シュラとハル

かっぱのぶんこ

第1話 シュラとハルと物語の始まり

 この物語はフィクションです。実在の人物・団体などとは一切関係ありません。


 つまりは全て嘘です。嘘なのです。嘘八百なのです。


 嘘ですから、


 嘘なのですから、


 どうか自由に話させて下さい。


 嘘の話の中でくらいは、自由にいさせて下さい。


 例えば夏に雪が降ったり、秋に桜の花が咲いたり、冬に半そでを着たり…………そんな無茶苦茶も、自由じゃないですか。だって、嘘なのですから。


 そもそも世の中の物語のほとんどが嘘じゃないですか。桃の中に赤ちゃんがいたりクマと相撲をとったり海の底に竜宮城があったり…………だから私は、物語という嘘を紡ぎます。物語で嘘を騙ります。これから紡ぐ物語は、


 そんな嘘の物語です。




 むかしむかしある所に、とある幼い姉弟がいました。姉の名前はシュラ。弟の名前はハルといいました。


 シュラはその名の通り、修羅でした。修羅でした。というのはつまり、修羅なのです。一度怒るともう手が付けられない、修羅のようになって、たとえ殴られようが蹴られようが、自分がその倍殴ったり蹴ったりするまで収まらない、修羅のような、ギザギザした歯の女の子でした。


 一方ハルはその名の通り、春でした。春でした。というのはつまり、春なのです。いつも穏やかで静かにほほ笑んでいるのです。ポカポカ暖かくなるようなその笑顔で、寒い朝の陽だまりの様に人々を魅きつける、そんな春のような、サラサラした髪の男の子でした。


 シュラとハル……周囲の人たちから、何となくそう呼ばれるようになった。そんな感じでありました。親に名付けられたのではないのです。その姉弟の親の事は誰も知りません。シュラとハルが、シュラとハルと呼ばれるようになる前の事は、誰も知りません。


 二人はどこから流れて来たのか、村はずれの打ち棄てられたボロ寺にいつの間にか住み着いていました。幼い姉弟を追い出そうと言うものはありませんでした。二人は畑仕事を手伝ったり、家屋の修繕を手伝ったり、子供ながら働き者だったからです。

それに村は幸い豊かな所でしたので、村の人達も二人に優しく接するだけの余裕があったそうです。


 たとえば、竹トンボやヤジロベェなどといった玩具をこさえて二人にくれるオジさんがいました。ムシロやゴザなんかを編んでくれるお姉さんがいました。二人が重たいモノを運んでいるのを見ると、駆けつけてきて代わりに持ってくれるお兄さんがいました。出会う度にお芋のきれっぱしをくれるオバさんがいました。


 みんな小さな姉弟に目を細めて、


 「あんた達、もっと大きくなりなさい。もっと太りなさい。」


 と、こう言ってくれました。


 そんな人たちに囲まれていましたから、シュラは伸び伸びと修羅のごとく暴れ、ハルは春の陽だまりのように優しくあれたのかもしれません。


 姉弟には、こんなお話もあります。ある日、シュラにドングリを沢山くれる男の子がいました。男の子は、ドングリを目いっぱい手のひらの上にのせて、顔を真っ赤にしながら


 「ん!」


 と言ってシュラに突き出してきて、彼女がそれを受け取ると何も言わずに駆け去って行きました。

 大量のドングリを手のひらの上にのせながら、シュラはニヤリと嗤って、


 「オレ、大きくなったらアイツのところにお嫁に行こうかな。」


 とハルに言いました。ハルは柔らかい笑みを絶やさないまま、それにつては何も返事をしませんでした。


 翌朝目が覚めて、シュラは驚きました。彼女が寝ている周囲を取り囲むようにして、それはもう沢山のドングリがあったからです。

 隣で眠るハルの手や足が土や泥で汚れていて、そのカラダに葉っぱや草が付いているのを見て、ハルは思わず笑ってしまったのだそうです。

 


