坂の上のバス停
ヨムカモ
第1話
海岸から続く坂道を登りきった所に、「夕日ヶ丘」のバス停はある。
その名の通り、地平線に沈む夕日をど真ん中に見られる絶景スポット。晴れた朝には爽やかな潮風を浴びることができ、下校時には夕日の美しさに感嘆する、私のお気に入りの場所でもある。
だがある日、そこに異物が現れた。
「おい。そこ。もっと歩道側によれ」
他校の男子生徒が、バス停に並ぶ女子生徒たちを誘導し、整列させていたのだ。怪訝に思って、友達の旭にささやく。
「なにあれ。あんなの、昨日までいたっけ?」
「さあ……」
登下校中は学校からも家からも解放される友達との憩いの時間である。なんだか自分のテリトリーを無断で踏み荒らされている気分だ。
「それより、朱音。あの制服って」
私は視線で頷いた。
ちょっと濃いめの群青色のブレザーは、この近くにある群青高校の制服だ。偏差値が高い上に生徒の自由度も高いという、地元の子たち憧れの高校である。
バス停には我が校の男子生徒もいたが、自分より体格のいい男子に逆らう気概は無いらしく、いいなりになっている。心の中で嘆いていると、問題の男子がこちらを向いた。
「ああ、お前らもだ。ちゃんと列に並べ」
お、お前らあ?!
私はかっとなって男子をにらみつけた。
「あの! ちょっと聞きたいんですけど、一体何やってるんですか?」
「ちょ、ちょっと朱音?」
慌てて旭が腕を引くが、それを振り払って仁王立ちをする。
「は? 何って、交通整理だけど」
見てわからないのか馬鹿め、とでも言いたげな口調に、一気にボルテージが上がった。
「あなた、群青高校の人ですよね? 群青高校でここから乗る人、ほとんどいないんですけど。同じ高校ならまだしも、違う学校の人に指図されるいわれはないと思います」
ようやくこちらが怒っていることに気づいたのか、彼は私に向き直った。
「どこの学校って関係あるか? 確かに、うちの連中は俺も含めてほとんどがチャリ通だけど、このバス停が危険だからしばらく交通整理するってことに、生徒会で決まったんだ。生徒会長命令なんだよ」
「生徒会長……」
群青高校の生徒会は発言権が強く、学校行事の多くが生徒会主導で行われるらしい。しかも今年は、アイドルみたいなイケメンが生徒会長に就任したという。
でも、だからなんだ。うちの生徒会長はどちらかといえばカエル似だが、重要なのは性格だ。
「俺だって好きでやってるわけじゃない。――ああ、ちょうどバスが来た。さっさと乗れよ」
あくまで偉そうな発言にイラついたが、旭に襟首をつかまれてバスに放り込まれた。
あのやる気がなさそうな態度を見る限り、どうせ何日も続かないだろう。すぐに私の平穏な日常は戻ってくるに違いない。
――と、思っていたのに。
「おい、そこの男子ども。もっと前に寄れ」
ヤツはなかなか脱落しなかった。毎朝のように自転車でやってきて、移動させたり並ばせたりする。上から目線が癪に障って仕方がない。
「ねえ。ちょっと前に目撃された不審者って、あいつだったんじゃないの?」
私と同じように反感を持った女子たちがひそひそと悪口を言っている。
さすがにそれは冗談だろうが、こんな話をされるのもヤツの態度が最悪だからだ。
「あ、お前はこっちだ。おい、聞いてるのか? お前だ、その……肉まんのやつ!」
「……ねえ、朱音。さっきから呼ばれてるの、あんたじゃない?」
ぶすっとにらみつけていると、旭がひじでつついてきた。
「は? 私? 違うわよ。だって」
だってあいつ、「肉まん」って言った。肉まんという単語に思い当たる節は全くない。だが、ヤツはまっすぐ私を指さした。
「お前だって、お前! その、肉まんのキーホルダーつけてるやつ!」
「……はあ?!」
聞き捨てならないセリフに目をむいた。鞄をヤツの目の前に突きつける。
「もしかしてこれのこと言ってんの?! これのどこが肉まんなのよ! これはね、マンゴー入りクリーム大福! 見てわからないの?!」
「は? マンゴー? どうでもいいけど、さっさと並べよ」
「ど、どうでもいいわけないでしょう!? ちゃんと見なさいよ、こうやって割れば……、ほら! 肉まんと全然違うでしょ!?」
「はいはい。わかったから、さっさと並べ」
(こ、このお……っ!)
