最終話 薫る風




 「それでね…僕はこう言ったんだ、もしも僕との子供を産むならそういった障害のリスクがあるし、それでもいいなら付き合おうって」


 放課後のゲームセンターで筐体を弄るアキさんへそう答える。背中向きの彼女はそれを聞いてプルプルと震えだした。


 「…き」


 「き?」


 「きんもおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 周囲のゲーム音がやかましいのに、彼女のあげる悲鳴はそれ以上によく響いた。周りの人たちが怪訝そうな目でこちらを見てくる。恥ずかしい。


 「ちょ…!声大きいって、恥ずかしいからもう少しボリューム下げて…」


 「恥ずかしいのはアンタじゃい!」


 「いてっ」


 ポカリと殴ってくるアキさん。高校生になった彼女の拳は普通に痛い。自分から聞いてきた癖に酷いなぁ…。


 「それ言ったアンタもアンタだけど、受け入れた綾音も綾音ね…大体話の順序がおかしいのよ、何で付き合う付き合わないの話で結婚通り越して出産の話になるのよ。あんまりこういう言い方好きじゃないけど、重いなんてレベルじゃないわっ!」


 キモイキモイと連呼したかと思うと、突然レバーを動かす手を止めて天を仰ぐ。画面にはYOU LOSSと書かれた貧相な文字。


 「見なさい、アンタが変なこというから負けちゃったじゃない!」


 「えぇ…」


 負けたのを人のせいにされても困る。傍若無人ここに極まれりだ。


 「クソッ、ストレス解消の為に遊びに来てんのにどうしてストレス溜まるように出来てんのかしらねゲームってやつは!」


 「……」


 彼女に誘われて二人対戦用のゲームをしているのだが、この人は尋常じゃないぐらい弱い。具体的に言うと僕はこのゲームを始めて触り、操作説明も彼女から教わったのだが、それでも僅差で勝ててしまう。それぐらい彼女は弱い。


 「フーッ、フーッ!」


 どんどん負けてドシドシ機嫌が悪くなっていくアキさん。このままではキレられるどころかリアルファイトに発展しかねない。わざと負けてあげようかとも思うが、もしもそれに気が付かれたらプライドが高い彼女は激高して即座に襲い掛かってくるだろう。どうしよう。


 「ふふっ…」


 「はあ?何笑ってんのよアンタ」


 「いや、別に…」


 楽しかった。くだらない日常に煩わされるということそのものがだ。


 案外幸せというのはこういうものなのかもしれない。死ぬ前に振り返りもしないであろうくだらない時間の積み重ね、僕は少ない友人とこういうふざけあう時間が大好きだった。




………

……




 「姉さん、何見てるんです?」


 「ん、車だよ、来年になったら免許取って車を買おうと思ってね」


 「…気が早すぎません?」


 呆れ顔の響に、早く仁君とドライブに行きたいのだと理由を伝えたら肩をすくめられた。やれやれといった感じだ


 「本当は仁さんと二人きりで出かける足が欲しくて仕方がないだけでは?」


 「うっ…バレたか」


 色んなことを克服していく彼を見ていると私もついつい気がはやって色々克服したくなる。苦手な車を克服するついでにドライバーさん抜きの二人きりで遠出できる手段が欲しいのだ。


 「学校のみんなから姉さんが『男の好み以外は最高の女』なんてからかわれる原因は仁さんには無くて、こういう恋が関わるとネジが吹っ飛ぶ姉さんの方に理由があるんでしょうね」


 「え、何か言った?」


 「いえ、なんでも…」


 「あーあ、どの車買って何処に行こうか悩むな~。キャンプでしょ、登山でしょ、温泉宿でしょ、北海道とか沖縄とかもいいなぁ~」


 「あの、日帰りですよね?そのラインナップだと学生2人で行くのが色んな意味で心配なんですけど…いえ、主に仁さんの心配なのですが」




………

……




 私も仁君も違う道ではあるけれど、それぞれ前へと進んでいる。


 お爺ちゃんと話してから気付けたことは、親達だって子育てが初めてで、そして一人の人間だということだ。私が前世で家を出る直前、地べたに座る母親へ吐き捨てるようにこれまでの鬱憤、心中を伝えた時「そんなこと今まで一度も言ってくれなかったじゃない」と叫ばれた。それだけがずっと気になってはいたのだ。