 姉弟には芸がありました。


 ハルは、笛や太鼓など、楽器をとても上手に操ることが出来ました。彼の手にかかれば、どんな古くて壊れた楽器でも、聞く人をほれぼれさせる様な音色を奏でるのです。それは子供が遊ぶような粗末な笛でもそうでした。ただの石や桶や樽ですらそうでした。それはそれは見事なモノだったそうです。

 

 シュラは、声真似の達人でした。老若男女かかわらず、ほとんど全ての人の声を真似ることが出来ました。それは本当に本物と聞き間違えるほどの声色で、聞く人は始め目を丸くして驚いて、それから腹を抱えて笑い転げるのです。人だけではなく、虫の音や動物の鳴き声、風が木々を揺らすザワザワという響きまで真似ることが出来たようで、とてもとても見事なモノだったそうです。


 正月やお祭りの前夜、またはお祝い事がある時などは村一番の大きな家・長者どんのお屋敷にお呼ばれして、姉弟は芸を披露したそうです。それは普段何の娯楽も無い村の人達にとって数少ない楽しみでしたし、芸を披露したその夜は、姉弟たちは少しだけ胸を張れるような、誇らしい気持ちになれたのだそうです。


 そんな風に、姉弟は村でそれなりに幸せに暮らしていました。


 ただ、シュラは先ほども申しました通り、その、修羅でしたので、すぐにカッとなる性格でしたので、殴り合いの喧嘩は日常茶飯事だったそうです。まぁ、当人同士は喧嘩が終ればケロリとしているモノです。

 ですが、殴られてズタボロになったシュラを見ると、ハルは決まってとても悲しそうな表情を浮かべるのだそうです。暖かい春のような笑顔を曇らせて、胸が張り裂けそうな悲しみのどん底にいるような、そんな顔になるのです。

 だから、シュラはその度に弟を一生懸命笑わそうとします。声帯模写一本で、今にも泣き出しそうなハルから笑いをとろうとするのです。


 ……それで、石と間違えて馬の糞を思いっきり力強く握ったクマ太郎の奴が『うひぃ!きたねぇ!!きたねぇきたねぇよおおぅ!!!』って言ったらカツゲンの奴が、『ばかやらうおめぇ!っっったねぇのはっめぇぇえじゃぁねぇか!!!』って言って、それで……」


 そこまで話した時、シュラはやっと


 「うふふふふ……」


 と笑いました。


 それに釣られたのと、また嬉しいのとで、シュラも笑いました。ギザギザ歯を大きく見せて、声を出して笑いました。


 そうして、二人笑いに笑って笑いつかれたあと、シュラはハルのサラサラとした頭を優しく撫でながら、こう言うのです。


 「ハル……オレはな、お前が笑ってさえいてくれれば、それだけでもう十分なんだ。それだけでもう十分なんだよ。」


 普段は勝ち気で吊り上がった瞳が、この時だけは何よりも優しく柔らかくなるのです。その晩は、二人手を握りながら眠りにつくのです。


 そんな姉弟がいたのです。


 いたのです。


 むかしむかしあるところに、



 二人はいたのです……



 それは姉弟が村に現れて、七度目の夏が終わる。そんな頃のことでした。二人の正確な年齢は誰にも分かりませんが、何となくシュラが十五、六、くらいで、ハルが十三、四、くらいの頃だと思われます。二人とも背が低くて顔つきもまだ、あどけないところもあるので、もしかしたらもう少し年齢は下なのかもしれません。


 その年は、夏になってもずっと雨続きで曇ってばかりで、お日様があまり顔を出してくれませんでした。そればかりか何度も大風も吹き荒れまして、田畑の作物が思うように育たなかったのです。いわゆる凶作というやつです。


