絶対に思いつかないタイトルばかりだと思った。たぶんこれらを作っている人たちは、その道に本気で打ち込んでいるのだ。
環境省から表彰された先輩みたいに、まわりからなんと言われようとも自分がやりたいことをずっとずっとやっている。それが報われるかどうかは、たぶん別の問題なのだ。
ただのスケベ本に見えるかもしれないけれども、その裏側にはなにかひどく情熱的な強さのようなものを感じた。
わたしは「お昼はなんでもいい」と言って部屋へ上がった。
放り投げたカバンを手に取って、不出来なテスト結果を引っ張り出した。
「まだ高校二年生だし、あがくだけあがいてみようかな」
アリサはアリサなりの高校二年生を送ろうとしている。
なら、わたしはわたしなりの高校二年生を過ごそう。
たぶん、わたしの高校二年生には男性用避妊具は必要ないかもしれない。けれども、今後の人生のどこかで、それが必要になる時が来るのだろう。
それまでは、あのセロファンで梱包された箱は机の奥に押し込んでおこうと思う。
翌日、終業式を終えてアリサから「遊び行くけど、今日はリンも来るでしょ?」と半ば強引に誘われた。
わたしは結構簡単に「いかないかなぁー」と断ることができた。
そのとき、アリサは「えっ?」とも「はっ?」とも違う反応を示したけれども、たいして気にはならなかった。
このままでいいのかな。
そういう迷いは、どこかに消えていた。
これでいいんだ。
そう思える自分が、ちょっとだけ見つかったような気がする。
そのちょっとを見つけられただけでも、今年の夏はすごくいい夏になりそうな気がした。
自分なりに頑張ろう。
誰かと同じでなくてもいいんだ。
そう前向きになれたのは、あの本棚のおかげだったのかもしれない。
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