朱の室に眠る
衞藤萬里
朱の室に眠る
数日前の大雨の余韻がまだのこっていた。土や枯葉はしっとりと水気をふくみ、木陰はひんやりとした空気をかかえこんでいる。鳥の声はたえず響き、風が梢を鳴らす。
シイやカシの雑木の山であった。
森井と山下はいわゆるローム層と呼ばれる鮮やかなオレンジ色の地山を切りとおした山道を、無粋なエンジン音をたてながらバックホウとキャリーを自走させていた。キャリーに乗る山下が、幅ぎりぎりだわぁと笑う。
社長宅の裏手の山が大雨で崩落したので、土砂を撤去するように云われてやってきた。会社が請け負った圃場整備の工事は順調で、ふたりが数日現場を抜けてもさしつかえない。
山道の一角に土砂が流れこみ、完全にふさいでいた。
「森井さん、どがんねぇ?」
「土砂ば捨てに往復せんとでけんけん、今日中に終わるかのぅ?」
森井は首をかしげるが、特に今日中にやってくれとは云われていない。二日はかかりそうだとふたりはふんだ。
若い山下がヘルメットをかぶりなおす。
森井もバックホウによじのぼり、再度エンジンをかける。静かな雑木の林に、機械音が響きわたる。
森井は熟練のオペだ。キャリアも長い。その日操作していたのは、コンマ一㎥サイズの小型な機械だ。自分の手足のように自在にバックホウのアームを樹の枝を無暗に折らないように器用に旋回させると、山道をふさいでいる土砂をバケットですくいあげる。山下がキャリーを寄せる。慣れた手順だ。
数回の掘削でキャリーはいっぱいになると、山下は会社の土捨て場へ排土に行く。それを何度か繰り返す。
昼に近い頃合いだった。
バケットが、硬い音をたてた。森井が手を止め、バックホウから降りる。バケットの動きを妨げたものの表面の土をはらう。
巨石だった。まだなかば土中だが、厚みのある平石は畳一畳ぐらいはありそうだ。
平石の縁の土を払い落とした森井が眼をむいた。
* * *
古くて立派な日本家屋だった。梁も柱も太くあめ色につやがあり、長い時間をかけて建具のすみずみまで使いこまれていた。
あけ放たれた縁側から、広大な日本庭園が見える。ヤマボウシやヤマコウバシが塩梅よく配置され、屋敷は周囲の山々や竹林に浮かんでいるようだった。
風が抜けていく。
客間は十二畳敷きの広さだった。床の間には墨書の掛け軸がかかっており、紅葉しはじめたイロハモミジと小さく黄色い菊花が活けられている。
黒光りする卓をはさんで、太田社長と岡田が向かいあっていた。先崎さんと後藤君は岡田の両脇に着座していた。
「わざわざおいでいただき、申し訳なかですな」
太田はえらの張った顔立ちで、建設会社の社長にふさわしく申し訳ないと云いつつも、いかにも押し出しが強そうだ。
「県議の前田先生のお声かけということですので、ご相談がおありとのことですが?」
如才なく答える岡田は、遺跡の発掘を請け負う会社の調査部長である。
「あれ、見なはったですか?」
「先ほど、会社の方に案内してもらいました」
「で、どがん思いなはったですか?」
太田はやや前のめりになり、声をひそめる。
「古墳だと思います。今から千五百年ほど前のお墓です。塚に巨石で部屋を作って遺体を安置しました。見えている石はおそらくその一部です」
「そがん、大きくはなかったでしょうが」
「丘陵に沿って造られています。山道を敷いた際に削ったので、原形を留めていないのではないかと思います。のこっていたら十五mぐらいはあるでしょう」
十五mというサイズは、太田はぴんとこなかったようだ。
「あれ、どがんかならんですかの?うちの敷地にあげなもんがあったら迷惑ばい」
「壊すということですか?」
岡田の言葉に、太田は渋い顔でうなずく。
古墳――すなわち遺跡は、文化財保護法で国民共有の財産として護られている、建前は。
遺跡が見つかったら、速やかに届出なければならないと法にはうたわれているが、ばか丁寧にそれを守る土建屋などいない。
その一方、彼らは意外にゲンをかつぐ。
隣県では工業団地造成の際、人骨の入った甕を重機で打ち割ったオペレーターが現場で心不全で命を落とし、地元新聞がそのことをスッパ抜き、造成工事自体が中止となったとのまことしやかな噂話もある。