 でも村の人たちには悲壮なところがなく、みんな口をそろえて


 「大丈夫。大丈夫。大丈夫。うん大丈夫。」


 というのでした。ですからシュラは『大丈夫なんだな。』と思っていました。ただハルは、何だかずっと不安そうにしていました。


 「ねぇ、お姉ちゃん。」


 夕方ごろ、お寺の濡れ縁に腰かけていたハルはシュラに声をかけました。


 「そろそろボクたち……この村を出た方がいいように思うんだ。」


 ハルの言葉に、隣に座りながらシュラが、


 「え?なんで?」


 と、まるで何も考えていないような声を上げました。無理もありません。だって実際に何も考えていないのですから。


 ハルは姉に説明しました。夏の日差しが弱かったから、きっと今年は畑も田んぼも凶作になるだろうこと。そうしたら食べるモノに困るようになる事。そうなったら、よそから来た自分たちは邪魔者扱いされたり、迫害されたりするだろうという事。そうなる前に、自分たちから村を立ち去った方がいいという事を説明しました。


 「でもさ、みんな『大丈夫。大丈夫。大丈夫。うん大丈夫。』って言ってるよ。」


 何も考えていない姉に、ハルは言って聞かせました。本当に大丈夫なら、三回も四回も大丈夫を繰り返さないと。


 「へぇ~。」


 シュラはとりあえず、『へぇ~。』と言いました。それから、


「じゃぁ、この村を出て、どこに行くの?」


 と、ハルに尋ねました。


 「『みやこ』に行こうよ。お姉ちゃん。」


 心なしかハルの声が弾んでいたのが、シュラには分かりました。


 「ボクも噂で聞いただけなんだけど。」


 そう頭において、ハルは姉に『みやこ』という場所について語り始めました。


それはとても信じられない、まるで嘘のような話でした。


 夜でも昼間のように明るく、道行く人はみんな毎日洗濯された綺麗な服を着ていると言います。建物に入ると、真夏でも涼しく、真冬でも暖かいのだそうです。マキを割って火を起こさなくても、温かいお風呂に入れて、美味しいご飯が炊けるのだそうです。

 それだけではありません。『みやこ』には、不思議で便利で面白い物が、あふれているのだそうです。

歌や芝居がいつでも見られる箱。人にも牛にも曳かれていないのに動くカゴ。回すと人の声や楽器の演奏が聞こえる円盤。白くて柔らかくて冷たくて甘いお菓子。シュワシュワ泡の出る不思議な飲み物。室内で飼われている犬。無防備な猫。遠くの人と話せる道具。お湯を注ぐだけで出来る美味しい食べ物。鼻水を垂らしていない子供。礼儀正しい子供……


 そこに行けばもっと美味しいモノが食べられるし、もっと暖かいところに住めるし、シュラも、もっとお洒落に綺麗になれると、嘘のような話をハルは語りました。


 シュラは、ハルはきっと誰かに騙されているな。と思いました。だってとても信じられない話でしたから。でも、それを語るハルの瞳がキラキラ輝いていたので、何も言わないで聞いていました。

 それに、シュラはその話が嘘でも本当でも、どちらでも良かったのです。『みやこ』がハルの言うように夢のような場所であっても、そうでなくても、シュラはハルさえ傍にいれば、それで良かったのです。


 「それじゃぁ、村の人たちに挨拶して、準備が出来たら『みやこ』に行こう。」


 シュラの言葉で話は決まりました。二人とも、村の事はそれなりに好きだったので、名残惜しい気もしましたが、一度そう決まったら、なんだかワクワクドキドキして、早くその日が来ないか。そんな心持になったのだそうです。

 

 


 シュラとハルが村を出ていくという知らせは、瞬く間に広まりました。誰もが嘆き悲しんでいるみたいでした。折角だから。という事で、最後の晩、長者どんの屋敷でお別れの宴を催すことになりました。


村人の中にはシュラやハルにこっそりと耳打ちをするようにして、


 「早く立ち去った方がいい。」


 みたいな事を言う人もいました。


 二人を見ると泣きそうな顔をしたり、顔を背ける人もいました。小声で


 「ごめんね」


 と言う人もありました。


 それでもほとんどの人は、ニコニコしていて、心なしかいつもよりも姉弟に対して優しく接してくれるようになりました。そう言うわけですので、村を去るまでの数日間、シュラとハルはいつもより穏やかで幸せな気持ちで日々を過ごしました。


