見返り地蔵

白玲

見返り地蔵

 これは私が見る夢の話だ。

 その夢は一度きりのものじゃなくて、ときどきふっと思い出したように見る。普段見る夢はいかにも夢らしい、脈絡も突拍子もないふざけたものばかりだけれど、その夢だけは奇妙なほどリアルで、眼が覚めた後もしばらくは現実のことだったのではないかと疑ってしまう。でも、しょせんは夢だ。

 夢の中の私は、現実と同じ学校に、現実と同じ通学路で行って、現実とほとんど同じ友達たちと話し、現実と同じ通学路で帰ってくるという、現実と同じような生活を送っている。ただ、現実と違うことが二つだけある。一つは、必ず一人、現実には存在しない友達が出てくること。夢の中の私は、他の友達たちと同じように彼女とも仲良くしているけれど、現実ではそんな子を見かけた覚えすらない。もう一つの違いは、現実にも存在する通学路の途中の丁字路、その道際に現実にはないお地蔵さまが置かれていることだ。

 その丁字路は学校の近くにあって、道の両脇にはずっと普通の家が並んでいる。その中の一つ、ある家の塀の前で、お地蔵さまはなぜか後ろを向いて立っている。そのつるりとした灰色の後頭部を見ながら、どうして後ろ向きなのだろうと不思議に思いながら、私はいつも学校に向かって歩いていく。そして帰り道、友達たちとしゃべりながらそのお地蔵さまの前を通りがかると、不意に一人が「そういえば」と話しだすのだ。

「知っている? このお地蔵さま、見返り地蔵って言って、お願いをすると叶えてくれるんだって」

 そんな話は他の誰も知らなくて、みんな口々に「え、聞いたことない」「嘘だー」「誰が言っていたの?」なんて言い合う。すると話し始めた子が「嘘じゃないよ」と言って、さらに詳しく教えてくれる。

 なんでも、そのお地蔵さまの前で眼をつぶりながらお願いごとをして、強く強く、これ以上ないってくらいに強くお願いをしてから眼を開けたとき、もしもお地蔵さまが振り返っていたら願いが叶うのだという。だから見返り地蔵と呼ばれているのだそうだ。

 そう聞いても全員疑い半分で、なら試しにやってみようという話になる。私は馬鹿らしいなと思いながら、でもみんなを白けさせるのも嫌だから、一緒になって眼をつぶる。といっても願い事なんてないからただ眼をつぶるだけで、そろそろかなってころに眼を開ける。眼の前には当然、後ろを向いたままのお地蔵さまがある。

 しばらくすると他の友達たちも顔を上げて、「ほらやっぱり」「こっち向いてないんだけど」「願い叶わないわー」なんて言いながら笑い始める。ただ一人、噂を聞かせてくれた子だけは眼を見開いて、「お地蔵さまがこっち向いている!」と騒ぎ始めるのだ。

「ねえそういうのいいから、面白くないって」

「いやまじまじ、お地蔵さまの顔見えるって。え、みんな見えないの? やばい、私の願い叶うってこと?」

「はいはい、わかったわかったすごいですね。で、どんな顔をしているの?」

「え、普通の顔。どこにでもあるお地蔵さま」

 そんな面白くもひねりもない会話に、みんなで「ネタならもうちょっと工夫しなよ」とツッコんで、「いやネタじゃないし、本当にこっち向いているんだって!」とはしゃぎ立てるその子をなだめながらまた歩き始める。そうしてみんなと別れるところで、眼が覚める。ただそれだけの、なんてことのない夢だ。

 この夢を見るたび、私はいつも少しだけ不思議な気持ちになる。というのも、夢の中でお地蔵さまの噂を聞かせてくれる子、お地蔵さまが振り返ったと騒いで、それを他の友達たちと適当にあしらう彼女こそが、現実には存在しない友達だからだ。ついさっきの夢の中ではあれほど親しくしていた子が、現実には会ったことも話したこともない。そのことが、寝起きの頭ではうまく消化しきれない。しかもさらに奇妙なのは、その夢でそういった動きをする子は毎回いるけれど、彼女の人物像はその時々で全然違うのだ。普段は大人しい性格という子のときもあれば、運動好きで活発な子の場合もある。別によく見る夢というわけじゃないけれど、自分の中からそれほどたくさんの見知らぬ少女が生まれてくるということが、なんだか変なことに思えて仕方がなかった。

 そしてついこの間も、久々にこの夢を見た。いつもの夢と同じように、いつもと同じ学校に、いつもと同じ通学路で行って、いつもと同じ友達たちと話し、いつもと同じ通学路で帰ってくる。通学途中の丁字路にも、いつもどおり後ろ向きのお地蔵さまがあって、横目に見ながら私はいつもの夢だなと思っていた。

 そう、夢の中でそれが夢だってことに気づいていた。それ自体がまったくいつもどおりではなかったのだけれど、そのときの私は全然意識していなかった。それよりも私がいつもどおりじゃないと思っていたのは、いつもなら必ずいる存在しない友達が、そのときには一向に現れなかったことだった。私が生み出すあの、身に覚えのない友達はいつ出てくるのだろうと思って過ごすうち、気づけば帰りの道を現実とまったく同じ顔ぶれの友達たちと歩いていた。