遺跡は祟る。それが土建屋たちの間での、暗黙の認識である。
実際、掘りあてた森井は、壊すのはごめんだと心底いやそうな顔をした。
「そや。おたくらプロだろうが?おたくらが大したもんじゃないて鑑定すれば、壊しても差支えなかろう」
「鑑定?そんなことはできません」
「おたくら、調査会社だろうが」
「判断する権限は教育委員会です。市に届けるのが筋です」
「役所に知らすっと、保存しろとか云うにきまっとる。おたくらは鑑定してもらえばそれでよか」
「いくら前田先生が間に入っているからと云っても、それはできません」岡田は首を振る。「うちは発掘を請け負うのが商売です」
「何も不正しようということじゃなか。大体うちの土地ぞ」
いらだたしげに太田社長。
「それは通用しません。表ざたになったらまずいことになりますよ。壊すための根拠を示せということでしたら、ご期待には沿えそうもありません。他のどの業者に訊いても、答えは同じだと思います」
「駄目か?」
「無届で壊すのは法にふれます」
太田は腕を組み、苦い顔でしばらく黙りこんだ後、納得いかなそうに口を開いた。
「母がな、先代だが――」云いなおした。「あれ、のこしておきたいと云っとる。あれはうちの先祖の墓だとか云うてな、そこんこつ、はっきりさせたい」
先崎さんと後藤君は眼をむいた。さっきまで何て云ってた?岡田も意外そうな顔をしていた。
「云うことを聞いてやらんわけにゃいかん。処理でけんと云うなら仕方んなか。だがな、行政に任せるとろくなことはない。あやつらは自分たちは銭は出さんくせに、口ばっか出しよる」
「古墳を調査されたいということですか?」
岡田が念押しする。
太田はうなずくと、仏頂面を庭に向けた。そのような態度をとっていると、粗野ではあるがさすがに市内大手の土建屋の親分と云った貫禄はある。
そのとき、縁側できぬずれの音がし、着物姿の老女が姿を現した。太田社長の隣に腰をおろす。
「お越しいただいて、顔も出さずに出さずに失礼ばしました。太田絹代と申します」
この人が古墳の調査を望んでいるという先代かと、先崎さんは思った。
髪は真っ白で、眼元も口許も年輪のようなしわが、みっしりと刻まれているが、すっきりとした細面で、若いころはさぞ凛とした美人だったろうと思わせる。背筋がぴっと伸び、そのような所作が身についているたたずまいは、先崎さんが思わず見惚れてしまうほど気品があった。
正直、息子である社長と血のつながりがあるとは思えなかった。
「俺が話つけると云うたろうが」
太田がきまり悪げだ。
じろりと息子をにらんだ視線から、この社長、自分たちが来ていることを知らせずに、あわよくば壊してしまう方向に話を持っていく腹だったではとうがってしまう。
「裏山は代々うちの墳墓の地なんですよ。先祖が眠る古墳があると云い伝えだけはあっとったんですけど、本当かどうかずっとわからんままでしてねえ。私が生きとるうちに、はっきりさせときたいと思いましたけん、息子に無理を云ったんですよ」
絹代婆さんが説明をする。
「そういったご事情ですね」
納得がいったような岡田はしばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「提案があります。古墳のことは知らなかったことにして、そちらの方で裏山の崩落を処理していて、うちが測量の委託を受けていて、そこで偶然発見したことにしてはどうです?」
「何か違うんか?」
と太田は首をかしげる。
「工事中に偶然見つかったということにして、うちが調査をして記録をとります。行政にはその後報告します。反則すれすれですが」
「役所が面倒なこと、云いださんな?」
「壊さずのこしておくなら、何も云わないでしょう。古墳ものこる、記録もとれる、法にもふれない。一番すっきりするやり方だと思います」
岡田の言葉に、太田は考えこむ。
「で?調査にはどれぐらいかかるもんな?」
「調査員は出しますし、機械も入れます。うちも商売ですから規定の料金はいただきますが、作業員はそちらから出してもらえば、人件費は別にかかりません。大した額にはならないと思います」