 そうこうしているうちに、村で過ごす最後の晩が来ました。長者どんの屋敷での宴会が始まるのです。どんなごちそうが食べられるのだろうと胸を膨らませ、腹を空かせた二人に、まずお酒が振舞われました。未成年の飲酒はダメです。ダメなのですが、まぁ昔の話ですし、これはそもそも嘘ですからね。まぁ、良いじゃないですか。そんなわけで、お酒を飲んだ二人は、グニャリと景色が歪むのを感じました。

あれれ?おかしいなぁ・・・そんな事を思いながら、意識を失ったのだそうです。




 姉弟が気を失ったあと、長者どんの屋敷を訪れるモノ達がありました。松明を掲げ、ダンビラをぶら下げた、野盗の連中です。

まるで獣のような匂いをプンプンさせながら、下卑た笑みを浮かべています。その中で一番偉そうな年長の男が、床でゴロンと横になっているシュラとハルを見て、


 「なるほど……姉の方は磨けば上玉になるぞ。こいつは良い掘り出し物だ。」


 そう呟いて、銭がたんまり入った袋をドチャリと長者どんの前に置きました。


 「かたじけねぇです!これで村の者も飢えずにすみます!!」


 そう言って土下座する長者どんを無視して、年長の男はくいっと顎をしゃくりました。一番体躯の大きな男が、背負っていた大きな木箱をおろすと、その中に姉弟を入れてまた背負いました。


 長者どんの屋敷の前には、村人たちが集まって、なんとも言えない表情でそわそわしていました。やがて屋敷から出て来た野盗に向かって、


 「その子たちはどうなってしまうんですか?」


 そう尋ねる人がありました。よく姉弟に芋のきれっぱしをくれたオバさんでした。


 「それを聞いてどうすんだ。」


 臭い息を吐きながら答えた年長の男に、


 「あの……その子たちは、芸が出来るんです。だから……その……あまりひどい目にあわせるようなことは……」


 芋オバさんはそう言いました。


 「けっ……芸だけなら猿でも出来らぁ。」


 年長の男はそう言い捨てました。それから姉弟が入った箱を背負った大男と、松明を掲げたその他の野盗たちは、ワイワイガヤガヤと村を出ていきました。


 何人かの優しい人たちのすすり泣くような声と、何人かの心弱い人たちのなんとも言えない表情に送られながら、シュラとハルは、こんな風にして村から旅立っていったのです。




 メラメラ燃える火を囲んで、野盗たちがワイワイガヤガヤと酒宴を開いていました。


 その様子を、箱の蓋をそっと持ち上げてシュラとハルが盗み見しています。彼らの話の内容から、二人は自分が置かれた状況を何となく分かったようでした。怖くて震えそうになるハルの手の上に、シュラの手がそっと置かれました。


 周囲は真っ暗な森がグルリと囲んでいます。その中でぽっかりと切り拓かれたこの場所は、野盗たちの本拠地なのでしょうか。暗闇に目を凝らすと、ボロ小屋のようなモノだったり、柵のようなモノだったりがうっすらと見えます。


 大男がノッシノッシ二人が入っている箱に近づいて来ました。さっと暗い箱の中に姉弟は身を隠します。大男はシュラとハルが入っている箱にどっかりと腰を下ろして、


 ブゥと臭い屁をこきました。

 「いやぁ。それにしてもよぉ!こんな田舎であんな上玉がいるなんてなぁ。」


 「ありゃぁいい金になるぜ。」


 「おらぁ、もっと乳のでけぇのがいいがよぉ。」


 「あれはあれで好きモノがいるんだよ。」


 「弟の方は線が細くてありゃぁダメだな。」


 等と話す声が聞こえ、怒りで震えそうになるシュラの手の上に、ハルの手がそっと置かれました。


 『まぁ、線が太くてもオメェみてぇに馬鹿だともっと使い物にならねぇけどな!』

 