「あ、朱音、朱音、いいから行こう、恥ずかしいから!」
再び旭に引きずられて行く。間髪入れずにバスが来て、それ以上の抗議はやつの耳に届かなかった。
次の日、私の呼び名は「大福」になっていた。
嫌がらせだと判断した私は、半眼になってヤツに相対する。
「勝手に変なあだ名つけないでよ」
「は? 大福がいいって言ったのはお前だろ。今度はなにが不満なんだ?」
「あ、あれはキーホルダーの話でしょ! 大体ねえ、そのお前って呼び方も、失礼だと思わないの?!」
「ふうん。じゃあ、名前はなんて言うんだ」
「――えっ?」
「名前だよ。大福って呼ばれたくないんだろ。ああ、ちなみに俺は海野だ。そこに見える海に、野原の野」
「へ、へえ……、海野……、海野ね……」
どうしよう。名前を聞かれるとは思わなかった。こんなヤツに自分の名前を明かしたくはない。……けど、向こうは名乗ったんだからこっちも名乗らないとフェアじゃないし……。
「そういえばお前、朱音とか呼ばれてたな。んじゃ朱音って呼ぶわ」
迷っている間に、やつが勝手に正解と結論を出した。いつの間にかおばあさんの手を引いている。
「……ええと、あの……、呼び捨てっていうのも、どうかと思うんだけど……」
自慢じゃないが、よく知らない男子に名前を呼び捨てされた経験などない。男に対する免疫のなさを露呈しているようでいたたまれない。
「はあ、めんどくせえな。じゃあなんだ。ちゃんとかつければいいわけ?」
「うっ……」
想像したらきつかった。不覚にもひるんでしまった。
「ごめんなさい……、私のことは呼ばないで下さい……」
「いや、無理だろ。ああ、じゃあ、俺のことも名前で呼ぶか? それなら平等だろ。俺の名前は――」
「よっ、呼ばない! 絶対呼ばないから!」
不覚にも私は、涙目で敵前逃亡することになったのだった。
「うーん。なんだか面白くなってきた」
旭の不謹慎な感想に、私はすかさず突っ込んだ。
「何が面白いのよ! 絶対、止めさせてやるんだから!」
完璧に海野を敵だと認識した私は、それからヤツの行動を観察することにした。
交通整理をすると言いながら、雨や曇りの日には来ない。なのになぜか、下校時のバス停にふと現れることもある。
本人は前線がどうの、風向きがどうのと意味のわからないことを述べていたが、ただの怠慢だと思われる。ヤツの怠慢ぶりを告げ口する機会を狙っているのだが、海野以外の生徒が来ることはなかった。
指導するのなら自分の学校の生徒にすればいい。要は、他校の私達にまで指図してくるのが問題なのだ。それにあの態度。なぜあんなに偉そうなんだ。
だけど……。
私は、おばあさんがバスの座席に着くまで手を引いていた海野の姿を思い出してため息をついた。
あいつはもしかしたら、態度が悪いだけで、それほど悪いヤツではないのかもしれない……。
そんなある日、小さな事件が起こった。
バスが到着し、いざ乗り込もうとした隣のクラスの女子たちが、落とし物をしたと騒ぎ出したのだ。
どうやら、彼氏からもらったペアリングを来る途中で落としてしまったらしい。女の子たちは困惑するばかりで話は進まないし、後ろの乗客は乗れないしで、みんなイライラしているのがバスの中から見て取れた。
海野も例外ではないようで、とがった声が聞こえてくる。
「なにリングだか知らないけど、そんなの学校に持ってくる方が悪いんじゃないか。とにかくバスに乗れよ。後ろが詰まってるだろ」
「か、関係ない人は黙っててよ! ちょっとそこどいて、今から探しに――」
「馬鹿なこと言うな。これに乗り遅れたら遅刻するぞ」