岡田はおおまかな数字と期間を口にする。太田は結構かかるなと渋っていたが、最後には受け入れた。
「うちからはこの先崎と後藤を出します」
紹介されて、ふたりは頭を下げる。
ふたりとも大学で専攻した後、発掘調査を請け負う今の会社に入った。
現場一筋の証であるよく陽にやけたかんばせはの先崎さんの容貌は、自己評価ではなかなか、他人の評価はまあまあといったところ。
後藤君は彼女より三年後輩のぎりぎり二十代。ひげの剃り跡の濃い顔立ち。身長は百八十㎝を越え、重さは先崎さんの倍近く、よく柔道部かラグビー部かと間違えられる。
「あら、女の人も?よろしくお願いしますね」
先代はそう云って、もう一度ふたりに深々と頭を下げた。
* * *
山道の右手――左手は下に屋敷の瓦屋根が見える――の一角が問題の場所だ。
シイやコナラが幹を伸ばすなだらかな斜面が、そこだけが盛りあがっている。雑木林の中の一mほどのわずかな盛りあがりで、古墳の塚かどうかと云えば、先崎さんたちでもそのような視線で見て初めてうなずけるぐらいだ。墳丘の土は、少しずつ流れてしまったのだろう。言い伝えがあったにしても、見つからなかったわけだ。
山道はどうやら主体部ぎりぎりを削ったようだ。森井が除去しかけの土砂から巨石がのぞいている。
「こんな風に石材が見えてるってことは、主体部は生きていない可能性が高い」
「盗掘にあってるかもしれないし、あまり期待できないけど、副葬品ぐらいは見つかるかもしれませんね」
まずは、わずかにのこる墳丘の現状を測量する。
先崎さんと後藤君は、トータルステーションとレーザースキャナーをすえて等高線測量と三次元測量をおこなう。一度データを取りこんでしまえば、あとは会社でデータおこしをするだけだ。
古墳の測量と云えば、昔は平板を使っていた。三脚にすえた平板で、方向と距離を縮尺して方眼紙に実測していくのだ。一回では終わらないので、何度も場所を変える。人手もいるので、何日もかかった。今は機械を使えばあっという間だ。
先崎さんも後藤君も、もう平板なんて使ったこともない世代だが、週末を利用して有志で古墳の測量会などをやっていた時代も、かつてはあったらしい。
牧歌的だと先崎さんは思う。
「あの社長、なかったことにしたかったみたいだけど、絹代婆ちゃんがのこしたがってるみたいね」
機械の計測を見守りながら、先崎さんは話を変えた。何となく絹代婆ちゃんという呼び方がしっくりする。
「墳墓の地って云ってましたね、でも古墳時代までさかのぼるのは無理ですよ」
と後藤君は答える。
目視できるかぎり、墳丘の残存は五mほどだ。これに墳丘周りの溝があるかもしれない。墳丘の頂部から周溝の存在を想定して裾まで、状態のよさそうな箇所でトレンチと呼ばれる試掘溝を設定する。今回は同時に石材が露呈している個所も併せて掘削し、主体部の確認をすることになる。
翌日からは人手の作業へ移る。
移植ゴテやスコップを使い、トレンチの掘削。掘った土は手箕でキャリーに捨て、いっぱいになると下の排土場へ往復する。
太田建設からの作業員は六人ほどだ。森井と山下もいた。普段は機械を使って大規模に掘ったり埋めたりばかりしている彼らは、発掘調査のちまちました作業にあきれた様子だった。
初めての作業で、やりかたのわからないおっちゃんたちに要領を教えるのに、ふたりは忙しい。
「駄目、そんなにがばがば掘らない!」
「薄く削るように。掘り上げたら駄目、たてに切るように」
「何か出たら、必ず声かけて」
「こがなことしとったら、何日たって終わらせんで」
「発掘ってのは、そういうもんなの!」
それでも慣れてくると、おっちゃんたちも楽しくなってきたのか――
「姉ちゃん」
作業服姿の先崎さんの尻を撫でる者も出てくる。
「触るな!」先崎さんはおっちゃんの頭を張る。「それより、まじめに仕事せぇ!」
「尻たい尻たい、おなごの尻はこれぐらいでちょうどよかたい」
「どがんなっとんじゃ、あんたらの会社のコンプライアンスは!」
「おなごもおらん現場で、そがなもん意味あるか」
「いばるな!」