 箱の中から声がしました。それは大男そっくりのこえでした。その声に、野盗の一同が、箱に座る大男を見ました。


 「え?……オラ、何も言ってねぇ……」


 「おい、誰が使い物にならねぇ馬鹿だってんだよ!」


 頭が禿げあがった男が、大男に向かってきます。


 「だから、オラ…何も『オメェの事だよこのタコ!頭が真っ赤なユデダコみてぇになってるオメェの事だよ!』」


 もう一度箱の中から、大男の声があがりました。


 「もう一遍言ってみろぉ!!!」


 禿げ男が大男の顔をぶん殴ります。


 ごちん!大男は殴られても平気なようです。ですがその顔は怒りに歪んでいきます。


 「だからオラ何も言ってねぇって、言ってんだろうがこのタコ野郎!!!!!」


 やおら立ち上がり、禿げ男を殴り飛ばしました。


 「んだよ……やりやがったなテメェ!!!」


  禿げ男が灰を握り大男に向けてばらまきました。視界を奪われた大男は無茶苦茶に手や足を動かします。


 ドン!


 シュラとハルが入った箱が蹴り転がされます。野盗たちは喧嘩騒ぎに夢中で、誰もシュラとハルが入った箱の事なんて気にも留めていません。


 その隙に、姉弟はこっそり箱から這い出ていきます。


 「喧嘩か?いいぞ!やれやれ!!」


 囃し立てる声の中に、


 『そうだやっちまえ!ついでにコイツのアホ面をのしちまえ!』


 という声が混じります。それは馬面の男のすぐ後ろの茂みの中から上がりました。


 「誰がアホ面だこの野郎!」


 アホ面が、隣の馬面をぶん殴ります。


 「てめぇ!何しやがる!」


 「そっちから吹っ掛けてきやがったんじゃねぇか!」


 アホ面と馬面が喧嘩しているすぐ傍で、


 「誰だ俺のケツ蹴っ飛ばしやがった奴は!」


 「俺じゃねぇ『俺だよ。てめぇの面が気にくわなかったんでぇ!』


 新たな喧嘩が始まりました。


 『お前、口の匂いがクソみてぇだな。クソでも食ってるの?』


 『無駄飯ぐらいの癖にいつも偉そうにしやがって!』


 「よし!今なら親方を殴ってもバレないぞ!」


 『このうすノロめ!いるだけで邪魔なんだよ!』


 様々な罵倒があちこちで起こって、その度に喧嘩が始まります。


 もう、シュラとハルのことなんて誰も気にしていないようです。


 その様子に、二人は一度目と目を合わせ、野盗から逃げる為に夜の森へとかけていきました。



 