 どうしよう、このままじゃ誰も見返り地蔵の噂をしないことになる。なぜかはわからないけれど、私の中でそんな焦りが芽生え始めた。その気持ちは、丁字路が近づいてくるほどにどんどん大きくなってきて、当のお地蔵さまが見えてくると今度は心臓を叩くようになって、どきどきと胸が痛いほどに脈打ち始めた。そしてお地蔵さまの前で痛みがピークに達したとき、私はたえきれず「そういえばさ」と口走っていた。

「このお地蔵さま、見返り地蔵って言うんだって。願い事を叶えてくれるって話、知っている?」

 そこからはまたいつもどおり。なんやかんやと口にするみんなに、私が説明をする。それでもやっぱり疑われて、だからみんなで試してみることにする。お決まりの流れに沿いながら、けれど私の背中には冷たい汗が伝っていた。何かはわからないけれど、ものすごく嫌な予感がしていた。

 嘘だ、本当はわかっていた。この後の流れも知っていた。嬉しそうにはしゃいでいたかつての彼女たちの姿を思い出しながら、それなのに私はまったく反対の感情に支配されていた。だって、今眼の前で後ろを向いているお地蔵さまが、こっちを向く? 他のみんなにはそう見えていないのに? 私だけにそう見える? それって、いったいどういうことなのだろう。わからなかったけれど、わかろうと考えること自体がなんだかとてつもなく怖ろしいことのように思えた。

 それでも夢は、私の思いとは関係なしに進行していく。周りのみんなが眼をつぶるのを見つつ、同じように眼を閉じながら私は、いつものように願い事をしなければいいのだと思った。願わなければ叶うこともない、それならお地蔵さまも振り返らない。今までと同じように、ただ無心になって――まぶたが完全に閉じた瞬間、心にひらめくものがあった。あっと思って、すぐにかき消した。願いとは言えないような、本当に一瞬の思いつきみたいなものだったはずだ。大丈夫、きっと大丈夫。そう思いながら眼を開けた。

 お地蔵さまの顔が見えた。

 その瞬間に眼が覚めて、すぐさま飛び起きた。夢の中でお地蔵さまに近づいていたときと同じくらい、いやもっと強く、心臓がどくんどくんと鳴っていた。首筋や背中がべっとりと汗で濡れていて、とても寒く感じられた。それとも、別の理由の寒気だったのだろうか。夢はおぼろげになって、はっきりとは思い出せなかった。ただお地蔵さまの顔が、けっして普通と言えるようなものじゃなかったことだけは確かだった。

 これは私にとって、ものすごく怖い夢だった。それは間違いない。けれどしょせんは夢、現実じゃない。現実の通学路、あの丁字路に見返り地蔵は存在しない。そう言い聞かせているうちに落ち着いてきたし、現にその日の登校中に通ったその丁字路には、地蔵どころか置物の一つとして見当たらなかった。だから私は安心して、いつもどおりの現実に戻ったのだ。

 あれからしばらく経って、私にちょっとだけ嬉しいことがあった。前からひそかにいいなと思っていたバスケ部の男子と、二人だけで長く話すことができたのだ。おまけに話が盛り上がって、連絡先を交換することまでできた。クラスも違うし共通の友達もいないから、きっと仲良くなるのは無理だろうと諦めていた。それなのにほんの偶然から親しくなれて、帰り道をたどる足取りもうきうきと軽くなる。そうして、あの丁字路にやってきた。

 ふと、頭によぎるものがあった。夢の中の、一瞬の思いつき。まぶたの裏の暗闇に、私はその男子の姿を見た。別に何かを願ったわけじゃない。ただ彼のことを少し、ちらっと思い浮かべただけ。ただ、それだけだったはずだ。

 丁字路、ある家の塀の前。そこにお地蔵さまがいた。後ろを向いていて、顔は見えない。喉がひゅっと鳴った。一瞬、自分がどこにいるのかがわからなくなった。ここは現実、いや夢? そんな馬鹿な、私は眠ってなんかない!

 試しに頬をつねってみると痛みを感じた、ということは現実のはずだ。でもじゃあなんで、お地蔵さまがいるの? 朝のときは確かにいなかったのに。

 信じられないという気持ちでほとんど頭が真っ白のまま、ただじっとお地蔵さまを見つめる。後ろ姿のまま、ぴくりとも動かない。振り返る気配はない。三呼吸ほど息を整えて私は、そのままお地蔵さまの後ろを駆け抜けた。振り返ることはできなかった。だってもし、振り返ってお地蔵さまがこっちを向いていたら……。

 次の日、学校を休んだ。とても行けるような気分じゃなかった。体調が悪いと嘘をついたけれど、どうやら顔色は本当に悪かったみたいで、お母さんはすぐに心配してくれた。部屋で休んでいなさいと言われて、ありがたくベッドに潜りこんだ。