「やる気出らんって。お宝見つけたら、姉ちゃんごほうびくれるげな?」
「やるか!きりきり働け!」
「先崎さん、大人気ですね」
後藤君は大笑いだった。
最初に先崎さんを見て、おなごが現場監督かぁなどと無神経に云っていたおっちゃんたちも、すぐに云うことを聞くようなった。根は単純で人は悪くないのだ。
土砂は墳丘の覆土と思われるので、遺物はほとんど出土しない。それでもまぎれこんだのか、祭礼用の須恵器の小片などが時折見つかることもある。
ただ掘るだけではおもしろくないが、物が出土しはじめると、おっちゃんたちも宝探しの気分になるようだ。
「後藤さん、これなんな?」
「須恵器と云って、古墳のお祀りで使った土器。さっき出た普段使いの土師器とは違って、色も違うし硬く焼きしまってるでしょ」
「あぁ、ほんとばい。きんきんしとる」
「坏と云うお碗みたいなものですよ。その縁の部分」
「ほぉ~」
後藤君の説明を聞いて、素直にうなずいてもいる。
「で、これ完全な形だったら、売ったらいくらぐらいするもんな?」
「金の話すんな!」
反対のトレンチから、先崎さんの怒った声が聞こえる。
「あの姉ちゃん、すぐ怒りよるな、あんたも大変やて」
「聞こえますよ。売ったってたいした金にはならないですよ」
昼時分になると、下の屋敷から声がかかる。ふたりに昼飯まで提供してくれるというのだから、いたれりつくせりだ。
山道からそれて石段を下り裏木戸をくぐると、屋敷の裏庭だった。大回りせずにすむので、遠慮なく通ってくれとのことだったのでありがたい。
汚れた作業服姿なので、土間のテーブルで頂戴するが、太田社長の奥さんと息子嫁が給仕ついでに、世間話をしていく。
そこでいろいろと内情を耳にした。
社長宅の裏手の山はすべて敷地らしい。江戸時代から代々の豪農だったらしく、明治維新や敗戦後の農地解放などで農地や山林の多くは失って、今は屋敷と敷地のみとなってしまったらしい。それでも驚くほどの広さだ。
絹代さんは家付きの娘だった。
「気丈な義母でねぇ、婿養子だった義父がはじめた会社も、あの人がいたけんここまで大きくなったんよ」
社長の奥さんがそう語る。絹代婆ちゃんや押し出し強い社長にくらべると、この人も息子嫁も影が薄い印象だ。
「今じゃそこそこの会社になったばってん、それまではずいぶん苦労もあったらしかよ。義父もわりと早く亡ぅなって、主人もまだそこまで貫目なかったけん、その分義母が長いこと会社も取り仕切りなはったんですよ」
「お義祖母さんも、昔は女傑なんて云われとったらしかですけど、最近は身体ん調子ば、おもわしゅうのうなって」
「うちの人も、お義母さんが元気だったころにゃ頭ん上がらんかったばってん、このごろはまぁ、すっかり調子づいてしもてねぇ、お義母さんの云うこと、聞こうともせんとですよ。ここだけの話、最近は業績も芳しゅうのうなってねぇ……」
「はぁ、そんなことあるんですねぇ」
お茶を飲みながら、後藤君が如才なく相槌をうつ。
その日、昼食が終わって現場へ帰る途中、離れのわきを通ったときだった。離れは絹代婆ちゃんの隠居部屋だ。
「おふくろの時代とは、もういろいろと違うんや」
離れから太田社長の声が聞こえた。地声が大きいので、よく聞こえる。受け応えをする絹代婆ちゃんの声は、ほとんど聞こえない。
「いつまでも口出しするのはやめてくれ。これからは俺が会社を護っていかな、ならんのやぞ」
先崎さんと後藤君は、思わず顔を見合あわせた。
「おふくろが持ってる株も、早ぅ譲渡してくれ。相続と贈与、どちらが得かぐらいわかろうもん?あんたももう歳なんだけん、俺に従ってもらうで」
屋内で、退室する気配があった。ふたりはとっさに低灌木の陰に身を隠した。
社長が乱暴に引き戸を開け、渡り廊下をどすどすと脚音をたてて主屋へ去っていった。
「この仕事してて、リアル『家政婦は見た』に遭遇するとは思わなかった」
「あたしもだよ、君」
ふたりがささやきあっていると、不意に窓の障子が開かれ、しゃがんだままのふたりは逃げる間もなく絹代婆ちゃんと眼があった。
ばつの悪い顔になってしまった。
「あら、みっともないの聞かれてしもたねぇ」