 「ガキどもが逃げたぞー!!!」


 野党たちの叫び声と、松明の灯りが森の闇を切り拓いて、姉弟を追いかけます。野盗たちは勝手知ったる森の中を、ズンズン進んで行きます。


 一方、シュラとハルはどっちが北でどっちが南なのか分からない、真っ暗な森の中を枝や根っこに邪魔されながら行くしかないのです。


 ズダァン!ハルが転びました。


 「ハル!」


 シュラの声に、ハルは言いました。


 僕の事はもういいから、お姉ちゃんだけでも逃げのびて。みやこに行って、幸せになってよ。そんな事をハルは言いました。


 それを聞いたシュラはケラケラと笑いました。


 そしてサラサラした髪を優しく撫でて、


 「馬鹿だなぁハルは。お前はそんな悲しいこと考えなくていいんだよ。」


 そう言うと、


 「お前はここで隠れてろ。あとは姉ちゃんに任せな。約束だ。みやこで会おう。」


 そう言うと、闇の森を駆けていきました。ハルから少しでも離れるように。出来るだけ遠くに遠くに行くように、シュラは駆けていきました。




 「オレはここにいるぞ!!!!」


 迫りくる松明の灯りに向かってシュラは叫びました。


 「野郎!挑発してやがる!」


 野盗の一人が声を上げました。


 「ん野郎ぅ!挑発してやがる!」


 シュラは、その声を真似ました。


 堪えた笑いが、二、三野盗の中から上がりました。笑われたモノは怒りで顔を真っ赤にしました。


 「また真っ赤な顔しやがって茹ダコ野郎!だからオメェはダメなんだよ!」


 シュラは大男の声を真似てそう言いました。


 「オメェ……まさかあの時……」


 大男が怒りに震えきます。


 「このアホ面ぁ~~!!」


 馬面の声で叫んだあと、


 「不細工な馬面~~~!」


 アホ面そっくりな声で叫びました。


 「さっきの騒ぎは貴様の仕業かぁ!!!」


 野盗たちの怒りがビリビリ伝わってきます。シュラはその怒りを全部引き連れながら、森の闇をかけて行きました。どこまでも野盗を引き付けて、どこまでも走っていくつもりでした。でも、もちろん、どこまでも走ることなんて出来るハズもありませんでした。



 

 「散々てこずらせやがって……もう逃げられンねぇぜ!」


 ついにシュラは周囲をぐるりと、松明を持った野盗に取り囲まれてしまいました。


 「おい!弟の方はどうしやがった!?」


 「んなこたぁどうでもいい。コイツさえいれば儲けは十分だ。」


 「クソガキが舐めやがって……後悔させてやる!」


 「泣きわめいても許さねぇからな!」


 血気盛る野盗たちに、


 「おい!大事な商品だ。顔に傷つけるんじゃぁねぇぞ。」


 一番年配の偉そうな男が叱りつけます。


 「でも親方、こいつは……」


 「グダグダ言うんじゃねぇ。ワシの言う事に逆らう気か!!」


 親方の言葉に、野盗たちは少しシュンとしました。その空気を壊すように、


 「グダグダ言うんじゃねぇ。ワシの言う事にさかれぅきかぁ!!」


 親方を馬鹿にしたシュラの声真似が響き渡りました。


 「ガキが!舐めるんじゃねぇぞ!」


 ゴツゴツした親方の手がシュラの襟首をつかみました。その次の瞬間、


 「いてぇえええ!!!」


 悲鳴をあげたのは親方の方でした。彼の手に、シュラが噛みついているのです。


 「このクソがきゃぁ!!!」


 男に殴り飛ばされ、シュラの体が地面に叩きつけられました。男は血が流れる手を押さえながら、低く呻いています。

 立ち上がったシュラは、口元の血を手でぬぐいながらニヤリと笑いました。


 「大の男がピーピーピーピー情けねぇな。」


 そう毒づいたあと、


 「おかあちゃーーん。お手手がいてぇよぉ~~~。」


 親方の声色で、そんな事を言いました。


 「てめぇら!前言撤回だ!このガキを袋叩きにしろ!!!」


 親方が叫んだ


 その時です。


 「子供相手にみっともないねぇ。」


 誰かが風のように、シュラの前にふわりと現れました。


それからキラリと何かがきらめいた後に、


 ドサリ!


 親方の体が崩れ落ちました。


 「峰打ちじゃ。安心せい。」


 そう呟く初老の男の姿が、月光に照らされていました。


それは、シュラが初めて見た侍の姿なのだそうです。


 「この野郎!親方に何しやがる!!!」


 野盗たちが殺気づいたのと同時くらいに、


 「先生に続け!!!」


 若者の声がして、闇の中から数人の侍が躍り出てきました。


 月明かりの下、キラリキラリと何かがきらめく度に、野盗が一人二人と倒れていきます。


 そうして最後の一人が倒れた時、初老の侍が、シュラの頭に手を置いて、


 「お嬢ちゃん、もう大丈夫じゃ。頑張ったな。」


 そう言ってくれました。その言葉を聞いて、張りつめていたモノが一気に緩んだように、シュラは気を失ったのだそうです。



 シュラは広い畳敷きの部屋に敷かれた、柔らかい布団の上で目が覚めました。毎日毎晩ゴザの上で筵にくるまって眠っていたので、畳の上の布団は、まるで天国のようでした。まさかこの世界にこんなモノがあるとは、まさに今こうして布団に寝そべっているこの時でさえ、とても信じられない思いでした。


