第2話 大規模災害の辺縁に備える

 支援に向かう職場とはいえ、有事の対応はまず自分の身の回りの安全を確保してから、という原則です。例えば、自宅で被災した時は家族を助けた後に参集して良いことになっていました。緊急参集では、事前に決められた非常時の出勤先へ何らかの手段で辿り着く為、出来るだけ自宅近くへ赴く予定の職員が多いです。

 この参集も全員が同じ迅速さで同じ行動をすべきな訳ではありません。そういう時、重要度の高い仕事を担う者は速く参集して状況判断し、他の者の参集についても決定したり連絡を出します。

 訓練もありますし、大きくない災害や事故でも意識することですので、特に災害を管轄する部署はこのような対応に慣れていました。


 しかし、東日本大震災では被災規模が大き過ぎ、この原則を自分の中でどう処理し、判断するかも迷う面がありました。

 関東でも11日は家に帰れない人が多く、子供を含めた家族となかなか連絡の取れない儘、遮断された交通に夜まで職場で働き続け、やっと深夜に無事を確認する例も珍しくありませんでした。一方、連絡が取れない為、数十キロを歩いて帰ることも勿論あります。

 職場の周りでは避難所を案内する行政の車が夜遅くまで走っていました。その避難所が海際のホール等、決して高くない建物だったことに危うさを感じたものです。

 私の勤め先からも海が見えた為、津波の懸念はありました。地震で一度は外に避難した後、ヒビが入って窓も割れた建物にすぐ戻ったのは津波に備えた面があります。ですが、下のフロアの職員が上階に避難することはなく、やはりあの甚大な被害に何をすべきか、と仕事をしていました。

 それが当時の、人としてやむにやまれぬ衝動だったでしょう。助けたい、助けたい、助けなければ、の結果です。

 ですが、それが別の被害に繋がることもあります。あの時は運が味方しただけの結果オーライ。大規模災害は支援も長期戦ですので、本当に助けたければ冷静に、その時には冷淡と思える判断力が必要となることもある、と頭の隅に置いておいて頂きたいと私は願います。

 帰れない人達はその儘、働き続けて翌日を迎えました。勿論、コンビニへ行ってもドリンクのペットボトルもない状況で、災害備蓄の水と乾パン、職員達が偶然、職場に置いていた誰のものか不明な飲料と食料を食べて情報収集と立案等を行いました。


 被災すれば、その内での大小の違いはあれど同じようなことが起こります。勿論、被災の中心地とは被害規模が違いますが、家族の安否不明、避難、帰宅困難、食糧難と生じる事態は共通する部分があります。

 被災地辺縁はその状態で自分達ではなく、より大変な人達を助ける必要が出て来る可能性が低くありません。タイムリミットの早い事柄については遠くからの救援を待つ時間さえ、ないかもしれないからです。また、東日本大震災の様に燃料不足に陥れば、何とか近場から支援に行く必要が出て来るでしょう。


 そういう意味で、大規模災害の辺縁になる覚悟とは、かなりの期間、自分と周囲の人だけで乗り切れる備え、と私は考えています。

 特に災害初期の情報は大きな被害の出ている所のものに偏りがちですから、それ以外は後の対応になるかもしれません。東日本大震災で学びはしましたが、それでも初期の情報の偏りは起きるでしょう。

 例えば、東日本大震災では千葉の沿岸部で地盤沈下が起こり、栃木で水道に被害が出ましたが、近隣の自治体は震源地近辺の被害の大きなところへ既に支援を送った後で、逆に派遣が遅れたりもしました。

 災害対策と言うと、自分が被災の中心地であることを想定しがち、と思うのですが、そうではない見え難い被災地かもしれません。被害は大きくないだけに回復が遅れる可能性にも備え、一週間か十日程、踏ん張れるにはどうしたら良いかをお住まいの地域で一度、考えて欲しい、と私は願っています。

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3.11関東沿岸部より 小余綾香 @koyurugi

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