腰をおろしながら、絹代婆ちゃんは苦笑いする。ひょっとしたら寝こんでいるのかとも思っていたけど、そのような様子はない。それでも人の最晩年のものさびしさのようなものが、室内にはただよっているようだ。
「すみません、聞くつもりじゃ……」
「息子、できがいまいちなんやけどねぇ……」絹代婆ちゃんもきまり悪げだ。「老いては子に従えちゅうから、心配じゃあるばってん、代替わりしたからもう仕事にゃ口出しはせんつもりやったけど、ついつい……女がでしゃばると、ろくなこつにはならんねぇ」
「そんなことないですよ」先崎さんが立ちあがる。「古代は女が采配することによって治まってたんです。『魏志倭人伝』にも卑弥呼の死後、国が乱れたんで壱与を女王として治まったってあって、女性の地位は高かったんです」
日本神話で登場する神格は、多くが女性であることをみても、古代の女性の立場は決して低くはない。それを裏付けるように、全国で見つかる古墳内に安置された人骨は女性であることも珍しくない。
「昔の女の人は立派だったげな」
「近代以降ですよ、女性の地位が貶められたのは。古代は男も女も、協力しないと生きていけなかったんです」
「先崎さんもよう勉強してたいしたもんね、私にはもう無理や」
絹代婆ちゃんは困ったように笑い、裏山へ眼を向けた。
「あれも、息子はなかったことにせぇって、ずいぶん云っとったばってん、私が何とか調べるだけは調べてはいよってお願いして。最後のわがままばい」
自分たちより、ずいぶんたくさんのことを経験しているであろう絹代婆ちゃんの言葉はずしりと重かった。
そう云われてしまうと、先崎さんも何も云えない。
「何かおもしろくないなぁ」
裏木戸を乱暴に閉めながら、先崎さんはむくれている。
「社長、えらく横柄でしたねね」
おっちゃんたちにそれとなく訊いてみると、先代の絹代婆ちゃんの人気は高い。頭を押さえつけられていた今の社長は、それまでのうっ憤を晴らすように、最近やたら威張っているとのことだった。
「これまで家を護ってきた絹代婆ちゃんに対して、何だよあれ。女がいなけりゃ何もできないのに、男は全部自分が仕切ってるつもりになってさ」
「それは暗に俺、非難されてるんでしょうか?」
「一般論。とにかくあの社長、くっそう腹たつなぁ。重文クラスのブツを出して、裏山一帯国指定にして出入りできなくしてやろうか」
「先崎さん、絹代婆ちゃんのこと、えらく気に入ったみたいですね」
「あたしはお婆ちゃんっ子なの!」
掘削をはじめて七日目のことだった。
主体部の石材の上面がほとんど露呈し、様子がわかってきた。どうやら畳一畳分ぐらいある大きい天井石が斜めに崩落し、地表で見えていたようだ。やはり周縁は加工されて面取りされていることがわかる。
石室四周の側壁はまだよく見えていない。壊れているのかどうかは、周辺の覆土を取りのぞいていけばわかってくるだろう。
石材わきを掘っていた森井の移植ゴテが、ざくっと軽くなった。コテの先は真っ暗な空洞だった。
「ストップ、ストップ」
気がついた先崎さんがのぞきこむ。
天井石が斜めに滑り落ちて、側壁との間に土砂がかぶらない隙間を作りだしていた。
暗い。
スマホを取りだし、ライトで中を照らす。
その後ろから、後藤君とおっちゃんたちも首をのばす。
先崎さんと後藤君が息をのんだ。おっちゃんたちも小さな声をあげた。しばし、みんな無言だった。
「……誰か、屋敷に行って、絹代婆ちゃんを呼んできてもらえる」
緊張を隠しきれず、先崎さんはそう云った。誰かが屋敷へ駆け降りていく気配があった。
……やがて、山道を絹代婆ちゃんの細い身体が登ってきた。たまたま屋敷に戻っていた社長と息子もいっしょだった。
絹代婆ちゃんが来るまでに穴を広げ、後藤君がカンテラを準備しておいたから、中の様子ははっきりとわかる。
先崎さんが黙って場所をゆずった。
痛いほどの沈黙に、一同はとらえられていた。
絹代婆ちゃんが、中のありさまを凝視し、そのまま長いこと動かなかった。
かたまっていた眉がきゅっと寄せられ、一瞬泣きそうな顔になったが、それを我慢するように唇がかみしめられた。