押し問答の末、海野が無理矢理押し込んだ形でバスが発車した。車内には険悪な雰囲気が漂い、学校へ着く頃には海野の悪口が飛び交っていた。
「……朱音は、混ざらないんだね?」
みんなの勢いに引いていた旭が不思議そうに話しかけてくる。私は考え事をしていたので生返事しか出来なかった。
バスの発車後、学校とは反対方向に歩いて行く海野が見えたのだ。
うつむきがちに、ゆっくりと。
あれは、リングを探してたんじゃないだろうか。
そして、事件は急展開を迎える。落とし物をした子の親が、群青高校に苦情を申し入れたのだ。その子は、都合の悪いところはぼかした上で、海野の行為を非難したらしい。そして群青高校側も、全面的に非を認めて、彼女たちに謝罪したという。
「よかったね、朱音。これできっと、あの人、明日からは来ないよ」
私はなぜか、返事が出来なかった。
その日の放課後、私はバス停をうろうろしていた。海野と会えないかと思ったのだ。
午後からは晴れたし、夕日が怖いくらい真っ赤で、海からの風が気持ちよかったから。
(あの時、何してたのか聞いてみよう。噂が本当かも知りたいし)
こんな終わり方、やっぱり納得いかなかった。
しばらくすると、バスが停車し、中から男子高生が一人、降りてきた。背は高くないが、思わず二度見してしまうくらいのイケメンで――海野と同じ制服を着ていた。周囲を観察するように眺めている。
(もしかして……)
私はつばを飲み込んで近づいた。
「あの……群青高校のひとですよね?」
彼はいきなり話しかけられて驚いたようだが、私の制服に気づくと、申し訳さそうな表情になって頭を下げた。
「ああ、もしかして、こちらのバス停を使われている方ですか。この度は、うちの生徒がご迷惑をおかけしました。僕が代表してお詫び申しあげます」
やっぱり、生徒会長だった。私が慌てて顔を上げるよう頼むと、彼は私の顔を見てほほえんでくれた。
「もう明日からは生徒会は口出しをしないので、気兼ねせずここを利用して下さい。本当にすみませんでした」
やっぱり、明日から海野は来ないのか。
予想はしていたけれど、はっきり言われると戸惑った。彼に聞きたいことがあったのに。
それに――。
「あの……、海野は、大丈夫なんですか?」
「え?」
「あ、いえ、別に、心配してるとかじゃないんですけど!」
誤解されないよう即座に否定する。生徒会長は何度か瞬きをした後で、それはそれはきれいに微笑した。あまりの破壊力に心臓が止まりそうになる。
「そういえば、なんで海野がここに来ていたか知ってる?」
話が逸れた上に、いきなり砕けた口調になった。それを訝しく思うより先に、疑問が浮かぶ。
「え? このバス停が危ないからじゃないんですか?」
「危ない、といえばそうなんだけど。このバス停って、坂道の上にあって、海から結構強い風が吹くよね。……えーと、それで、バスを待っている間……。風で、めくれるんだって」
「めくれる?」
「うん。そう。例えばほら、スカートとか」
生徒会長の目線がほんの一瞬、私のスカートへ移った。その視線を追っていた私は、慌ててスカートを両手で押さえた。
「み、見ないで下さい!」
「うん、ごめんなさい、つい。そういうわけで、一部では有名みたいなんだ。この間も、変質者が出たらしいね。すぐに捕まったとはいえ、そういう人達が寄ってくる理由がそれじゃないかって」
「そ、そうなんですか?!」
なんだそれ。
海から続く坂道。
ロマンチックだと思っていた通学路が、いきなりイヤらしくて疎ましいものに感じられてくる。
