時計の砂が落ち切る頃には(後編)
女子寮の自室に帰って、惚れ薬を鞄から取り出した。小瓶には取扱説明書がくくりつけられている。
【魔法使い向けの使い方】
・最初に魔力を注いで下さい。瓶の色が緑色から赤色に変わったら準備完了です。
・お好みの量を意中の方へ飲ませて下さい。五分ほどで効き目があらわれ、目の前にいる人へ魅力を感じるようになります。魅力を感じる対象は一名です。対象が確定する前に他の人へ意識を向けてしまわないよう、十分にご注意下さい。
・効き目の強さは摂取量に比例しますが、体質や相性によって個人差があります。効果が切れた後に記憶が消えることはありません。
・開封後は一週間以内に使用して下さい。
無理、と思わず声が出た。
飲ませたあと、他の人へ意識を向けないように――それって、二人きりにならないと使えないってことだ。
私とナリクは教室では仲がいいけど、学外で会うことはほとんどない。今のタイミングでナリクを誘ったら、遠回しに告白しているようなものだし……来週の報告会なら二人きりだけど、それはさすがに手遅れだろう。
チャンスなんてないだろうなと思いつつ、小瓶に魔力を込めて持ち歩くことにした。ナリクのことを考えながら魔力を込めると、ルビーのように真っ赤になった。
今頃はナリクの小瓶も、同じように赤く染まっているのかな……そんなことを考えてしまって、朝までずっと眠れなかった。
◆
一週間後の夕暮れ時、天体観測室の扉をノックするとすぐにナリクが出て来て、周囲に誰もいないかを確認しながら、私を室内へ招き入れた。
「まだ観測準備が残ってるから、そこらへんに座ってて」
そこらへん、と指差されたのは作業台で、たくさんの天文図が広げられ、自然界の魔力や月の精霊に関する本が山積みになっていた。
片隅にパン屋の紙袋とポットが置かれていたので、その近くにあった長椅子へ腰掛けると、古い木製の椅子はぎしりと音を立てた。
「で、どうだった?」
大きな望遠鏡に観測用の魔法具を取り付け終えたナリクが、今日の本題を切り出してきた。
「使えなかった。持ち歩いてはいたんだけど、いつも誰かと一緒で……それに、好きな人がいるって聞いちゃったし……」
つい、言い訳を並べてしまう。ナリクは一応「そうだよな」と言ってくれた。
「それで、このまま諦めるの? 告白したりはしないの?」
「め、迷惑かけたくないから、もういいの!」
「そっか。じゃあ、次の恋でも探すといいかもな。あんまり気を落とすなよ?」
ナリクが心をえぐってくる。まさか本人に言われるなんて……ああ、もうダメ。勝手に涙が出てしまう。私は顔を隠すように長椅子へ倒れ込み、冗談めかして死んだフリをした。
「ナリク、私の分まで幸せになってね……精霊と一緒に見守ってるから……」
「おいおい死ぬなって、ハーブティー淹れてやるから生き返れー!」
ナリクはパン屋の袋から紙コップを取り出して、ポットのハーブティーを注ぎ始めた。ローズマリーだ。平民が上級貴族にお茶を淹れさせてる……世間の人は、びっくりするだろうな。
「俺の方はさ、実家に縁談の申し込みが来てて、父親が乗り気で困ってるとこ。俺の人生なのに、俺の気持ちは無視なんだぜ?」
ナリクは苦笑いを浮かべ、起き上がった私にハーブティーを渡すと、そのまま隣に腰を下ろした。
「ま、貴族ってそういう世界なんだけどね」
いつも明るいナリクの、その諦めたような口調が、すごく悲しかった。
親に決められた愛情のない結婚なんて、して欲しくないのに。
そんな世界、帰らなくてもいいじゃない。今までみたいに、一緒に焼きたてのパンを食べるような日々でいいじゃない!
「そんな縁談、蹴飛ばしちゃってよ……ずっと、私と一緒にいてよ!」
我慢できずに口に出してしまった私を、ナリクは驚いた表情で見つめた。ああ、勢いで告白してしまった……いいや、これで良かったんだ。すっぱりフラれてお終いだ。自分の気持ちは伝えたんだから、これで諦めもつく。
「もしかして、俺に惚れ薬を飲ませたかったの?」
「うん」
私が素直に頷くと、ナリクは制服のポケットから、真っ赤な小瓶を取り出した。
「そっか。じゃあ、飲んどくか!」
ナリクは明るく言って、瓶の中身を一気に飲み干した。た、大変だ……この人、惚れ薬を一瓶ぜーんぶ飲んじゃった!!
「わっ、私を好きになっちゃうよ!?」
「いや、もう好きなんだって」
ナリクは腕を伸ばして、机の端に置かれていた砂時計をひっくり返した。魔法具製作の時によく使う五分計、ナリクの私物だ。
私の視線に気付いたナリクは、頭を下げた。
「ごめん。俺は最初から、ここで薬を使うつもりだった。フィアナの想いが届かなかったら、俺が代わりになりたかったんだ……でも、使えなかった。フィアナが幸せになれる場所は、俺のいる世界じゃないと思ったから」
ナリクは真剣な表情で、私を見つめた。
痛いくらいにまっすぐな視線が、私に想いを伝えてくれる。
「だけど俺、もう家の言いなりになんかならない。身分の差を乗り越える強さが欲しいから、もっとフィアナを好きになりたい……俺にとって、これが正しい薬の使い方だったんだよ」
その言葉には、既に覚悟が宿っているのだと思えた。私も同じ気持ちになりたい――この人と、一緒に戦う強さが欲しい。
私も赤い小瓶を取り出して、中身を全て飲み干した。甘くてとろりとしていて、お酒みたいにちょっぴり身体が熱くなる。
ナリクは嬉しそうに笑った後、私の耳元で「一緒だよ」と囁いた。
時計の砂が落ち切る頃には、それまでの私たちとは変わってしまうのだろうか。二人で同じ気持ちになれたら、いいな。想いが通じ合っていれば、きっと何だって乗り越えられるよね――。
私たちは肩を寄せ合って、優しく時を刻む砂時計を眺めていた。
(了)
時計の砂が落ち切る頃には 水城しほ @mizukishiho
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