天井石が崩落していたが、それでも奥壁を含めて半分は無事のようだった。
側壁に朱で同心円や鋸歯の文様が描かれた石室内に、その人物は眠っていた。おそらく、およそ千五百年前からつづくやすらかな眠りだろう。
区切られた屍床に、肉をとうの昔に失ったのであろう、仰向けに横たわったままの位置関係で人骨があった。
砕けかけたあばらが重なり、骨盤らしき部位もわかる。
腕や脚の思いもかけぬ長さ。
そして――かすかにこちらを向いている頭骨。その眼窩は、ときを超えて自分の前に現れた彼らを見すえて深遠だった。千年以上を閲してきた深淵だった。
無言で凝視していた絹代婆ちゃんの瞳から音もなく涙が流れ、両掌が静かにあがり、胸の前で合わせられた。絹代婆ちゃんの頭が深々と下がる。その所作は、胸をうつ美しさだった。
絹代婆ちゃんに倣うように、ひとりまたひとりと、掌を合わせ頭を下げる。社長もその息子も、魂をぬかれたように手を合わせていた。
誰も何も云わなかった。
西陽が樹々の間からそそぎ、浄めるように石室内を照らしだしはじめた。
しんとした林の静けさの中、その一幕は皆の心に染みとおる朱の清らかさがあった。
* * *
「お久しぶりです」
隠居部屋に通された先崎さんと後藤君が頭を下げる。絹代さんは孫を見るような表情で微笑する。
「いろいろわかりましたので、ご報告をと思いまして」
「私にはむずかしいことはようわからんけど、大変だったみたいね」
先崎さんは苦笑して、ちろっと舌を出した。
彼女たちが調査した古墳は、間違いなく六世紀後半代の円墳だった。それも装飾古墳だ。
「ヴァージンでしたよ」
先崎さんがにやっとして云い、隣の後藤君が顔をしかめてひじでつついた。つまり、未盗掘だった。
新たな遺跡に認定された。
市や県の教育委員会からはかなり文句を云われたが、現状を荒らさずに記録を取っていたため、土砂を撤去していて見つかったということにしてくれたようだ。本当ならぎりぎりアウトですよと、他にも何か云いたそうだった旧知の市の担当者が後でこっそり耳打ちした一言に、先崎さんも後藤君も首をすくめた。
石室内の装飾や副葬品、そして人骨まできれいにのこる古墳は珍しい。
新聞やテレビにも登場し、話題になった。太田建設は自発的に古墳を保存するつもりとのことで、思いがけず株を上げたらしい。
「大学の先生に依頼しはったんでしょう?」
「人類学の先生に埋葬されていた人骨の鑑定を依頼しました――女性でした」
「そのころ、女の人の王がおったと?」
「いました。女性天皇もいましたよ」
「そうか、あの人は女領主だったとばいねぇ」
絹代さんは感心したようだった。
「でも絹代さんの先祖かどうかというと、それはやっぱり、ちょっと……」
「そがな風に云われとるけど、そりゃそうでしょうねぇ。うちだってさすがに千五百年も前からこの土地に住んどったわけじゃなかでしょ。それでもうちの敷地にあるのも何かの縁ばい、大事にするように嫁や孫嫁にも云っておきましょ」
その表情は離れのわきで話したころとは違い、強い光を放っているように見えた。
「昔の女は立派だって、先崎さんが云ったこつな、後からしみじみ考えてみたんよ」
絹代婆ちゃんはちらと主屋に視線を向けた。
「お墓に眠っていたのは女領主でしょ?あれ見たらな、おなごがしっかりせんと家ば守れんて云われた気分だったとよ。これまで息子をたててきたつもりだったけど、あまりよかごつじゃなかったばい。男なんかに任せちゃおれん。息子も嫁も孫夫婦も会社も、まとめて鍛えなおしてやらんと、私は死ぬに死ねんばい」
絹代婆ちゃんは、本当に楽しそうに力強く笑った。
「はいそうです、男なんかに好き勝手させてちゃ駄目ですよ」
そう云って、先崎さんもおかしそうに笑った。後藤君は肩をすくめた。
* * *
女性解放運動家、反戦平和活動家として知られる平塚らいてうは、雑誌『青鞜』の創刊号に寄せた発刊の辞で、こう述べている。
「元始、女性は太陽であった」――と。
(了)
朱の室に眠る 衞藤萬里 @ethoubannri
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