 スー―とフスマが開き、お上品そうな老婆が部屋に入って来ました。シュラの知っている老婆は皆一様に品の無い者ばかりでしたので、こんなお上品そうな老婆がこの世にいるとは、まさに今こうして老婆に面しているこの時でさえ、とても信じられない思いでした。


 「あら、お目覚めでしたか。ヘヤコンの温度は大丈夫でしたか?寒すぎたりしませんでしたか?」


 老婆の問いに、


 「へやこん?」


 と、阿呆のような顔で阿呆のような声を出しました。


 ヘヤコンとは何か……老婆が言うにはそれは、『部屋の気温をコンディショニングするナー』という意味が込められた『ヘヤコンデショナー』という言葉を省略したモノであり、それを使うと夏でも涼しく、冬でも暖かく過ごせるという事でした。

 その説明を聞いても、シュラにはよく分からなかったのでとりあえず、天狗の仕業だと思う事にしました。


 その屋敷はとても広く、そしてシュラが見たことの無いモノで溢れていました。彼女が起きたのは日が沈んで間もない頃だというに、部屋や廊下は昼間のように明るく照らされていました。お風呂は広く、蛇口をひねるだけで温かいお湯が出ました。用意されていた浴衣は清潔で、良い匂いがしました。夢のような時間のあと通された部屋で、シュラを助けてくれた初老の侍と再会しました。

 

 彼の名前は、大内鹿之助と言いました。ここ都で江戸川幕府に雇われて剣術の指南役を務めている。みたいなことを言われました。


 「その……けんじゅつ?……を覚えたら、オレもあんたみたいに強くなれるのか?」


 シュラの言葉に鹿之助は、


 「お嬢ちゃん、なぜ強さを求める。」


 と鋭い目で聞き返してきました。


 シュラは語りました。弟ハルの事を。昨晩起こった事を。もし自分が強ければ、ハルと離れ離れになることも無かったと、自分が弱かったからハルを守れなかったと、シュラは語りました。


 「だから……次にハルと会った時に、次は守れるように、強くなりたい!」


 シュラの言葉に、しばらくシンと静まり返りました。気の早い鈴虫がリンリンと鳴いているのが遠くに聞こえました。


 「ふむ……お嬢ちゃん……いや、シュラよ。」


 名前を呼ばれてシュラは背筋を伸ばしました。


 「シュラがどんなに強くなったところで、ハル君と再会できなければ守るも何もないんじゃないか?」


 鹿之助の言葉にシュラは、


 「うぐぅ……」


 と呻きました。


 「シュラよ、確かにお前さんは強くならなければならない。だが、それは剣の道によってではない。」


 そう言うと、鹿之助は平べったい長方形の、文鎮にしては大きいナニカを手にし、それをおかしな形をした箱に向けました。その箱の、シュラと鹿之助の方を向いてある面は、ツルツルした材質のモノで出来ているようでした。


 ブンと音を立て、ツルツルした面に光が灯りました。


 「このように江戸川幕府の財政難が……」


 卓に着いて何やら難しい事を話している男たちの姿が、ツルツルした面に現れました。


 「おぉおお……これはなんだ。天狗の仕業か?」


 「なんだ。シュラはテルビ見るの初めてか。」


 「てるび?」


 「うむ。『美しく照るじょん』すなわち『テルビジョン』じゃ。これを付けると、こんな風に色んな番組が見られるのじゃよ。」


 鹿之助がそう言って、大きな文鎮のような物を何やら操作すると、テルビの画面が次々と切り替わりました。


 「なんだ?なんだこれは?妖術か?鹿之助は妖術も使えるのか?」


 「はっはっはっは……妖術ではない。科学の、電気(エレキ)の力じゃ……おや?…うぬぅうう!!!」


 突然鹿之助が呻いて、テルビを凝視しました。シュラがテルビを見ると、そこには乳と股間だけを小さな布で隠した若い女性が映し出されていました。シュラは再び鹿之助を見ました。


