祈りを捧げる君を

小鳥遊 蒼

堕ちた神の想い人

 お願いします。

 どうか、どうか弟を助けてください——————


 その夜、心の中で何度も、何度も繰り返したその言葉に、誰かが答えてくれた気がした。


***


 朝はどうにも、せわしない。


かける、あたし先に出るよー!」


「え、ちょっと待って…」


 翔は時計を確認すると、食べかけていたパンを口の中に押し込んだ。

 家を出るには、いつもより早い時間に、何か用事でもあるのだろうかと、翔は焦りながらも思考はしっかりとしていた。


 先に出たはずなのに、身長差に起因するのか、元々の歩みがゆっくりしているせいなのか、まだその姿を視界に捉えることができた。






 うちは丘の上にあった。

 毎日、急な坂を降りて、公道の通学路に出ないといけなかった。

 それを苦に思ったことはなく、坂道をくだりながら、考え事をするのは楽しかった。それに、いつもではないけれど、との遭遇もあった。

 そう、例えば白い蛇とか……—————


「……白い蛇?」


 美琴みことはそこで足を止めた。

 家を出て10mほど坂道を下ったところで、美琴の目の前を蛇が横断していた。それは珍しくも真っ白な体色をしていた。

 まるで神の遣いみたいだ—————美琴は心の中でそう思った。


 美琴はが通り過ぎるのをその場で見守った。

 その綺麗な白に、その珍しさに、見入っていたのかもしれない。

 すると、その神の遣いは美琴の方にを向け、それを上下に動かした。その動作はまるで会釈をしているように見えて、美琴は大変感動していた。


「わぁ! 挨拶してくれたのかなぁ?」


 美琴はしゃがみ込むと、そのに返答するかのように、お辞儀をし、口を開こうとした。

 その時、突然————本当に突然、どこからともなく、目の前に人が現れた。その人は、神の遣いと同じく真っ白な面様おもようだった。その肌、髪の色だけじゃなく、身に纏っている衣服においても、その全てが真っ白だった。

 その異様さもさることながら、着ている物も、何とも言い表しようのない奇怪さを帯びていた。


「美琴、やっと会えたね」


「? えーと……どこかでお会いしたことありましたっけ?」


 美琴は全く身に覚えがなかった。こんなに珍しい人、見たら絶対に忘れそうにないので、とても不思議に思った。

 それでもやはり、美琴の記憶には入っていなかった。

 しかし、その人はそんなこと気にする様子もなく、にご苦労様、とねぎらいの言葉をかけていた。


「あの……「美琴!」


 名前を呼ぶ声に、美琴は後ろを振り返った。その声もそうだけれど、なぜかその声の主は焦ったように走ってこちらに向かっていた。


「何か用ですか」


 翔は美琴に追いつくと、腕を引き、隠すように自分の後ろに美琴を回した。

 先ほどとは打って変わって、その声色は怒気を含んでいた。


「何だね、君は。私は美琴と話しているのだ。感動の再会を邪魔しないでくれるかな?」


 その言葉に、怪訝そうな表情を浮かべながら、顔だけ美琴の方に向けると、知ってる人かと訊ねた。

 美琴はやはり思い出すことができず、首を傾げる。

 その行動は、翔の警戒心を増長させるには十分だった。


「ナンパなら他をあたってください」


 翔は掴んでいた腕を引くと、その場を立ち去ろうとした。けれど、後ろから力が入れられ、仰け反った。


「翔、ちょっと待って」


「……かける……?」


 目の前のその人は、翔の名前を聞くと、その名前を繰り返し呟きながら、何やら考え込んでしまった。自分の名前を呼ばれているからなのか、翔は訝しげな表情を崩さない。

 一刻も早くこの場を立ち去りたいのか、掴んでいる腕の力が強まった。


「…あぁ、そうか。思い出したぞ!」


「?」


「翔は美琴の弟君おとうぎみだな。そうか、きみがあの時の人間か」


「は?」


 翔は、その胡散臭い人物と関わりたくない気持ちが増していた。本当に今すぐ立ち去った方が身のためだと、本能がそう言っていた。


「もしかして………うさぎ、さん…?」


 美琴が急に口を開いたかと思うと、その怪しい人物は嬉しそうに目を見開いた。


「美琴! 思い出してくれたのかい」


「何、美琴知ってるやつなの?」


「翔は、美琴に感謝をするべきなのだよ」


 美琴に話しかけているのに、その間に入ってくる言葉に、意味がわからないことを言うこの人に、翔のイライラは止まらない。


「あのね、翔。翔の病気を治してくれたのは、うさぎさんなの」


「は?」


 美琴は超がつくほどの天然ではあるけれど、これほど理解できないことは今までない。

 イライラしすぎて、自分の思考力が落ちているのだろうか。


「美琴、説明してもらっていい?」


「あー! 用事あるんだった! 急がないと、ひぃちゃんに怒られる」


 美琴は翔の手を離れると、今にも駆け出していきそうな足を止め、“うさぎさん” と呼んだその人に向かい合った。


「うさぎさん、また会えますか?」


「もちろんだよ」


 その返答に、嬉しそうに笑うと、美琴は今度こそ本当に走って行ってしまった。

 何一つ理解できていない翔は、美琴がいなくなったこの場にいる理由もなく、何よりもう一秒たりともここにいたくなかった。なので、その人を一瞥すると、美琴を追いかけるように駆け出した。