 ある日、仁君から親のことで相談をされた。段々気が付き始めてきた自分の家庭が普通ではないこと、苦しいこと、辛いこと、どうすればいいか分からないこと。私は少しづつでいいから、今の気持ちを母親に打ち明けてみてはどうかと伝えてみた。仕事好きで、子供を忘れがちでどうしようもない面はあるけれど、それでもあの人はまだ不器用なだけなのだから。


 前世では決別するしかなかったけれど、やはりどこか悲しい気持ちがずっとあった。私が苦しんだことを、彼にまで味わってほしくはなかった。


 先日母の日にプレゼントをあげて、少しだけ話をしたと彼は言っていた。気まずくとも、そりが合わずとも、それでも世界でたった一人の母親なんだと気が付いた。決して明るくは無いが、どこかすがすがしい表情で彼はそう語ってくれた。


 父親に関しては、今でも難しい。とにかく彼に暴力を振るわれてはかなわないし、相談を受けている私の殺意も収まらないこともあって、今はひたすら距離を置かせている。ひょっとしたらこのまま永遠に和解の日は訪れず、ある日私と同じように復讐するようなことがあるかもしれない。だが、諦めようと伝える私の意思に反してそれでも仁君は諦めたくないと心中を語ってくれた。


 「昔…まだ僕が幼稚園ぐらいの頃、車でキャンプに連れて行ってくれたことがあったんだ。その時にね、僕が隅に1人でいると手を差し伸べてくれて…、肩車に乗せてくれたことがあったんだ。だから…だから僕、お父さんのこと嫌いたくないんだ」


 忘れていた懐かしい記憶、言われてみて私にもようやく蘇った。その瞬間何故か目尻が熱くなったことが堪らなく悔しくはあったが。


 そんな決意を秘める彼に、どうして翻意を促せようか。私とは別個の人格である彼を、私より先にいるこの人に、無理やり父親と引きはがそうとはどうしても思えなくなった。来るかもしれない爆発の日、暴力の応酬となる結末を警戒しながらも、それでも拒絶以外の選択肢を捨ててはならないと…そう思った。


 「う~っ!気持ちいい!」


 一陣に駆け抜ける初夏の風が横をいく。頭上の新緑達がガサガサと心地よい葉音を鳴らしているのが聞こえる。


 今日はこれから彼とのデート。こうした待ち時間すら愛おしい。


 私なんて前世今世含めても、まだ50年弱の人生しか知らない若輩者なのだ。世の中にはお爺ちゃんのように80、90生きている人だって沢山いる。今から前を向いて生きてもバチは当たるまい。


 これからも何度だって失敗するだろう。一度失敗した過ちには何度も苦しめられるだろうし、取り返しのつかないことだって多いだろう。それでも、彼と一緒ならまた転ぶ度に立ち上がれそうなのだ。最近の彼は私の知らないことも知ってるし、会話する度に新鮮な気持ちになる。乾いた私の心を潤してくれる。


 破滅してでも上に進もうとしていた私も、彼と過ごすであろうこれからを想えば、自然と自暴自棄になることも無くなった。この境地は決して一人で辿り着くことはできなかっただろう。この人生に、新たな価値を見出し始めている。


 ああ―心の淀みを浚うささやかな風達よ、どうかこの花の薫りを愛する人にも届けておくれ―――。


 「おーーーい、綾音さーん!」


 遠くから呼ぶ声がする。私は我慢できずに声の方へと駆けて行った―――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

転生したら美少女に生まれ変わったので前世の自分を愛します @sankakudani

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