 夢を見た。私はあの丁字路にいて、ひざを抱えて座りこんでいる。眼の前にはあのお地蔵さま。相変わらず後ろ向きで、私はそのてろりと丸い後頭部をじっと見つめている。片時も眼を離さないようにしながら、おびえている。いつかその顔が、こっちを向くんじゃないかって。まばたきした瞬間、あのおぞましい顔がこっちを向いているかも。次は、次こそは、次のときこそはきっとこっちを向く。こっちを、いつかこっちを向いて――そうやってずっとおびえながら、お地蔵さまを見つめ続ける。そんな夢だ。

 眼が覚めたとき、私はすぐさまトイレに飛びこんだ。夢の中の緊張感が現実にまで影響して、胃の中の全てがひっくり返るような苦しみにうめいた。眠るのが怖くなった。だってきっとまた、あの丁字路でうずくまることになる。

 さらに次の日、私は学校に行くことにした。家にいても夢のことを考えてふさぎこんでしまう、それなら外に出ているほうがマシだ。ただ、通学路は変えて登校した。あのお地蔵さまの前を通る勇気はなくて、帰りも丁字路には近寄らないようにしようと思った。

 気がついたら、私はあのお地蔵さまを前にしていた。お地蔵さまが後ろを向いたままなのを見て、ああよかったと安心して、すぐさま背筋が凍りついた。私、ここには来ないようにしようって決めていたのに、なんでいるの? いつ、どうやって来たの? 学校を出たとき、いつもの通学路とはまったく違う方向へと歩き始めたのは覚えているのに、それからここまでの道のりがまったく記憶にない。ただ歩くままに歩いて、気づいたら眼の前にお地蔵さまがいた。ぞっとした。

 それからは毎日、私はお地蔵さまのところにやってきている。どんなに避けようとしていても、ふと意識したときにはお地蔵さまの後ろ姿を確認している。学校を休んだところで意味はない、その時は夢の中であの丁字路にいる。現実で確認する時間よりもずっと長い間、今にも振り返りそうなお地蔵さまの様子にびくびくし続けることになる。

 だから私もあきらめて、大人しくお地蔵さまの姿を確かめることにした。今日は振り返っていなかった、今日も振り返っていなかった、今日も大丈夫、今日も、明日も、その次も、きっと、ずっと……。

 ある日、久しぶりに友達の一人と一緒に帰ることがあった。あの夢の中にも出てきていた、現実に存在する友達だ。彼女となんてことない話をしながら、あの丁字路までやってきたときだった。不意にその子が「あ」と口にした。

「そういえばさ、見返り地蔵って知っている?」

「……なんで?」

「いや別に、実はちょっとすごくリアルな夢を見てさ。その夢にそういう名前の地蔵が出てきて、でもやっぱり現実には存在しないよなーって思って」

 そう言ってにかりと笑った彼女の後ろ、肩越しに私は今日もお地蔵さまが振り返っていないのを確認した。大丈夫、まだ大丈夫。言い聞かせるのに必死で、ほとんど生返事で「そうなんだ」とだけ返した。

「それにしても見返り地蔵ってさ、なんか嫌な名前だよね。見返り求められそう」

「……え、何を求められるって?」

「見返りだよ、代償代償」

 代償、その言葉が胸にすとんと落ちてきた。ああそうか、私は見返りを求められているのか。でもじゃあいったい、私は見返りに何を求められているのだろう? なんて、実はなんとなく察しがついている。

 不思議だったのだ。なぜ現実では会ったことも見たこともないのに、夢の中にしか存在しない友達はみんな個性的だったのか。どうして夢の中ではいつも友達「たち」と帰っていたのに、現実の私は友達の一人と、それも久しぶりに一緒に帰る程度なのか。なんで夢の中でお地蔵さまの顔を見るのはいつも、現実にはいない友達だったのか……きっと、見方を間違えていたのだ。なぜ現実に存在しない友達が夢に出てくるのか、ではなくて、どうして夢の中にはいた友達が現実には存在しないのか。しょせんは夢だ、けれど夢のほうが現実に近いことだってありえるかもしれない。あるいは夢が、現実を侵食することも。

 また別の日。

 今日は一人で帰っていた。いつもの通学路、いつもの丁字路、いつもどおりに後ろ向きのお地蔵さま。きりりと痛んだ心臓が、安心感で緩んでいく。今日じゃない、まだ見返る日じゃない。一度確認したらあとは見ないように、お地蔵さまの姿を必死で視界のはしに追いやって、足早にその後ろを通りすぎる。今日はまだ大丈夫、だから家に帰ろう。早く家に帰って――

「おーい、ちょっと待って!」

 遠く後ろのほうから聞こえてきたのは、覚えのある声だった。バスケ部の、ひそかにいいなと思っていた彼だ。珍しい、こんなところで会うなんて。惹かれるままに後ろを振り返る。くるりと回る景色の中に、お地蔵さまの姿が現れる。

 そのときお地蔵さまは

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見返り地蔵 白玲 @Ray_Shira

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