 ***


「美琴」


 HRが終わると、翔は一目散に美琴の教室へと向かった。

 一つ上の学年のフロアに行くのは、少し憚られたけれど、そうも言ってられない。

 朝、聞きそびれてしまった話の続きが気になるというのも一つだが、今朝のあの怪しい人物がまたいつ現れるか、気が気じゃなかった。


「どうしたの?」


「一緒に帰ろう」


「おや? 翔少年じゃないか。相変わらずイケメンだね」


「ひかりさんも」


 相変わらず男前な彼女に軽く挨拶をすると、美琴を預かってもいいかと訊ねた。

 おそらく何かしらの約束があっただろうに、誰よりも大人なその人は、快く美琴を譲ってくれた。

 美琴は二人の会話に入っていけず、あたふたしていたけれど、翔は気にする様子もなく、ひかりに会釈すると帰路についた。


 ————————————————————

 ————————————


 高校から家までは徒歩30分程度で、その三分の一は急な坂道で構成されている。

 大通りから一本、右に入ると、およそ10分のが始まる。

 その入り口に立った時、翔は口を開いた。


「聞いてもいい?」


「ん?」


「今朝のあれ、誰?」


「? ……あ、うさぎさんのこと?」


 その呼び方に、翔の眉が動いた。


「うさぎさんはね、神様なの。翔を助けてくれた恩人なんだよ」


 美琴は楽しそうに、よくわからない話を繰り広げていた。

 期待していたわけではないけれど、これでは何のことかさっぱりだ。


「美琴、ちょっと落ち着こうか。まず、神様って何?」


「神様は神様だよ。神の遣いの白蛇さんもいたでしょ?」


「白蛇?」


 また何を言い出すのかと思えば……

 何か悪いものでも食べたのだろうか。

 白蛇だって? 確かに蛇はいた。それは翔にも見えていた。しかし、あの怪しい人物のそばにいたのは美琴が言う白蛇などではなく、どこからどう見ても “黒蛇” だった。あれをどう間違えれば “白” になるというのだろう。


「うさぎさんはね、大国主神なの。病気を治してくれる神様なの」


 うさぎ…

 大国主……


 翔はそのワードを元に思考を働かせる。その言葉から連想されるものを必死に探す。

 どこかで聞いたことがあるような気はする。何だっただろうか…


「大国主神……うさぎ……



 ………白兎…………あ! 因幡の白兎か!」


 そうだ。大国主神とうさぎと言えば、もうそれしかない。

 とりあえず、あの怪しい人物が『大国主神』ということにしておこう。別にそれでいい。


「じゃあ、病気を治したって言うのは?」


「嬉しいねぇ。私の話をしてくれているのかい?」


「うさぎさん!」


 一体どこから現れたのか。気づけば二人の後ろに立っていた。

 全く気配を感じなかった。そんなところも、胡散臭さを感じる。


「私から説明しよう。君が小さい時に患っていた病気を治したのは私なのだよ」


「は?」


「美琴が祈ったのだよ。弟の病気を治してほしい、とね」


「そしたらね、うさぎさんが答えてくれたの。それで、私のお願い聞いてくれたの」


 ねー、と二人は顔を見合わせて笑い合っていた。

 何をどう信じればいいのか、どこまでが本当の話なのか、翔は半信半疑だった。

 ただ、完全に嘘だと言い切れないのは、実際に自分の病気が治った真実があるからだ。

 この人は、本当に神様だと言うのか? 確かに不思議な格好はしているが、それだけで信じるほど単純でもない。


「信じられないという顔をしているね」


「……」


「別に君が信じようが信じまいが関係ない。私は美琴を迎えに来ただけだからね」


「…迎え、に?」


 美琴といい、どうしてこうもわけのわからないことばかり言うのか……

 翔は頭がパンクしそうだった。


「私は美琴を愛している」


「あんた、神様なんだろ? 俺ら普通の人間なんだよ。立場が違いすぎるだろ」


「どうしてだい? 立場が違えば好きになってはいけないのかい? 恋をしてはいけないと言うのかい?」


「それは……」


 翔は口籠った。

 自分で言っておいてなんだが、その人の言うそれを完全には否定できなかった。美琴を取られたくない一心で紡いだ言葉は、その思慮に欠け、翔はすぐに後悔した。

 けれど、それでもここで引くわけにはいかない。


「美琴は? 美琴の気持ちはどうなんだよ!?」


 二人は美琴の方に体ごと振り向いた。

 翔は期待していた。色恋について、美琴が興味どころか、それが何なのかを知っているとは思えなかった。それほど、彼女はそういうものに疎く生きていた。はずだった……


「あたしは、うさぎさんに恋をする。約束だから」


「は? 何だよ、それ。約束ってなんだよ!」


「ダメだよ、翔。そんな強い言い方をしては、美琴が驚いてしまうじゃないか」


「うるさい! もう二度と俺たちの前に現れるな!」


 翔は美琴の手を引くと、その坂道を駆け上った。

 息が切れても、足がどんなに重くなっても、翔はその足を止めなかった。

 美琴は誰にも渡さない。相手が誰であろうと、絶対に———————








「現れるな、と言うのは無理な話なのだよ。





 なぜなら、から美琴は私のものなのだから—————」




 日が暮れていく中、不敵な笑みが黒く光っていた。

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