 「うぬ。けしからん。なんとけしからん。シュラよ。こんなけしからん大人にはなるでないぞ!」


 シュラは何も言わずに、大きな目をぱちくりさせて鹿之助を見つめました。


 「うぬ。お前さんに見せたいのはこれじゃない。これじゃ!」


 テルビの画面が切り替わり、二人の男が映し出されました。その二人は何やらお話をしているようですが、その話の内容が、何だか変なのです。


 「君さ、最近付き合い悪いじゃない。」


 「ごめんごめん。いやぁ、嫁さんが身ごもってさ。」


 「えぇぇ?誰の子を?」


 「俺の子だよ!」


 左側に立っている男が、『俺の子だよ!』と、そう言った時、どっと沢山の人が笑う声がしました。


 「へぇ~すごいね。二人目だっけ?」


 「そう。一人目の子、息子なんだけど、はしゃいじゃってさ。」


 「無理も無いよ。だってお姉ちゃんかお兄ちゃんになるんだもんね。」


 「お姉ちゃんにはならないよ!それを言うなら、弟か妹が出来る。だろうが!」


 「義理の?」


 「実の!実の弟か妹が出来るの!」


 右の男が、理屈に合わない変なことを言う度に、左の男がそれを否定します。その度に、笑い声が起きるのです。


 「それで嫁さんが最近ピリピリしててさ。」


 「無理も無いよ。お腹の中に父親の分からない子供を宿しているんだもん。」


 「父親は俺!」


 「じゃぁボクは?」


 「赤の他人だよ!」


 「そんな酷いよ。ボクは君を大事な相方だと思っていたのに……


 気が付いたら、シュラはテルビの中の笑い声と一緒に、大笑いしていました。お腹を抱えて笑っていました。


 テルビには、次々とおかしな会話をする二人組が出てきました。


 ……


 「この世から貧乏や病気や争いを全て無くす方法と、一日だけパッチリ二重にする方法、どっち知りたい?」


 「うーーーん……8:2でパッチリ二重かな。」


 「お前ならそう言うと思ってたよ。」


 「おいおい、褒めても何も出てこねぇぞ♪」


 ……


 「あのね、私最近気づいたの。私以外の全ての人間はみんな愚かだって。」


 「それはナニカの病気だから病院にいった方がいいよ。」


 「あとね、時々耳から血が垂れてくるの。」


 「それは本格的に病気だから、一刻も早く病院行きなよ。」


  

 …………その番組が終わるころには、シュラはもう呼吸ができないほどで、ヒーヒー言いながら転がっていました。


 「今のは漫才じゃ。」


 「ぜはぁ……ぜはぁ……ま……まんざい?」


「漫才だけじゃなく、今この都はお笑い……人を笑わせる芸が流行っておる。シュラよ……お前さんが進む道はこれじゃ!」


 「はへぇ。」


 鹿之助の言葉に、シュラはポカンと呆けた顔をしました。


 「分からぬか?お笑いの道で天下をとれば、この都中で知らぬものはいない有名人になる。毎日テルビに引っ張りだこになって、お前さんの姿を大勢の人が見るのじゃ。」


 「うん。」


 「そうすれば、やがて都に来る弟の目にも留まるだろう。」


 「おぉぉ。」


 「さすれば向こうから会いに来るじゃろう。」


 「うぉおおおおお!!!」


 「幸いお前さんには声真似の、声帯模写の才能がある。武器がある!」


 「うん!」


 「どうじゃ?シュラよ。この都で、お笑いの天下をとらぬか!?」


 「うん!とる!とりまくる!!!もう片っ端から人々を笑わせてヒーヒー言わせて、オレ、お笑いで天下をとる!!そして、ハルともう一度出会う!!!」


 シュラは立ち上がり、拳を天に掲げました。それからどうしようもなく興奮した二人は、シュラと鹿之助は、どったんばったん暴れ始め、それは上品な老婆に叱られるまで続いたそうです。


 そう言う事が、あったのだそうです。


 こうして、シュラの物語は始まりました。一方のハルはどうなったかと言うと、それはまた次回のお話で。

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