「たまにここを使っていたうちの生徒は、そう思って生徒会に投書したんだろう。僕もその可能性は高いと思う。だから、バス停の位置を移動してくれるよう自治体に要望を出すことにしたんだ。一応、申請は通りそうなんだけど、時間がかかるみたいでね。見張りに立つとか、女子生徒を安全な位置に誘導するとかは、それまでの苦肉の策なんだよ」
私はようやく腑に落ちた。海野に命令されても逆らわなかった男子生徒たち。あれは多分、邪な考えを見破られていることに気づいたから、文句を言えなかったのだ。
「えーと、それで、何が言いたいかというと。迷惑だったかもしれないけど、善意ゆえの行動だったということで、必要以上に悪く思わないでくれると嬉しいなって」
「……でも、だったら、正直にそう言えば……」
そうしたら、私達も反感を抱いたりしなかった。
「……言いたくなかったんじゃないかな」
「え?」
彼は、真っ赤な夕日と、その色に染め上げられた海面を見て目を細める。
「実際に来てみてわかったよ。ここって、きれいな場所だよね。でも、もし理由を知ったら、特に女性は、素直にそういう場所だと思えなくなる。彼はきっと、この景色が好きなんだよ」
「……海野が」
私と同じように、ここが好きだったのか。さっきから胸が熱いのは、夕日の熱のせいだけなのだろうか。
「海風って知ってる? 風は気温の低い方から高い方へ吹くから、晴れた日は、暖まりやすい陸の方へ海からの風が吹くんだ。まあ、他にも前線の影響とかいろいろあるけど。海野は多分、海風が吹く日を狙ってきてたんじゃない?」
そう言われれば、そうかもしれない。
「でも、それって海野が決めていいんですか? 命令だったんじゃ」
「彼が勝手にやってたんだよ」
生徒会長はけろりと答える。「ここだけの話、僕が彼に命令したっていうのは嘘なんだ」
「――は?!」
「僕をだしに使うとか、いい度胸だよね。でも、誤解されやすいし面倒くさい性格だけど、悪いやつじゃないんだ。――ああ、やっぱり来た。後は君に任せようかな」
「えっ……」
生徒会長の視線を追うと、夕日を背に、自転車を引いて来る人影が見えた。海野はこちらに気づくと、慌てた様子で走り寄ってきたが、生徒会長はそれを待たずに歩き去ってしまう。
「朱音? お前、どうして……、っていうか、今っ、会長が……、うちの生徒会長が来てなかったか?!」
声がうわずっている。こんな海野を見るのは初めてで、私はどういう反応をしたらいいかわからなくなってしまう。
「海野こそ、どうして? バス停の見回りはやめることになったんでしょ?」
「……! お前、何か聞いたか?!」
海野はみるみるうちに赤くなっていく。その顔を隠すように腕を上げ、そっぽを向いた。
「ち、違うんだ! 会長がなんて言ったか知らないけど、俺は命令で仕方なく……」
「……生徒会長さんの命令で?」
「そう! 別にやりたかったわけじゃなくて……! っていうかやっぱ、何か聞いたのか? いや、あの会長がそうぺらぺらと……、いや、でも、お前になら何か言ったかも……!」
海野はさらに取り乱していいわけを重ねていく。
夕日を背にした海野の表情は逆光でよく見えない。腕で顔半分も隠れている。けれど、夕日よりも真っ赤になっているのが私にはわかった。
そして思う。
アイドルみたいなイケメンの生徒会長の笑顔より。
(私、きっと……)
海野の今の真っ赤な顔から目が離せなくて。
(ううん、絶対)
――この人を、好きになる。
坂の上のバス停 ヨムカモ @yomukamo
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